本日のトーク内容
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
今日から、スサノヲの高天原追放、そして彼が大氣津比賣神を殺すことで、その遺体から蚕と五穀が生じたシーンについて解説していきたいと思います。
原文/読み下し文/現代語訳
高天原追放

於是八百萬神共議而 於速須佐之男命 負千位置戸 亦切鬚及手足爪令拔而 神夜良比夜良比岐
ここに八百万神共に議りて、速すさの男命に千位置戸を負せ、また鬚を切り、手足の爪を抜かしめて、神やらひやらひき。
そこで八百万神は相談して、須佐の男命に贖罪の品物を科し、またその鬚を切って手足の爪を抜いて、高天原から追い払った。
蚕と五穀の起源

又食物乞大氣津比賣神 尒大氣都比賣 自鼻口及尻 種種味物取出而 種種作具而進時 速須佐之男命 立伺其態 爲穢汚而奉進 乃殺其大宜津比賣神
故所殺神於身生物者 於頭生蠶 於二目生稻種 於二耳生粟 於鼻生小豆 於陰生麥於尻生大豆 故是神 巢日御祖命 令取茲 成種
また食物を大氣津比賣神に乞ひき。尒して大氣都比賣、鼻口また尻より種種の味物を取り出して、種種作り具へて進る時、速すさの男命、その態を立ち伺ひて、穢汚して奉進るとおもひて、すなはちそのおほげつ比賣神を殺しき。
故殺さえし神の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき。故ここに神産巣日御祖命、これを取らしめて種と成しき。

また、(須佐の男命は)食べ物を大気津比売神に要求した。すると大気都比売は鼻と口、尻からたくさんの美味しい物を取り出して、いろいろ作って食べさせようとしたが、須佐の男命はその様子を伺っていて、汚いものを食べさせる気だと思い、大宜津比売神を殺した。
すると、殺された神の頭に蚕が生じ、二つの目には稲種が生じ、二つの耳には粟が生じ、鼻には小豆が生じ、陰には麦が生じ、尻には大豆が生じた。
そこで、神産巣日御祖命はこれら作物を取らせて種に変えた。
これが今日取り上げるシーンです。それでは早速解説に入りましょう。
解説
なぜスサノヲは「また」食べ物を要求したのか?
天石屋戸からアマテラスが出た後、神々は相談し、スサノヲに罰を科すことを決めました。それは、罪滅ぼしとして品物を献上すること。その後八百万神は、彼の長いヒゲを切って手足の爪も抜いて、彼を高天原から追い出しました。
スサノヲの行き先はというと、食物の神、大氣津比賣神のところです。この文章はとても奇妙で、スサノヲは「また食べ物を大氣津比賣神に要求した」と語られています。「また」ということは、以前にも食べ物を食べさせてもらったことがあるということでしょうか?
この件に関して一説によると、高天原から追い出された場面と今回の場面の間には別の展開があって、その話が抜け落ちているのではないだろうかと言われています。だから、話が繋がらないのではと。
ですが、私としては、抜け落ちたものなどないと考えています。なぜなら、オホゲツヒメは食物神なので、彼女がいる場所を考えてみると、それはツクヨミがいる食国方面だからです。古事記解説第43回でお話したように、その食国の裏にアマテラスは頭を下にしてやってきていて、それが天文学的には日食、身体的にはアマテラスに月経を生じさせました。その食国の裏、月の裏側が天石屋戸です。
その世界ではさっきまでアマテラスが生理中の身体を休めていて、たぶんオホゲツヒメがアマテラスの身体を労ったり食べ物を献上したりするなどして、身の回りの世話をしていたのだと思います。そして、そこにスサノヲもいたはず。なぜなら、アマテラスを月の裏側に連れ去ったのはスサノヲだからです。だから、彼も同じくそこで食事を取っていたのだと思います。

そして、アマテラスの生理が終わった後、スサノヲも共に天石屋戸から出たけれど、神々は「アマテラス様は戻ってはいけません」と言い、反対に「スサノヲ、お前だけは戻れ」と言って、彼だけ天石屋戸に帰された。だから、スサノヲは「ちぇ、俺だけ帰されちまったよ。あーあ、また腹が減ってきたな。オホゲツヒメ、飯くれ」という感じで、彼女にまた食事を要求したという感じではないでしょうか?そう考えてみると話が繋がるなと思いませんか?
自立への道
なぜスサノヲはオホゲツヒメを殺したのか?
さて、そんな彼が天石屋戸に戻ってオホゲツヒメに食べ物を要求したとき、彼女は食材を鼻や口、お尻から出して料理をしていて、その光景を見ていたスサノヲは「汚いものを食べさせる気だ」と怒り、彼女を殺してしまいました。
なぜオホゲツヒメは汚い場所から食材を出し、なぜスサノヲはそれに怒って彼女を殺したのでしょうか?その理由は、高天原のシーンが何を語っていたかを思い出してみるとわかってきます。
高天原において一番重要な出来事は、アマテラスが少女から大人の女神に変身したことです。つまり、高天原のシーンは身体的、精神的成長を語っていて、今回のシーンもその話の続きになっているんですね。
完成された神々の世界
高天原の最初の場面を振り返ってみると、アマテラスはすでに田畑を営んでいて、豪華な屋敷まで所有していました。そして今回のシーンでは、オホゲツヒメがいろんな食材をいとも簡単にポンポン出しています。そういった状況を考えると、神々の世界には最初から完成された暮らしがあって、そこは何不自由なく暮らせる世界だと言えます。
それを人間の成長に置き換えてみると、お母さんのお腹の中にいる胎児や生まれたばかりの乳児は、苦労なく母親から衣食住のすべてを保証してもらえます。その頃は、お母さんのいわゆる体液が赤ちゃんのご飯です。この時期の暮らしは、神々の何不自由ない暮らしと似ています。

物語は自立へかじを切った
しかし、赤ちゃんは次第に母乳から粉ミルク、離乳食へと変わり、さらに大人になれば、自らの力で衣食住を獲得していかなければならなくなります。これが自立するということですね。
それと同じように、神々の何不自由ない世界においても、最初スサノヲはオホゲツヒメが自分の身体から出していた食べ物を何とも思わず食べていたけれど、物語がアマテラスの成長へとかじを切ったとき、それに合わせてスサノヲも成長、自立する話に変わった。だから、彼の態度はガラリと変わったのだと思います。
自立の意識が芽生えはじめると、モノの見方は180度変わります。スサノヲにとって、オホゲツヒメの体液という名のご馳走は、「彼女が汚いところから出したもの」と見るようになった。だから、スサノヲはオホゲツヒメを殺したと私は考えます。

自立の責任として五穀が生じた
ちなみに、ここで一つ注意点ですが、神話において「神を殺す」という表現は、精神的な自立を意味しています。人間の殺人行為とは違います。親なる存在と心の中で決別すること。心理学的には、「母親殺し」という言い方をします。
ですから、オホゲツヒメを殺すというのは、スサノヲが自分の力で衣食住を獲得することを決めたということなんですね。だから、オホゲツヒメの遺体から自立によって負う責任の証として蚕や五穀がなったのだと思われます。
それらを今度はカミムスヒが種に変えました。五穀がなったのをさらに種のレベルにまで段階を戻したようです。その意味は、「自分の力で田畑を耕し、種から作物を育てなさい」ということではないかなと思います。今回のシーンを旧約聖書的に言えば、楽園からの追放と言えます。
私たち人間はゼロのところから暮らしを築き上げてきたと思っていますが、じつはそうではなく、最初に満ち足りた世界があった。けれども、人間が自立を選んだからこそ、汗水流して働くようになったということを古事記は教えてくれているのだと思います。

スサノヲの品種改良
また、スサノヲは罰としてヒゲを切られ、手足の爪も抜かれたとのことですが、そのことも自立に関係していると考えます。古事記解説第43回でお話したように、彼は野生の力を持っていて、それを象徴する長いヒゲと爪がなくなるということは、野生的な部分がなくなるということ。それは言い換えれば、野生種の品種改良とも言えます。
作物で考えるとわかりやすいのですが、野生種の作物はヒョロヒョロしていて穂の数が少ないのが特徴です。反対に、品種改良された作物は、横に広がり、太さもあって、かつたくさんの穂をつけます。これと同じように、野性的だったスサノヲも品種改良され、立派な神様になることを罰として科されたのではないかなと思います。

「御祖命」はおばあちゃん説
ところで話はそれますが、カミムスヒは「御祖命」と呼ばれていて、古事記解説書によると、それは母神のことだと言われています。ですが、私はそれはおばあちゃん、もしくは親より上のご先祖様という意味だと考えています。カミムスヒはスサノヲから見ればおばあちゃんだからです。
また、古事記と親和性の高いインディアンの神話を見てみても、少年の自立を描くシーンにいつも老婆が出てくるからです。簡単にその内容をご紹介すると、少年は老婆に育てられていて、あるとき老婆が食事を作るとき、自分のお尻からスープを出しているところを少年が目撃してしまいます。それに怒った少年が老婆を殺してしまうという、これまた古事記そっくりな話があるんですね。だから、オホゲツヒメもカミムスヒも共におばあちゃんではないかなというのが私の考えです。

まとめ
ということで、お話戻りまして、今日の話をまとめます。
スサノヲはアマテラスと共に天石屋戸内で過ごしていて、そこではオホゲツヒメが身の回りの世話をしていました。そしてアマテラスの月経終了後、スサノヲも彼女と共に天石屋戸から出たけれど、八百万神から贖罪を科せられ、高天原から追い出されてしまいました。
仕方なく彼はもう一度天石屋戸に戻ってオホゲツヒメに食事を乞うたけれど、すでに彼にも自立の意識が芽生えはじめていたため、彼女が提供する幼児的なご飯に嫌悪感を覚え、彼女を殺して自立の一歩を踏み出すことを決意しました。その自立の選択によって生じる責任として、殺されたオホゲツヒメの身体から蚕と五穀がなったというお話です。
自立したらそれで終わりではなく、自立とは責任が生じるものなのだという教えは、さすがは古事記先生、人生の厳しさをよく知っていますね。
さて、次回はこの考察の続きとして、ここで生じた五穀をまじまじと眺めていたら、あることに気づき、そこからオホゲツヒメの別の姿も読み取ることができたので、次回はその件についてお話したいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!