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NO!脱よろい論!本当の男性性とは…?

鎧コスモ・ライフォロジー
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

これまで女性器をベースに、女性性や無意識の性質を考察してきました。

今日は打って変わって、男性性に注目してみたいと思います。

この記事でわかること
  • 男性性の「脱よろい化」は男性を犠牲者化して終わってしまう概念
  • 日本社会における「男らしさ」は、「身体性」と「超越性」の二つが快楽の中心を占めていた
  • 高度経済成長下と以後で、男性の快楽である「超越性」の特徴が変化した
  • これからの新しい男性性のあり方の提案
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既存の男性性の概念に対する異議申し立て

これまで男性性とは、

  • 男らしさ
  • 男のメンツ

として語られることが多かったと思います。

そして、その「男らしさ」に男性側も疲れて、

  • 男らしさのよろいを脱ぐ
  • 男らしさから自分らしさへ

といった考えが生まれ、男性性に対する既存の概念に異議申し立てが行われました。

鎧

男性性の「脱よろい論」への異議申し立て

しかし、今回参考書籍としてご紹介する『「男らしさ」の快楽 ポピュラー文化からみたその実態』(宮台真司・辻泉・岡井崇之・他著)では、その男性性の「脱鎧論」にNOを突きつけます。

男らしさの快楽

▼ 参考文献 ▼

なぜなら、「脱よろい論」は有効な異議申し立てであっても、その段階にとどまり続けているのは、結局のところ、

男性を「犠牲者化」するだけで終わってしまうかもしれないから。

本当に男性性の「脱鎧論」という概念は正しいのか?

既存の男性学が、男たちの置かれた現状を分析できていないまま、「脱よろい論」へとその表層だけが地すべりを起こしてしまい、「男らしさ」のうちにある快楽や充足感、あるいはそれらを発生させ、再生産させているメカニズムが分析されていない。

ということで、ポピュラー文化から男性性をしっかり研究し直してみようというのが、この書籍の目的です。

男性性が注目されてこなかった理由

ちなみに、日本において、これまでポピュラー文化における男性性は大きく注目されてこなかった理由は、男性性が女性性に対して優位な位置にあるという前提に基づき、男性を研究する必要性が認識されてこなかったことが一つの要因だそうです。

また、自らの「犠牲者化」に突きすすむことで、自らの男性性を省察することをしてこなかったのではないだろうかとも言われています。

そして、もともと日本の男性性の歴史的な構築をめぐる研究が少ない理由は、

  • かつての軍国主義と男性性の結びつきへの反省
  • 敗戦による、その日本的男性性の去勢という経験への問題関心の強さの表れ

があるそうです。

日本社会における「男らしさ」

それではまず、日本社会における「男らしさ」について見ていきます。

ドイツ出身の哲学者であり社会学者であるゲオルグ・ジンメル(1858-1918)の時代から、社会学においては比較的オーソドックスに用いられてきた、「三次元」という社会構造のとらえ方があります。

それは…

  • 「自己=身体」:自分自身やその身体に関する次元
  • 「集団=関係性」:他者と取りむすぶ関係性に関する次元
  • 「社会=超越性」:「集団=関係性」を取りまく、より大きな全体としての社会や、それをも超越していくような次元

この三つの階層が「三次元」です。

高度経済成長下

日本社会の「男らしさ」は、長らくは「自己=身体性」「社会=超越性」の快楽が中心を占めてきたものと思われます。

  • 「自己=身体」:(例)身体の鍛錬を積み重ねてきたスポーツマン
  • 「社会=超越性」:(例)鉄道、天体、生物、科学など浮世離れしたかのような趣味
自己と社会

いずれの男性にせよ、自らの趣味に没頭するあまりに、家庭を顧みなかったり、他者との交友関係にはあまり熱心でなかったりと、「集団=関係性」の快楽は中心を占めてこなかったように思われます。

高度経済成長の終了

そして、高度経済成長下では、未来の夢に向かってみんなが「社会=超越性」を持っていましたが、高度経済成長が終わるとともに、若者たちは「オタク」「新人類」という二種類に分化したそうです。

オタク

高度経済成長が終わってからも未来の夢や空想を捨てきれず、虚構の中に「社会=超越性」の快楽を見出していった若者たち。その反面、他者との関係性や自己の身体をきれいに取り繕うことは関心を寄せなかった。(男性が多い)

新人類

そうした夢や空想、あるいは社会的・政治的な問題にはあまり関心を向けないかわりに、むしろおしゃれやファッションなどで自己の身体に磨きをかけつつ、異性との関係性に関心を寄せていった若者たち。(女性が多い)

また、マンガの歴史を通して、「青年マンガに男(の子)たちは何を期待し、何を得てきたか」を見てみると…

1960年代「男一匹ガキ大将」やスポ根もののマンガでは、「真の<男>になること」が社会的上昇を果たすことに直結していました。

その後、「あしたのジョー」に見られるように、個人的な課題への達成へと変化していくのです。

この流れを見ると、時代とともに「男らしさ」の性質も変わっていっていることがわかります。

青年マンガ

これからの男性性はどうあるべきか?

「男性性から社会学」を構想しているジョン・ベイノンによると、

男性性はつねにその文化的、歴史的、地理的な位置によって書き換えられてきた

といいます。

つまり、歴史や文化が変われば、男性性も変化するということです。

ヌーソロジーでは、「これまで人間は、受動的な意識で動かされてきた」といいます。

その言葉のとおり、男性性も受動的に、そして半ば強制的にその時代や文化に沿った「男らしさ」を植えつけられてきたと考えられます。

だからこそ、「脱よろい論」が生まれたわけですが、この書籍では「それは男性をただ犠牲者化してしまうだけだ」といいます。

そしてコスモ・ライフォロジーでも、男性性とは無くしてはいけないものだと思っています。

そこでこの書籍の結論として、これから男性性はどうあるべきか?ということに対し、こう答えを出しています。

「男らしさ」を全否定して、「よろいを脱ぐこと」を強いるのではなく、かといって全肯定するのでもない。

第三の道。メタレベルから見直して、場面に応じて適切な「男らしさ」を取捨選択する道。

「脱よろい論」でなく、「男らしさ」を「衣装」のように着替えよ。

まとめ

私はこの本を読んだとき、

natan
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これこそ真の自我の姿だ!

と思いました。

自我意識は男性性の性質を持ちます。

受動的な男性性から、能動的な道として「男らしさを衣装のように着替える」という男性性へ、この考え方は本来の自我意識のあるべき姿でもあると思ったのです。

能動的自我意識。

さて、それは一体どういうことなのでしょうか?

次回はこのあたりの詳細についてお話していきます。

次回もお楽しみに♪

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