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【ろじろじラジオ】第56回放送☆昔話は今も生きていた!怪談話から探る現在のアニマの姿について

No56:怪談話アイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第56回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

おとぎ話や昔話について

覚醒時幻覚とは

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

ここ最近は、四位一体構造やおとぎ話を通して、深層心理の世界についてお話をしています。

ユングは、おとぎ話は無意識や心の深層世界を物語風に表現したものだと言います。そしてユング派のフォン・フランツという方は、おとぎ話は超心理学的で奇蹟的なお話でもあり、それらは覚醒時幻覚という形で、集合的無意識が意識に入り込んで出来上がったものだと言います。

皆さんの中にも寝ているときに、ときどき夢か現実かわからない体験をすることがあるという方もいらっしゃるかと思います。その体験すべてが覚醒時幻覚というわけではありませんが、イメージとしてはそんな感じなのかもしれません。ちょうど意識と無意識の狭間にいるときに体験するのかもしれませんね。

そこでの体験は、夢の世界のような、摩訶不思議な世界観をもっています。その世界観を意識において文章に落とし込むとき、それはファンタジックな様相を呈することになります。

日本の昔話の特徴

森

日本では、西洋のようなおとぎ話というよりは、昔話として親しまれているものがそれに該当します。ユング派の河合隼雄先生は、いろいろな日本昔話を取り上げ、そこから日本人の深層心理を研究されていました。

日本の昔話で定番なのは、木こりが山へ仕事をしに行くと見知らぬ美女と出会う、というものです。また、村人が山に行くと見知らぬ美女に美味しい食事を提供されて、それを「旨い、旨い」と食べるけれど、じつはその食べ物は馬糞だった。ようは、キツネやタヌキに騙されたという話ですね。これらの体験は、心の全体性を表す四位一体構造の中の4との出会いですね。

山は不思議な場所

こういった状況は、フォン・フランツが言うように、覚醒時幻覚なのかもしれません。なぜそういった意識状態になるかというと、私は山という場所にそのヒントがあると考えます。

山というのは、深層心理の視点で言えば、それは無意識の領域であり女性原理の場だからです。人間は、自分の意識は一定レベルをつねに保っていると考えがちですが、じつはそんなことはなく、場所が変われば意識状態も変わります。

山に入る行為は、ただそうであるだけでなく、意識も少しずつ無意識側へ移行していくのだと思います。すべての人がそういった体験をするわけではありませんが、山に入ってリラックスしたり、ときにわけもなく恐怖心に駆られるということは誰でも経験します。それはシンプルに、ふもとにいるときとは違う意識状態に変化しているからだと私は考えます。

見えない者たちとの共同生活

動物たち

昔の時代は、今と違って、法律が厳しくしかれることはなかったと思います。それでも、なぜ日本人は秩序を守って暮らしていたのかというと、一つの理由として、それは山や海、その他自然の中に住まう見えない者たちとの共同生活があったからだと私は考えています。

前回の放送のときも『千と千尋の神隠し』の解説の中で、心の世界は礼儀を重んじるとお話しました。そう、自然界に住まう見えない者たちは、人間に礼儀作法を求めるんですね。たとえば、山に入っていい時期とダメな時期があったり、山に入るときはかならずお参りやお供物をしてから入らなければいけないとか、そういったルールがあるようです。

見えない者たちは、礼儀正しい者には豊かさを与え、礼儀を忘れた者にはバツを与えます。昔の日本人は、そこに神々の力を感じて、それらの存在と共に秩序を保ちながら暮らしていたのではないでしょうか。現在の日本人は、もうそのような自然の神々の力を感じることはできなくなっているし、自然に対する礼儀作法も忘れてしまっています。

見える歴史と見えない歴史

哲学者の内山節(たかし)さんが書かれた『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本の中に、興味深いことが書かれていました。

政治などが行われる国の中央は「国の歴史」を持っているが、民衆にとっての歴史は、そのような「見える歴史」ではなかった。彼らは自然とともに生きてきた「見えない歴史」を持っていると。この「見えない歴史」とは、国側から見えていないローカルな歴史ということだけでなく、見えない者たちと築いてきた歴史という意味もあります。

そして村という言葉は、伝統的には人間社会を意味する言葉ではなく、自然と人間が暮らす社会を指しているとのこと。ですから、動物もまた村のメンバーであり共同体の仲間なのです。人間と動物の関係は、矛盾しながら重なり合っていて、仲間だと言いながら猟の対象にもします。尊敬を払いながらも害獣ともみなす。それを人間が持たざるをえない絶対矛盾として捉えるのが、日本の伝統的な民衆精神だったと内山先生はおっしゃいます。

そういった暮らしの中で民衆はつねに自然と触れ合って生きてきたわけですが、深層心理の視点で言えば、それは無意識界とつねに触れ合いながら生きてきたということだと考えます。

山や海に行くことで、自然と意識が無意識側へ接近し、そこに現れる不思議な者たちとの交流を通して、無意識と調和した生き方を見出していたのかもしれません。これまでもお話しているように、四位一体構造における4との出会いですね。日本文化が自然と調和した形を持っているのは、4である無意識との交流なしには考えられません。

今の日本人はなかなか自然と触れ合うことができません。ほとんどがコンクリートの世界になってしまっているからです。ジブリで言えば『耳をすませば』の主人公月島雫が歌う『コンクリート・ロード』そのものです。

私は「かつてあった日本人の自然な生き方が無くなってしまったんだ…」と感じ、悲しくなりました。「あの時代に戻りたい…」と。

怪談話について

山の怪談~山怪~

しかしそんな中、私はあるYoutubeチャンネルの番組を通して、昔話のような世界は今もまだ生き続けているということを知りました。それは「オカルトエンタメ大学」さんという、オカルトを楽しく学ぶチャンネルを見ていたときのことです。そこで話されている様々な話について私は、その真相が嘘か本当かは別にして、バラエティーとしてとても面白いなと思って見ているチャンネルです。

そこに登場した、カメラマンでノンフィクション作家の田中康弘さんの山の怪談「山怪」のお話を聞いたとき、私は衝撃を受けました。田中さんは動画内で、マタギたちや各地の猟師、 そして山で働き暮らす人々から、実話として聞いた山の奇妙で怖ろしい体験談を語っていました。その内容が日本昔話の内容そのもので、まービックリ!!

しかもその体験された方たちはまだご存命。ということは、この体験談もまだ生きているということ。これを知ってあまりの嬉しさに、私は心の中で「河合先生!日本にはまだ昔話が生きていました!日本のアニマはちゃんと生きてますよ!!」と、天国にいらっしゃる河合隼雄先生に対して叫んでしまいました(笑)

田中さんいわく、山で働く人たちや山で訓練をしている自衛隊の人たちは、なぜか山にいるはずのない女性をときどき目撃するそうです。その女性の風貌は、登山をするような服装ではなく、普段着だったり、髪もボサボサだったり、白いワンピースを着ていたり。ときに小さい女の子が現れたりもするそうです。その女性と、とくにこれといった接触を持つことはないそうですが、山で見ず知らずの女性に出会うのは、やはり怖いと感じるそうです。

でも、人間とは面白いもので、意味不明な体験をするとそれっぽい理由を探すんですよね。山で出会った女性は、じつはキツネだったとかオコジョだったとか、そのように解釈をするそうです。日本人らしい解釈といえばそうですね。

ここでの女性は、ユング心理学でいうアニマ、つまり男性の心の中に住まう女性性が姿をもって現れたものだと考えます。だから、こういった話は男性から多く聞かれる傾向にあるんですね。

そしてキツネに騙された話も健在で、あるとき山に入ったらキレイな女性と出会い「あっちに温泉があるから一緒に入りませんか?」と誘われて「あれ?こんなところに温泉なんかあったっけ?」と思いつつも、女性についていくとちゃんと温泉はある。

そして、温泉に入りながら女性が後から入ってくるのを待っていると、なかなかその女性が入ってこず「ま、いいか」と思って待っていると、他の猟師さんたちがやってきて「お前こんなところで何やってんだ!」と言われる。「え?温泉に入ってる」と答えると、そこは冷たい川の中だった。「お前キツネに騙されたんだよ」というお話です。このパターンは下手をすると命を取られてしまう危険性もあるそうです。

こういった体験は、私なりの深層心理的な考察としては、男性の隠されたスケベ心を、男性のアニマが露呈させたのだろうと思っています。騙したアニマ本人はその男性を見てほくそ笑んでいることでしょう。

natan
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私はこういう話、好きですね(笑)

怪談話に隠れる元型的な話

オカルトエンタメ大学、そして田中康弘さん経由で、私は「もしかしたら現代の怪談話の中にも、ユングでいう元型的な話が紛れ込んでいるかもしれない」と思い、それからいろんな怪談話を聞くようになりました。そうしたら、やっぱりその直観は当たり!だったんです。

たとえば、三差路の中央に亡くなったはずの女性の先輩が立っていた、もしくはそこに死神が立っていたという、似たような話がいくつかありました。じつはこの三差路に立つ者という話は、神話でも描かれているんですね。

これは怪談話ではなく、れっきとした元型的な出来事であり、その三差路に立っている者は冥界への案内人なんです。それを目撃した人の意識状態によって、三差路に立つ者が身近な人だったり、ときに未知の存在だったりするのだと思います。

そしてその三差路に立つ者は、目撃者を冥界へ連れていこうとしているのかもしれません。または、その人に対して新たな気づきを与えたり、内的な反省を促しているのかもしれません。体験者の意識の成長レベルによって、そこから取れる意味が変わってくると思います。

私が好きな怪談師さんをご紹介

私には何人かの好きな怪談師さんがいます。男性では、先ほどご紹介した山怪の田中康弘さんをはじめ、怪談収集家の中山市朗さん、怪談和尚の三木大雲さん、怪談図書館の桜井館長さん、オカルト研究家の吉田悠軌さん。女性では怪談作家の川奈まり子さん、怪談師の牛抱せん夏さんが好きです。

皆さんに大体共通することは、話の背景に歴史があったり、恐怖体験をされた方の心理状態に何らかの原因があったとするところです。そして、深層心理的に考えないと理解できないような、ふか~く考えさせられる話が多いんですね。

不思議なことに話の傾向として、男性怪談師が話すときの幽霊は女性の場合が多く、女性怪談師が話すときは男性の幽霊話が多い印象を受けます。でも、なぜか女性の幽霊の話が全体的に多い感じがします。

アニマ救出作戦

可哀想なアニマ

シンデレラ

私は一人で「アニマ救出作戦」なるものを考え実行しているので、怪談話の中から紛れ込んでしまったアニマを探しています。

なぜ「アニマ救出作戦」を決行しているかというと、これまでお話しているように、無意識側から自我意識側へは度々アクセスがあると考えています。それを通して、自分自身と向き合うこと、内省し本当の自分を知ることで意識が成長できるようにと、アニマがサポートしてくれていると考えます。

しかし、今現在の自我意識は外向的思考が優越し過ぎているので、現代人はそういった無意識のサポートに気づけずにいます。そして、ときにその無意識側からのアクションを目撃した人は、それを怖いもの、恐怖体験として捉えてしまうようです。

ユング派の中でも、現在アニマは低俗なオカルトや猟奇的な物語の中だけで語られていて、アニマはその中に押し込められていると話されています。だから私は「アニマ救出作戦」が必要だと思ったわけです。

私はこれまでいろんな怪談話を聞いてきましたが、正直、アニマや元型的な話にしか興味がありません。その他幽霊の話は、それがいるいないに関わらず、「へ~、そうなんだ」くらいに捉えています。

natan
natan

たまに聞く心温まる幽霊話は好きですけどね。

「この話はあきらかに元型的だ、その女性はアニマだ!」と感じても、幽霊として処理されてしまうアニマを思うと、可哀想で仕方ありません。

そんな中、先ほどご紹介した山怪の田中康弘さんの言葉に、私は希望の光を見ました。田中さんは「私は山で見かける女性は幽霊ではなく、山の神だと思うんです」と。「そうです!そうです!田中さん!」と私はとても嬉しくなりました。私としては、それはアニマであり精霊であると考えています。

やはり田中さんのように、自然と共に生きている山の人たちと直に触れ合っている方は、その暮らしの背後に自然の力、神々の力を感じるのだと思います。

空想に息づくアニマ

山での奇妙な体験は、それを体験した人が山を下りながら「この話をどうやって面白く伝えようか」と考えるのだそうです。そして、事実よりも少しばかり誇張されて、その話は、今度は物語として他の人々に広がっていくことになります。

ユング心理学によると、その物語がたくさんの人々に語り継がれていく中で、次第に個人的な要素や文化的特異性が脱落していき、最後には人類共通のドラマと洞察だけが残るそうです。無意識、そしてアニマはそうやって私たちとともに生き続けてきました。

私の考えでは、奇妙な出来事というのは、たった一人が体験すればいいことだと考えています。なぜなら、それを伝え広げて、それを聞いた一人ひとりが、それぞれの空想を通してその世界を感じ取るからです。その空想の中にアニマは生きることができるからです。

できることならその空想も健康的なものであってほしいです。先ほどもお話しましたが、今は低俗な空想の中にアニマが押し込められているので。

空想世界は子供の頃は誰もが持っていた世界です。しかし、私たちは大人になることでそれを忘れていきます。空想世界は心の世界そのものです。だからそれを忘れないために、地方民話や昔話は私たちの思い出や記憶に根づくことで、心の世界との繋がりを維持してきたのだと思います。でもその昔話も今は語られなくなってしまいましたね。

無意識やアニマは、私たちがそれらとの繋がりを忘れた頃にヒョイと現れて、再度その間を繋ごうとします。現在のオカルトブームもその影響があるように思います。だから、今こそ大人の成熟した想像力によって無意識やアニマを蘇らせてあげたいですね。

というわけで、今日は怪談話を通して見る深層心理世界のお話でした。

日本にはまだ昔話が生きています。古来より日本人が大切にしてきた自然、そして無意識との暮らしを、今こそ思い出すときだと思います。私も微力ながらそのお手伝いができたらいいなと思っています。

ご興味ある方は、今日ご紹介した怪談師の方たちの話をYoutubeで聞いてみてくださいね。たまに、本当に怖いもののあるので、そこはお気をつけください(笑)

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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