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古代ギリシャの愛の形~少年愛、男性中心主義、バイセクシャル~

パルテノン神殿 宇宙と性愛
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日から、西洋文化の恋愛の歴史についてお話していきたいと思います。

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はじめに~今後の話の展開~

今日から性について語っていきますが、まずは男女を語る上で欠かせない恋愛や結婚、そして性のあり方についての歴史をお話していきたいと思います。

日本とヨーロッパの恋愛に関する概念は大きく違います。

日本は明治維新以降にヨーロッパから恋愛を輸入してきたので、やはり大本のヨーロッパの恋愛についてまずは知る必要があると考えます。

時系列でいくと…

  1. 古代ギリシャ
  2. 古代ローマ
  3. キリスト教の誕生
  4. 中世宮廷恋愛
  5. ロマン主義→日本が輸入、再生産

これらを一通りお話した後に、日本について取り上げていきたいと思います。

この恋愛の歴史を見ていく中で、重要なポイントとして、

恋愛は制度である

という点があげられます。

自由恋愛が許された私たち現代人にとっては、とても不思議な感覚ですが、私たちが自由恋愛をしていたとしても内面化した恋愛に対する道徳感は、もともとは制度としての恋愛がベースになっています。

かな~り他人事ではないのです!

というわけで、早速古代ギリシャまでさかのぼって、恋愛、結婚そして性の歴史をふり返ってみましょう!

▼ 参考文献 ▼

古代ギリシャの愛の形

少年愛

紀元前8~4世紀ころの、古代ギリシャの恋愛をピックアップします。

古代ギリシャの恋愛は、今の時代とは大きく異なり、立派な成人男性は「ゲイ」でなければいけませんでした。

そして、立派な成人男性が射止める相手は、12~18歳と年齢が限定された「少年」でした。

つまり、古代ギリシャの恋愛は

少年愛

が主流だったのです。

少年愛

ちなみに、成人男性が少年を口説くときは、花ではなく鶏をあげるのが告白の一般的な形式だったそうです。

natan
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まぁ、現代でもバレンタインやホワイトデーにケンタッキープレゼントされたら嬉しいですが(笑)

相手が少年というのは、今では犯罪になりますね。

男性中心主義

なぜ同性愛、さらには少年愛が主流だったかというと、社会を動かすのは優れた男であり、その男同士の結びつきが何よりも大事とされた時代だったからです。

つまり、古代ギリシャは…

男性中心主義

だったのです。

古代ギリシャは戦争ばかり行っており、重要視されたのが戦士を増やすこと、そして統率する政治家をいかに育てるか。

そのために、勇気、忍耐、自己節制、知性の教育が必要不可欠だったのです。

戦士に徳を教えるのが有力な兵士や政治家、つまり中年のおじさんになります。

最良の教育は、なぜか「おじさんが少年に恋愛をする」ということだったようです。

少年は有力なおじさんから勇気、節制、知恵を学んでいきます。

少年はその感謝とともに、自身の体を捧げていたそうです。

natan
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オーマイガー!!

背景にギリシャ神話がある

また、こういった少年愛の背景には、ギリシャ神話のエロス神の存在が大きく関わっていました。

プラトンの「饗宴」という本の中で、アリストファネスが語った愛の起源に関する神話です。

「失われた統一性を求めて恋をする」というものなのですが、ギリシャ神話まで語るとお話が長くなってしまうので割愛します。

エロス神

性愛観

さて、この時代において女性はどういう存在だったかというと、成人男性も女性と普通に結婚や子作りをしていたそうです。

おじさんに限っては少年もOK、女性もOKということで、

バイセクシャル(両性愛)

だったそうです。

しかし、上述したように男性中心主義の古代ギリシャですから、男性にとって結婚や子作りは慣習によって強制されたもの、というようなとらえ方だったようです。

女性はそういった意味で、慣習にそうための道具だったのかもしれませんね。

おっと、ここで次の古代ローマの話に移ろうと思ったら、思いのほか記事が長くなってしまったので、次回の記事でお話することにしますね!

今日はここまで!

次回もお楽しみに♪

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