本日のトーク内容
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、天石屋戸シーンに描かれる日本文化の起源、祭りについてお話をしました。その際、祭りには性の解放が不可欠で、その解放を担っているのがアメウズメだというお話もさせていただきました。
今日は、アメウズメをさらに深ぼってみたら見えてきた、彼女のもう一つの姿についてお話していきたいと思います。
高天原のシーンが騒音に満ちているワケ
おさらいになりますが、高天原のシーンは全体を通して騒音に満ちています。
スサノヲが高天原に上ってくるとき大地は揺れ動き、それに驚いたアマテラスが武装して雄たけびをあげ、大地の土を蹴り散らし、その後スサノヲは田畑で大暴れするわ、屋敷の天井も壊すわ、それでアマテラスが天石屋戸にこもると日食が起こって世界は「さ蠅なす満ち」と言われるように災いが至るところで起こるわ、長鳴鶏は鳴きわめくわ、アメウズメは桶の上で足をどんどんさせて踊るわ、それを見て八百万神は大笑いするわで、このシーンはずっとうるさいんですね。
この騒音に関して、人類学者レヴィ=ストロースいわく、「世界の神話、民話、風習では、災いを大きな音で浄化させる」のだそう。たとえば、ヨーロッパのリトアニアでは20世紀になっても日食が起こると、悪霊を追い払うために子どもたちに鍋や釜を棒で叩かせている、とレヴィ・ストロースは語っています。
また、彼は騒音が必要になるときは「太陽と大地が分離したとき」、また比喩的な意味では「非難すべき結合が起こったとき」「正常な婚姻関係が結べなかったとき」だと話します。古事記の場合も、太陽と月が変な形で出会ってしまい日食が起こっています。この結合を解き放つために登場したのがアメウズメということになります。彼女は解放の神だからです。

前回、その解放は男女の性に対して行われているとお話しましたが、解放はそれだけでなく、別のことに対しても行われていたようです。
アメウズメの正体
害虫(害獣)駆除の神
それはどういったものかというと、結論からお話すると、アメウズメは害虫または害獣駆除の神様で、害虫などに侵されているものをその被害から解放するというもの。
理由を一つずつお話していくと、彼女の名前はアメウズメ。その名前から彼女にスズメのような小鳥がイメージできるわけですが、天石屋戸シーンが神々の着る美しい織物について語っていることに、私は何となく引っかかっていたんです。ですから、アメウズメと織物の関係性を見つけようと思って思考していたとき、あることに気づきました。
それは、高天原のシーンは騒音だらけだとさっきお話しましたが、天石屋戸シーンにおいて「さ蠅なす満ち」と言われているように、じつはこれ、シンプルに虫の大量発生の話でもあったということがわかったんですね。そして、その虫の正体は蛾でした。
神々が着る衣とは?
蛾にはスズメガ科に属するものがいて、アメウズメと名前が似ているこの蛾が天石屋戸シーンに深く関わっていることがわかりました。また、織物との関係性においては、蛾は美しい模様の羽を持っているわけですが、この羽のことをどうやら古事記は「神々が着る衣」と表現していたようです。

古事記のブリコラージュ、凄すぎます!
しかし、アメウズメがスズメガだという話ではなく、じつはスサノヲの方が害虫として大量発生し、それに対してスズメに代表される小鳥のアメウズメがその天敵(益獣)として立ち向かっているという話なんですね。

蛾の幼虫と飽咋の宇斯能神
蛾の幼虫は「これでもか!」というくらい大量の葉を食べて、ボトボトと大量のフンを落とします。これがスサノヲが田畑を壊し、糞をして大暴れする姿に象徴されていると考えます。この飽くなき食欲は、イザナキの禊シーンで彼の冠から生まれた飽咋の宇斯能神から生じたものだと思われます。
冠から生まれた、飽くなき食欲を持つ虫の神、飽咋の宇斯能神。高天原のシーンで唯一冠に似たもの(ツルマサキの髪飾り)をつけているのがアメウズメです。しかし、彼女が飽咋の宇斯能神だという話ではなく、冠は身分が高いことを意味しているので、それで考えると、飽咋の宇斯能神の性質を継承しているのはスサノヲの方で、その彼を高い位置から抑え込むのがアメウズメだということ。
また、天石屋戸シーンでは日食が起こっているわけですが、農作物は蛾の大量発生によって葉がすべて食べられてしまうと光合成ができなくなります。この状況を古事記は日食に絡めて語っていたようです。

図で整理してみるとこうですね。アメウズメとスサノヲは共に図の上下に位置する神で、出自がそれぞれ逆です。そして、アメウズメはスズメに代表される小鳥、スサノヲはスズメガに代表される害虫。名前も似ているこの両者が、天石屋戸シーンで対峙し合うというわけです。

自然界における食物連鎖
スズメに代表される小鳥は、ススメガの幼虫を食べるそうです。スズメのような捕食者は、生態系の中で重要な役割を担っていて、獲物の群れを健康に保ったり、病弱な個体や過剰な個体数を調節したりするために存在しています。
もちろん、それはスサノヲも同じです。高天原で登場した八百万神は、よくよく考えれば数が膨大過ぎます。だから、高天原では最初に八百万神が象徴する何らかの増殖があって、それをスサノヲが食べる(数を調整する)という話から物語が始まったのかもしれません。彼も最初は害虫ではなく、益虫だった可能性があります。
しかし「彼の行動はますます酷くなっていった」と言われているように、彼が率いる軍団は増えすぎてしまい、許容範囲を超えてしまった。そこで今度はアメウズメが彼を捕食するために登場してきた。つまり、高天原のシーンは自然界の食物連鎖を語っていたと思われます。

以上のことから、私はアメウズメは害虫(害獣)駆除の神だと考えました。彼女は解放の神。その本質は、不都合な形で拘束されているもの、または侵されているものを解放すること。それがアメウズメの重要な役割なのだと思います。
だから、彼女率いる軍団は天孫降臨のとき、ニニギと共に葦原中国に降りていくのだと思います。そこで国つ神たちが暴れているからです。葦原中国の解放にアメウズメが挑むということだと思われます。
また、彼女は芸能の神とも言われていますが、その芸能も人々の心を社会的な束縛から解き放つ力を持っているので、そう言われているのかもしれないなと思います。
蛾の羽と神の衣
さて、ここからは今日最後のお話として、先ほど少しだけ触れた蛾の羽である神々が着る衣について、今日の考察を通して一つ気づいたことがあったので、それをお話して今日の解説を終えたいと思います。
古事記解説第42回でお話したように、機織り娘が神に献上する衣を織っていることから、天石屋戸シーンに日本の絹織物文化の起源を読み取ることができます。しかし、今回蛾の羽経由で絹織物よりももっと古い時代から人々に愛されていた、もう一つの織物文化があることを知りました。
蛾は、樹皮や枯れ葉などに擬態することができるので、古事記が語る「神の衣」である蛾の羽は樹皮でもあると言えます。そして、その樹皮で作られた「樹皮衣」というものがあり、これが日本における最初の衣ではないかなと私は考えました。

樹皮衣は樹木の内皮を織って作られたもので、アイヌの方々が着ている伝統的な衣装が有名です。レヴィ=ストロースいわく、インディアンもこの樹皮衣を着ていたとのこと。
また、天石屋戸シーンでは漆の起源も語られているわけですが、その漆も樹皮を引っ掻いて採集します。そういったことを考えると、衣服、蛾の羽、漆という、一見関連性がなさそうなものを繋いでいるのが、じつは樹皮だったということがわかったんですね。

樹皮は植物の皮です。それと対称性を取る形で、スサノヲは馬の皮を剥いで投げ落としています。ということは、天石屋戸シーンは皮を物語の中心に据えて、植物の皮から派生するもの、動物の皮から派生するものというように、皮が持つ多面性を語っていたと言えそうです。だから、今回ここで蛾が描かれていることも偶然ではなく、本質を同じくするものということで蛾が登場しているのではないかなと思います。

というわけで、今日はアメウズメのもう一つの姿についてのお話でした。次回は、今日お話した蛾の生態がじつは漢字の構造と深く関わっていることがわかり、その漢字の構造を通して天石屋戸シーンを読むと、まったく違ったストーリーが読み取れるよというお話をしたいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!