私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第21回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
以前のお話で、心の中に湧いてくる思考や感情は、自分らしくないものや自分じゃない存在のものの場合が多いとお話しました。
このことは、ずっと自分の心の中を観察し続けることで気づくことができました。さらに、この気づきによって、「自分の中に世界がある」ということも知りました。
誰にでも嫌いな人がいる
自分の中に湧き上がってくる思考や感情は、外側の出来事をきっかけにして起こります。一番その現象を顕著に感じる体験は、自分にとって嫌いな人がいる場合に起こりやすいと感じます。
嫌いな人が何か一言発言しただけでも、心の中では「え、何言ってんの。その考えまったく違うし……」などと思ったり、変に敵対心を燃やしたりもしてしまいます。
家の中にいて、他人であるその嫌いな人がその場にいないにも関わらず、心の中にはつねに嫌いなその人が居続け、さらに心の中だけで嫌いなその人が「こんなことやあんなことをする……」といったように、勝手な妄想ストーリーも繰り広げられることもあります。
実際、その嫌いな人が取るはずのない行動まで、妄想ストーリーの中では繰り広げられるため、その人は、通常の何倍も何十倍も嫌われてしまっている可能性があります。
嫌われてしまっている本人はビックリだと思いますけど(笑)
人はみな、好きな人や同じ興味を持つ人、一緒にいて心地が良い人、そういった人とだけ居たいと願います。そういった世界であれば、心穏やかに、平和に、楽しく暮らせるので、私もそのような世界に憧れます。
でも、現実は違う。嫌いな人、苦手な人、デリカシーがない人、自分のことを嫌っている人など、世界には多種多様な人がいっぱいいます。
普通、人間は嫌いな人や苦手な人を自分の世界から排除したがるのですが、でもやはりここでも哲学的思考を用いて、「なぜ私はこの人を嫌っているのだろう」と疑問を持って、心の中を深堀りしていくと、いろんなことが見えてくるのです。
世界を見る解像度について
まず、誰しもが思う「好きな人だけ、居心地が良い人だけがいる世界」というのは、色でたとえると、私はパステルカラーだと考えます。お互いの色は異なっていても、色の濃淡や強弱にさほど差がないからです。だからお互いの色の違いも、受け入れやすい「個性」として、人は捉えていると考えます。
これとは逆に、嫌いな人や苦手な人というのは、色でたとえると、原色だと考えます。パステルカラーの世界にとって、原色は異物に見えてしまいます。パステルカラーの世界は、色の濃淡や強弱がみんな一律なので、そこに原色が入ってくると異分子にしか見えないからです。パステルカラーの世界にとっては、自分たちの世界の均衡が崩される、そんな印象を抱くと思います。
でも、異分子に見える原色も、それは世界を構成する色の一部です。パステルカラーの世界は、パステルカラーのあの淡い色合いの世界に目が慣れてしまっているので、原色は明るすぎたり暗すぎたり強すぎたりと、不快感を感じるのだと思います。
不快感を感じるとはいっても、じつはパステルカラーの世界というのは、その濃淡と強弱の度合いが低いという意味では、これをテレビに例えると、解像度が低いとも言えます。世界を見る目の解像度が低い、意識の解像度が低い、ということです。解像度の低いパステルカラーの世界に原色が入ることで、ようやく世界の本来の解像度に至ります。だから、嫌いな人、苦手な人を排除したいと思ってしまうのは、人間だから仕方ないことではあります。
でもこの三次元空間を脱して、本当の宇宙を知りたい、自分がこの世界で生きる意味を知りたい、本当の自分自身を知りたいと思う方であれば、「自分の世界を見る目の解像度が低いのかもしれない」と、そこに気づいていただけたら、これまで世界に対して感じていた不快感から一歩抜け出すことができるのではないかと思います。
これは、自分のためなんです。
不快感を脱して、自分を楽にしてあげることができるので。
見えないエネルギーについて
嫌いな人を好きにならなくてもいい
ここでみなさんにお伝えしたい大事なことが一つあります。それは、私は「嫌いな人を好きになろう」と言っているわけではないということです。これは私の実体験ですが、私は今でもちゃんと嫌いな人はいます。
「ちゃんと」という言い方はおかしいですが(笑)
いるいる、いっぱいいます。
スピリチュアルの世界や心のお勉強をしている人は、真面目な方が多いので、「嫌いな人も好きにならないといけないんだ」と考えてしまうと思いますが、じつはそうではありません。嫌いな人、苦手な人は、そのままでいいのです。
もちろん、自分が持っている人を判断する考え方、凝り固まった観念は柔軟にしていく必要はありますし、自分の自己肯定感の低さからくる嫌悪感であれば、それは克服した方がいいと思います。でも私が一番対処すべきだと思うことは、その嫌いな人に執着してしまっている、自分のエネルギーや感情を処理することです。
三次元世界に張りつくエネルギー
私たち人間は、どうしても目に見えるものだけで世界を捉えてしまうので、人との関係性も「身体 対 身体」として捉えます。でもじつは、自分の身体と相手の身体の間に、見えないエネルギーの流動があるのです。そのエネルギーの一つが今回の話に沿って言えば、「執着」というものになります。
その執着というエネルギーは、すごくベタベタしていて、三次元世界に貼りついてます。嫌いな人を無視しようと思ってもできない理由は、その執着というベタベタしたエネルギーが自分と嫌いな人との間をつなぎとめてしまっているからであり、だから離れようと思っても離れられないのです。
ですから、対処すべきことは、嫌いな人をどうにかするのではなく、その相手と自分をつなぐベタベタしたエネルギーを解消させることなのです。
このエネルギーは、言ってしまえば、生霊みたいなものに似ています。三次元世界に執着していたり(物欲、名誉、権力、愛を欲することなど)、嫌いな人から頭が離れなかったり。そのような状態は、自分の生霊的なエネルギーがこの世界にベッタリ貼りついているからだと私は考えています。これは三次元世界に執着しているエネルギーを擬人化させて表現すると、生霊という表現がぴったりだと思って用いています。
ちなみに注意事項ですが、私は霊能力者ではないので、そういった世界の文脈でこの件を語ることはできません。
ただ、イメージしやすいものとして生霊という表現を用いているだけです。
三次元世界に張りつくエネルギーを解消させよう
冗談に聞こえるかもしれませんが、自分の心と真剣に向き合うとわかってきます。人間は社会が悪い、あの人が悪いと言って、外側を変えたがりますが、本当のところは、自分の低俗なエネルギー、三次元的なエネルギー、さらには生霊のようなエネルギーが存在していて、そのエネルギーが世界に張りついてしまっているのです。
心の中に上がってくる思考や感情は他者存在だと以前お話しましたが、この場合も同様に、世界に執着してしまっているエネルギーもしっかり対象化することが必要です。つまり自分のものではなく、しっかりと自分から切り離して客観視して対処していく、そういった意識を育てたり、技術や能力を磨く必要があると私は考えています。これはあくまでも私なりの表現で、世界に執着してしまっている状態を対象化して表現しています。
こういった現状がある中で、それを知らない状態で高次の視点で世界を見たとしても、それができるのは一瞬のことで、すぐ三次元世界に意識は戻ってしまいます。なぜなら、くり返しになりますが、世界に執着するベタベタしたエネルギーを持っているからです。
芸人さんがたまにテレビ番組で体を張った競技をやったりするんですが。いろんな障害物を乗り越えていくやつ。ローションぬるぬるゾーンがあったりするやつ。そのときによく出てくるベタベタした、一回転んで全身にそのベタベタがついてしまうと、起き上がることも難しくなってしまうやつ。わかるかな?そんな状態に似ています(笑)
そのようなベタベタを私たち人間はまとっているのです。そして外側の世界で目についたものは、ことあるごとにそのベタベタをいろんなところにつけて、世界に張りつこうとします。
ですから私としては、こういう現状があるからこそ、本当の意味で高次の視点を獲得したり、本当の宇宙を認識したり、本当の自分という存在を知っていったりするためには、この今私たちが実際直面している、体験している眼の前の状態をしっかり認識して、そしてそこで張りついてしまっているエネルギーを解消させたり、克服したりする知識や技術を身に着けないといけないと思うのです。
この技術を持たないと、正しく宇宙を捉えられないからです。だから私はつねに、現実問題を捉え、そしてそこから卒業するための方法を考えることを一番の目標にしています。
エネルギー解消後の変化について
この三次元世界に執着するベタベタしたエネルギーを解消できるようになると、嫌いな人の存在は「ただの嫌いな人」になります。嫌いな人であることは変わりないため、一瞬は心の中にモヤッと上がってくるものはありますが、でも以前と違って執着しなくなります。「うん、私はあの人が嫌いなんだから、この感覚はしょうがないよね」で終わります。
さらに、嫌いな人に執着するエネルギーがないため、表面的には嫌いな人でも、心の深い部分ではちゃんとその人を一人の人間として捉えているし、その人の存在そのものを受け入れ、そして存在そのものを尊重しているという、一見パラドックスにも思える状態に変化します。
これまでは自分の中には好きな人だけを招き入れ、嫌いな人は排除してきたことが、嫌いな人さえも自分の中に招き入れることができるようになると、不思議な感覚を覚えるようになります。それは、自分の好きな人も、なんとも思わない人も、そして嫌いな人も、自分の中を自由に行き来するようになるのです。その状態をたとえるなら、心の風通しが良くなる感じです。心がスースーっとしてきます。すると、「あ、私が世界だったのか」と気づきます。
この「心の風通し」というのが言葉での理解ではなく、実際に自分の心で感じられたとき、不思議な世界が見えてきます。それは三次元世界を抜け出した、一つ上の次元である哲学領域から見る世界であり、その視点を獲得できるようになると思います。
そういった視点の獲得には、三次元世界に執着しているベタベタしたエネルギーを取り除く必要があります。そのエネルギーを取り除く方法などあるのか?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、あります!
その方法は、「感情のエネルギー浄化」というものです。この感情のエネルギー浄化によって、三次元世界に張りついている自分のエネルギーをペリペリと剥がしていくことができるようになります。この感情のエネルギー浄化の実践方法については、次回以降お話したいと思います。
ということで、今回は三次元世界に執着してしまっている原因についてのお話でした。このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!