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【ろじろじラジオ】第20回放送★エゴは悪者ではない!?エゴの新しい捉え方の提案

エゴアイキャッチ Youtube
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第20回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

ここ最近はスピリチュアル的なネタをお話しています。今回もそれにちなんだお話ですが、スピリチュアルのとある考え方にNOを言いたいと思います。それはエゴに対する考え方です。

既存のエゴの考え方について思うこと

エゴ

エゴの定義はさまざまです。

  • 自己
  • 自我
  • 利己的な言動や行動

一般的には、利己的な言動や行動のことを「エゴ」と捉える方が多いのではないでしょうか?

私も最初はそのようにエゴを捉えていたのですが、自分自身と向き合っていく中で、エゴの捉え方が少しずつ変化していきました。

スピリチュアルの世界では、エゴは良くないものだから、エゴ的なものが自分の中に上がってきたら、それに囚われないように、俯瞰視したり、マインドフルネスのように流したりすることが推奨されているかと思います。私も過去にそれを実践してきました。

たしかに、私もエゴ的な考えはつねに上がってくるので、それについては軽く俯瞰視して、流すことができます。弱めのエゴは簡単にそういうことができます。

でも、私たちが現実問題としてどうにか対処したいエゴは、弱めのものではなく、自分を囚えて離さない強めのエゴのほうですよね。その強いエゴは、俯瞰視や受け流すことはできますか?

私はできませんでした。エゴが強くなればなるほど、私にまとわりついてきて、離れなくなるからです。その束縛は強烈なものです。それぐらい強烈なエゴを、「俯瞰視しましょう」「受け流しましょう」などと、できるはずがありません。

私はいつも、スピリチュアルの教えは間違ってはいないけれども、時々きれいごとばかり説いているときもあると思っています。「できないという事実がある、強烈なエゴからは離れられないという事実がある。それはなぜなんだ?」と、やはりここでも疑問を持って、自分で考えていくしかないんですよね。

だから私は考えました。エゴはそもそもなぜ発生するのか?と。

エゴが生まれた原因

ありのままの自分に戻れない理由

感情

エゴは利己的な言動や行動の意味だけでなく、自我という意味もあると冒頭でお話しました。

私はここに着目しました。定義としては「エゴ=自我」なのかもしれませんが、私としては、「自我意識がエゴという利己的な意識を持ってしまっている」というように、「エゴを所有している」というイメージで思考を進めてみました。

すると、あることが見えてきました。

そもそも自我意識は、世界を認識するために必要不可欠な意識です。そして人間にとって自我意識は、社会に自分を適応させるために必須です。だから自我意識は、他者に認めてもらいたい、誰よりも上でありたい、などの承認欲求を持っていると考えます。

この状態をスピリチュアルだけでなく、心理学でも「もうそのような考えはやめましょう。ありのままの自分に戻りましょう」と言います。私も、たしかにその教えのとおりだとは思っているのですが、でも現実問題として、人間はすんなりとありのままの自分には戻れないのです。

なぜなら、社会に適応するために、何十年もかけて自我意識を育ててきたからです。

社会に適応するために、小さい頃から少しずつ本音を押し殺してきたことによって、自我意識と無意識の距離が開いてしまった。その結果、無意識側に生まれたのが、これまで何度もお話してきたインナーチャイルドだと私は考えています。

これは無意識側のお話ですが、自我意識側でも同じようなことが起こっていると考えます。

二種類の「私」

鏡

自我意識が社会に適応することは何も悪いことではありません。みんなが安心安全に暮らすために、ルールは守らなきゃいけないし、暴力は良くないです。

社会に適応すること、それ自体は何も悪いことではないのですが、私たちはさらにそこから「他者に認められた」「誰よりも上でありたい」という、社会への適応よりさらにその先、社会の上に立ちたい、もしくは勝ち組になりたいという強い欲求を持ってしまうのです。

ここで社会に適応する私と、社会の上に立ちたい私という二種類の私が生まれてしまう。その社会の上に立ちたい私という存在が、エゴだと考えます。つまり、自我意識の中にも分離がある、ということです。

ここまでの話だと、まだエゴは承認欲求が強いとか、良くないイメージの方が強いかもしれません。でも、ここで終わらないのが私の思考。さらに深ぼります。

自分を守るために生まれたエゴ

子ども

なぜそれほどにまで承認欲求が強いのかと自分の記憶をさかのぼっていくと、自我意識が成長を始めた、幼少期の頃までさかのぼることになりました。

もともと主観的な世界の中で、自分だけの世界を生きていた小さな私は、年齢を重ねるごとに、親や周囲から社会のルールを教えてもらうようになります。そのルールの教育は、少しずつ教わるものもあれば、急に怒られることから始まったりもするので、小さい子どもの心を考えたら、それはそれはたいへんな思いをたくさんしたことでしょう。

そして自分の中で、「本当はこうしたいけど、ママがダメだって言うから、ちゃんとしなきゃ。そうしなきゃ、また怒られる」といったように、少しずつ本音を押し殺すことを覚えます。でも、子どもとしては正直、ルールの意味などわかりません。ただ怒られるのが怖い。自分を守るために覚えたルールもたくさんあったと思います。

もちろん、人間として言語を取得して、教育を受けて、この物質世界を認識できるようになるために自我意識はあるわけですが、でもそれだけでなく、やはり半ば強制的に社会に適応しなきゃいけない部分はあったと思います。

だから、そういう意味で言えば、自我意識にとって一番最初の思いは「怒られないようにするため」といったように、「自分を守る」という役割を自我意識は担ったのではないかと私は考えます。

最初は自分を守るためにいろんな社会的ルールを学んでいったわけですが、次第に、本音を押し殺したり、本当の自分を抑圧することが増えてしまった。その結果、無意識側との乖離が激しくなっていったのかもしれないと考えます。その先で、さらに社会の上に立ちたいとする強い思いも持つようになったのかもしれません。

現状の私たちはエゴに振り回されているところがあると思いますが、でも、自我形成の一番最初を振り返ってみると、本当は「自分を守る」という大事な役割を担った果てに生じたもの、それがエゴだと考えます。

エゴに感謝を

感謝

私は上記のことに気づいてから、エゴの俯瞰視や受け流すことをやめました。強いエゴはそもそもそれができないのですが、まずは放っておくということをやめました。

なぜなら、エゴは自分を守るために生まれたものだと思ったからです。それを受け流す、放っておくことはできない。私はちゃんとエゴに向き合いたかった。

私はあることをするようになりました。それは、エゴに感謝の気持ちを伝えるというものです。

エゴが自分の中に上がってきたら、それに一瞬は飲み込まれますが、すぐ一歩後ろに下がって、「私を守るために出てきてくれたんだよね、ありがとう。でもね、私はもう大丈夫だから、心配しないで。ありがとうね」と感謝の言葉を言うのです。

natan
natan

するとね、スッと消えるんです、エゴが。

最初これができたとき、「あー、この方法だったかぁ」と思い、心があたたかくなりました。そう、やはりエゴは自分を守るために出てきてくれてる。それは感謝以外の何ものでもありません。

これができるようになるためには、まずは自分の心の問題を解決することが必須なので、エゴへの対処は少し難易度が高いかもしれません。でも、エゴの捉え方を「利己的」「わがまま」とするのではなくて、「自分を守るために出現している」という考え方に変えるだけで、だいぶ気持ちは穏やかになるかなと思います。

今回の場合も哲学思考同様に、「できない」という事実がある、それはなぜなんだ?と思考を働かせていった結果、見出したものになります。ですから、「できない」という事実は、じつはいろんなことを教えてくれる素晴らしい体験だと感じています。

最後に

サッカー

我が家はサッカー観戦をよくするのですが、スポーツ界にとってエゴは大切です。サッカーでいえばフォワード、点を取りに行く人はエゴがないとダメなのです。日本人はそのエゴが弱いため、なかなか強気に点を取りにいけないと言われています。

元日本代表の大久保嘉人(おおくぼよしと)さんは、エゴばりばりのフォワードです。ピッチに立つと荒くなってしまうことで有名な大久保さんですが、でもサッカーにはあのような人が必須です。

大久保嘉人さん

この場合のエゴも、「利己的」「わがまま」で終わらせるのではなくて、点を取るために強い気持ちを持って前に進む、自分の利己的な思いをチームに還元する、そういった意味合いでエゴを捉えてみると、また違ったエゴの側面を感じ取れると思います。

というわけで、エゴもぜひ多面的に捉えて、エゴは自分を守るために出現してくると捉えてみてください。

このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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