私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、女性がセックスにおいてオーガズムに至ったとき体験する、不思議な体験についてお話したいと思います。
▼ 参考文献 ▼
恍惚状態を体験する
これまでお話してきたように、女性の快楽はリラックス、そしてパートナーに対する委ねと安心感によって引き起こされます。
さらに女性は、オーガズムを体験することで、驚きの側面を体験することにもなります。
近年の神経科学は、女性がオーガズムによって自己喪失することを、科学的に解明しつつあります。
その自己喪失とは、セックスのクライマックスで女性は男性と異なる
恍惚状態になる
ということです。
我を忘れる女性
オランダ・フローニンゲン大学のジャンニコ・ジョージアディスらの研究チームの論文『健康な女性における誘導されたクリトリスオーガズム時の局所脳血流の変化』の中で、女性被験者の脳のMRI画像が調べられました。
被験者は最初に、いくらか不自然なことながら、性的興奮時とオーガズム時の体の収縮を、実際には興奮”せずに”模倣し(MRI画像に写る動きを制御するため)、それが済んだあと、自分でマスターベーションするかパートナーからしてもらうかして、オーガズムに達するよう頼まれました。
すると、オーガズムの瞬間に色のついた領域が爆発的に増えることを示したのです。
女性の脳のMRI画像は、科学における画期的な画像だったそうで、コロンブス的大発見とも言える、「クリトリス刺激時に関連する脳領域についての初めての報告」となりました。
この発見は、セックスはオーガズムの瞬間に女性を魔女のようにする、つまり道徳的判断のできなくなった錯乱した女にするという、古くからの恐れに多少は真実があるかもしれないことを暗示しています。
ジョージアディスらは、道徳的思考や社会的判断に関与する、背内側前頭前野の著しい不活性化を発見したのです。
この発見は、通常は道徳的判断や自省をつかさどる脳の部位で、オーガズムの瞬間にそれらが欠如していることを意味します。
このことは、絶頂に達した女性が独立した自己であるという認識を失い、自意識を喪失し、自己検閲ができなくなることを示唆しています。
たとえば、後で恥ずかしい思いをすることになっても、壁が薄いホテルの部屋でセックスをして、大きい声を立てずにはいられないといった状態です。
オーガズムによる「小さな死」
さらにジョージアディスらは、抑制刺激の間に、局所脳血流が増加することも確認しました。
行動を抑制する働きのある脳の領域が、不活発になったということです。
また、女性のオーガズムが腹側中脳、タントラでは「第三の目」が開くとされている場所で体験されることも発見したのです。
女性は抑制が中断された、制御不能の恍惚状態になるという科学者の発見を理解することが重要な理由は他にもあります。
ジョージアディスのグループは、クリトリスオーガズムに達すると行動の脱抑制と調節解除に関連する脳の部位が活性化することを発見したとき、フランス人が女性のオーガズムを「小さな死」と呼ぶ理由を、神経科学の専門誌で非常に詩的に説明しました。
女性は男性と違い、オーガズムによってある種の制御された意識の喪失、言い換えればある種の自己の喪失を感じると彼らは主張したのです。
女性にとってのセックスが、男性と根本的に異なる意味があることを理解する上で、この発見はきわめて重要だと思われます。
快感のその先にあるもの…。
それを知り得る力を、女性(性)は持っていると思われます。
女性はどんどんオーガズムが強くなる傾向がある
オーガズムに達する女性の脳は、通常は自己を主観的に経験します。
解き放たれて、より大きな力へ果てしなく流れ込み、どこまでものみ込まれ、意識による制御を受けません。
オーガズムのときにこのように制御できなくなることが、男性にとっては不可解で、彼らがセックスのときの女性を分別がないとか、錯乱しているとか、魔女だなどと思うのはそのために違いないでしょう。
制御不能な無軌道な女性の腹側中脳にある、荒々しい細胞群はこのとき、さまざまな刺激に対して強い快感を引き起こします。
たとえば、薬物による高揚状態と似た状態になります。
そういった状態になることで、女性はどんどんオーガズムが強くなっていき、薬物を服用したときのような恍惚とした気分をくり返し求めるようになります。
なので、女性はドーパミンの生産量の多さゆえに、男性よりも神秘主義的になる傾向が大きく、また、性愛の中毒になる危険も多いのです。
女性のセクシャリティに対する古代からの男性社会の恐れの根底にある科学的根拠、それはまさに女性は生物学的に、オーガズムに達するとオーガズムが強くなるように、さらにどんどん多くを欲するようにできているのです。
以前ご紹介した中国三大宗教の一つ「道教」では、こういった事実をすでに知っていたようです。
道教の性典では、男性の壮健さ、智恵、能力は女性を悦ばせることに熟達してこそ身につくものとされ、さらに女性の性的な激しさは男性よりも強いので、そういう生来の不調和を調和させるために男性に鍛錬が必要なのは当然だと考えられていたそうです。
いや~、ありがたい話ですね(。・・。)
って何がじゃ(笑)
まとめ
書籍『ヴァギナ』の著者ナオミ・ウルフはこう述べます。
女性はとても良いセックスで、自分がトランス状態のようになり、そのときもう一人のさらなる高みにいる自己と出会うことを知っている。
もし恋愛での女性の興味が「相手」のことだけだと思うなら、女性を誤解している。
恋人である男性か女性がこの恍惚状態に彼女が入る手助けをしてあげられても、彼女がその愛に引かれるのは「相手」ゆえばかりではない。
性体験を通じて自分自身のとても大切な一面に目覚めて離れられないからこそ、その愛に引かれるのである。
おっと、スピリチュアルっぽくなってきましたね!
「もう一人のさらなる高みにいる自己で出会う」、これは一体どういう意味なのでしょうか?
というわけで、この高みをAV撮影の現場で何度も目にしてきたAV界の巨匠代々木忠監督のお話をピックアップして、その意味に迫ってみたいと思います!
次回もお楽しみに♪