ようこそ、コスモ・ライフォロジーへ♪

【古事記読み方講座】⑨蛇と鏡の関係について/鏡の語源は蛇

古事記読み方講座第9回アイキャッチ 古事記読み方講座
スポンサーリンク

本日の講義内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

はじめに

皆さんこんにちは、natanです。この講座では古事記の読解力を上げるため、日本の古代信仰についてお話しています。今日は、蛇と鏡の関係についてお話したいと思います。

今回も民俗学者、吉野裕子先生の知恵を拝借しながらお話していきます。先生の詳しい紹介は、講座第6回をご視聴ください。

吉野裕子先生について

鏡について

「カガミ」の語源は蛇

さて、古代において鏡は権力の象徴とされ、邪馬台国の卑弥呼は100枚ほどの鏡を魏の皇帝から贈られたと言われています。また、三種の神器の一つも八咫鏡なので、古代日本を語る上で鏡の存在は欠かせません。

鏡

この鏡のことを私たちは当たり前に「カガミ」と呼んでいますが、実は「カガミ」の語源は蛇からきていることを皆さんはご存知でしょうか?

日本の古語を収録した『古語拾遺こごしゅうい』には、「古語ふるごとに、大蛇を羽羽ははといふ」と書かれ、『和名抄わみょうしょう』では「蟒蛇うわばみ夜方加加智やまかかちむ」と記載されています。蛇の古語は「ハハ」や「カカチ」であり、「カカチ」の「チ」は霊格を表す語とされているので、蛇の部分は「カカ」ということになります。そして、この「カカ」から「カガミ」という言葉が生まれているんですね。

鏡の語源

吉野先生は、「カガミ」は「カカミ(蛇の身)」や「カカメ(蛇の目)」のことだろうと推測されていて、この二つの候補のうち先生は「カカメ(蛇の目)」について多く言及されています。なぜ「カガミ」が「カカメ(蛇の目)」になるのかというと、先生いわく、蛇の目は瞬きをすることがなく、目から鋭い光が放たれたとき、それが鏡のように輝くからだと言います。

「そっかぁ」と思いつつ、どうも腑に落ちない私(笑)古事記でも天石屋戸シーンで鏡が出てきて、それは石屋にこもったアマテラスを外に出すために一役買いますが、「じゃあ鏡は蛇の身・蛇の目なのだ」と思って改めてその場面を考えてみても、なんか全然しっくりこないんですよね。鏡と蛇の接点がまったく見えないですし、古事記の内容ともミスマッチです…。さて、どうしたものか。

鏡の妖怪「雲外鏡」

あれこれ思考していくうちに、私はふと自分が昔好きだった漫画『うしおととら』に出てくる雲外鏡のおんじを思い出しました。雲外鏡は一つ目の顔と手足のついた鏡の姿をした妖怪で、世界中のあらゆる鏡と繋がっていて、人や妖怪を短時間だけ鏡の中へ送ることができます。

この雲外鏡の出自は、江戸時代の妖怪絵師、鳥山石燕とりやませきえんの『百器徒然袋ひゃっきつれづれぶくろ』にあり、それは太陽や月にも似た姿で、何だか意地悪そうに舌を出しているのが印象的な妖怪です。

雲外鏡①

この雲外鏡をいろいろ調べていくうちに、もう一つ別種の雲外鏡が存在することを知りました。それがこちら。

雲外鏡②

見づらくて申し訳ないのですが、これは比較的新しい時代の雲外鏡さんで、水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』の中の一作『妖怪大戦争』に出てくる妖怪です。この雲外鏡さんは鏡の姿をしていませんが、実は大きく出っ張ったお腹が鏡になっていて、そこにいろんなものを映し出すとのこと。これを見たとき、私は「あ、これだ!」と閃きました。鏡と蛇の共通点、それはお腹だと。

鏡とお腹の関係性

改めて言うのも何なんですが、私たちのお腹には蛇がいます。そう、腸です。腸はとぐろを巻いた蛇です。お腹の中でとぐろを巻いた蛇の姿を鏡の語源である「カカミ(蛇の身)」とするならば、雲外鏡さんのお腹が鏡になっている理由も頷けます。この発見によって私は、日本人がお腹に対して使うある表現に鏡との密接な関係を見ることができました。

それは、「あの人は腹黒い」とか「あの人は腹の中で何を考えているのかわからない」といった表現です。それらの表現が用いられるのは、人の本性はお腹の中にあると考えているからです。それは言い換えると、蛇は人の本性を象徴したものでもあるということになります。

古事記に描かれるお腹と鏡の話

であるならば、古事記の天石屋戸シーンにおいて、アマテラスはスサノヲの暴挙にショックを受けて天石屋戸に隠れましたが、講座第6回時に、このシーンは太陽が死んではまた新生するという現人神信仰を描いたものだとお話しました。神が新生するとき超自然的な母胎の中に一時的にこもる必要があるので、石屋がその母胎(お腹)ということになります。

また、古事記解説第41回で私は、天石屋戸の場面でアマテラスに初めての月経(初潮)がきたともお話させていただきました。ですから、天石屋戸シーンではお腹にまつわる話が複数同時進行で語られているんですね。

そのようにお腹関連の話が繰り広げられる中、アメウズメはアマテラスを外に出そうとして、超自然的な腹の中(石屋)にいるアマテラスに対して鏡を見せてこう言いました。「貴方様より素敵な方が鏡に写っていますよ」と。そして、アマテラスを半ば騙した形で外に引っ張り出しました。

このときのアメウズメの言葉の真意を考えてみると、初潮を迎えて美しい大人の女神に変身したことを褒め称えているだけでなく、このシーンはアマテラスとスサノヲの対比も描いているので、「貴方様はスサノヲと違って邪心を持っていない、たいへん美しい心を持ったお方ですよ」という意味で言ったのではないかなと私は思いました。

古事記のお腹シーン

そのように考えてみると、鏡は人がお腹に持つ本性を映し出す呪物と言えるかもしれません。雲外鏡が意地悪そうにペロッと舌を出しているのは、その妖怪を見ている人に邪心があるからなのでしょう。鏡にキレイなものが映れば、それはその人の心(腹の中)がキレイだということ(アマテラスがその一例ですね)。

魏の皇帝が卑弥呼に鏡を贈った理由

古代の銅鏡は、細かなデザインが施されていて、とても美しいです。その鏡の美しさが象徴することは、その鏡の持ち主の心が美しいということ。だから魏の皇帝は卑弥呼に対して「私はそなたを認めた。私の心に嘘偽りはない」として、その証に彼女に鏡を贈り、魏の皇帝に認められた卑弥呼ということで、鏡が権力の象徴になったのではないでしょうか。

権力の象徴としての鏡

「鏡=カカメ(蛇の目)」の意味

であるならば、「カガミ」のもう一つの語源である「カカメ(蛇の目)」の意味も何となくわかってきます。「目は口ほどに物を言う」と言いますが、目もお腹同様、その人の本性を表す部位であり、その人の本心は目を見ればわかるからです。だから、「カガミ」の語源が「カカミ(蛇の身)」だけでなく「カカメ(蛇の目)」でもあるという吉野先生のお考えは間違っていなかったということになります。

蛇と欲望

ちなみに少し話が逸れますが、講座第7回解説時に吉野先生は蛇を性の象徴としているとお伝えしました。

それに対して今回お話してきたことも踏まえると、蛇は欲望も象徴していると言えるのではないかなと思います。旧約聖書は蛇を悪者に描き、そこには性に対する罪悪感や嫌悪感があったと言われていますが、もしかすると欲望に対してもそのような気持ちを持っていたから蛇が悪者になったのかもしれません。

古代日本人は、性と欲望は人間存在の本質だとして、それらに真正面から向き合ってきました。性も欲望も人を動かすガソリンみたいなもの。ですから、そこにもともと良い悪いはなく、それらを排除せず、どうコントロールするかが大事ということを先人たちは理解していた。だから、蛇を尊んだのではないかなと私は思いました。

最後に

というわけで、今日は蛇と鏡の関係性についてお話させていただきました。鏡の語源は「カカミ(蛇の身)」「カカメ(蛇の目)」であり、蛇の語源である「カカ」はお腹という人の本性が隠れている場所を指していて、それを写しだす呪物が鏡というのが今回の結論です。

見えない本性を映し出すのが鏡。そう言われてみれば、鏡は自分の目では見えない自分の顔を映す道具でもありますよね。昔も今も常に鏡は見えないものを写しだしているという、ごく当たり前の現象を蛇を通して考えてみると、とても哲学的で深い話に感じられてくるのは面白いですよね。

さて、ここまで4回に渡って古代日本人の死生観、現人神信仰、蛇信仰などについてお話してきましたが、実はこの時代がいわゆる「古神道」の時代になります。この古神道があることをきっかけに神道へと変化していきます。それはどういった背景で生まれたのかを次回お話したいと思います。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

タイトルとURLをコピーしました