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【ろじろじラジオ】第30回放送★日本人と西洋人の自我の違い~ユング心理学~

日本人の自我アイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第30回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

今日は、日本人の自我についてお話したいと思います。

自我とは

ユング心理学を日本にもたらしてくださった河合隼雄先生は、日本人の自我は西洋のそれとは違うため、西洋の自我確立法をそのまま日本人に適用できないということに気づきました。

この件について触れる前に、まず「自我」について説明します。

人間は、生まれたときにはまだ「私」という意識を持っていません。赤ちゃんはお母さんの胸に抱かれ、自と他、外界と内界の区別さえ明確にできない状態で存在しています。それが内界からの空腹・排便などによる刺激、外界からの母乳などによる刺激を通じて、赤ちゃんは意識を持ち始めます。

赤ちゃん

このようにして育ってきた赤ちゃんは、しだいにお母さんとそれ以外の人、食べられるものと食べられないものなどを区別することを覚えていきます。そのような区別が「自と他の区別」をすることに至って、はっきりと自我というものがその萌芽を現してきます。

他と区別される自分、とくにお母さんとの一体性から分離された自分を明らかにするために、子どもは第一反抗期という期間を経ます。子どもは自己主張をすることによって、自分は母親と異なる意志を有することを明らかにします。

和傘

自我は自分の主張を通す一方では、その文化や社会において伝えられている規範を身につけることを学び、このことがひと通りできると、自我はある程度の安定性をもちます。さらに、その人を取り巻く文化や社会に継承されている事柄を吸収し、自らを豊かにすることに努力を重ねていきます。

しかし、自我の成長はそこで止まりません。青年期になると、自我は今まで自分の受けいれてきた規範を根底から疑ってみて、もう一度、自分の内界から湧き上がってくる傾向によって、その自我を再構築しようとします。それは今までのように、他から与えられたものを無批判に受け取るのではなく、自分自身の欲求やあり方と照合し、自らのものとして新たに受けとめ直したものです。

以上が自我成長の過程についてのお話です。自我そのものはあくまで完結していない、つねに変化の可能性をもった存在です。

自己(セルフ)と自我

自己(セルフ)とは

他者を鏡にして、そこから受動的にあらゆるものを受け取って成長してきた自我が、今度は自分の無意識から湧き上がってくるものを通して、自我の再構築を図ります。これを可能にしているものとして、人間の心の全体性、そして心の中心として「自己(セルフ)」が存在します。

セルフは古い自我の不完全性を克服させ、より高い統合性をもった新しい自我に変化させようと働きます。自我はこのセルフを目標に、自身を変化させ、努力していくことが人生の目的だと言われています。

西洋人と日本人の自我の違い

そして、ようやく今日の本題に入ります。西洋人の自我と日本人の自我には違いがあります。

下図をご覧ください。円は意識と無意識の全体性であり心です。無意識の中心にセルフが存在します。

日本人と西洋人の自我の違い

図を見ておわかりのように、西洋人の場合、意識の中心に自我が存在し、それによって統合性を持ち、さらにその底にセルフとの繋がりをもちます。

これに対して日本人の方は、意識と無意識の境界も定かではなく、意識の構造も、むしろ無意識内に存在するセルフを中心として形成されます。日本人の自我は西洋人から見れば、存在しているかどうか不明と感じられるようです。その理由をこの図で言えば、日本人の自我は西洋人に比べてはるかに他人に対して開かれているからです。

一つの方向を共有する日本人の自我

仕事

河合先生がある外国人の方の話を例にあげています。その方は日本人と交渉をするとき、その個人の判断が不明なことと、責任の所在がわからないことに苦労すると話したそうです。日本人はなかなか明確な判断をせず、「最後は上司と相談して……」と答え、その上司のところに交渉に行くと、「部下と相談して……」と答えるので、ますますわからなくなるというのです。

この点について、日本人は「他人志向型」と揶揄されてしまうのですが、河合先生はそうではないとおっしゃいます。

日本人の自我は西洋人に比べてはるかに他人に対して開かれていて、上司と部下が相談するといっても、ときにそれは以心伝心のうちに、言語を用いず同意に達することもある。それはつまり、ひとつの自立した自我と、他の自立した自我が言語的に交信し、一方が他方の志向に従うというパターンではなく、日本人の場合は両者がひとつの方向を共有するのだとのこと。

つまりこれは、日本人は相談して物事を決めようとする場合、自と他それぞれが50%くらいの自我を通して、以心伝心によって自と他二人で一つの自我として答えを出す、といったようなイメージかもしれません。日本人が空気を読んだり、集団行動に長けているのは、このような理由があるからかもしれません。

これを可能にしているのがセルフであり、このセルフが中心となって日本人の自我が存在しているようです。

セルフに従属しがちな日本人自我

以心伝心ができると聞くと良いイメージに感じますが、日本人はそのセルフをしばしば外界に投影し、それに対して自分はまったく卑小と感じたり、絶対服従することになったりします。それはたとえば、セルフは天皇や君主、家長などに投影され、そのためには自分の命を捨てることさえ当然と思えるようになるということです。

セルフの偉大さに比べて、単純に自我否定を行うので、その傾向がただちに命の否定へと拡大されてしまう危険性が高くなります。その究極の例が、第二次世界大戦における神風特攻隊です。

そこまでいかなくても、だいたいは「◯◯のために」という形を取りつつ、自分がその中で生きていく方策を講じています。会社のために、家のために、と言いつつ、その中で自分の利益も考えていきます。だから、「自分のために」ということを全面に出すことは嫌われるのです。個人主義は日本人にとって利己主義と感じられるからです。

ここ最近の日本人は、かつてほど「◯◯のために」という意識は強くないと感じます。しかし、日本人女性にとってはまだまだその意識は強いように思います。経済的に自立しにくいという点が大きく関係しているように思います。

本音と建前

そして、日本人にとってセルフの投影を受けた者からの命令は絶対性をもつことが要求されます。そのため、日本人は本音と建前の使い分けが上手になったようです。

建前はセルフの絶対性と結びつくため、ときどき極端に走る傾向があり、反対を許さないという点でつねに満場一致を要求します。しかし、現実に返ったときは、自我機能が働き、本音を入れ込んで行動します。これによって建前の行動は概して健康なものに引き戻されます。

大きく左右に振られる幅の中で中心を定めていく。この芸当は日本人ならではですね。

日本人の自我確立方法とは

チーム

ここで西洋人の自我のお話を少しすると、西洋人は自我が強固に確立し、責任の所在もはっきりさせるわけですが、あまりにも確立された自我によって無意識との関係性が絶たれてしまっているようです。だから全体性の回帰として、スピリチュアル界では「ワンネス」を求める声が強くあるのかもしれません。

それとは逆に、日本人の意識において、それはつねにワンネス状態なので、どうやってそこから自立するかが課題だと考えます。私の実感として、日本人の集合的無意識が動き出すと、ものすごい意識の嵐が巻き起こります。そして、一人ひとりの意識はそれに同化してしまいます。

ですから、日本人の自我確立というのは、無意識から自分自身を切り離すことではなく、日本人全体の無意識的な動きをしっかり知覚しつつ、そこに同化しないようにグッと踏ん張りながら耐え、冷静に物事を判断して行動していけるような自我を育てることだと私は考えます。

これまでお話してきたように、日本人はセルフの影響がものすごく強いです。しかし、先程お話したように、一人ひとりが全体を感じつつも冷静に物事を判断できる自我を育てることによって、セルフのあり方も変わってくる可能性は十分にあると考えます。

そのためにも、まずは自分の行動が無意識的に生じていないか、自分の考えは本当に自分の考えなのか、ということを敏感にキャッチできるようにならないといけないと考えます。それはつまり無意識に対する感受性を上げていくということです。このことも、自分の無意識を知っていくために必要な能力だと考えます。まずはじっくり自己観察から始めてみてくださいね。

このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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