本日の講義内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。この講座では、古事記の読解力を上げるために、日本の古代信仰について解説しています。今回は旧暦についてお話します。
これまでこの講座では、陰陽五行思想についてお話してきました。少しおさらいをすると、古代日本人は大陸から輸入した陰陽五行を日本の原始信仰である古神道と習合させて神道を作りました。
陰陽五行は天文学と密接に関わっているため、神道も星の動きに合わせた神事を執り行うようになりました。それは北極星を中心に、その周囲を回る北斗七星の動きに合わせたもので、天と地が調和することで国に秩序と安寧がもたらされるとする陰陽五行の教えに則ったものです。
星の動きを観測することは季節の変化を読み取ることでもあるので、陰陽五行から今日のテーマである暦も生まれました。

今日のお話は、歴史学者で暦学者の岡田芳朗先生の著書『日本の暦 旧暦と新暦がわかる本』『旧暦読本 日本の暮らしを愉しむ「こよみ」の知恵』を参照しながら解説していきたいと思います。

暦の歴史
自然暦と太陰暦
はじめに暦の歴史からお話すると、人類が最初に用いた暦は「自然暦(別名:農業暦)」と呼ばれるものでした。たとえば、山の残雪の形が馬の姿に見えたら米作りの合図とか、菜の花が咲くのを見て苗代時を知るとか、そのように自然界の変化を農作業の目安にしたものが自然暦です。

それと並行する形で用いられていたのが「太陰暦」で、それは月の運行によって日を数え、新月(朔)から満月(望)を経てまた新月に至るまでを一ヶ月とするものです。ですから、常に三日の夜は三日月ですし、十五日は満月(十五夜お月さん)ということになります。
この太陰暦を用いると、当然一日の始まりは月が出始める夕方頃ということになります。日没や日暮れ(日没後約30分)から一日が始まるという習慣は、イスラム歴やユダヤ歴にも見られることで、岡田先生いわく、「日本の古代にもそういう風習があったかと考えられる。神社の祭りの宵宮(前夜祭のこと)はその名残りではないだろうか」とおっしゃっていました。

この自然暦や太陰暦が用いられていた時代は、農作業のない期間は日数をカウントしないため、暦がない期間がありました。それら暦は農作業をするときには便利ですが、どこまでもご当地限定のため、広い範囲で使用することはできず、また暦のない期間があるため長期に渡って使用する暦法としても不向きでした。
太陰太陽暦(旧暦)
この連続性や広域性、つまり国土全般に長期に渡って用いることができるものとして作られた暦が「太陰太陽暦」と呼ばれるものです。日本においてそれは「旧暦」のことを指します。
太陰太陽暦とは、まず太陰暦の方が、先ほどもお話したように、月の満ち欠けによって月日を数えるもので、月の満ち欠けの長さは約29.5日になります。十二か月を一年とすると、一太陽年(実際の一年のこと)より約十一日短くなります。すると、暦の日付と実際の季節との間に毎年ズレが生じます。これを修正するために、閏月を設けるなどして調整した暦が太陰太陽暦です。

この暦は古代大陸で生まれ、日本には六世紀中頃から入ってきたと言われています。そこから千数百年間に渡って実用されたため、日本人が大切にしている季節感は太陰太陽暦、つまり旧暦に基づいて形成されたと言えます。
ですが、残念ながらこの太陰太陽暦は明治で廃止され、代わりに「太陽暦(新暦)」を導入することによって、日本は西洋と足並みを揃える形となって今に至ります。
以上を簡単にまとめると、自然暦および太陰暦の時代があり、それが六世紀中頃に太陰太陽暦へと変わり、明治以降現在の太陽暦になったという流れです。
そして私が考えるに、太陰太陽暦に「太陽」という言葉が入っていて、ここに太陽神天照大御神の存在を感じ取ることができるので、この暦と神道は密接に関わっていると言えます。太陰太陽暦を神道の時代とするならば、反対に太陰暦は古神道の時代と言えるかもしれません。

以上、ここまでが暦の歴史についてのお話でした。
旧暦/小の月、大の月
ここからは旧暦について詳しく見ていきます。
先ほど月の満ち欠けの長さは約29.5日と言いましたが、それを暦に落とし込むとき0.5日分が厄介です。ですから、これを切り下げ切り上げしたものが「小の月」「大の月」と呼ばれるものです。小の月は29日、大の月は30日で、これを交互に並べることによって0.5を調整します。

この小の月、大の月は年ごとに配列が変わるので、毎年「いつが小の月なのか」「いつが大の月なのか」を確認する必要がありました。江戸時代では印刷技術の発達によって毎年カレンダーが作られるようになり、ユーモア溢れるものがたくさん誕生しました。

たとえば、上記暦では正月(一月)は小の月なので29日の月、二月は大の月なので30日の月、三月も大の月と読むことができます。最初の暦はこのようにわかりやすいものでしたが、これがどんどん進化して、今度は絵になっていきます。

左の暦の場合、屏風の右下の方に大が太文字、小が細文字で書かれているので、それをヒントに左の文字列を見ていくと、太文字の「正・三・四・六・九・十一」が大の月、それ以外は小の月だということがわかります。小さなワンちゃんも描かれているので、寛政二年のこの年は戌年だということもわかります。
次に右の暦を見ていくと、着物のデザインとして月が描かれていて、右上から正月が大、二月が小と見ていくことができます。しかし、この年はなぜか全部で十三個も月があります。その理由は、八月のところで同じデザインの大と小が重なっていて、ここが閏月として調整が入っているからです。閏月は今では二月に固定されていますが、旧暦では閏月も年によって設けられる月が変わっていました。

この他、字が読めない方のための絵暦というものもあったり、謎解きバージョンもあったりと、江戸時代は楽しみながら暦を読むのが定番になっていたようです。ちなみに、右側の暦の正解は、大きいシャボン玉が大の月、小さいのが小の月だそうです。閏月がめちゃくちゃわかりづらいです(笑)

このようにオモシロ楽しい太陰太陽暦ではありますが、季節感は感じられないというのが難点でした。ですから、季節を感じるために設けられたものが二十四節気です。
二十四節気
二十四節気はひと月を十五日で分けたもので、前半を「節」、後半を「中」と呼びます。
左の春から見ていくと、正月は立春と雨水、二月は啓蟄と春分、三月は清明と穀雨、夏の四月は立夏と小満、五月は芒種と夏至、六月は小暑と大暑、秋の七月は立秋と処暑、八月は白露と秋分、九月は寒露と霜降、冬の十月は立冬と小雪、十一月は大雪と冬至、十二月は小寒と大寒。名前を聞くだけで、季節感がワッと感じられますよね。

七十二候
さらに節気は七十二候にまで分化します。

ここに記したものは宣明暦と呼ばれるもので、大陸から輸入されたものがそのまま反映されたものになっています。明治になって改良が加えられるのですが、今は全部覚える必要はありません。感じ取っていただきたいことは、昔の日本人はこれだけ季節の変化に敏感だったということです。
現代日本人はここまで細かく季節を把握していませんが、それでも季節の変化を何となく体感で感じ取ることは今も昔も変わらずあるように思います。私の場合、匂いで季節を感じ取ることが多く、雪が降りそうなときは遠くに氷のツーンとした冷たい香りを感じたり、雨の匂いもそう。春も秋もそれぞれに独特の香りがあって、それを感じながら季節の変化を察知しています。
ですから、旧暦はカレンダーを通して見て知るものというよりは、体感として日本人の体に染み付いているものなのだと思います。この旧暦の基になっているのが陰陽五行。だから、陰陽五行は陰陽師という特別な人だけが用いるものではなく、実は庶民にとっても馴染み深いものであり、私たち日本人の精神性の基盤になっているものだと言えます。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!
