本日のトーク内容
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、高天原を追われたスサノヲがその後オホゲツヒメを殺し、その遺体から蚕と五穀が生じた件について、スサノヲの自立という心理学的側面からのお話をさせていただきました。
今日は、オホゲツヒメの遺体から生じた五穀を深堀りしつつ、彼女の多様な姿についてもお話したいと思います。
前回のおさらい
まずは、前回のおさらいから。スサノヲはアマテラスを月の裏側にある天石屋戸に連れ去ることで、彼女に月経を生じさせました。また、スサノヲもアマテラスと共に天石屋戸内で一定期間を過ごしていて、そこではオホゲツヒメという食物神が彼女たちに食事を提供するなどして、身の回りの世話をしていました。
そして月経終了後、アマテラスとスサノヲは共に天石屋戸から出たけれど、スサノヲだけが高天原を追い出されたため、仕方なく彼はもう一度天石屋戸に戻ってオホゲツヒメに食事を乞いました。しかし、そのときの彼には自立の意識が芽生えていて、オホゲツヒメが提供する汚いご飯(それは彼女の体液であり、いわゆる幼児的なご飯)に嫌悪感を覚え、彼女を殺して自立の一歩を踏み出す決意をしました(神話における「殺す」という表現は、精神的な自立を意味します)。
彼が自立を選択したことによって生じた責任として、殺されたオホゲツヒメの遺体から蚕と五穀がなった。古事記は、自立とは責任が生じるものなのだ、ということを教えてくれているというお話でした。
返り点の違いが意味すること
さて、今日は五穀について深ぼっていきます。オホゲツヒメの遺体から、蚕、稲種(種もみ)、粟、小豆、麦、大豆がなったとのことですが、この部分の原文を見たとき、私はある疑問を持ちました。同じイネ科植物の稲と麦。なぜ稲は「稲種」と書くのに、麦は「麦の種」と書かないのだろうと。

その疑問がきっかけとなって、「何か怪しいな、この原文」と思い、より深く原文を見ていったら、そこに規則性らしきものがあるという考えに至りました。それは、返り点の置き方です。
蚕と五穀の原文における返り点の置き方を見てみると、頭になった蚕と陰になった麦、そして鼻になった小豆とお尻になった大豆の返り点がそれぞれ同じなんですね。偶然そうなったのかもしれませんが、でもさっき言った、「稲種」と書き、麦を「麦種」と書かないことも含めて考えてみると、その返り点には何らかの意味が込められているのかもしれないと私は思ったんです。

その仮説を積極採用して思考を進めてみたところ、まず、鼻になった小豆から見ていくと、鼻はスサノヲが生まれた場所です。それが大豆と同じ返り点を持っているということは、小豆と大豆は同じグループに属し、かつそれらはスサノヲに関係した作物なのではないかなと思いました。
次に、陰になった麦を見ていくと、陰は女性器のことで、それが頭の蚕と同じ返り点を持っているということは、麦と蚕は同じグループに属し、かつ蚕から取れる絹糸は蛹の繭なので、そこから考えるに、その繭を生じさせ、頭に冠に似たものをつけているのは誰かといえば、アメウズメしかいない。だから、蚕と麦はアメウズメに関係している。そういった違いを、古事記は返り点を用いて伝えているのではないかなと私は考えました。
スサノヲが田畑の溝を埋めた理由
仮にそうだとした場合、以前スサノヲがアマテラスの田畑で大暴れをしたとき「畔の溝を埋めた」と言われていましたが、なぜ彼がそのような行動を取ったのかについて、彼が小豆や大豆に関係した存在だという仮説を用いれば、その行動の意味が何となく読み取れてくるんですね。
この畔の溝を埋める行為は、畔をなくしたということであり、それは畔を別の用途に用いたと読むこともできると考えます。というのも、田畑の畔にはよく大豆が植えられているからです。大豆の根っこには根粒菌と呼ばれるものがついていて、根粒菌は空気中の窒素を取り込み、それらが田畑に広がることで農作物の肥料になります。
田んぼの畔にも大豆はよく植えられていて、この大豆と稲のワンセットが日本の食文化の基本になり、健康長寿を築く源になったと言われています。だから、スサノヲが田畑の畔の溝を埋めたのは、大豆を植えたということではないでしょうか?神話学において、スサノヲは穀物神という異名を持っているので、その理由も頷けます。

五穀の共通点は「発酵すること」
ということで返り点の話に戻ると、目になった稲と耳になった粟は、それぞれ別の返り点が置かれているので、どこのグループにも属さない感じでしょうか。しかし、頭の蚕以外、稲、粟、小豆、麦、大豆を眺めてみると、そこにはある共通点があることがわかります。
それは、これらが発酵を通して別の食べ物に変身するということ。米が発酵すれば日本酒となり、粟が発酵すれば粟酒(泡盛)、小豆が発酵すれば発酵あんこ、麦が発酵すればビールやパン、大豆が発酵すれば味噌や醤油などができます。米や麦からも味噌ができますね。

なぜここで発酵食品の話が出てくるかというと、それは、直前のシーンでアマテラスが少女から大人な女神に成長したことが関係しているからだと思います。前々回お話したように、その成長は幼虫が蛹そして成虫となって外に羽ばたいていくようなもので、幼虫から成虫への変態が「発酵的」と言えるからです。その発酵的成長を作物に変形させたのが今回のシーンなのではないかなと私は思いました。
スサノヲは臭い神?
ちょっとここで大豆に注目してみると、大豆はお尻になっているので、それはある意味で臭いにおいを持っていると言えるかもしれません。そこから考えるに、暗喩的に納豆も示唆しているのではないかなと思いました。また、『日本書紀』の一書曰くの中にも、スサノヲが高天原から追い出されたとき、彼が藁でできた蓑を身に着けたと書かれているものがあり、それが何となく納豆を包んでいる藁のようにも感じる…。
もし、彼が納豆と関係しているとするならば、彼もいろいろと臭っていたのかもしれない…。そんな彼が高天原に上ってくるものだから、アマテラスは「うわー!汚い!」と思って鳥の砂遊びをして体をキレイにしようとしたのかもしれない。ちょっと彼は不潔だったから、長いヒゲを切られ、爪も抜かれて、「禊してこい!」と追い払われたのかもしれない。そう考えてみると、話が繋がるなあと思いませんか?

オホゲツヒメは真菌類説
さて、この発酵のベースとなる穀物は、それ単体では発酵しません。お酒を例にあげると、お酒を作るためには真菌類の一種である酵母が必要になります。もしかしたら、その酵母を代表とする真菌類全般を象徴した存在がオホゲツヒメなのかもしれないと私は考えました。ツクヨミが治める食国は菌の世界でもあり、その方向にいるオホゲツヒメも微生物という側面を持っている可能性があるからです。
また、前回「御祖命」は古事記解説書では「母神」と解説されているとお話しましたが、その意味は酵母の「母」という意味なのかもしれない。しかも、オホゲツヒメは名前に「大きい」とあるので、彼女は巨大な神様だと言えます。酵母も同じく、微生物の中では比較的大きく、そのサイズは5〜10μm(マイクロメートル)だと言われています。
仮にオホゲツヒメを酵母のような存在としてみた場合、彼女は汚い場所から食べ物を出していたと言われていますが、発酵はイコール腐敗でもあり、発酵と腐敗の違いは人間にとって有益かどうかだけなので、そこにある本質から考えてみると、オホゲツヒメは汚いと思われるような場所を通じて、発酵に必要な菌を塗布していたと言えるのではないかなと考えます。今後スサノヲはヲロチ退治にお酒を用いるので、その布石がここで敷かれているのかもしれません。

また、オホゲツヒメを真菌類と考えてみると、前々回お話した内容とも繋がってきます。アマテラスとスサノヲは共に完全変態を行う虫を象徴していて、たとえば完全変態を行うクワガタやカブトムシを例にあげると、木の中でその幼虫たちは菌によって腐った木の細胞を食べて蛹へと変態していきます。アマテラスが天石屋戸にこもったときも、彼女は同じく腐ったご飯を食べていました。
今回のシーンでも、オホゲツヒメはスサノヲに腐ったご飯を食べさせようとしていました。それを考えると、やはりオホゲツヒメは真菌類を象徴した存在と言えるのではないかなと思います。そして、彼女を母神と解釈する理由も、産みの母というよりは育ての母、つまり乳母的な性質を持っているからそう言われているのかもしれないなと思います。
スサノヲとツクヨミの関係性について
ということで、以上が蚕と五穀についてのお話でした。ここからは今日最後のお話として、スサノヲとツクヨミの関係性について触れて、今日のお話を終えたいと思います。
スサノヲがオホゲツヒメを殺す今回のシーンは、『日本書紀』の一書曰くでは、ツクヨミが保食神という食物神を殺す話として描かれています。どうしてこのような違いが生じるのでしょうか?それは図で見てみると、その理由が何となく見えてきます。
それは、今回のシーンがツクヨミが統治する食国の裏で起こっている出来事だからだと思います。また、古事記においてスサノヲの役割は、ただの乱暴者ではなく、姉のアマテラスを少女から大人へと変身させたように、神々の自立を促す存在でもあるんですね。アマテラスの自立は高天原でなされましたが、今度はそれが食国でも行われ、その対象者がツクヨミなのだと思われます。
ですが、厳密に言えば、スサノヲは食国の裏の世界に行っていて、そこは食国そのものではないので、構造を重視する古事記においては、成長するのはあくまでスサノヲであり、食国側のツクヨミの成長は暗喩的に語るという感じなのだと思われます。逆に、日本書紀はそこまで構造重視ではないと思うので、堂々とツクヨミを出して彼の自立を語るという、そういう違いがあるのではないかなと思います。

というわけで、以上がスサノヲとツクヨミの関係性についてのお話でした。次回は、またまたオオゲツヒメに関するお話をしたいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!