本日の講座内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。この講座では、古事記の読解力を上げるために、日本の古代信仰について解説しています。今回は易経についてお話します。
今回も民俗学者、吉野裕子先生の知恵を拝借しながらお話していきます。先生の詳しい紹介は、講座第6回をご視聴ください。

易について
易の誕生
さて、今日のテーマ「易」。易と聞くと占いをイメージされる方がほとんどだと思いますが、易は陰陽五行と同じく、江戸時代の終わりまで古代自然科学の一つとして活用されてきた歴史があります。
易の作者は古代大陸の神、伏羲だと言われています。伏羲がこれからお話する八卦を作り、後世の人々がそれを発展させ、最終的には孔子がそれをもって儒教の基をひらくまでに至りました。

八卦について
易の考え方は陰陽五行と似ていて、最初に宇宙のはじまり「太極」があり、それが陰と陽に分かれます。その際、易において陰は「- -」、陽は「ー」という記号で表されます。
この陰陽がさらに分化し、老陽、少陽、少陰、老陰という四象が生まれ、さらにこれらが分化して八卦が得られます。八卦の「卦(か・け)」とは「象(ぞう・かたち)」という意味です。
八卦は自然の姿をそのまま取ったもので、右から天が「乾」、沢が「兌」、火が「離」、雷が「震」、風が「巽」、水が「坎」、山が「艮」、地が「坤」と言います。この伏羲によって作られた八卦を「先天易」と言います。

また、これらを方位に当てはめるとこんな感じ。明るい天(乾)が南、火(離)が東、水(坎)が西、暗い地(坤)が北となり、南からS字を描くように北まで昇っていく流れになっています。

先天易と後天易の違い
次に、この先天易を発展させたものとして「後天易」があります。先天易は人間が自然のままに生活していた状態において作られたものに対し、後天易は人間が自然に逆らって暮らす(つまり火食したり衣服を着るようになったり)という、人間の生活を勘案して作られました。
後天易になると、天である乾は西北に、地である坤は西南に移動、そして陰陽五行と同じく火である離は南、水である坎は北へ、その他も別の場所に移動しました。

日本において、先天易と後天易、どちらが用いられているかというと、混ざった使い方がされているそうですが、大体は後天易の方が使われているようです。ここまでの話を聞いて「易って難しそう」と思われた方が多いと思うので、次の場面で易をよりわかりやすくお話してみますね。
消長の卦
易は一年という時の推移を陰陽の消長として捉えます。図の右側、陽気が増していくことを「長」または「息」と言い、陽気が減って陰気が増していくことを「消」と言います。一年は子の月(旧歴十一月)と午の月(旧歴五月)を結ぶ子午線を軸にして陰陽が消長し、交替します。

これが一年を消息の卦として表した一覧と方位図です。小難しい名前が付いているので「全然簡単じゃないじゃないか」と思われてしまうかもしれませんが、名前は覚えなくて大丈夫です。易が便利なのは、陰陽の推移が一目でわかるという点です。

この消息の卦は、下から上に見ていきます。たとえば、北の子の卦は陽が下に一本、上の五本が陰で構成されていて、それが次の丑の月になると、下の陽が二本に増えて陰は四本に減ります。その次の寅も陽が増えて陰が減ります。この様子から、冬から春に向かって日の光が増えていく様子が感じ取れませんか?
さらに巳の月まで進むと、全陽になって夏に入っていくという流れになります。このように、欽ちゃんの仮装大賞の採点みたいに、陽が下から「て・て・て・て・て~」とメーターが上がる感じで増えていきます。

反対に、午の月になると下から陰が陰ってきて、未の月では陰の数が増え、陽が減り、亥の月までいくと全陰となって冬が訪れます。

古来より子の月は「一陽来復」といって、厳しい冬の中に春の兆しを感じたり、不運続きの日々がようやく好転していくときなどを「一陽来復」と言いました。実はこの言葉は易から来ていて、全陰だった亥の月が子の月になると一陽がさしてくるからそう言われているんです。
そのため、子の月(旧歴十一月)は開運の月とされ、毎年11月に浅草などで開催される酉の市では、開運招福や商売繁盛を叶える熊手が販売されます。ちなみに酉の市という名前の由来は、酉は陰陽五行の金気に属し、財宝や富を内包しているので、それにあやかった名前だと思われます。

以上のように、易は消息の卦で見ると、陰陽の変動が一目でわかるとても便利な指標になっています。古事記の読解においてもこの消息の卦が役に立つので、この機会にぜひ覚えていただければと思います。
易の家族構成
ここからは易のもう一つの性質、家族構成についてお話したいと思います。後天易では乾(天)を父、坤(地)を母として、「乾坤に六子あり」と言いました。家族構成はこんな感じ。
震が長男、巽が長女。共に年齢は30~40歳。次に坎が中男、離が中女で、共に年齢は15~30歳。艮が小男、兌が小女で、共に年齢が5~15歳。これが一体何を意味しているかというと、古事記に当てはめてみると面白いことが見えてくるんです。

イザナキとイザナミが生んだ神々の中に、雷神である建御雷の男神と、風神である志那都比古神がいます。雷と風は易において長男・長女に属します。
しかし、風は長女で古事記の風神は男神です。易と性別は一致しませんが、年齢は30~40歳ということがわかります。実際、神様に年齢はないと思うので、ここで把握したいことは、彼らは共に人間でいえば壮年期にあたる存在で、社会的な責任を背負って自立して行動できるレベルにある神様たちだということです。

このような見方で今度は中男・中女を見てみると、中男は水、中女は火です。中男はイザナキに「海原を治めよ」と言われたスサノヲが該当し、中女は言わずもがな太陽神アマテラスと見ることができます。両者は共に年齢が15~30歳で、人間で言えば青年期にあたります。
青年期といえば、心身ともに急激に成長し、子どもから大人へと移行する時期で、アイデンティティの形成が最も重要な課題となります。そのため、体調や情緒の変化が激しくなりがちで、トラブルも起こしやすくなります。

実際、アマテラスとスサノヲもぶつかり合っていましたし、天石屋戸ではアマテラスに初めての月経がきました。スサノヲに関しては、ヲロチ退治という難題をクリアして、クシナダヒメと結婚もしています。彼のアイデンティティはそこで確立した。だから、天石屋戸からヲロチ退治までのシーンは、神々の青年期を描いたものだということが言えます。
易で読み解く日本の奇祭
ここからは今日最後のお話として、日本の奇祭を易をもって読み解いてみたいと思います。
以前講座第12回で、千葉県の三ツ堀の泥祭りをご紹介しました。このお祭りは、現在は氏子さん不足によって休止していますが、神輿を担いだ若い男性たちが、神輿とともに池に飛び込んで泥まみれになり、子供たちからも泥のかたまりを投げつけられ、最後に泥だらけになった神輿は利根川で清められるというものです。
このお祭りは利根川の氾濫を防ぐための呪術と思われるわけですが、今回注目したいのは別の部分。なぜ若い男性たちが神輿を担いだまま池の中に入るのか?その理由が易を見るとわかるんです。

易において若い男性は坎(水)の中男に属します。そして、坎という漢字は「穴」を意味します。そこからわかることは、神輿を担いでいる若い男性陣が、実は利根川を氾濫させる水の精を象徴しているということ。だから、彼らは池という水の穴に入るわけで、そんな彼らを周囲の人は泥を投げて陰陽五行の「土剋水」の理で水の精をこらしめて、利根川の氾濫を阻止しようとしているんです。

このように、お祭りには参加者の年齢がとても重要で、目的に合わせて易に沿った性別と年齢の人が参加することで呪術は達成されるという形になっています。
最後に
というわけで、今日は易についてお話しました。現代において易は占いというイメージしかないと思いますが、実は陰陽五行と密接に関係しながら日本の文化を支えてきました。
易のそれぞれの名前は難しいかもしれませんが、最初は記号の方を見て感覚で捉えると良いと思います。今後の古事記解説でも易を使いながら解説していこうと思っているので、今日は基礎的なお話をさせていただきました。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!


