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「わいせつ」の間違った概念~性概念の変遷~

性表現規制の文化史 宇宙と性愛
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日から、「わいせつ」という言葉を通して、性概念の変遷についてお話していきたいと思います。

これまで、古代ギリシャまでさかのぼり、恋愛、そして結婚制度の歴史についてお話してきました。

さらに今回は、そういった歴史の中で「性」がどのように捉えられていたのかについて、詳しくお話していきたいと思います。

前回までは、おもに貴族中心の恋愛観についてのお話でしたが、ここからは一般庶民の恋愛観や性の捉え方についても触れていく形になります。

法学博士でいらっしゃる、白田秀彰さんの著書『性表現規制の文化史』(亜紀書房)を参考にお話を進めていきます。

▼ 参考文献 ▼

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「わいせつ」の本来の意味

この本は、性規範に関連する言葉の検討として、「わいせつ」という言葉をメインに取り上げて、なぜ世の中が「えっちなのはいけないと思います!」という考え方になっているのかを、歴史をふり返りながら検証していく流れになっています。

一般的に「わいせつ」という言葉は、

性に関することを健全な社会風俗に反する方法・態度で取り扱うこと

という意味を持ちます。

しかし、その言葉の本来の意味は、

庶民の日常生活の中でのだらしない様子

という意味を持っていたようです。

この言葉がどうやって「性」と結びついていったのでしょうか?

性は邪悪なものではなかった

そもそもキリスト教化される前の古代ローマ文化においては、性を邪悪なものとして捉える観念がありませんでした。

たとえば、男性器を生命の象徴と見て、男性器をかたどった小さなお守りを身につけたり、町のそこここに、日本でいうところのお地蔵さんのような感覚で、男性器の彫刻がまつられていました。

これは古代ローマに限らず、世界のあちこちで普通に見られていた素朴な信仰の様子です。

日本でも同様に、町や村の神様や、商売のお守りとして性器をかたどった像がまつられていました。

natan
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画像検索するといっぱい出てきますよ~。

また古代ローマでは、人々は性を悪いことだと考えていなかったので、性行為を描いた絵画や彫刻が、ごく普通に室内装飾に用いられていました。

こうした文化を背景に持っている社会では、性は「わいせつ=嫌悪すべきもの、じつに不愉快なもの」とみなされることはありませんでした。

かつて売春は政府公認だった

現代では厳しく法律で規制されているものに、「売春婦」という職業がありますね。

キリスト教以前の社会(古代ローマ)としては、制度的には人前で異性と接触することが厳しく取り締まられ、身分のある女性が街中などの公的な場で、従者を連れずに異性と会ったり、触れたり、手をつないだり、口づけをするだけでも「売春婦」と扱われていました。

しかし、一方で私的な空間においては幅広く姦通が広まっていて、女性が複数の男性と関係しても、それがとくに問題だとは考えられていませんでした。

そして、職業としてそれを行う明確な女性たちも白眼視されることはなく、むしろ社会的に必要な存在として認められていました。

共和制末期のローマの政治家、キケロも次のように述べています。

(彼女たちは)健康のためにも、自由身分の女性や子供たちの平穏な暮らしを護るためにも必要な存在であり、ローマでは、他の地域と同様、民衆の健康のために役立っている

この職業は、政府公認という感じなのでしょうね。

古代ポンペイのフラスコ壁画
古代ポンペイのフラスコ壁画

ところが、キリスト教的な貞節観念が広く、かつ強力に行き渡った時代には、それが公的もしくは私的な空間で行われたに限らず、結婚前に男性と性的な関係になったり、結婚後に夫以外の男性と関係を持った女性も「売春婦」とされました。

極端な場合、恋愛感情を持っただけでも…。

キリスト教の厳しい戒律は、以前もお話したとおりです。

「望ましい規範」は階級を区別するための標(しるし)

当時、貴族や裕福な市民からなる中上層階級と、庶民や貧民からなる下層階級とに分かれていました。

キリスト教は中上層階級に受け入れられ、原典にはなかったさまざまな要素が付け加えられ、さらに中上層階級にとって「望ましい規範」を持つ宗教へ変容していくことになります。

壮麗な建築や、豪華な典礼や純潔至高は、こうしたキリスト教の変容の過程の中で追加されたものです。

それらの提示する「望ましい規範」は、そもそも庶民や貧民には実行困難なものだからこそ、階級を区別するための「標(しるし)」として機能することになります。

キリスト教02

そして、キリスト教の性規範を意識していたのは教養ある中上層階級のみで、庶民はより緩やかな性規範のルールに従っていました。

中上層階級が性規範に従う理由は、以前もお話したように「家」の血を絶やさないため、そして財産を確実に相続していくためです。(そのため、女性は純潔が大切だった。)

しかし、一般庶民の生活にはそういった概念がないため、性に対する考え方がとても緩やかだったのです。

こうした下層階級の生活そのものが、中上層階級の規範から見て「下品」であり「わいせつ」とされたのは自然なことと言えるでしょう。

お話が少し長くなってしまったので、次回は「わいせつ」がどのように「性」と結びついていったのか、詳しくお話していきます。

次回もお楽しみに♪

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