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古事記☆新解釈【24】三貴子誕生①/胞衣信仰とヒルコ/ヒルコを生んだのはあの神だった!

三貴子誕生①アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前回は、川で禊をした際に出現した神々についてお話をしました。今回から、いよいよアマテラス、ツクヨミ、スサノヲ、三貴子誕生の回に入ります。

まずは、いつものように読み下し文、現代語訳を読み上げます。声をもって訓む部分は赤字で表記し、特殊な訓読みは原文の横に訓み方を記載しています。トーク内容のチャプター一覧、参考文献はチャンネル概要欄に記載しています。

原文/読み下し文/現代語訳

古事記「三貴子誕生①-1」(原文/読み下し文/現代語訳)

於是洗左御目時 所成神名 天照大御神
次洗右御目時 所成神名月讀命
次洗御鼻時 所成神名 建速須佐之男命
右件八十禍津日神以下 速須佐之男命以前 十柱神者 因滌御身 所生者也

ここに左の御目みめを洗いし時、成れる神の名は、あまてらすおほかみ
次に右の御目を洗いし時、成れる神の名は、月讀つくよみのみこと
次にはなを洗いし時、成れる神の名は、建速たけはやすさのみこと
右のくだり八十やそまが津日つひのかみ以下よりしも、速すさの男命以前よりさき柱の神は、御身みみすすぐによりてれる者なり。

次に左目を洗ったとき出現した神の名は天照大御神。
次に右目を洗ったとき出現した神の名は月讀命。
次に鼻を洗ったとき出現した神の名は建速須佐の男命。
右の八十禍津日神から速須佐の男命まで十柱の神は、(伊耶那岐大神が)身体をすすいだことによって出現した者である。

古事記「三貴子誕生①-2」(原文/読み下し文/現代語訳)

此時伊邪那伎命 大歡喜詔 吾者生生子而 於生終得三貴子 即其御頸珠之玉緒母由良迩取由良迦志而 賜天照大御神而詔之 汝命者 所知高天原矣 事依而賜也 故其御頸珠名 謂御倉板擧之神
次詔月讀命汝命者 所知夜之食國矣 事依也
次詔建速須佐之男命 汝命者 所知海原矣 事依也

この時伊邪那岐命、いた歡喜よろこびてりたまひしく、「は子を生み生みて、生みのはてに三柱の貴き子を得つ」とのりたまひて、すなはち頸珠くびたまたまもゆらに取りゆらかして、天照大御神にたまひて詔りたまひしく、「汝命いましみことは、高天原たかあまはらを知らせ」とことさして賜ひき。かれ、その御頸珠の名を、くら板擧たなの神とふ。
次に月讀命に詔りたまひしく、「汝命は、夜の食國おすくにを知らせ」と事依さしき。
次に建速すさの男命に詔りたまひしく、「汝命は、海原を知らせ」と事依さしき。

古事記「三貴子誕生①-3」(原文/読み下し文/現代語訳)

このとき伊邪那岐命は大きな声をあげて喜び、「私は子をたくさん生んで、その最後に三柱の貴き子を得た」と仰った。そうして珠の首飾りを揺り鳴らし、天照大御神に与えて「お前は高天原を治めなさい」と仰って委任なさった。その首飾りの玉は御倉板擧の神と言う。
次に、月讀命に「お前は夜の食国を治めなさい」と仰って委任なさり、建速須佐の男命には「お前は海原を治めなさい」と仰って委任なさった。

これが今日取り上げるシーンです。それでは解説に入ります。

解説

なぜ十四柱ではなく十柱なのか?

禊の終盤に、イザナキが顔を洗ったら、左目から天照大御神、右目から月讀命、鼻から須佐の男命が誕生しました。顔の領域と思われる竺紫日向の橘小門の阿波岐原で禊をして、最後に顔を洗って三貴子が生まれていることを考えると、物語の構造は顔から顔へグルっと一周しているようです。

古事記は、前回登場した八十禍津日神からスサノヲまでを合わせて、合計十柱の神がなったと語っています。しかし、数えてみると、神は合計十四柱です。

長年の古事記研究の結論では、「古事記を書き写す際、数を書き間違えたのだろう」と言われています。しかし私としては、それは書き損じではなく、ちゃんと十柱だと考えます。その理由は、前回のシーンを身体宇宙論として読むと、腹わたを形成する場面となっていて、腹わたを構成しているのが綿津見神三柱と筒の男命三柱で、それらは大腸と小腸の二柱の神として見ることができるからです。だから、十柱で間違いないと私は思います。

十柱の神たち

「者」が意味すること

さて、貴い三柱の神を得たイザナキは大きな喜びを得ます。「私は子をたくさん生んで、その最後に三柱の貴き子を得た」と言ったことから推測するに、この三貴子はこれまで生んだ神々とは格段にレベルが違うようです。

それは原文にも記されていて、「十柱の神は、御身を滌ぐによりて生れる者なり」と、「者」と言われています。これまでは「生まれる神なり」だったのに、今回はじめて「者」と言われています。これまでの神々が名前だけの登場だったことを考えると、この「者」という表現からは、自ら意志をもつ自立した神という印象が感じられます。

それもそのはず、この三貴子はイザナキが自らの罪を認め、けじめをつけて腹をくくった禊の中で誕生した神だからです。この三貴子は言い換えれば、自立に向け歩みだした新しいイザナキの姿でもあると言えます。

古事記「三貴子誕生①-4」(原文/読み下し文/現代語訳)

「玉緒もゆらに取りゆらかす」の意味

さて、イザナキは早速子どもたちに仕事を命じます。仕事を命じるからこそ、この場面で彼は「伊邪那岐命」としっかり名前に「命」がついています。先ほどの十柱の神でもあったように、書き損じや表記ゆれではありません。古事記は仕事が丁寧なんです。日本人の精神性っぽいでしょう。

イザナキはアマテラスに対して、玉の首飾りを揺らし音を鳴らしながら「お前は高天原を治めなさい」と命じました。さあ、出ましたね、意味深な行動。そして、その首飾りは御倉板擧の神というとのこと。

このシーンにおける一般的な解釈は、玉の首飾りの音を鳴らす行為は「タマフリ」という神道の呪術であり、音を鳴らすことで魂を奮い立たせているのだろうというもの。鈴をシャンシャンと鳴らして、目を覚まさせるようなイメージでしょうか。そういう解釈も一理あるなと私は思います。

それ以外の考えとして私は、今回のシーンは新時代の神々が今まさに出産を果たしたシーンでもあるので、生まれた子どもに対して振っている首飾りというのは、じつは、へその緒なんじゃないかなと考えています。

natan
natan

それを首飾りとしてイザナキが身につけているというのは、普通に考えればギョッとする話ですが、そうではなく(笑)

前々回の解説で私は、へその緒は道の長乳齒神ではなかろうか、というお話をさせていただきました。へその緒はれっきとした神様なんです。

また、さっき私は「新時代の神々が出産を果たした」と言いましたが、新時代ということは、イザナキが活躍した時代とアマテラスたち三貴子誕生の次元は異なっているということ、次元が一つ上がっているということだと考えます。過去の解説で私は、「前に出てきた神々は、次元が変わるとモノに姿を変える」とお話したことがありましたが、このシーンにおいても、一つ前の次元でへその緒だったものが、次元が移行した結果、首飾りに変わったのではないかなと考えます。

胞衣信仰の起源

さて、そのへその緒でもある首飾りが、御倉板擧の神という神様として扱われている様子から、ここに胞衣えな信仰に似た要素を感じ取ることができるなと思いました。「胞衣」とは、胎盤、へその緒、羊膜のことを指し、出産後に母体から排出されるもののことを言います。今は「後産あとざん」と言われていますね。

胞衣信仰とは、胞衣も生まれた子ども同様に大切なものであり、胞衣の納め方が子どもの一生を左右するというもの。胞衣は子どもの鏡的存在として認識されていたので、胞衣を丁重に扱うことが子どもの長寿、容姿端麗、高い技能の習得、知徳、富を得ることに繋がると信じられていたそうです。

そのため、出産後、胞衣は洗い清められ、キレイな布に包んで壺や桶に入れられ、土の中に埋められたそうです。埋める場所は家の軒下、床下、戸口などだったそうで、胞衣が子どもの代わりになってたくさんの人に踏まれることで、子が丈夫に育つという考えから、踏まれやすい場所に埋められたそうです。

胞衣信仰

この信仰は、古くは縄文時代から、直近では明治時代まで行われていたとのこと。「でも、だからといって、どうして御倉板擧の神が胞衣信仰に繋がるのだろう」と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

それは、この神の名前を分解してみると見えてくるんです。まず、御倉板擧の神は、音の印象から倉にある棚の神様、もしくは神棚に関する神様という感じがするのですが、この神は神棚ではなく首飾りです。また、名前を分解してみると、神聖な倉、建物の板を挙げる神ということで、床を持ち上げる神と読むことができると考えます。すると、そこから「縁の下の力持ち」ということが読み取れてくるんですね。

御倉板擧の神はアマテラスに授けられた首飾りではあるけれど、それはへその緒が神聖な首飾りへ物質化したものだという考察も含めて考えてみると、へその緒、床板、縁の下の力持ちというワードから、床下から子の成長を支える胞衣信仰が読み取れるんです。

縁の下の力持ち

ヒルコの真実

ヒルコを生んだのは…

さて、そんな胞衣信仰ですが、胞衣は子どもにとっての鏡的存在ということから、私はある大きな発見と気づきを得ました。それはヒルコに関することです。ヒルコは、イザナキとイザナミがはじめて国生みをしたとき、最初にイザナミが声をかけてしまったために生まれた子です。その子は葦船に乗せて流し去ったと言われています。

妊娠、出産という観点でヒルコを考えてみると、そこから流産によって流れてしまった子、ということが読み取れます。実際、ヒルコをそのように解釈されている方も大勢いらっしゃるようです。私も「そうなんだろうな」と思いつつも、古事記を深く読んでみると、ヒルコは流されて終わりではなく、今回のシーンまでずっと見えない形で影響力を持ち続けていたこと、また、ヒルコ誕生という出来事は必然だったということにも気づきました。

どういうことかというと、皆さんはお気づきでしょうか?今回、イザナキの禊を通してアマテラスたち三貴子が生まれたこと、父から子が生まれるというこの展開に、「アレ?」と思った方はいらっしゃいませんか?

子は母が生むもの。だから今回のシーンはおかしい。または、神代の話だから、父から子が生まれても全然おかしくないなど、父と母どちらが三貴子を生んだのかという点に注目される方が多いかもしれません。じつは、私が注目したいのはそこではないんです。神代だからどちらが子を生んでもいいんです。

重要なのは「どちらが生んだか」ではなく、このシーンで父から子が生まれたのであれば、そのパターンの原型が古事記のどこかで、すでに描かれていないといけないということです。要は、かつてイザナキが子を生んだ場面があったということ。禊以前の話の中で、です。

natan
natan

そんな場面あったでしょうか?全部イザナミが生んできたように思いますが…。

そう、じつはあったんです。

彼は子を生んでこう言ったシーンがあるんです。「今吾が生める子良からず。なほ天つ神の御所に白すべし」と。自分が生んだ子が良くなかったから、天つ神に助言を求めに行こうと言ったあのシーン。このとき生まれた良くない子がヒルコです。

じつは、ヒルコを生んだのはイザナミではなく、イザナキだったと私は考えています。この出来事があったからこそ、アマテラスたちは父から誕生することができたと考えます。反対に、この出来事がなければ三貴子は誕生しなかったはずです。原型がないからです。父なる神から生まれる者の原型がヒルコです。

ヒルコと御倉板擧の神との関係性について

ヒルコは葦船に乗せて流し去ったと言われています。葦船の「葦」は葦原中国に関するもので、その世界は生あるものが住む世界です。神の世界とは反転しています。だから、ヒルコはアマテラスたちと鏡写しの関係にあると言えます。

今回出てきた御倉板擧の神も胞衣信仰で見たとき、子どもと鏡写しの関係にあり、胞衣も人間の子どもが住む世界とは真逆の世界、軒下や床下に埋められることを考えると、御倉板擧の神はヒルコの型を継承しているのではないかなと考えます。

子の成長のために埋められる胞衣、そして三貴子が生まれるために葦船に乗せられ流されたヒルコ。これらを通して、何やら新しい命のために犠牲になる存在がいる、ということが感じ取れてきます。

ヒルコが与えた影響①

さて、そんなヒルコについて、ここからは過去のシーンにおいて、ヒルコが与えた様々な影響について見ていきたいと思います。

たとえば、ヒルコと同じく「棄てる」というパターンを描いたものに、黄泉の国でイザナキが投げ捨てたブドウとタケノコがありました。それらをヨモツシコメはむさぼり食ったわけですが、その状況からこの者たちが飢餓状態にあったということが読み取れました。

通常の解釈だと、そこで投げ捨てられたブドウはヨモツシコメを遠ざけるためのアイテムだったと考えがちですが、ヨモツシコメが飢餓状態だったとすれば、ブドウは水が飲みたくて苦しんでいた彼女たちの喉を潤したと考えることもできると私は思います。

また、投げ捨てたタケノコは、お腹を満たすだけでなく、成長の速さや強靭な竹の強さも潜在的に持っています。以前もお話したように、ヨモツシコメは乳母の原型でもあるので、これから乳母たちが育てるであろう子どもたちが、竹のように強く育ちますようにという願いがそのタケノコに込められているのではないかなと思います。

その他、イザナキが禊をするとき投げ捨てたものからもたくさんの神が生まれ、その神たちから子どもを養育するという要素が感じ取れたわけですが、これもヒルコの型が関係していると考えます。

このように、苦しんでいるもの、未熟なものに対して恵みを与えるという場面を影で支えているのが、川に流し去ったヒルコの型ではないかなと私は考えています。

ヒルコが与えた影響②

それだけではありません。ヒルコの型は、イザナキに対しても影響を与えたと思います。ヒルコはイザナミが先に声をかけてしまったために生まれた子。だから、間違った手順を踏んで生んでしまった子という事実は否定しようがありません。ですが、イザナキも同じく間違った手順を踏んで、罪を犯した結果、重いけじめをつけることになりました。

黄泉の国でイザナキは恐怖のあまり逃げ出しましたが、禊のとき彼は逃げることなく、自分の罪と向き合い、深く反省しました。それによって三貴子が生まれたということは、ヒルコは失敗を象徴した存在ではなく、もっと広い視野で見れば、失敗や困難から学びを得ることの大切さを教えてくれる存在でもあると私は考えます。

ヒルコがいなければ、学ぶことなどできません。進化もできません。イザナキの禊それ自体も行われなかったことでしょう。昨今は失敗しないことが良いことだと思われがちですが、失敗しないからこそ利己主義に陥った恐ろしい世界が生まれてしまうと私は思います。そういった状況に陥らないよう、ヒルコは自らを犠牲にして、神、そして私たち人間に失敗から学ぶことの大切さを教えてくれているのかもしれないと私は考えています。

古事記に秘められた漢字

「犠牲」という漢字が意味すること

犠牲、これは禊シーンを考察する上で重要な言葉です。ちょっとお話それるようですが、私が今回のシーンでヒルコの要素を発見するに至ったキッカケの一つに、犠牲という言葉、正確には「犠牲」という漢字の存在がありました。

禊シーンに入って、急に山羊や牛といった動物が登場してくることに、私はかすかな違和感を感じていました。牛は古来より生贄として納められてきた動物なので、最初は、禊によって捨てられていくものたち、イコール生贄について語っているのかなと思ったんです。でも何かが違う。

そのかすかな違和感の正体を紐解くヒントになったのが、黄泉の国で象徴的に描かれていた「道」という漢字でした。イザナキがカグツチの首を斬って殺したこと、黄泉の国でイザナキがヨモツシコメたちから必死で逃げる様子、さらには生と死の本質を「道」という漢字が表していました。

道の漢字の成り立ちについて

もしかしたら今回も同じく、古事記は動物を通して、漢字に関する何かを語っているのかもしれない。そう直観した私は、禊シーンで出てきた材料を頭の中でミックスさせて、ぐるぐる回転させてみたんです。そうしたら、ビンゴ!漢字が出てきたんです。

その漢字が「犠牲」だったんです。犠牲という漢字は、牛編を持ち、これが衣に成った和豆良比能宇斯能神と冠に成った飽咋の宇斯能神。一文字目の義の上部は、これ羊です。ヤギハヤヲの山羊でもいいかもしれません。

犠牲

そして、二文字目の「生」はどこから来たかというと、禊の最初の原文では「成れる神」と「神が成った」と記しているのに、最後の方では「生まれた」と書いているんですね。大抵の方はここを表記ゆれ、つまり表現が統一されていないものとしてスルーすると思うのですが、私は、これはわざと「生まれた」にしていると思ったんです。「生まれた」にすれば、犠牲という漢字が成り立つからです。

「牛と羊(もしくは山羊)、我から生まれるなり」。たしかに!物語はそうなってますね!このように、禊シーンから犠牲という漢字が読み取れるわけですが、皆さんにとっては「だから何?」という話に聞こえてしまうかもしれません。じつは、犠牲という言葉がイザナキから生まれていること、これをどう解釈するかで神の捉え方、そして古事記の読み方が大きく変わるんですね。

「犠牲」は神の一部を削ぎ落とすこと

私は、イザナキが投げ捨てたものは、腹をくくるために犠牲にした彼の一部、つまり彼自身だと考えています。精神的な再出発をするとき、これまで身につけたものを一旦全部捨てる覚悟が必要になるからです。所有している物、社会的な地位。さらには、固定観念や古い価値観、プライドなど、心においても削ぎ落とさなければいけないものがたくさんあります。

イザナキが愛する妻と別れたということもその一つ。身を削る思いをするので、とっても苦しいんです。だから、禊は身を削ぐ行為ということで「み・そ・ぎ」と言われているのだと考えます。

本当の犠牲とは、神が痛みを伴いながら泣く泣く捨てた我が身の一部という言葉だと考えます。ですが、神と人間の世界は反転しているので、人間はそれを真逆に捉えてしまって、自分が傷つくことなく災いから逃れるために捧げるものが犠牲、自分の身代わりなるもの、それが生贄、という解釈になったのではないかなと思うんです。犠牲は自らが負うのではなく、別のものが負うのだと。

イザナキが痛みをもって削ぎ落としたものたちは、養育の神として誕生しています。女性が出産するとき激しい陣痛に耐えるわけですが、イザナキもそれとは別種の苦しい痛みに耐えながら神々を誕生させています。だから、ここで誕生した神々は、生贄ではなく、イザナキが自らを犠牲にしながら与えてくれた恵みだと私は考えます。

その恵みがあるからこそ、アマテラスたちは生まれ、スクスク育つことができるんだと思います。両親が互いに負った痛みの上に、新しい命が育まれるということ。犠牲という漢字は、そういう意味を持った言葉だと考えます。そして、その犠牲をもっとも象徴した存在がヒルコ。父も母も、そしてヒルコもみんな自らを犠牲にしながら、新しい命を支えてくれているのだと私は思います。縁の下の力持ちですね。

イザナキが御倉板擧の神を振りながらアマテラスに高天原の統治を命じ、その首飾りを授けたわけは、「お前に私たちの思いを託したぞ」という、タスキを繋ぐような思いがあったからではないかなと考えます。

犠牲という言葉。これを正しく捉えることで、私たち人間は神に対する考え方、そして自分のものの考え方、そして振る舞いを再度見直していくべきだと私は思います。古事記は、この話を読む読者自身を問う神話でもあるからです。

まとめ

ということで、以上が三貴子誕生における御倉板擧の神とヒルコについてのお話でした。

今日の考察を通して私は、ヒルコは偉大な存在だと感じました。だから、「ヒルコは不憫な子」という今までの解釈は変えてもいいのでは、と最初は思いました。でも、物事はそんなに単純ではなかったということを後で痛切に思い知りました。

今日お話した内容はヒルコ原型のメリット的な側面でしたが、やはり古事記は物事の両面をしっかり語るようです。ヒルコをより深く考察していったら、デメリットもあることがわかりました。このデメリットが超強烈だったんです…。

なんだか最初はヒルコを持ち上げて、最後は下げる形になってしまい申し訳ないのですが、これが古事記の複雑性でもあるので、致し方ないことです。また、生と死はコインの裏表ということを最も象徴したのがヒルコでもあるようなので、これを皆さんにどうお伝えしようかと、今はまだ思案中なので、頭が整理でき次第、お話したいと思います。

次回は、いよいよアマテラス、ツクヨミ、スサノヲの御三方の特徴について深ぼっていきたいと思います。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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