私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、宇宙論っぽく、ミクロとマクロの世界についてのお話です。
私は、宇宙は「意識の進化」と密接な関係を持っていると考えています。
宇宙には、始まりもなければ終わりもない。
意識の進化もこれと同じで、終わりのない「永遠の旅」であり「学び」である。
宇宙と意識の進化はまったく別ジャンルのように思えますが、じつは「どちらも同じもの」だと感じています。
今日は「意識の進化」という点からこの宇宙をとらえたとき、世界がどう見えてくるのか、私の考えをお話したいと思います。
自分が体験したことだけが自分の真実
私は自己肯定感の低い人間だったので、スピリチュアルの世界に入ってから、自己愛を徹底してきました。
凸凹していた私の心が、自己愛を通して、まん丸のつんつるてんの真球へと形を変えました。
心がまん丸く満たされると、外側の世界が平和(静か)になってきます。
これまで自分が格闘してきたのは、外側の世界ではなく、内側の世界だったことに気づかされます。
ここまでは、自己受容を行っている方は、自然とイメージできるかと思います。
そして、上記の状態になると、外側の世界主導ではなく、自己の内面(心)を主導にして行動するようになってきます。
他人軸から自分軸へ
このように変化していきます。
自分軸で行動していくと、「自分の意識したもの、思考したことが現実になる」ということが自然と理解できるようになってきます。
すると、自分の外側で起こっている現象、たとえばTVなどのメディアを通して流れてくるニュースや他人が体験している出来事に対して、
その事象について、私は実際体験をしていないから、それは私にとって真実ではない。
ということが、何となくわかってきます。
「自分が体験したことだけが真実」、この言葉の意味がわかるようになってきます。
外側の世界は心の世界よりも小さい?
これを真に理解できたとき、私は気づいたんです。
私が今体験しているこの世界は、私の心の世界よりも狭く小さい世界かも?
そう思ったんです。
自己愛を徹底したからこそ、外側の世界が平和になったと最初は感じていたんですが、どうやらそうじゃないみたいで…。
よくよく考えてみると、自分が人生のなかで出会う人は大勢いますが、実際親密な関係や敵対する相手との出会いだけを考えてみると、意外と自分が直接関係を持つ人間って少ないなと思ったんです。
世界には70億ほどの人々がいますが、そのなかで実際自分が出会う人は数百人?数千人?だけですし、さらに直接やり取りしたり、自分の人生に影響を与える「他者」という存在は数えるほどしかいないと。
それとは逆に、自己愛を徹底していたときの方が葛藤が多かったし、心の中にいる「たくさんの私」の存在が、自分を攻撃したり守ったりと、そっちの方がドラマ性が高かったと感じたんです。
外側の世界で起こる、私が体験しない出来事は、私にとって「違う世界」のことであり、「違う次元」の出来事だと感じました。
ミクロとマクロは逆だった!
すると、私の頭がそれらを整理しはじめました。
私が体験することだけが私にとっての真実。
外側で起こっている出来事を私が体験しない限り、それは私の真実にはならない。
心の葛藤の方がドラマ性が高い。
外側は内側の投影。
外側の出来事さえも何らかの意識を投影したものだ…。
それらを考えていたら、私の意識がグデン!と反転し、衝撃的なことに気づいてしまったんです。
私たちは頭上に広がる空間を「宇宙」ととらえているけれど、それは投影されたものである。
投影される大もとは内側にある。
その内側とは、私の内面からである。
本当の宇宙とは、私の内面世界のことであり、外側の世界(宇宙)はそれよりも小さな世界。
ミクロとマクロの概念はまったく逆だった!!!
そう気づきました。
私たちは身体の細胞や原子、素粒子の世界を「ミクロ世界」としてとらえています。
そして、頭上に広がる無限の宇宙を「マクロ世界」ととらえています。
ですが、それはまったく逆だったんです。
素粒子の世界こそ「マクロ世界」であり、それを投影しているこの物質世界、宇宙空間こそ「ミクロ世界」だった!
これが私のたどり着いた宇宙観でした。
たとえるなら、破れない強力な風船があるとして、そこに指を指して内側にニョキッと出します。
その指が自分自身だとして、自分から見れば外側の世界や広大な宇宙空間が広がっているように見えます。
しかし真実はその逆で、見ている空間の外側、もしくはミクロとしてとらえている世界こそ、本当の宇宙でありマクロ世界である、という感じです。
グノーシス主義の宇宙観
え~!?って思いますよね?(笑)
最初は、私だけがそうとらえている宇宙観かとも思ったんですが…。
でも、私がたどり着いたこの宇宙観、じつは古代の神秘思想はこれと同じものを持っていたと知ったんです。
みなさんは「グノーシス主義」という思想をご存知ですか?
1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。
物質と霊の二元論に特徴がある。
グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向にあたる。
グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたとみれる。
代表的なグノーシス主義宗教にマニ教がある。Wikipediaより
キリスト教は「神がこの世界を創造した」としていますが、グノーシス主義はそれとはまったく逆の思想を持っています。
「この世界は神が創ったものではなく、霊的天使と物質的天使の調和によって生み出されたものを下位側に結晶化(物質化)させたものである」そう考えていました。
グノーシス派の人々はこれを「デミウルゴス(造物主)」と呼んでいました。
ちょっと小難しい話になりそうなので、すごく簡単に説明すると、グノーシス派は…
- この物質世界は神が創造したものではなく、真実の宇宙の反映物(影)みたいなものである
- この世界は悪の充満である
- 太陽系は真実の宇宙を反映している霊的領域
上記のようにこの世界をとらえていたそうです。
この物質世界の存在意義は、「私たちが悪で充満したこの世界を脱して真実の姿へ飛翔するためにある」としています。
これらがグノーシス主義の超簡単な説明なんですが、ここで私がお伝えしたいのは、このグノーシス主義の宇宙観が私のものとそっくりだったということ。
それがわかる絵がこちら↓
風船の絵と似てますよね?
本当の宇宙(マクロ世界)は自己の内面、もしくは物質宇宙の「外側」に存在しており、私たちの見ている物質世界(宇宙空間も含む)は、それを投影した世界(ミクロ世界)。
それを物語っている絵だと私はとらえました。
私たちの頭上に広がる宇宙空間でさえも、真実の宇宙の投影なんです。
物質的宇宙はすべてが投影であり、真の宇宙のごく一部しか投影できていない。
私たちは、真の宇宙の姿を本当の意味において、まだ知らないんだと思いました。
まとめ
というわけで、今日のお話を冒頭の「宇宙観と意識の進化の関連性」の部分へ繋げるとこうなります。
- 意識が内面を向くことで、外側の世界の認識が変わってくる
- すると、それまで学んできた世界観や宇宙観といったものが全部反転する
- ミクロがマクロで、マクロがミクロだった!
意識の反転とともに、宇宙観も反転します。
意識が変わる、進化することで、「本当の宇宙」というものを認識するようになっていくと考えます。
意識の進化と宇宙観は、切っても切れない関係なんだと気づきました。
きっと少なからず今後、私と同じような意識状態になる方が出てくると私は思っています。
この宇宙観をベースにしていくと、世界のとらえ方や他者との関わり方、心理、意識、科学、宇宙というそれぞれまったく別ジャンルに思えることが、「すべて同一のシステムで動いている」ということに気づきます。
「引き寄せの法則で自分だけの現実創造をするぞ!」、そうやって自分だけの世界を創造していくのがこの世界で私がやることだと思っていました。
ですが、引き寄せの法則というのは、意識進化のキッカケにしか過ぎない。
現実創造だけでは終わらない、「意識進化という旅」のはじまりに過ぎないと思いました。
永遠の、無限なる心の奥の奥の奥に広がる真実の宇宙と出会う旅。
それと同時に、反転した意識状態(内面世界主導)で、今度は新しい物質世界・文明を創造していくこと。
これが新人類のミッションなのかなと思いました。
宇宙空間にロケットを飛ばしていろいろ調べても、きっと今の科学技術だと、真の宇宙を知ることはできないと思います。
だって本当の宇宙は「内側」にあるのだから。
私の大好きな映画「コンタクト」。
主人公のエリーは不思議な乗り物で宇宙空間へと旅立ちます。
これ、飛ばないんです、落下するんです。
これはあくまで映画の描写ですが、今日のお話と照らし合わせて見てみると、「エリーは私たちがミクロと捉えている真の宇宙(マクロ世界)へ旅立った」、と見ることができるなと思いました。
今日のお話は少し難しかったかな?
なんとなくでいいので、私が考えていることを雰囲気で感じ取っていただけると嬉しいです(^^)
次回もお楽しみに♪