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【ろじろじラジオ】『古事記』は◯◯読みすべし!『古事記』の読み方とその特徴について

古事記2アイキャッチ新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

話のポイント三つ

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

今日は、『古事記』を読み解いていく上で知っておきたい、『古事記』の読み方や『古事記』の特徴についてお話したいと思います。また、お話の最後に、私にとって『古事記』はどういう存在かについてもお話したいと思います。

今日お話するポイントは大きく分けて三つあります。一つ目のポイントは、さらに三つの詳細に分けてお話していきたいと思います。

ポイント①『古事記』の読み方
  • 『古事記』は〇〇読みすべしPart.1
  • 『古事記』は〇〇遊びをしている
  • 『古事記』は〇〇を描くように展開している
ポイント②『古事記』の読み方
  • 『古事記』は〇〇読みすべしPart.2
ポイント③『古事記』の特徴
  • 『古事記』は〇〇構造を持っている

大事な部分は「〇〇」で隠しています。一つずつ開けていきますので、最後まで聞いていただけると嬉しいです。

ポイント①『古事記』の読み方

『古事記』は◯◯読みすべしPart.1

一つ目の詳細「1.『古事記』は〇〇読みすべしPart.1」の「〇〇」に入る言葉は、ずばり「縦読み」です。「『古事記』は縦読みすべし」になります。これは人類学者レヴィ=ストロースの教えです。レヴィ=ストロースは、「神話は横に読むだけでなく、縦にも読まなければいけない」と話します。

「縦読みってどういう意味?」と思われるかもしれませんが、まず横読みというのは、通常どおりの読み方のことです。そのまま時系列どおりに読むということですね。

そして縦読みの方は、「構造で読む」ということと、「時間を超越して読む」という、二つの特徴があると私は考えています。

構造で読む

構造で読むとは、神話が何らかの構造の通りに展開しているということ。だから、神話のストーリーが何らかのパターンの繰り返しになっているので、そのパターンに気づければ、神話が言わんとすることがわかるよ、ということです。

時間を超越して読む

通常の横読みは、ストーリーを時系列に読みすすめるので、物語が進むにつれて過去の話は消え去っていきます。ですが、縦読みは「縦」と字では表記していますが、実際はすべてのシーンが重なり合って存在しているということを含んだ言葉でもあります。

でも、すべてのシーンが重なり合っている状態では、その内容を文字に落とし込むことはできません。だから『古事記』は、仕方なく、文字に落とし込むために、重なり合ったものをびよーんと伸ばして、個々のシーンに分けているんですね。

バネのおもちゃの「スプリング」みたいに、重なり合っているバネをビヨーンと伸ばした状態にして、それを文字に置き換えたのが『古事記』だというイメージですね。

スプリング

びよーんと伸ばして個々のシーンに分けて記述はしているけれど、本当はすべてのシーンは重なりあったり、関係し合ったりしている。すべてが連関する中で、過去も未来も同時に息づいている。それが時間を超越しているということです。そのことを理解して読んでいくのが「縦読み」なんです。

ですから、『古事記』を縦読みをするとき、今読んでいるシーンの主人公である神様の背後に、前の世代の神様が透けて見えたりします。だから、縦読みをさらに別の言い方をすると、「すべてのシーンを透かして読んでいくこと」だとも言えます。

縦読みは、『古事記』を読み解いていくための重要なスキルになります。最初は慣れないと思います。

すべてのシーンを透かして読むとき、「あ、今のこのシーンは過去のあのシーンに関係している」とか、「あ、これは過去の話なのに、未来のあのことを指している」とか。さらには、「過去と未来が今同時進行している」といったように、あっちにもこっちにも意識を張り巡らせ、複数のシーンを同時進行させながら読まなくてはいけないので、頭の中はつねにジェットコースターに乗っているような感じになるかもしれません。乗り物酔いはしませんが、頭は混乱するかもしれません。

natan
natan

今後私がお話していく『古事記』解説も、ジェットコースターのように進んでいくので、覚悟しておいてくださいね(笑)

ということで、ポイント①の一番目、「1.『古事記』は縦読みすべし」は、「構造で読む」と「時間を超越する」ということです。

『古事記』は◯◯遊びをしている

ラッパー

さて続いての項目、「2.『古事記』は〇〇遊びをしている」について。ここに入るものは、ずばり「言葉」です。「『古事記』は言葉遊びをしている」になります。

「言葉遊び」と言いましたが、言葉遊びをしているようでいて、実は韻を踏んでいます。前回お話しましたが、『古事記』は神楽や歌舞などの芸能的なものをベースにしている「語り」の書物です。だから、韻を踏むんですね。

たとえば、こんな感じ。「伊邪那岐命いざなきのみこと、黒みかずらを取りて投げつると、すなわ蒲子えびかずらのみなりき」。髪飾りである黒いかづらと、山ぶどうであるえびかずらの部分で韻を踏んでいるんです。

また、そのようにただリズムとして韻を踏んでいるだけでなく、この韻を踏む箇所が神話を縦読みしたとき、今現在進行しているシーンが、過去や未来のどのシーンに関連しているかを知るための指標にもなります。

つまり、韻を踏んでいる部分は、じつは読者に対して「あのシーンに飛べ」とワープを指示しているということです。だから、『古事記』を読み解く際には、「この韻を踏む感じ、この音に聞き覚えがあるな」といった感じで読みすすめていくことをおすすめします。そうすると縦読みがしやすくなります。

『古事記』は、言葉遊びや韻を踏むことによって、ストーリー全体がリズミカルで躍動感あるものになっています。そのため、『古事記』に出てくる言葉を一字一句正確に考察したりしないほうが良いと思います。『古事記』は言葉の正確性よりも、音やリズム、全体の連関性の方を重視している作りになっているので、言葉を真面目に捉え過ぎると、逆に解釈を誤ってしまいます。

ですから、音やリズムを楽しみながら読みすすめていった方が良いです。読む側も「言葉で遊ぶ」といった気持ちを持つことが大切です。

『古事記』は〇〇を描くように展開している

絵を描く

さて、「3.『古事記』は〇〇を描くように展開している」について。ここに入る言葉は「絵画」です。「『古事記』は絵画を描くように展開している」になります。

『古事記』にはたくさんの神々が登場しますが、その神々のほとんどは、最初に名前だけ出てきて、あとはまったく出てこないという神様が多いです。「それなら『古事記』内で紹介しなくてもいいじゃないか」と思ってしまいますよね。

とくに、イザナキとイザナミの島生み、そしてイザナミがカグヅチを生んで死に至り、黄泉の国ですったもんだあった後の、イザナキの禊で生まれる神々のシーンは、「なんじゃこりゃ~」と思うくらい、神様の大渋滞が起こっています。多くの人に神話が毛嫌いされる原因は、この意味不明な神の多さにあるのかもしれません。

ちょっとお話がズレるかもしれませんが、私は『古事記』解読をするために、原文、読み下し文、現代語訳の三種類すべてをノートに書き写して、自分なりに訳しながら解読作業を進めてきたんですね。『古事記』って、じつは原文に触れないと、その本質が理解できないんですよ。現代語訳だけに触れても駄目なんです。現代語訳がそもそも間違っていることもあるからです。

natan
natan

原文が大事なんです。

原文から書写するという、その地道な作業の中で気づいたんですが、『古事記』は文字で記されていますが、『古事記』内のストーリーは、何らかの絵画を描くように展開していると感じたんです。

少しだけ絵画のお話に触れると、絵画の技法に「グレーズ」や「スカンブル」というものがあるそうで、「グレーズ」は、薄く透明度の高い絵の具を塗り重ねていく技法です。一方、「スカンブル」もグレーズによく似ている技法ですが、グレーズよりも透明度の低い、半透明の絵の具を塗り重ねていく技法です。どちらも絵に深みを出す効果があるそうです。

これら絵画の技法のように、『古事記』もいろんな神様が、まずはまっさらなキャンパスの上に背景としてバババーっと塗られて、その上を後世の神々、そしてその神々が巻き起こす出来事が、新たな絵の具として塗り重ねられていくような印象を受けました。

ですから、先程お話した「『古事記』の縦読み」と「『古事記』は韻を踏んでいる」ということにも関係してくるのですが、『古事記』を縦読みするさらなる理由として、『古事記』それ自体が絵画を描くように、神々そして様々な出来事が絵の具のように塗り重ねられながら物語が展開しているから、ということが挙げられるなと思いました。

「『古事記』の縦読みは神々を透かして読むこと」だと言ったのも、『古事記』のストーリー展開が絵画のような性質を持っていると感じたからです。また、韻を踏むのは、ある決められた箇所にどんどん色を濃く塗り重ねて、より詳細な何かしらのパーツを描いているようにも感じるなと思いました。

なので、『古事記』に出てくる意味不明な神々も、ちゃんとその存在理由はあると思われます。ですが、それら神々は背景色のように抽象度が高い存在なので、はっきりと「こういう神々である」と断言することは難しいです。

後世の神々の方がその答えを持っている可能性があるので、物語を読みすすめながら、後世の神々との関連性を見つけていくとよいと思います。

ポイント②『古事記』の読み方

象徴について

ポイント②「『古事記』は〇〇読みをすべしPart2」の「◯◯」に入る言葉は、ずばり「象徴」です。「『古事記』は象徴読みをすべし」です。

象徴とは、抽象的な概念をより具体的な物事や形によって表現する、そのことを通して、聞き手にイメージを想起させる、または連想させるもののことを言います。

『古事記』では、島、山、河、鳥、ウサギ、稲穂、稲作、怪獣(ヤマタノオロチ)など、たくさんの具体的な自然形態、動植物、農林漁業、ときに空想上の生き物などが出てきます。これらについて、『古事記』は直接そのことに言及しているのではなく、それらは象徴として用いられているパーツになります。

たとえば、島を取り上げてみると、島から思いつくのは、日本列島からはじまり、淡路島や壱岐(の)島など、実際に存在する個々の島々のことだと私たちは考えます。だから、『古事記』で島生みについて描かれているのを読んで、人は「あの島が生まれたんだ」と、実際に存在する島に話を結びつけて読む傾向があると思います。

島

ですが、『古事記』で言う島、とくにイザナキとイザナミが島生みをするシーンで登場する島々は、物理的な島の誕生を語っているのではなく、島を象徴として用いて語っているんですね。だから、実際に存在する特定の島として読んでしまうと、解釈を誤ります。正しくは、「島を象徴として用いることで、このシーンで何を語ろうとしているのか、何を伝えようとしているのか」を考えること、これが正しい『古事記』の読み方になります。

もちろん、『古事記』は物理的な島の誕生も語っていますが、それさえも直接的に語らず、象徴を用いて語っています。

島を象徴として捉えてみると、こういったことが想起されます。

島は海に囲まれているので、島を象徴として用いることで、周りが何かに囲まれた領域のことを表現しようとしている、ということ。

また、島にはそれぞれ固有の生態系や異なった風土があるので、島を象徴として用いることで、何かに囲まれたその領域には、固有のルールがあることを伝えようとしている。だから、島にたどり着いた神々は、そこに存在する、とあるルールに沿って行動することになる、など。

さらには、島を渡るためには海を渡る必要があり、海を渡るためには船と仲間、そして航海術が必要になる。ということは、物語の主人公である神が次の領域に行くためには、リーダーシップや強さ、そして賢さを身につける必要がある、などなど。

このように、島を象徴として用いることで、物事の本質を聞き手に考えさせることができます。

そのため、私が今後行っていく『古事記』解説は、実際に存在する島や地名は一旦横に置いておいて、それらを『古事記』に書かれているままに、純粋に捉えていこうと思っています。そして、地名さえも象徴として捉えていこうと思っています。

ブリコラージュについて

また、人類学者レヴィ=ストロースは、書籍『野生の思考』の中で「ブリコラージュ」という概念について説明しているのですが、この「ブリコラージュ」も象徴的表現と同じものだと考えます。

ブリコラージュは、フランス語で「ありあわせの道具、材料を用いて自分の手でモノを作ること」を意味し、日本語では「器用仕事」や「日曜大工」と訳されます。つまり、ブリコラージュを今風に言えば「DIYする」ということですね。

古代人や文字を持たない未開の人々は、このブリコラージュによる思考法を持っていた、というのがレヴィ=ストロースの考えです。そして、神話もこのブリコラージュによって構成されていると話します。ありあわせの材料を組み合わせて、別の何かを作る、別の何かを表現するということ。先程お話した島も、まさにブリコラージュするために用いられています。

神話が生きていた時代は、まだ科学も誕生していないですし、論理的で客観的な思考力も生まれていないので、古代人たちは、手元にある材料を使って、宇宙の成り立ちや文化の起源を語っていたんですね。

ブリコラージュの重要性

でも、ここで注意していただきたいことがあります。それは、「ブリコラージュしているということは、そこで用いられているパーツは、物語を語るためのただの代用品だ」とか、「ブリコラージュの思考は論理的思考よりも劣る」とは考えないでください。

『古事記』の中では、島の他に、いろんな動植物も象徴として用いられています。それらの象徴的パーツは、宇宙の成り立ちや文化の起源を語るためだけに用いられた代用品ではなく、それを象徴として用いることで、物事の本質を伝えることができます。また、象徴的パーツから、音や香り、温度、感触などの知覚に関するものを想起させることができ、それらを通して、嬉しい、悲しい、恥ずかしい、怖いといった、感情や心の動きまでも聞き手に想起させることができます。

それらが伝えたいことは、じつは宇宙が創造されていく過程には、さまざまな知覚の動きと、そして、たくさんの感情の動き、心の動きがあったのだということ。勝手に宇宙が生まれて、あれよあれよという間に世界が誕生したということではないのです。その見えない動きこそ『古事記』が伝えたいことなんです。

論理的思考では、聞き手に知覚や感情を想起させることはできません。ブリコラージュによる思考は、論理的思考とは別種の思考であり、レヴィ=ストロースいわく、それは高度な思考法なのだそうです。

神話はブリコラージュによって構成されているので、神話を字義通りに読んでしまうと解釈を誤ります。字義通りに読むのではなく、「こういう表現をすることによって、ここで何を表現したいのか、何を伝えたいのか」を考えることが大切です。それは、論理的思考ではなく、抽象的思考を用いて考えていく必要があるということ。そのため、読み解く側には、文字のその奥にあるものや見えない余白を読む力が求められます。

だから、『古事記』考察をする際は、「これはブリコラージュだから、例え話か」とは思わずに、『古事記』が描く世界観を自分の頭の中にもしっかりと描き、そこで感じられるものをじっくり味わってみてください。そして、これまでの固定観念も一度捨てて、自由な発想力をもって『古事記』に触れていってくださいね。

ポイント③『古事記』の特徴

正二十面体

ポイント③「『古事記』は◯◯構造を持っている」について。ここに入る言葉は「多面的」です。「『古事記』は多面的構造を持っている」になります。

『古事記』においての多面的構造というのは、簡単に言えば、一つのストーリーの中に、まったく別の背景や世界観をもつ話が複数同時進行しているということです。

私は深層心理を探求しているので、神話の世界を人間の集合的無意識の世界として捉えて、「このシーンは心理的にどういった意味を持つものなのだろうか」と考えながら読みすすめていくのですが、そのように心理的なものとして神話を読むのが一つの読み方。

それだけでなく、私が『古事記』を読み解いていく中で、最低でも、さらにもう二つの世界観が同時に描かれているということに気づきました。

一つは、月の神様であるツクヨミが統治する食国おすくにに関係するものです。ツクヨミは父であるイザナキから「夜の食国を知らせ」と言われたのに、神話内ではどこにもその内容が描かれていませんよね。

でも、じつはしっかりと描かれているんですよ。ツクヨミは最初に登場したきり、その後まったく登場しない神様として有名ですが、いえいえ、ツクヨミはずっと登場し続けているんです。これ、本当です。それは『古事記』を縦読みすると出てくるんです。だから、『古事記』を食国として読むのが一つ。

もう一つ『古事記』の別の読み方があるのですが、これは後日お話します。ネタバレになってしまうので、今はごめんなさい。その内容の公表については、楽しみに待っていてくださいね。

ということで、『古事記』を心理的に読むことが一つ、『古事記』を食国として読むことが一つ、ラストの一個はまだ内緒ですが、このように『古事記』は一つのストーリーの中で、最低でも三つの読み方ができてしまうんです。

でも、たぶん三つで収まらないと思います。まだ別の読み方が潜在的に存在しています。私の感じたところでは、あともう二つの読み方ができますね。だから合計五つ。きっと、もっとあるでしょう。このように、いろんな読み方ができるというところが『古事記』の多面性です。

ということで、以上が『古事記』を読み解く上で知っておきたい『古事記』の読み方と特徴についてのお話でした。

私にとっての『古事記』とは

桜

最後に、私にとって『古事記』はどういう存在か、についてお話をして、今日のお話を終えたいと思います。

私は、『古事記』と真剣に触れ合っていく中で、あることを感じました。それは、『古事記』は繊細でとても美しい女性のような性質を持っているということ。

口数は少ない、でも感性豊かで、物語をときに面白く、ときに悲しく、切なく、感動的に描く。そして、そこで起こるさまざまな感情のやり取りを、感覚に寄った言葉で見事に表現する技術を持っている。さらには、自分の軸をしっかり持った、自立した女性のようなイメージもあります。

たまに、『古事記』にはツンデレっぽさも感じるんですよ。「私はもうヒントを出しているわよ。あなたがちゃんとそのヒントを拾って読み解きなさいよ」なんて言われている気がするんです。だから、『古事記』と向き合っていると、『古事記』と恋愛をしているような感覚になるんです。これは私個人の感想ですけどね。『古事記』がお姫様で、私が王子様という関係性。

その中で、解読においてわからないことがあっても、『古事記』を責めないということを徹底してきました。逆に、「僕は君のことが知りたい。だから、僕は君の気持ちになって、君のすべてを理解できるように頑張るよ」という態度で向き合ってきました。

そうすると、『古事記』が言葉を超えた部分で、いろんなことを教えてくれるんですね。それを自分が受け取ったとき、「ああ、君はなんて美しい世界に生きているんだ」と感動が押し寄せてくるし、ますます彼女にぞっこんになってしまうんです。

だから、『古事記』を読み解くときは、愛しい恋人に触れるような態度で接した方がいいなと思っています。逆に、彼女を現代人の固定観念で縛ったら絶対に駄目です。そうしてしまうと、彼女は何も教えてくれなくなります。

そうではなくて、彼女を解放して、自由に歌わせ、踊ってもらって、その中で自由に表現してもらうような環境を自分の中に作り出せたとき、彼女は言葉を超えた領域から『古事記』の本当の世界を教えてくれます。

次回から『古事記』を原文からしっかり触れていきたいと思っているのですが、その中で、これまでどれだけ『古事記』が誤読されてきたのかを皆さんも知っていくことになると思います。

ですが、私は感じるんです。『古事記』本人としては、誤読されることを恐れてはいないし、誤読されても怒っていないです。ただひたすらそこにいて、誰かが気づいてくれるのを待っている、小さな一輪の花のような方です。凛としています。

誤読は恐れていない。でも、しっかり『古事記』と向き合おうとする人に対しては、素晴らしく美しい、壮大な命の物語を教えてくれます。それを知ったとき、皆さんもきっと彼女にメロメロになること間違いなしです。だから、私たちの方から『古事記』に会いにいきましょう。彼女もきっと、私たちの訪れを待ってくれていることでしょう。

というわけで、今日は『古事記』を読み解く上で知っておきたい『古事記』の読み方と特徴についてのお話でした。今日お話した以外にも、『古事記』のルールがあるのですが、それは『古事記』解説を進めていく中で随時触れていきたいと思います。

さあ、いよいよ1300年もの間封印されてきた、本物の『古事記』の世界の扉が開きますよ!私と一緒にその一歩を踏み出しましょう!

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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