本日のトーク内容
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、島生みについてお話をしました。
今回から物語は神生みに進みます。生まれる神の数が多いので、数回に分けてお話していきたいと思います。今回は、神生み第一弾についてのお話です。
まずは、読み下し文、現代語訳を読み上げます。声をもって訓む部分は赤字で表記し、特殊な訓読みは原文の横に訓み方を記載しています。参考文献はチャンネル概要欄に記載しています。
原文/読み下し文
神生み①
既生國竟 更生神 故生神名 大事忍男神
次生石土毘古神
次生石巣比賣神
次生大戸日別神
次生天之吹上男神
次生大屋毘古神
次生風木津別之忍男神
次生海神 名大綿津見神
次生水戸神 名速秋津日子神 次妹速秋津比賣神
[自大事忍男神 至秋津比賣神 并十神]
既に國を生み竟へて、更に神を生みき。故、生める神の名は、大事忍男神。次に石土びこ神を生み、次に石巣比売神を生み、次に大戸日別神を生み、次に天の吹上男神を生み、次に大屋びこ神を生み、次に風も津別の忍男神を生み、次に海の神、名は大綿津見神を生み、次に水戸の神、名は速秋津日子神、次に妹速秋津比売神を生みき。
[大事忍男神より秋津比賣神まで、并せて十神。 ]
神生み②
此速秋津日子 速秋津比賣二神 因河海持別而 生神名 沫那藝神 次沫那美神
次頬那藝神 次頬那美神
次天之水分神 次國之水分神
次天之久比奢母智神 次國之久比奢母智神
[自沫那藝神至國之久比奢母智神并八神]
この速秋津日子、速秋津比売二柱の神、河海によりて持ち別けて、生める神の名は、沫なぎ神、次に沫なみ神、次に頬なぎ神、次に頬なみ神、次に天の水分神、次に國の水分神、次に天のくひざもち神、次に國のくひざもち神。
[沫那藝神より國の久比奢母智神まで、并せて八神。]
一旦ここまで。現代語訳はなくてもわかると思うので、今回は無しとさせていただきます。細かい意味は、解説の中で触れていきますね。では早速、神々を整理していきましょう。
解説①
神々の整理
前回の放送で、碁石を用いて整理した島生みロードマップをご紹介しましたが、今回のシーンは、何かを創造していく過程と、また、イザナキとイザナミの脚本にもなっているなと感じます。だから、今回も碁石を用いて神々を整理してみました。
今回の碁石は白バージョンです。島生みの際に黒を使ったので、色を分けてみました。見づらかったらごめんなさい。
左側が生まれた神々を時系列に右から順に並べたもの、右側が創造過程として神々を整理したものになります。右側の図は、下から上に見ていく形ですが、なぜ、途中神々の配列が下っているのかは、後ほど説明しますね。
さて、神々を詳しく見ていきましょう。
最初は岩や巣、屋根や海の神などが生まれ、最後に生まれた速秋津日子神と速秋津比売神がさらに神々を生み出します。「河海によりて持ち別けて…」は「分担して」と訳されます。分担して神々を生むとなると、人間のように男女が性交して子どもを生むのとは違う、何かを作っている感じがします。だから、今回のシーンは何かを創造していく過程なのかなと思った次第です。
そして、「河海によりて持ち別けて」神々を生んだということなので、これはシンプルに、河と海に関する神々を生んだということだと思われます。
マオリ族の神話~大地誕生~
さて、河と海によりて持ち別けて生まれた神々の名前を見ていくと、沫那藝神や沫那美神だなんて、イザナキとイザナミの要素が思いっきり入っていますね。
沫那藝神から頬那美神までを眺めてみると、沫のようなものが頬を伝っていくこと、つまりそれは、涙が頬を伝う様子が神々の名前から感じ取れます。それが水となって分かれ落ちて、久比奢母智神まで行き着く。そこから私は、泣いている、または、雨が降っている様子を感じ取ったので、これら神々を下方向に配列してみたんです。
そういった頭で神々の名前をボーっと眺めてみると、何やらこの神生みのシーンは、ある重要な場面を物語っているのではないだろうかと思えてきました。そのシーンとは、ずばり、大地の誕生です。世界中にある創成神話にも、大地が生まれたとき神々が涙を流したと言われているからです。
たとえば、ニュージーランドの先住民であるマオリ族に伝わる神話では、こう言われています。
原初の世界は混沌と無の世界だった。暗闇の中で「ポー」といううめき声に合わせて世界の動きが起こり、そこから光・熱・湿気が生み出され、世界最初の二神である天空神ランギと大地母神パパが出現した。
天空神ランギと大地母神パパは、その他の神々や天地の間にある万物を創造したが、二人があまりにも親密に、そして仲良くしっかりと固く抱き合っていたため、天と地が近づきすぎて光が届かず、世界は暗闇に覆われたままだった。
そのため、子どもたちは父と母を無理やり引き離すことを決めた。密着して固く抱き合っている父と母を引き離すことは簡単ではなかったが、子どもの一人が頭を母の大地に押しつけ、足で父の天空を激しく蹴り上げることによって、なんとか二人を引き離した。
父と母は引き離された悲しみを訴えて泣いたが、二人が引き離されたことで、暗闇の世界に光が差して昼の時間が回復された。母の嘆きの溜息は霧となって夫である天空へと上がり、父の涙は大雨になって妻である大地に降り注いだ。
では、『古事記』はどうかというと、マオリ族の神話ほど詳細に書かれてはいないので、頬那藝神、頬那美神の名前だけでその神話と似ているとするのは少々強引かもしれません。
ですが、海の神や河と海によりて持ち別けて生まれる水に関する神々、そして最後に「母」という漢字の入った神が生まれることを俯瞰して見たとき、マオリ族の神話との共通点として「大地誕生」というキーワードが私の中に浮かんできたんですね。
『古事記』のこのシーンは、マオリ族の神話より抽象性が高いので、別の方法でこのシーンがなぜ大地誕生に関することなのかを考えなければいけません。そこで私は、神話とは真逆の視点、科学的な視点で考察することにしました。
マオリ族の神話を参考に古事記を考察してみた
大地誕生についての科学的考察
まず、地球が生まれたばかりの頃、地表の温度は1500度以上もあり、地面から噴き出る水蒸気や火山ガスに包まれて、その時代、地球に海はありませんでした。
その様子は、マオリ族の神話にある「混沌と無の世界にあるとき動きが起こり、そこから光・熱・湿気が生み出され、世界最初の二神である天空神ランギと大地母神パパが出現した」という部分に似ていると感じます。
『古事記』においては、五番目に生まれた天の吹男神から、上に吹き上がる何かを感じ取れます。そして、次に生まれた大屋毘古神からは、「屋」は屋根の意味があるので、そこから、上に吹き上がったものが頭上を覆い尽くしたと読めます。
さて、地球が誕生してから約6億年後、今度は地表が冷えてくるとともに、地面から噴き出ていた水蒸気が雨になり、低い場所にたまって海ができました。大地という言葉は、海との対比で用いられる言葉だと私は思うので、大地誕生はイコール海の誕生とも言えるかなと思います。
『古事記』では、大綿津見神の出現が雲の誕生を意味していると考えます。大綿津見神は海の神ですが、海ができるためにはまず雨が必要で、その雨を生み出すのは雲です。雲は大地から吹き上がった水蒸気によって作られます。
大綿津見神に「綿」という漢字が用いられていることから、それが雲を意味していると私は考えます。海を生み出した親は雲であり、それが大綿津見神。多分、海だけというよりは、海、川、湖など、すべての水の親としての雲、それが大綿津見神なのだと思います。
さて、マオリ族の神話では、天である父と大地である母が固く抱き合っていたため、光が届かず、世界は暗闇に包まれていて、子どもたちが両親を無理やり引き離すことで大地ができたと言われています。
この部分が『古事記』では、速秋津日子神と速秋津比売神が「河と海によりて持ち分けて…」という部分に該当するのかなと思いました。その二神の働きによって生じた神々、沫那藝神と沫那美神が雨であり涙。それが、頬那藝神と頬那美神、頬を伝って流れ落ちる、もしくは上から降った。
そして、次の天の水分神と国の水分神は、左右の目から分かれ流れ落ちた涙もしくは雨、または河でもあり、それが最後に久比奢母智神、マオリ族の神話でいうところの大地母神までたどり着くという感じかなと思います。
久比奢母智神の「くひ(久比)」は食うこと、「ざ(奢)」は奢る、もしくは食べさせてくれることで、この神からは優しい母親像が感じ取れます。なので、久比奢母智神は大地母神なのかなと私は考えています。
余談
ここでちょっと余談ですが、このシーンで個人的に一つ気になったことがあります。それは、このシーンで最後に天と国、それぞれに雨が降り注ぐようですが、古事記は国作りについて語っていながら、じつは天の世界も同時に形作ってはいないだろうかと思ったんです。
この天の世界が高天原なのか、それとも別種の天なのか、現時点ではわかりませんが、でも、国作りと同時に何やら天作りもされている感じだなと思いました。
さて、お話を戻しますと……。結論として、マオリ族の神話と、地球の大地誕生イコール海の誕生の過程を参考にすると、『古事記』の今回のシーンも同じく大地誕生について語っていそうだなというのが私の考えです。
地球の内部構造との比較
その思考法でいくと、一番目に生まれた大事忍男神から四番目の大戸日別神までは、もしかしたら、大地の中、または地球の内部構造を神格化した神々かもしれないと思えてきました。
地球の内部構造は、中心から内核という鉄やニッケルを中心とする金属の個体があり、次にそれを覆う外殻は、鉄やニッケルが液体で存在すると考えられています。そして、その上をマントルという重い岩石が覆い、その上を軽い岩石で構成された地殻が覆っています。さらにその上が土の層です。
この地球の内部構造と、一番目から四番目までの神々を比較してみると、一番目の大事忍男神は、もしかしたら、鉄の要素を持っているかもしれないと思いました。というのも、原初の神々の中で、天の常立神と国の常立神という神々がいましたが、その神々からタチ、刀の要素が感じ取れ、刀は鉄を鍛錬することで作られるからです。
鉄の気持ちになって考えてみると(鉄の気持ちってなんじゃそりゃって感じですが(笑))、鉄を何度も何度も叩いて強くする作業は、鉄自身も相当の忍耐が必要だと思うんですね。その忍耐が大事忍男神の「忍」という漢字から感じ取れるなと思ったんです。だから、大事忍男神は鉄に関する神かもしれないという、(あくまでも仮説ですけど)私はそう考えました。
金属の要素は、今後の『古事記』の中でも度々出てくるので、このシーンですべての金属を代表する象徴的な神が出現してもおかしくはないなと思いました。
土が生成される過程
さて次に、二番目と三番目に出現した石土毘古神と石巣比賣神については、地球の内部構造のマントルや地殻の部分かなと思います。石巣比賣神の名前の中に、「石」と「巣」という漢字が入っていますが、私の考えとして、たぶんこれは、土が生成されるための巣かなと思っています。
どういうことかというと、土は岩石の風化によって生じるからです。そして、イザナキはイザナミに「国の土を生成しよう」と誘っています。これを私は土壌生成として捉えています。
土が生まれる過程を、藤井一至さんの書籍『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』を参考にして簡単にお話すると、岩は風化することで砂になり、また、岩はケイ素やアルミニウム、鉄など、いろんな鉱物を含んでいるので、それが雨によって溶け出すことで粘土ができるそうです。それが土生成のスタートになります。
のちに最古の植物であるコケとカビ(菌類)と藻類が合体、共生した地衣類と呼ばれる生き物が誕生し、それらの遺骸が砂や粘土と混ざり合うことで、最初の土が誕生します。
地球は約46億年前に誕生したと言われていますが、そのときから土があったわけではなく、そのときの大地は荒涼とした不毛な岩石砂漠だったそうです。そして、最初の土が誕生したのはたった約5億年前のことで、その土でさえも1億年をかけてコツコツと生成されていったものだそうです。
この最初の土に植物の遺体、生き物のフンなどが混ざり、微生物たちによって分解が行われることで、これまた長い年月をかけて、今度は土が作物を育てる土壌へと変わっていきます。命が循環することで、肥沃な大地、土壌へと変わっていくんですね。
定義として、土壌とは「岩石が風化し、植物遺体が混ざったもの」とされていますが、もっと言えば、命の循環が行われる土、生きている土のことを「土壌」と言うのかもしれません。土壌ができて初めて農作物を栽培することができます。
そういった情報を頭に入れた上で、再度、神々の名前を考えてみると、石巣比売神は土を育むための巣、それは岩や岩の表面のことを象徴していると見ることができるなと思いました。岩の表面にコケがむしているとき、その下では微量ではありますが、土が生成されているそうです。だから、岩は土の巣になると言えるかなと思います。
そして、四番目に誕生した大戸日別神は、地球の内部と外部を分ける境界線、または、「戸」は水、「日」は太陽に関するものなので、水と日を分けるもの、つまり、海面を象徴した神かもしれないなと思いました。
以上のことから、この神生みのシーンは、大地誕生、そして土の生成に関する神々として見ることができるなと思います。またそれだけでなく、この神々は今後の物語の脚本にもなっていると考えられます。きっとこの先、神々は涙を流すことになるのだと思われます。
さてさて、このシーンでの神生みはここで終わりではなく、まだまだ続きます。今日は少しお話が長くなりますが、その先も見ていきたいと思います。
神生み③
原文/読み下し文
次生風神 名志那都比古神
次生木神 名久久能智神
次生山神 名大山上津見神
次生野神 名鹿屋野比賣神 亦名謂野椎神
[自志那都比古神至野椎并四神]
此大津見神 野椎神二神 因山野持別而 生神名
天之狭土神 次國之狭土神
次天之狭霧神 次國之狭霧神
次天之闇戸神 次國之闇戸神
次大戸惑子神 次大戸惑女神
[自天之狭土神至大戸或女神并八神也]
次に風の神、名はしなつ比古神を生み、次に木の神、名はくくのち神を生み、次に山の神、名は大山上津見神を生み、次に野の神、名は鹿屋野比賣神を生みき。またの名は野椎神と謂ふ。
[志那都比古神より野椎まで、并せて四神。]
この大山津見神、野椎神の二柱の神、山野によりて持ち別けて、生める神の名は、天の狭土神、次に國の狭土神、次に天の狭霧神、次に國の狭霧神、次に天の闇戸神、次に國の闇戸神、次に大戸惑子神、次に大戸惑女神。
[天の狭土神より大戸或女神まで、并せて八神なり 。]
解説②
さぁ、第二グループの神々のご登場です。ここも同じく碁石で整理してみました。先ほどの第一グループとは形を変えてみました。
なぜ配列が違うかというと、まず、このグループが先程解説した第一グループの神々の中間に位置する神々で、第一グループの神々において、下は岩、上は空だとしてみると、その中間は野山の領域に該当すると考えたからです。その通り、第二グループは野山に関する名前を持つ神々が生まれてきます。
そして、第二グループの神々の名前を見てみると、土から霧が立ち上っている様子や、闇戸神からは暗闇と、また「くら」とは谷の古語でもあるので、谷間の暗闇が感じ取れるます。ですから、地面から谷が上に向かって形作られている様子を表現してみたというわけです。
風の神、木の神、山の神、そして野の神。この鹿屋野比売神は、鹿屋と書いて「かや」と訓むことから、イネ科の植物の総称である「茅」としても読めるなと思いました。後の天照大御神までの布石かなと思っています。
この鹿屋野比売神は、別名野椎神と言うそうです。ネットで「のづち」と検索すると、なんとも恐ろしい妖怪っぽいものがヒットします。水木しげる先生もノヅチに関する話を描いていたそうで、それはトンネルのような姿をしていて、掃除機のように周囲のものを吸い込んでしまうそうです。
でも、私はふと考えるのです。恐ろしい妖怪ではなく、土作りにおけるノヅチって何だろなって。この姿から考えるに、ミミズっぽいなと。
ミミズは落ち葉と粘土を一緒に食べて、それらを腸内でよく混合させたものをフンとして排泄します。そのフンは、団子のような構造(団粒構造)を持っていて、それが土を柔らかいふわふわな土壌に変えてくれます。「ミミズがいる畑は良い畑」だと言われているので、仮に野椎神をミミズの神様だと思ってみると、全然怖くないですよね。むしろ、作物を作るためには欠かせない、とてもありがたい存在です。
さてさて、先程第一グループでは大綿津見神が雲、そして速秋津日子神らが水に関する神々を生み出しましたが、この第二グループでは、大山津見神と野椎神が「山野によりて持ち別けて…」とあるので、今度は山と野に関する何かを生み出したようです。
二神が生み出した挟土神。この挟土とは、たぶん、土と土で挟まれた部分、つまりそれは山の渓谷のようなものかなと思います。そこに霧が立ち込める、それが挟霧神。そして、霧は闇を生み出す、闇戸神。闇戸神の「戸」には、水の流れを感じ取れるので、滝や川も意味として含まれているのかもしれません。
渓谷に霧が立ち込め、暗闇が生まれる。それによって、視界が悪くなり、心に不安が押し寄せてくる……。大戸惑子神らの名前から、大きく惑わされる何かを感じますね。また、大戸惑子神らは「まとひ」と訓むので、野椎神との関連から、大地を何かが覆って野原を形成していく様子も感じ取れるなと思いました。
やはりこのグループの神々も、自然形態を創造していくことを象徴する側面の他に、何かしらの脚本的な側面も持っていそうだなと思いました。それが、次回以降の展開として機能してくるのだと思われます。
というわけで、今日は神生み第一弾についてのお話でした。次回は、神生み第二弾に関するお話をしたいと思います。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!