私の宇宙からこんにちは、natanです。
これまで、セックスにおいて女性がどのように変貌を遂げるのかについてお話してきました。
今日はそれらを、ライフォロジー(人生論)として落とし込んでみたいと思います。
◎これまでのお話はこちら↓
男性に対する道教の教え
女性はセックスにおいて大きなオーガズムに達することで、自己喪失やもっとオーガズムを欲するような奔放な姿になることが、神経科学分野の研究によって明らかになりました。
科学的に証明されるはるか以前より、中国の道教では「女性の性的な激しさは男性よりも強いので、そういう生来の不調和を調和させるために、男性の鍛錬が必要」だと考えられていました。
古代から女性のセクシャリティは男性にとって恐怖とされてきましたが、上記のような理由があったということは少し納得のいくところです。
ただ、男社会が大きく勘違いしているのは、女性がそういった状態になるのは、男性の愛あるセックスによってそうなるのであって、男性優位のジャンクセックス、思考型セックスでそうなるわけではないのです。
女性全員がジャンクセックスでそうなるわけではない、という点は抑えておきたいところです。
男性性の役割
では、このセックスにおける女性の奔放さというのを現実的に落とし込んで考えてみます。
女性性の特徴
コスモ・ライフォロジーだけでなく、心理学の分野でも今盛んに言われていることは、
自分の女性性を受け入れましょう
ということ。
自分の女性性とは、内なる私、インナーチャイルドのことです。
もう何度もお話してきているので、耳にタコができてると思いますが…(笑)
この内なる私は幼少期の頃、親から受けた抑圧に悲しんでいるので、自我意識はそれを愛おしいと思って心のケアをはじめます。
ケアをはじめてみるとわかるのですが、この内なる私はものすごく自由奔放だということに気づきます。
抑圧を受けてきた反動によるワガママさだけでなく、もともと子供が持っているような性質そのままに、自由奔放に
あれやりたい!これやりたい!
と言い出します。
女性性の声をどこまで受け入れるか
ここで注意なのが、
どこまでこの声を実行に移すのか。
今ちまたで広がっているスピリチュアル情報の中には、内なる声に耳を傾け、自分が思ったままに行動しましょうみたいな教えがありますよね。
その内なる声に100%従って行動した結果、社会に迷惑をかけてしまったという事態も実際起こっています。
私はこれを誤った「自分軸信仰」と呼んでいるのですが、たしかに自分軸は大切です。
しかし、コスモ・ライフォロジーがお伝えしているように、自己の意識は男性性♂である自我意識と、女性性♀である無意識(内なる私)で構成されていて、そのバランスを取りながら自分の理想を叶えていくのが人生だと考えています。
なのでコスモ・ライフォロジーでは、「二本足の自分軸」という新しい概念を提案させていただいています。
内なる私の声は宇宙の声なんだから、それに従って何が悪いの?
と思われるかもしれませんが、もちろんその声が発せられるのは自然なことです。
しかし、一度内なる私の声を十分反映させた形で物事を実現させた場合、心は快感を覚え、さらにその声は多くを欲するようになるのです。
この状態はセックスにおいて、絶頂を迎えた女性がさらに多くのオーガズムを求めることと同じだと考えます。
さらなるオーガズムを欲する女性と、さらにワガママが強くなる内なる私(女性性)。
オーガズムは快感なので、この状態を100%良いこととして捉えてしまいそうになりますが、私はあえてここで「ちょっとストップ」と言いたいです。
絶頂しつづける女性の例
スローセックスを提唱されていらっしゃるアダム徳永さんの書籍『男は女を知らない 新・スローセックス実践入門』の中に、「触れていないのに絶頂し続ける女性」という話があります。
ある日、スローセックスのプライベート講習を受講した男性から、私の携帯に電話がかかってきました。しかも深夜にです。ただごとではない様子です。
その男性は、彼女とのセックスを終えて、その日はそのまま帰宅したそうです。すると彼女から彼に電話がありました。自宅に戻ったあと突然、性的快感に襲われた。セックスをしているときと同じレベルで、立って歩けないほどの快感がいつまでも続き、収まらない――。
その女性は、自分に起こった予期せぬ現状に、「自分のカラダが変態の体質になってしまった」「これから社会生活が送れない」と恐怖に陥りました。彼氏である男性に救いを求めて電話をし、そして男性が私に「どうしたらいいか」と緊急の電話をしてきた、というわけです。
この他にも、プライベート講習に参加されていた女性モデルの方が、自宅のソファーでリラックスしていた際、何をしているわけでもないのに突然性的快感に襲われた。
プライベート講習を終えた女性モデルの官能が収まらず、カラダを痙攣させながらいつまでも快感に喘ぎつづけている、歩くこともままならないので、その日は近くのホテルでアダム徳永さんが彼女を世話したという事例も掲載されています。
▼ 参考文献 ▼
過剰な性エネルギーの放出が原因だと、アダム徳永さんは考察しています。
女性性の力をコントロールするのが男性性
セックスで絶頂を体験したすべての女性がこうなるとは断言できませんが、女性性の特徴としてこの話をとらえた場合、実際、内なる私の声も底なしのように欲望を欲するときはあると感じます。
だからこそ、道教の教えにもあるように、
欲望を欲するエネルギーが過剰にならないようにコントロールするのが男性性(自我意識)の役目
だと考えます。
コスモ・ライフォロジーが提案している「二本足の自分軸」も、この男性性によるコントロールが欠かせません。
女性性とは内なる私の他に、女性や子供、広く見れば他者存在それ自体が女性性に該当するので、強い欲望は次第に依存へと変わっていくとも考えられます。
他者や子供に親切過ぎると、それは相手を自分に依存させることにもなりかねません。
内なる私と繋がって、宇宙の神秘的な力を手に入れたいという憧れの気持ちはすごく良くわかりますが、自我意識だって宇宙の神秘的な力に変わりありません。
男性性と女性性の両者がバランスを保って一つになることで、真の宇宙の力が発揮されると思うのです。
至福のセックスは、女性(性)を花開かせることだけでなく、そこに潜んでいる危険性も教えてくれていると私は考えています。
だからコスモ・ライフォロジーでは、セックスを宇宙論として捉えて語っているのです。
次回は、またまた男性性について、哲学的な側面からお話してみたいと思います。
次回もお楽しみに♪