私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は明治以降、どのように一般層に性道徳が浸透していったのかについてお話したいと思います。
▼ 参考文献 ▼
◎前回までのお話はこちら↓
日本の西洋化
明治新政府は、それまでの身分制度を改め、西洋列強の国民軍と戦うために国民皆兵を導入しました。
そのため、それまでは行為規範について、とくに何も要求されなかった庶民層にまで、武士階級の道徳を浸透させることを狙うようになります。
また、同時に文化や行動規範の西洋化も推進したので、これは全国民をいわば「西洋化した武士」に仕立て上げようとする社会道徳政策だったと言うことができるでしょう。
現在の法律でいわれる、「公序良俗」というものがもともと想定していたのは、こうしたものだったのです。
国外からの視線に対しては、外国人に
「日本人は、キリスト教徒ではないけれども、高い道徳を備えている」
ことを説明し、宣伝するため。
国内においては、近代国家と国民皆兵のもとで、
一人前の国民を育て上げるため
というわけです。
たとえば、キリスト教徒だった新渡戸稲造に代表されるような人物たちは、「武士道」や「日本的道徳」として整理した、日本の公式な(望ましい)倫理道徳・行為規範を外国語に翻訳して刊行しました。
「武士道」や「日本的道徳」は、このときに外国へのプレゼンテーションとして作り上げられたものだったと言っていいでしょう。
学校教育に持ち込まれた倫理道徳
こうして明治時代ににわかに作り出された、日本人の倫理道徳や公序良俗は、普通教育を用いて若い世代の国民全員に導入されました。
そして男子については、とくに中学校、高等学校、大学校へ進学するような社会の指導層には、さらに徹底した規範の導入が行われたのです。
そのため、そうした高等教育を受けた指導層には、たしかに「江戸までの庶民的な文化」が「わいせつ」だと捉えられたでしょう。
女子教育について
一方、明治政府は女子教育については等閑視していました。
そこで、女子教育の多くは、キリスト教系の私立学校によって担われることになりました。
朝ドラで取り上げられがちな時代ですね(笑)
それは、この時期のアメリカのキリスト教団が、女性解放を目的に活動していたことも強く影響しています。
キリスト教系の学校では当然、聖書に基づく当時の欧米の道徳規範に沿った「純潔」「愛」の教育を行います。
そのため、日本における性的純潔の意識、また性を穢れとして見るような見方は、明治期末から昭和初期の女子高等教育によって、普及定着されたとみて間違いありません。
こうして、社会の指導層の上品な奥様たちからはじまり、次第に庶民層の主婦にも、女学生的な性についての観念が拡大していくことになります。
現在の私たちの社会につながる、性愛や性表現を問題視する視線は、中核都市部や学校教育(国家制度の内側)の現場において、大正期あたりにおおよそ一般化し、農山漁村においては戦後の高度成長期あたりにようやく一般化したものであるにすぎないのです。(約150年くらいの歴史しかない)
次回は、西洋から輸入してきた「恋愛」という概念を、どのように日本側がとらえていったのかについてお話したいと思います。
次回もお楽しみに♪