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古事記☆新解釈【1】天地初発~原初の神々が別天つ神と称される理由を構造の面から考えてみた~

古事記☆新解釈「天地初発」アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

今日から、『古事記』解説を始めていきたいと思います。

『古事記』は原文から触れていくことが大切なので、当チャンネルでは、原文、読み下し文、現代語訳の三つに触れながら、それに対する私なりの解釈をお話していくという流れで進めていきたいと思います。

原文/読み下し文/現代語訳

天の御中主神/高御産巣日神/神産巣日神

古事記「天地初発01」(原文/読み下し文/現代語訳)

天地初發之時 於高天原成神名 天之御中主神[訓高下天云阿麻 下效此]
次高御産巣日神 次神産巣日神
此三柱神者 並獨神成坐而 隠身也

天地あめつち初めてひらけし時、高天原たかあまはらに成れる神の名は、あめ御中主神みなかぬしのかみ[高の下の天のよみは「あま」とふ。下はこれにならふ]
次に高御産巣日神たかみむすひのかみ。次に神産巣日神かみむすひのかみ
この三柱の神は、みな獨神ひとりがみと成りまして、身を隠したまひき。

天と地が初めて発生した時、高天原に出現した神の名は、天の御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。
この三柱の神は、いずれも単独の神として出現し、身をお隠しになった。

宇摩志阿斯訶備比古遅神/天の常立神

古事記「天地初発02」(原文/読み下し文/現代語訳)

次國稚如浮脂而 久羅下那州多陀用弊流之時[流字以上十字以音]
如葦牙因萌騰之物而成神名 宇摩志阿斯訶備比古遅[此神名以音]
次天之常立神[訓常云登許 訓立云多知]
此二柱神亦 獨神成坐而 隠身也
上件五柱神者 別天神

次に國稚くにわかく浮きし脂のごとくして、くらげなすただよへる[流の字より上の十字はこえもちいる]葦牙あしかびの如くあがる物によりて成れる神の名は、うましあしかびひこぢ[ この神の名は音を以いる ]。次にあめ常立神とこたちのかみ[常の訓は「とこ」、立の訓は「たち」]。この二柱の神もまた、獨神と成りまして、身を隠したまひき。
かみくだり五柱いつはしらの神は、別天ことあまつ神。

次に国がまだ若く脂のように浮いて、クラゲのように漂っているとき、葦の芽のように燃え上がるものによって出現した神の名は、宇摩志うまし阿斯訶備比古あしかびひこ遅神ぢのかみ。次に天の常立神。この二柱の神も独り神として出現し、身をお隠しになった。以上の五柱の神は特別な天つ神である。

『古事記』の訓み方について

今日は『古事記』解説初回なので、最初に『古事記』の読み方について説明してから、その後解説に入りたいと思います。

神の数え方は「柱」

まず、神様は人ではないので、何人とは数えません。「柱」と数えます。このシーンでは、五柱の神様が出現しました。

返り点について

次に、『古事記』の文章について。『古事記』は、日本語と漢文の両方が混ざったもので構成されています。漢文の返り点がないと意味を誤ってしまうところもあるので、当チャンネルではしっかりと返り点を表記していきます。また、返り点がないところは、日本語のように読めばOKです。

レ点

古事記の訓み方(返り点について)

返り点は、とりあえず、二種類覚えておけばOKです。一つはレ点。このシーンでは、「みな獨神と成りまして、身を隠したまひき」の「身を隠し」のところにレ点があります。

レ点は、「レ」のすぐ下の字を先に読んでから上の字を読む、ということを表した符号です。ですから、この場合は下の「身」を読んでから上の「隠し」を読みます。

一二点

もう一つの返り点は、一二点。一と二の漢数字が書かれていますが、これもレ点と似ていて、「一」の上にある字を読んでから「二」の上にある字を読む、ということを表した符号です。

このシーンでは、「次に國稚く浮きし脂の如くして……」の部分などにあります。一二点が使われるときは、レ点のときとは違って、二文字以上が返るときに用いられます。ですから、この場合はひとまとめに「浮きし脂」と二文字読んでから、その上にある「如く」を読みます。

返り点について説明している、とても分かりやすい動画がありました。ご興味ある方は、ぜひ見てみてください。

注釈について

特殊な訓読み

古事記の訓み方(特殊な訓読みについて)

さて、続いての『古事記』の読み方は、注釈について。『古事記』には、二種類の注釈が書かれています。一つは、特殊な訓読みがある場合です。このシーンでは、高天原の「天」の訓みについて注釈があります。

日本の古文では通常、天は「あめ」と訓みます。正確には「あめの……」と「~の」が付きます。しかし、『古事記』において、高天原だけは「あめ」と訓まず「あま」と訓む、という注釈があります。「高の下の天の訓は「あま」と云ふ。下はこれに効ふ」と書かれています。

日本神話の解説の中で、ときおり高天原を「たかまがはら」と呼ぶのを耳にすることがあるのですが、『古事記』においては「たかあまはら」と訓むのが正しい訓み方です。私もこのシリーズでは、しっかりと「たかあまはら」と読んでいきたいと思います。

たぶん、「あま」と訓ませるのには、深い理由があるのだと思います。天を「あめ」と訓むと、天空の世界だけを指すことになりますが、それを「あま」と訓むことで、海原や大地も含めた言葉になると感じます。高天原は世界全てを治める領域だからこそ、「あま」と訓むのかもしれません。

今回のシーンでは、その他に、天の常立神の訓み方が、「常の訓は「とこ」、立の訓は「たち」」だと注釈があります。そのため、「とこたち」と訓むようにします。

このように、『古事記』では特殊な訓読みに注釈がされているのですが、訓読みそれ自体も漢字で書かれています。『古事記』や『日本書紀』が編纂された時代には、まだ平仮名が誕生していないからです。その漢字表記の訓読みをまずはどう訓むのか、という問題もあるのですが、そこはやはり『古事記』解説書などを参考にして、一つずつ知っていくしかないですね。

音(こえ)をもって訓む

古事記の訓み方(声をもって訓むについて)

さて、特殊な訓読み以外の、もう一つの注釈についてもお話しましょう。それは、「こえを以て訓む」という注釈です。「音」と書いて「こえ」と訓みます。

これは、漢字よりも音の方に意味がある、ということを伝えています。今回のシーンでは、「くらげなすただよへる」や「うましあしかびひこぢ」の部分です。「流の字より上の十字は音を以いる」とか「この神の名は音を以いる」とあるので、漢字よりも、読んだときの音から受ける印象の方を注視するようにします。

私が感じたところでは、音をもって訓む部分には、いろんな意味が込められているように感じます。また、韻を踏むために用いられたり、動きや感情を表すために用いられたりもしているようなので、読んだときの音を自分がどう捉えるか、ということも大事なポイントになってくると思います。

ですが、音を聞いても意味がわからないときは、どのような漢字がそこに使われているかを見て、その名前の意味を考えていくようにします。「絶対に音だけを注視しましょう」ということではないので、臨機応変に対応すればOKです。

当チャンネルではその部分を、赤字で表記し、読み下し文では平仮名表記していきたいと思っています。

解説

宇宙のはじまりについて

さて、いよいよ、ここから解説に入りたいと思います。まずは、宇宙がどのようにして始まったのかについて。

天地開闢、宇宙の誕生に関して、世界各地にある神話は、それぞれ異なった解釈を持っています。

たとえば、宇宙は卵から誕生したという宇宙卵説や、まずは原初の混沌があって、そこからあらゆるものが生まれたとする説や、すでに何かしらの神がいて、その神が宇宙を創造したのだという説など、いろいろあります。

古事記「天地初発」(原文/読み下し文/現代語訳)

『古事記』はどうかというと、最初の文には「天地初めて發けし時」と書かれています。「發けし」の漢字は「発」の難しい漢字ですが、意味は、「ひらく」「たつ」「はなつ」などです。

そこから感じ取れる印象として、卵のようなものがパカっと開いて宇宙が誕生したという感じがありますし、どこからか急に宇宙が発生したような印象も受けます。また、「はなつ」ということで、宇宙がどこからか放たれたという解釈も面白いかもしれないなと思っています。

卵も母鳥から産み落とされて卵になっているわけで、人間の赤ちゃんもお母さんの子宮から放たれた結果、産声を上げるので、私個人としては、「宇宙が放たれた」と考えてみても面白いかもしれないなと思っています。

そういったいろんな意味を込めて、『古事記』では「天地初めて發けし時」という表現になっているのかもしれません。ここは自由に考えてOKだと思います。

神々の整理

独り神について(私見)

古事記解説「別天つ神一覧」

さて、続いては、このシーンで登場する天つ神を整理していきましょう。

原初の神々が生まれたシーンを整理すると、天の御中主神、高御産巣日神と神産巣日神の三柱が第一グループ、次に宇摩志阿斯訶備比古遅神と天の常立神の二柱が第二グループ、という括りになっていると考えられます。どの神も、独り神だと言われています。

この独り神とは、後に出現するイザナキとイザナミのように性別がないという意味で、単独の神だと言われています。

ですが、私としては、まず、性別という表現ではなく、男性原理の力と女性原理の力と表現した方がいいかなと思っています。また独り神は、それら力の区別がないのではなく、両方を含み持った両性具有的な存在だと考えます。そうでないと、今後男女神を誕生させることができないと思ったからです。

構造化による神々の整理

さて、神々の整理に話を戻すと、前回、人類学者レヴィ=ストロースの教えとして、「神話は横だけではなく、縦にも読まなければいけない」ということをお伝えしました。神話の縦読みとは、構造化させて読むということです。ですから、私も早速、神々を構造化させてみました。

古事記解説「構造で見た場合の別天つ神」

私は、第一グループは三位一体構造を持っていると考えています。なぜなら、この第一グループは「造化三神」と呼ばれているからです。すべての創造の土台となる重要な神々だからです。

そして、次の第二グループの二柱は、それぞれで存在している感じです。ここから、この構造をとおして神々の役割を考えていきたいと思います。

天の御中主神について

まず、一番最初に出現した天の御中主神はどういった神様なのかというと、私の考えは、あらゆるものを創造するためのエネルギーの源泉のような存在だと考えています。

後に『古事記』内で、「津」という言葉がたくさん出てくるのですが、この「津」のベースを担っているのが天の御中主神かなと思っています。源泉です。

高御産巣日神と神産巣日神

次に、高御産巣日神と神産巣日神は、その名前に「産」や「巣」と言った漢字が使われているので、天の御中主神から流れ出てきたいろんなものを産み育てる、といった役割を持つ神々なのかなと考えています。

ちなみに、後のストーリーでは、高御産巣日神は天照大御神あまてらすおほみかみとともに登場し、また、神産巣日神は大国主神おほくにぬしのかみが活躍する場面で登場します。不思議なことに、高御産巣日神と神産巣日神は、同じ場面で一緒に描かれることはありません。

natan
natan

「この二柱は仲が悪いから一緒に登場しないのだ」ということではなく(笑)

たぶん、この二柱は陰と陽みたいな関係になっているのだと思います。どちらかが前に出てくると、片方は後ろに引っ込んでしまう、だから一緒に描くことができないのだと思われます。

宇摩志阿斯訶備比古遅神と天の常立神

さて、続いては第二グループを見ていきましょう。

宇摩志阿斯訶備比古遅神は、漢字よりも音に意味を持つ神様です。一般的に「うまし」は「美しい」と訳されますが、私はそれ以外に、「美味しい」「旨い」という感動の声としての「うまし」と読んでみてもいいかもしれないなと思っています。

その理由は、この神が持つ「かび」という音から、微生物のカビが感じ取れるからです。それを醤油や味噌などの発酵食品を作り出すカビとして捉えてみると、食国おすくにを統治するツクヨミ登場の布石にもなるからです。

それ以外では、この神には比古という言葉が入っています。この比古は「日の子ども」という意味の「日子」と同じ音です。宇摩志阿斯訶備比古遅神が日の子どもだとすると、日の親は、当然、高御産巣日神や神産巣日神になります。

ここから第一グループと第二グループに親子のような関係が見て取れるのですが、でも、たぶん、この段階で『古事記』は、親子関係に関することは語っていないと思われます。なぜなら、直接的な親子表現は、イザナキとイザナミの島生みから始まるからです。ですから、このシーンは親子関係ではなく、思考の抽象度を上げて、「親子関係に象徴されるものは何か」を考えた方がいいかなと思います。

親子関係に象徴されるもの

神産巣日神の影響を受ける

DNA

親子関係に象徴されるものを考えたとき、最初に思いつくのは、子は親の要素を遺伝として受け継ぐということ。ということは、宇摩志阿斯訶備比古遅神と天の常立神は、それぞれ造化三神を継承している可能性があると言えます。

また、宇摩志阿斯訶備比古遅神の名前にある「遅」の漢字から、私は神産巣日神との関連性を感じ取りました。

その理由は、後に出てくる大国主神を例に挙げると、オオクニヌシの幼名は「おほ牟遅むぢのかみ」と言って、その名前には宇摩志阿斯訶備比古遅神と同じ「遅」の漢字が用いられていて、オオクニヌシが兄弟の八十神やそがみから迫害を受けて死んでしまったとき、神産巣日神が彼を生き返らせるからです。

神産巣日神には別名があり、それは神産巣日御祖みおやのみことと言います。この「御祖みおや」は母神を意味するもので、幼いオオクニヌシを救う場面から、神産巣日神の温かい母親像が感じられます。

この神産巣日神と比古、息子に関連することとして、母親や女性関係でいろいろ問題を起こす男神は、精神的に母親との繋がりが強いという側面があります。スサノヲも母であるイザナミが恋しいと泣くし、最後は自ら母を追って根の国に行きます。だから、スサノヲも母親との繋がりを強く持った神だと言えます。

こういったことから、宇摩志阿斯訶備比古遅神は造化三神を継承してはいるけれど、その中でも神産巣日神の影響が強く及ぶ特徴を持っているかもしれないなと私は考えました。

高御産巣日神の影響を受ける

剣

この考えを元に、天の常立神についても考えてみると、天の常立神はその名前が「常に立っている」となっています。常に立っていることを考えたとき、私の頭の中に浮かんできたのは高御産巣日神。

高御産巣日神にも別名があり、それは「高木たかぎのかみ」と言います。高木神からは木の要素が感じられますが、木は常に立っているので、天の常立神と似ています。また、高御産巣日神は後に天照大御神と一緒に登場するのですが、そのアマテラスに弟のスサノヲは草薙の剣を献上します。そして、アマテラスの父であるイザナキも、十拳剣を用いていろんな場面を切り開いていきます。

剣は刀、それは「たち」とも訓むことから、「たち」という音を持った天の常立神に高御産巣日神との強い繋がりを感じました。

以上のことから、五柱を構造で整理した結果、造化三神は三位一体構造を持っていて、それが第二グループの神々に継承され、そして、第二グループの神々は、高御産巣日神もしくは神産巣日神、どちらかの影響が強く出ているのではないだろうか、というのが私の考えです。

技術や智恵、賢さと強さの継承

古事記解説「構造で見た場合の別天つ神」

その他、第二グループの神々について感じたことは、宇摩志阿斯訶備比古遅神から「美味しい」や「カビ」といった、食べ物に関するものを。また、カビは薬にもなるので、そこから医療に関するものも感じ取りました。一方、天の常立神からは、刀のタチから、断ち切る、細かくする、突き抜ける、固定するなど、道具や物の印象を感じ取りました。

それらもまた象徴として捉え、思考の抽象度を上げて考えてみると、宇摩志阿斯訶備比古遅神から感じ取れるのは技術や智恵。そして、天の常立神には太刀が持つ印象から、賢さや強さといったものが感じられました。

だから、この神々が天つ神の中でも特別な神、こと天つ神だと言われている理由は、すべての創造の土台となる造化三神と、技術や智恵、そして賢さや強さを持つ第二グループの神々が、宇宙創造に絶対的に欠かせない存在だからなのかなと思いました。これらが後世の神々にも継承されていくのだと思われます。

この天つ神は、出現してすぐ「お隠れになった」と言われているわけですが、そう言われる理由は、物語の基本的な要素だからなのかもしれません。宇宙創造に欠かせない基本要素は、物語の裏側の見えないところでつねに作用していくものなので、だから「お隠れになった」という表現になっているのかなと思いました。

その他の解説

さて、ここからは最後のお話として、この天つ神を別の角度から、また違った形でお話してみたいと思います。

宇摩志阿斯訶備比古遅神たちの出現シーンを見てみると、そのはじまりは「次に國稚く浮きし脂の如くして、くらげなすただよへる時……」となっています。たぶんですけど、たぶん、この脂のように浮いているもの、それ自体が天の御中主神、もしくは造化三神なのかなと私は思うんです。なぜなら、現時点で、世界に出現したのは造化三神しかいないからです。

浮いている脂は、次元を用いて例えてみると、それは二次元になります。そこから「葦牙の如く萌え騰る物によりて」成ったのが第二グループの神々。「萌え騰る物」というのは、芽生えて、沸騰するときのように沸き立ったということなので、造化三神から勢いよくブワッと芽吹いた感じだと思われます。この神はそれぞれ独り神なので、二本ほどブワッと芽吹いた感じかもしれません。

古事記解説「葦牙の如く萌え騰る物によりて」

ブワッと上方向に芽吹いたとすると、それは今度は三次元の方向になります。そのように考えてみると、三次元は二次元の連続体なので、第二グループの神々は造化三神がより強力になったもの、と言えるかもしれません。

ここで「葦牙」という表現についても考えてみたいんですが、一般的に「葦牙」は、葦の芽ような生命力の強さを象徴していると言われています。

それ以外の私の考えでは、「かび」と訓んでいる漢字は、普通に訓めば「きば」です。牙は大抵二本あります。でも、それが萌え騰っているとするならば、上を向いているということになるので、今度は角になります。二本ブワッと芽吹いた感じと似ていますね。

牙と角(どちらでもいいと思います。そこから感じ取れるものの方が大事なので)、そこから感じ取れるのは、葦とは別種の力強さ、動物の雄に見られるような威厳ですね。また、牙を「かび」と訓むところからは、微生物のカビのように領土を広げていく力強さも感じられるなと思いました。だから、第二グループの出現によって、より造化三神がパワーアップしたのではないだろうかと私は考えています。

最後に

というわけで、今回の解説はここまでとさせていただきます。今回のシーンは、抽象度の高い神様たちの話なので、あまり深く考えず、「物語の基本構造か」くらいに思っておけばよいと思います。

そう偉そうに言っている私ですが、じつは、この解説の原稿内容すべてを、四~五回全部書き直しているんですよ。抽象度が高すぎるがゆえに、いろんなことが語れてしまって、そのせいで話が余計難しくなってしまい、沼にはまりました。

だから、内容を省いて、省いて、重要なところだけを残そうと思い、その結果、「この内容でとりあえずいくか」と腹をくくりました。そのため、説明不足なところが多々あったとは思いますが、それを今後の解説の中で補っていけたらいいなと思っています。天地初発から『古事記』解説の難しさを痛感しました……。

natan
natan

でも、私は頑張りますよ!

ということで、今日は初回の解説だったので、『古事記』の読み方についてもお話させていただきました。せっかくなので、みなさんも声を出してこのシーンを読んでみてください。そうすることで、また違った『古事記』が味わえるかもしれません。ぜひやってみてください。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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