私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、性規制に厳しすぎるキリスト教が、なぜここまで世界に支持されたのかについて、結婚という側面からお話したいと思います。
▼ 参考文献 ▼
結婚制度の歴史的変遷
まずは、結婚制度の歴史的な変遷についてお話します。
キリスト教が普及する以前のギリシャ、ユダヤ、ローマ、ゲルマンの各民族は、家父長が支配する家族集団の中に組み込まれ、すべての構成員について家父長の指示に従って結婚が行われてきました。
恋愛や結婚について、女性の意向がどの程度尊重されたのかはわかりません。
しかし、公式な制度としては、女性が男性の妻になるのは、契約によって家財や家畜や奴隷が譲渡されるのと、大きく異るものではありませんでした。
また、家父長は、家族構成員に対して生殺与奪の権利を持っていたため、嫁いできた妻たちを任意に放逐することができました。
ただし、ローマ人の間での妻の地位は次第に上昇し、共和政期には、正当な理由のない妻や子の殺害は犯罪とされていました。
ユダヤ教の「穢れ」の意識
紀元前6世紀頃のユダヤ人の間では、こうした家父長的支配は、結婚の統制についてはもはや緩和されていたようです。
とはいえ、妻を放逐することができるという考え方は存続して、律法の一部として維持されていました。
キリスト教が拡大し、「両性の合意」や「秘蹟として解消できない絆」といった考え方が普及していっても、ユダヤ人たちは律法に基づいて、婚姻関係をいつでも夫から一方的に履きすることができました。
ユダヤ教には「穢れ(けがれ)」の意識があったため、性を善なるものとは把握していなかったようです。
ユダヤ教では、性的なものに「穢れ」を感じる傾向がありました。
とくに月経について嫌悪感があり、『レビ記』では月経について、
「その女は7日のあいだ不浄である」
「すべてその女に触れるものは、夕まで汚れるであろう」
とされていて、またその期間中に、女性と共寝した人物も穢れるとされています。
ユダヤ教は、子供を産むための性行為と、それに伴う快楽については否定しませんでしたが、その強い穢れ意識のために、子供を産みださない性行為については否定的でした。
そして、妻が不貞を働いた場合には、かならず重罪となりましたが、既婚男性と未婚女性の交際は罪とされなかったそうです。
女性を「誘惑するもの」と見て、本質的に罪深い存在として把握する観念は、のちにキリスト教にも受け継がれます。
当然、婚外における性的関係は、一般的に禁止されることになります。
キリスト教は弱者から支持された
家系の存続を最重視するローマ社会において、夫が子供を持てなかった妻を離縁することは必要とされていました。
こうした状況においてキリスト教は、結婚を神の定めた結びつきと唱えることで、また結婚において、男性と女性の両性の合意がもっとも重要な要素であることを唱えました。
そのためキリスト教は、奴隷階層や貧しい階層、そして女性たちに支持されるようになっていきました。
とくに、女性の立場を不安定にしていた離婚や放逐について、キリスト教は厳格な態度をとりました。
ローマの伝統では、夫はいつでも妻を離婚することができましたが、キリスト教では、配偶者が死亡した場合か、妻が姦通を犯した場合でしか離婚が認められませんでした。
イエスが唯一の離婚の理由として、姦通を挙げたとされることが、女性の貞節を重視する考え方や、姦通を極めて重大な罪とする発想の基礎になっていることは、間違いありません。
姦通が広く社会的現実となっていたローマ社会において、キリスト教が女性に与えた保護は無視できない要素だったのです。
うん、ここまでお話を進めてきて、正直驚いている方もいらっしゃるかもしれません。
あれだけ女性のセクシュアリティに対して厳しいキリスト教が、最初は結婚で不利になる女性を保護する要素があったため、
女性たちに支持された
というのは、ビックリです!
これが後々、性的純潔や、性に対する快楽を得ることの禁止、姦通の禁止、そしてそれら罪を犯した女性への処罰(魔女狩り)に繋がっていくとは、このときは誰も予想しなかったことでしょう。
書籍『性表現規制の文化史』では、性表現規制が法制化されていく歴史の中で、どのように「わいせつ」という概念が違法化していくのかについて、詳しく書かれています。
ここでは、その詳細は割愛させていただきますので、ご興味ある方は書籍を一読されることをオススメします。
性表現は絵画や出版物などに対して、どんどん法の介入がなされていくのですが、その歴史の中で、キリスト教を支持した女性たちと同じような運動が見られた、という今の時代のフェミニズム運動にも繋がる、重要な出来事だけを取り上げてみたいと思います。
女性の社会進出で見えてくる闇
時は19世紀。
性に対する宗教的禁忌は、ヨーロッパだけでなく、世界中へ広がっていました。
そして、アメリカはヨーロッパよりも性に対する規制は厳格なものがありました。
しかしその当時、アメリカの移民に加えて、農村部から若い独身者たちが大量に都市に流入したことで、都市における宗教や道徳の影響力が低下したと言われています。
その象徴とされたのが、都市におけるポルノの普及です。
さらに、19世紀末には印刷技術が発達したことにより、多様な出版物が大量に庶民に送り込まれました。
これが男性の性的攻撃性をあおるものとして、避難の対象になっていきます。
このポルノグラフィを激しく攻撃したのが、キリスト教系の婦人団体です。
婦人参政権運動は、1800年頃から1920年まで続く、息の長い運動です。
神のもとに信徒の平等を理由として、奴隷解放運動や婦人参政権運動は、教育(信仰)ある女性たちによって長く続けられてきました。
こうしたキリスト教婦人団体から排除された女性たちは、より強く被差別状態に置かれることとなります。
リンカーンをはじめとし、南北戦争までを含むさまざまな人々の活動が成果を実らせ、キリスト教婦人団体は、1860年代に奴隷解放に成功したと言い得る状況を迎えました。
そして、彼女らの次の目標は、参政権の獲得による
女性の地位向上
へと設定されました。
そのキリスト教婦人団体が、ポルノグラフィを激しく攻撃した理由はここにあります。
これまでは、男性によって女性のセクシュアリティが抑圧されてきましたが、女性たちは自らそれを受け入れたのです。
なぜなら、女性が純潔を独占することによって、男女間における女性の道徳的優越を主張することができたから。
つまり、
女性は性的に自由な男性に対して優位に立ち、男女の平等を実現しようとした
というわけです。
この運動は表現は違えど、キリスト教を支持した古代ローマの女性たちに似ていませんか?
女性たちを結婚制度によって保護してくれるキリスト教、そして、女性の地位向上を助けてくれる性規制。
のちに自分たち女性を苦しめたり、縛ったりするものを、女性自身が支持したこと。
私がお伝えしたいこと
私が今日ここでお伝えしたいことは3つあります。
- 弱者が最初に自分たちを保護、救済してくれるものを支持する
- 弱者によって規制が強化されていく
- その規制によって弱者自らの首を締める結果となる
女性解放思想であるフェミニズム運動は、今に始まったことではなく、歴史の中で何度も何度もくり返し起こっています。
私はフェミニズム運動を否定したいわけではありません。
男女平等は当たり前に必要な考えだからです。
しかし、歴史をふり返ってみると、社会の中で女性が地位向上を目指すと、かならず女性にしっぺ返しがくるという皮肉さがあるのです。
そういった背景を知っているからこそ、コスモ・ライフォロジーでは社会の中に女性が地位獲得を目指しても、結果的に上手くいかないのではないだろうかと考えています。
男性優位社会に女性が適応しようとするのは本当に正しいことなのか?
「時代はくり返される」と言うけれど、だったらやめればいいのでは?
新しい方向性を見つけるべきなのでは?
こういった男性社会の中に女性が適応しようとする考えは、コスモ・ライフォロジー的には、真の女性性を知らないがゆえに起こっていると考えています。
真の女性性を知れば、男性社会に女性は適応することが難しいとわかるからです。
だからコスモ・ライフォロジーでは、「性」そしてその性を通して見えてくる真の女性性について探究していこうと思ったんです。
真の女は(男)社会の外にいる。
まだこの言葉の意味がわからなくて大丈夫です。
少しずつわかるように解説していきますので(^^)
ちなみに、「真の女は(男)社会の外にいる」、これを顕現していく運動こそ、本当の意味でのフェミニズム運動だと私は考えています。
次回もお楽しみに♪