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イザナミとイヴは本当に悪者か?

イザナギとイザナミ02コスモ・ライフォロジー
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、神話を通して見えてくる女性嫌悪について、私の思うことを書いてみようと思います。

前回、キリスト教を支持したのは社会的弱者であり、ポルノ規制を強く推し進めたのも女性である、というお話をしました。

今日は、この反復ともいえる歴史について、神話を絡めて、私なりの考えをお話してみたいと思います。

◎前回までのお話はこちら↓

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両性の合意の重視

結婚制度という観点で見ると、キリスト教が普及する前は、女性にとって苦しい時代でした。

家畜同然に扱われ、用がなくなれば捨てられる。

それを厳しく規制したのが、キリスト教です。

キリスト教は、結婚を神の定めた結びつきと唱えることで、また結婚において、男性と女性の両性の合意がもっとも重要な要素であると唱えました。

そのため、キリスト教は社会的弱者である女性たちから支持されるようになっていきました。

しかし、その後はキリスト教下で、また違った苦しさが女性たちを襲います。

さらに19世紀のアメリカでは、女性の社会的地位向上を目指すために、女性によるポルノ規制の強化が行われていきます。

女性の地位向上のための性規制は、後々女性たち自身のセクシャリティをも抑圧することとなります。

半田さんの興味深い見解

こういった歴史的背景を知る前は、私は

natan
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男性優位社会はどこまでいっても女性を排除しようとするんだな。

と怒りを覚えたものです。

しかし、本当は女性たちも後に自分たちの首を絞めるであろう制度に賛同していたことを知り、なんて皮肉なんだろう…と思ったのです。

そんなことを考えているとき、ふと自分の中にある考えが浮かんできてひらめき電球

そうしたら、これまたナイスタイミングでヌーソロジーのメルマガ「アクアフラット」に、半田さんが神話を用いて面白い見解を載せていました。

・イザナギとイザナミの神話

イザナミとイザナギが天の御柱の周りで国産みをしようとしたとき、先にイザナミの方が声をかけてしまったから、ヒルコが生まれたと言うあの下りはみんなもよく知ってるはず。

ヒルコとは骨のないグニャグニャした生き物のことを指して言うのだけど、ヌーソロジーでは、このヒルコを人間のこととして考えるわけだ。

イザナギとイザナミ

・神話における女性性の位置

それにしても、神話というのは、あの旧約の失楽園の話もそうだが、どうして、いつも女性性を悪者のように語る話が多いのだろうか。

ヌーソロジーが示すこのケイブコンパスの仕組みから言うなら、実のところ、イザナミに先に声をかけさせたのは、イザナギじゃねぇーのか?(笑)。

禁断の木の実をイブに食べさせたのも、ひょっとしたら、サタンじゃなくて、アダムが「食べたら?」ってそそのかしたのかもよ。

まぁ、そうやって、人間の意識というのは、常に女性性を悪者に仕立て上げ、男性性優位にことを進めるクセを持っている。

でも、これも致し方ない。

それもこれも、存在の”父”としての天王星が先手で働いた結果として、人間自体が現れてきているものなのだから。

メルマガ~アクアフラット~より
アダムとイヴ

女を誘導したのは男の方という見解。

これ読んだとき、

natan
natan

あー!そうそう!半田さんも同じこと言ってる!!

って面白くなって笑っちゃいました(笑)

私の見解

私の見解としては、これまでの歴史的背景をふり返ると、こういうステップになっているんですよね。

  1. 男性側からの提示・提案がある
  2. それに女性が賛同する

神話はこの①がすっぽり抜けているんですよね。

ここでも半身の喪失がー!!

しかし、くり返される歴史パターンの型を見てみると、まず最初に男性(社会)側から何らかの提示があるわけです。

キリスト教はじめまっせ~。

だったり

ポルノ規制しちゃいまっせ~。

という提示(笑)

それに対して女性側が

何だか私たちを守ってくれそう!

はいはーい!賛成でーす♪

的なノリ(笑)

キリスト教にもありますよね、大事な要素。

男性と女性の両性の合意が必要

ってね。

そう考えると、絶対女性だけが悪者になるのはおかしいのです。

女は男をそそのかしたのではない。

男が「これどうだい?」と言って、女が「うん、OK♡」しただけの話。

ぼくは君を一生守り抜く!

だから結婚してください!

はい、よろこんで♡

その後、捨てられる女の姿はなんと哀れだろうか…(TT)

まとめ

みなさんはこのお話を読んで、どう思いますか?

神話を、歴史に反映される一つの型として考えてみると、いろいろ面白いことが見えてきますね。

キリスト教自体もその型の反映として生まれた一つであると考えると、結婚における「両性の合意」という形は「男:どうだい?」「女:OK」のやり取りの反映としてとらえることができます。

しかし、男性優位でことを進めたいのなら、イザナミやイヴのように、本来は結婚を促すのも女性という形になるはずなのですが、キリスト教は愛を詠っちゃっているので片方を無きものにはできません。

と考えると…、

natan
natan

男性優位の詰めが甘いんじゃないかい?

と思うのは私だけでしょうか?(笑)

つじつま合ってないように感じる…。

natan
natan

ま、いいか(笑)

それでは次回は、また本編に戻りたいと思います(^^)

次回もお楽しみに♪

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