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古事記☆新解釈【29】宇宙は大きな卵?身体宇宙論とは?科学と古事記の宇宙観の違いについて

古事記の身体宇宙論アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

今日は、科学と古事記における宇宙観の違いについてお話したいと思います。また、世界創造におけるイザナキとイザナミの役割の違いと、この二神がやり遂げた仕事も身体宇宙論という観点から解説してみたいと思います。

解説

科学と古事記の宇宙観の違い

まずは、宇宙観について。科学と古事記は、宇宙の成り立ちについて異なる見解を示しています。

科学者は、宇宙はミクロの世界で起こったビックバンから始まったと言います。素粒子など難しい話は抜きにして、そこで生まれたものがくっついて、どんどん大きな塊になっていった結果、この太陽系が出来た。つまり、無から有の世界が生まれた、ミクロからマクロが生まれたということですね。

反対に古事記は、宇宙は有から誕生したと語っていると私は感じています。大きな有の中に新しい有が生まれた。その新しい有は卵のようなもの。この宇宙卵は、鳥の卵や人間の受精卵と似たような性質を持っていると思われます。

人間の受精卵を例に挙げると、受精卵が誕生したとき、その中では細胞分裂が起こります。受精卵が子宮内膜に着床すると、細胞分裂はさらに複雑になり、胎児の身体が形作られていきます。

古事記の宇宙観、そして世界創造の進み方も、これと似ているなと私は思うんです。科学は無から有が生まれた、ミクロからマクロが生まれたと言っているわけですが、古事記はそうではなく、もともと大きな大きな有があって、その中に次世代の有が生まれ、さらにその中が複雑に分裂していった結果、この世界が出来たと語っている。

科学と古事記の宇宙観の違い

科学者は、「地球は生命が誕生するための条件を奇跡的に満たしていたから、生命が生まれたんだ」と言うわけですが、古事記は、「いやいや、最初から宇宙それ自体が大きな命なのであり、命の中に新しい命が生まれているんだよ」「命は奇跡的に発生するものではなく、世界のすべてが大いなる命の中に存在している。だから、命がないものなんてないんだよ」と言っていると私は考えています。

中に、中に、中に凝縮し分裂していく感じ。これが古事記の宇宙観だと私は考えます。ですから、これは科学とは逆の視点、マクロからミクロが生まれたという視点で古事記は世界を捉えていることになります。

古の時代から日本人の精神には、あらゆるものには命が宿っているという考え方が受け継がれています。これは、古事記の宇宙観そのものではないでしょうか?私たちは無意識的にでも、そのことを知っているのではないでしょうか?

以上のことを踏まえて、古事記の天地初発の一文目を改めて読んでみると、「天地初めて發けし時」というのは、決してビッグバンが起こったということではなく、「世界が卵として産み落とされたとき」といったような形で解釈するのが良いのではないかなと考えます。

天地初発の一文目

大きな意味を細かくグループ分けしていく物語

さて、大きな命の中に生まれた次世代の命、次世代の卵。この卵から世界のあらゆるものが育っていくので、この卵は無限の可能性を秘めていると言えます。しかし、無限の可能性を秘めているだけでは単なる生卵なので、その内部が細胞分裂していかないといけません。

抽象的な言い方をすれば、大きな意味の塊を細かくグループ分けしていき、そこに新しい意味を与えていく必要があるということ。これを古事記は物語を通して語っていて、最初にこの作業を行ったのが、イザナキとイザナミだと私は考えています。

これまでの解説で私は、イザナミは大地母神で、彼女の遺体が世界創造のための畝となって、そこから世界のあらゆるものが誕生したとお話してきましたが、今日の流れで言えば、イザナミが大きな意味の塊を象徴した存在で、それを切り分け、新しい意味や秩序を与えていったのがイザナキだと言えます。

宇宙卵の細胞分裂①

イザナキとイザナミの名前は声をもって訓むので、ここを自由に思考してみると、イザナミは「イ・ミ(意味)」の神であり、イザナキは「イ・ギ(異義)」の神として解釈することができます。実際、イザナキはこれまで異義ばっかり唱えていましたよね。「女から声をかけるのは良くない」とか「私が生んだ子は良くなかった」とかとか。これは反抗心からではなく、異なった意味、つまり新しい意味を持たせたいがために発している言葉なのだと思われます。

当てられている漢字を見てみても、イザナキの「岐」という漢字のつくりは「枝」、原義は「分ける」という意味を持っているので、漢字からも神々の役割が読み取れます。

宇宙卵の細胞分裂②

イザナキはイザナミに対して「お前の足りない部分を刺し塞いで、国土を生もうと思う。どうだろうか?」と提案し、それに対してイザナミは「しかよけむ」とOKを出したところから国生みが始まります。この国生みを通して、大きな意味の塊を切り分け、それぞれに新しい意味を与えていくストーリー、つまり宇宙卵の細胞分裂が始まったと私は考えています。

なぜ世界創造物語の舞台が身体なのか?

さて、イザナキは「国土を生もう」と言ったわけですが、日本人はこれを「国土(こくど)」と解釈してしまったために、政治的な意味での日本列島創生物語として古事記を読んでしまいました。しかし、私は「国土(くにつち)」とはたくさんの命を育む豊かな土壌のことだと思ったので、大地母神神話を引き合いに出しながら、どのように天と地が分かれて、山や海、河、そして大地と生命が誕生したのかをお話してきました。

そのような解説をする中で、黄泉の国に話が進んだとき、この世界創造物語は生物の身体を舞台にして話が展開しているということがわかってきました。黄泉の国は死んだイザナミの体内世界で、さらにそこは欲望が渦巻く腸内世界だったからです。

宇宙卵の細胞分裂③

なぜ世界創造物語の舞台が身体なのかというと、この宇宙は卵として産み落とされたもので、その卵の中が細胞分裂をするようにこの世界も出来上がってきたとするならば、世界創造は生物の身体が形成されていく過程と同じステップを踏んで進んでいくと思うからです。

わかりやすいイメージとして、太古の地球を一つの大きな受精卵として考えてみると良いかもしれません。その受精卵である地球が今のような姿に育つまでの過程は、身体が形成されていく過程と同じだというイメージです。ですから、これは言い換えると、世界創造物語は生物の身体形成の話でもある、と言えます。

哲学的な話になりますが、世界を認識しているのは身体です。身体がなければ世界は認識できず、世界さえも存在しません。ですから、世界こそが身体であり、身体こそが世界なんですね。世界と身体は表と裏の関係を持っているからです。だから古事記は、世界創造と身体形成を同時に語るのだと思います。これを私は「身体宇宙論」と呼んでいます。

宇宙卵の細胞分裂④

イザナキとイザナミの仕事は肚つくり

以上のことを踏まえ、改めてイザナキとイザナミが行った国土作りは、身体宇宙論で言えばどこを形成した話になるのかを考えてみると、それはお腹だと思います。

なぜなら、イザナミが火の神カグツチを産んで病に臥せった辺りから排泄物の話が始まり、黄泉の国では腸内世界、イザナキの禊では出産間近の陣痛を象徴する和豆良比能宇斯能わずらひのうしの神や、飽くなき食欲を象徴する飽咋あきぐひ宇斯能うしの神が登場し、禊の終盤ではイザナキが腹を括るなど、ずっと腹部に関する話が続いていたからです。

二神が行った「国土」作り。この「国」は日本の大地だけを指したものではなく、身体をも指しています。ですから、これを「身体の土」に置き換えてみると、肉づきの土。これは「いぶくろ」や「はら」と訓みます。イザナキとイザナミが行った国土作りとは、世界創造で言えば土壌作り、身体宇宙論でいえば、胃袋から腸にかけてのお腹作りだったと考えます。

宇宙卵の細胞分裂⑤

お腹と農の役割

お腹が持つ役割についても考えてみると、お腹は食べ物の消化吸収、排泄。また、女性の場合、お腹に子宮もあるので、そこは子を育てる場所でもあります。食べること、育てること、そして排泄、出産を担うのがお腹。その場所をイザナキは、禊を通して腹を括ることで完成させたと私は考えています。

また、黄泉の国から禊シーンにかけて農耕や農牧に関する要素も出てきましたが、それらもお腹が持つ役割と似ています。農耕や農牧は、大地をある特定の領域に区切って行われます。食物を育てる農耕。豊かな土壌の中は菌たちが住む世界であり、それは腸内世界も同じこと。農牧は、家畜を繁殖させ、健やかに育てます。

つまり、農耕や農牧は、生物のお腹が持つ役割と本質が一緒なんですね。だから、古事記はお腹のことを語りつつ、同時に黄泉の国ではブドウやタケノコなどを通して農耕の起源を語り、禊シーンではヤギやヒツジ、ウシを通して農牧の起源を語っていたのだと私は考えました。

宇宙卵の細胞分裂⑥

社会は頭ではなくお腹で考えて作るもの

農耕や農牧は、決められた領域内で、決められたサイクル、決められたルールで作業が進められていきます。これは社会性の起源となるものです。お腹も同じく、暴れまくる大蛇という腹わたを、イザナキはお腹の領域に収め、なおかつ、そこの統治をツクヨミに託しています。

このような考察を通して、私はふと思いました。「本来、社会というのは、頭で考えて作るものではなく、お腹で考えて作るものなのではないだろうか」と。生物で考えてみても、クラゲやウニなどのように脳がなくても生きている生物はたくさんいますが、反対に、腸が無い生物は存在しません。腸は第二の脳、いや、最近では第一の脳とも言われているくらい、生命活動の中心を担っている臓器です。

なぜ古事記は、物語の最初にお腹のことを語ったのでしょうか?それは、お腹にこそ社会の本質があお腹の秩序を保つことが社会の秩序維持に繋がる、ということを伝えるためではないかなと私は考えました。イザナキがツクヨミに食国の統治を命じたのも、健康で美味しい食べ物は、社会の基盤形成に必須だと考えていたからではないかなと。

宇宙卵の細胞分裂⑦

日本社会は、世界からは秩序ある社会として捉えられているようです。私が考えるに、たぶんこの社会の基盤を和食が担っているのだと思います。和食は毎食食べても太りませんし、和食中心の生活は腸内環境を健やかに保ってくれます。反対に、先進国ではあるけれど、国民全体の食事が高カロリーでジャンキーなもの、刺激的なものばかりで、国民全体の肥満率が高く、五感が鈍い、または気性が荒く、思考と感情だけが先走っている国があると感じます。

私たちにとって食事は、生きるために必要なものですが、それが社会の秩序維持にも繋がっているという古事記の教え。たぶん、日本は頭ではなくお腹で社会を作ってきたのだと思います。お腹の調子が悪いと体全体に支障をきたすように、社会にも支障をきたすということをご先祖様たちは知っていたのだと思います。それは言い換えれば、日本の社会が調子悪くなると、世界の秩序も危うくなるということかもしれません。世界のお腹を担っているのが日本、なのかもしれません。

身体宇宙論で見た場合のヒルコとは?

さて、国土作りに話を戻すと、それは最初から順調に進んだわけではなく、イザナミが先に声かけをしてしまったために「良くない子」としてヒルコが生まれています。ヒルコは、葦船に乗せて流し去りました。

ヒルコはその名の通り、ヒルのようなクネクネした存在だと思われ、これを身体宇宙論で考えてみると、ヒルは血を吸う生き物なので、血に関係していると読めます。となると、ヒルコを葦船に乗せて流し去った理由は、「良くない子だから」ということ以外に、身体形成で言えば、血液誕生の起源として解釈できそうです。

血流の発生は、たぶん、カグツチを斬り殺すシーンがその起源になると思われるので、ヒルコは赤血球、またはヘモグロビンを象徴する存在という感じでしょうか?そう思ってヘモグロビンを調べてみたら、あらビックリ。ヒルみたいにクネクネしているではありませんか!しかも、形はごちゃごちゃしていますが、何となく腹わたにも似ているような気がします。

この解釈が合っているかどうかはわかりませんが、でも、ここにはある共通点があって。それは、ヒルコはクネクネしていて、ヘモグロビンもクネクネしている、血管もクネクネしていて、腹わたもクネクネ。みんなクネクネしていること。ということは、古事記は物語の最初にこのクネクネという形を鋳型にして、イザナキとイザナミを通して、血液誕生や腹わた誕生の起源を語っていたのかもしれないなと思いました。

宇宙卵の細胞分裂⑧

ということで、今日のお話は以上になります。古事記の身体宇宙論、何となく理解できましたでしょうか?科学とはまったく違う、ある意味で哲学的な要素も含んだ世界観なので、慣れるまでに少し時間がかかるかもしれません。私たちも古事記を”お腹で”理解していく必要がありますね。よく咀嚼をしてから飲み込んで、古事記の宇宙観を身体に浸透させていただければと思います。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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