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古事記☆新解釈【50】高天原の総括「前編」/アマテラスは我が強かった!?/漢字の成り立ちから読み解く高天原

高天原総括前編アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

今日から高天原のシーンにおける総括的な話を、前編と後編の二回に分けてお話していきます。またその総括は、漢字の成り立ちをベースにお話していきたいと思います。

おさらい

おさらいになりますが、古事記解説第29回でお話したように、古事記は世界の成り立ちについてこう語っていると私は考えています。この世界は現代科学が示すようなビッグバンから始まったのではなく、あるとき宇宙卵のようなものが誕生し、それが細胞分裂をするようにこの世界が出来上がってきたと。

その宇宙卵は、抽象的な言い方をすれば、大きな意味の塊のようなものであり、その大きな意味の塊を切り分け、新しい意味を創造していくのがイザナキとイザナミの時代だと私は考えています。

高天原総括前編①

イザナミが大きな意味の塊としての女神、イザナキが既存の意味に異議を唱える、つまりそれを切り分け、新しい意味を生みだす男神。死んだ女神の身体から世界のあらゆるものが創造されたとする大地母神の神話は世界各地に存在するので、これは古事記に限った話ではないと考えます。

子どもたちの時代は「つなげる&挟む」時代

さて、イザナキとイザナミの親世代を「切り分ける時代」とした場合、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの子どもたちの世代はこうだと言えます。それは「つなげる時代」または「挟む時代」です。

親世代が切り分けたものは、そのままでは個々に存在している、点の状態なので、それらをつなぎ合わせて、そこに新しい関係性を見いだしていく必要があるからです。

高天原総括前編②

しかし、なぜ私が「つなげる時代」を、さらに「挟む時代」と変な表現で言い換えているかというと、じつは、「挟(む)」という漢字に関する話が物語の随所に出ているからです。

「挟」について

まずは、「挟」という漢字が持つ意味を見てみると、以下の通りです。

  1. 両側からおさえる
  2. 心に疑いを抱く
  3. 相対する
  4. さしはさむ
  5. 差し込む
  6. 脇にはさんで持つ(手挟む)
  7. 小耳にはさむ

これらの意味に関連した出来事が、高天原の場面でたくさん描かれているんですね。

高天原総括前編③

まず、【①両側からおさえる】は、挟むの代表的な動作なので、それを飛ばして②から見てくと…

「挟」に関連した話
  • 【②心に疑いを抱く】スサノヲが高天原に上ってくるとき、邪心があるから来たと疑ったアマテラスの心情
  • 【③相対する】アマテラスとスサノヲが天安河を挟んでうけいをしたこと
  • 【④さしはさむ】屋敷の天井から馬を投げ入れたこと
  • 【⑤差し込む】機織り娘の陰に梭が刺さったこと
  • 【⑥脇にはさんで持つ(手挟む)】儀礼中に布刀玉命が太い御幣を持っていたこと(太くて大きいものを持つときは、脇に挟むから)
  • 【⑦小耳にはさむ】天石屋戸内から外のにぎやかさを聞き取ったアマテラスのこと

このように、高天原ではずっと「挟」の意味に沿った出来事が描かれているんです。そういったこともあって私は、子どもたちの時代は親世代が切り分けたものを「挟む」ことを通じて、その中心部分にお互いが共通して持っている本質を発見し、それを結びとして、新しい関係性を見いだしていく時代なのだろうと考えました。

高天原総括前編④

「辰」について

しかも、これは「挟」という漢字だけが示していることではないんです。

以前の解説で私は、黄泉国からイザナキの禊シーンまで、なぜか「辰」に関する話がずっと続いているとお話したことがありましたが、そのときは、なぜ「辰」が出てくるのか、なぜそれに関連した話が繰り返し語られているのか、その理由がわからずにいました。しかし、今回の考察を通して何となくその理由が見えてきました。

高天原総括前編⑤-1

「辰」は、天体(日、月、星の総称)という意味を持ちます。そこから考えるに、たぶん、親世代が切り分けた個々の意味、それが星のようなものなのかもしれません。その星々を星座のようにつなぎ合わせ、そこに新しい物語を見出していくのが子どもたち。星座を形成するように関係性を構築していくこと。だから、「辰」の話が続いていたのではないかなと私は思いました。

高天原総括前編⑤

また、その関係性の構築は回転流を伴ったスサノヲの力を起点に進められていくので、宇宙のすべても軌道を描いて回転し、日々刻々と変わる星々に人間が意味を与えていることを考えると、古事記と宇宙にダイナミックな繋がりを感じて、大きな感動を覚えます。

ちなみに、星座は直線で繋がっていますが、古事記の場合は円を描き、そこに和合や調和というエネルギーが生まれていくのではないかなと思います。

高天原総括前編⑥

「厶(すき)」について

さて、「挟」の話に戻ると、この漢字の意味の中に、【⑥脇にはさんで持つ(手挟む)】というものがありますが、これが別の漢字と共通の意味で繋がっていることもわかりました。

それが「厶」です。カタカナの厶ではなく、これはれっきとした漢字で「すき」と訓みます。意味は下記の通りです。

  1. 農作業に用いる「すき」
  2. はじめる
  3. やわらげる
  4. 加工する
  5. わたくし(自分の意)
  6. ひじ
高天原総括前編⑦

漢字自体は、農作業に用いるすきの象形から出来ていて、また、肘で囲うように、小さく取り囲むことを意味する指事文字でもあります。高天原のシーンではアマテラスが田畑を営んでいたこともあり、この漢字の登場は自然な流れではないかなと思います。

また、【③やわらげる】や【④加工する】という意味から思い出されるのは、スサノヲがアマテラスの田畑を耕したり、伊斯許理度売いしこりどめ命や玉祖たまおや命が鏡や勾玉を作っていたりしたこと、つまり加工していたことです。ですから、高天原ではこの漢字に関連した話も描かれていたようです。

「挟」と「厶」の共通点とは

さて、この漢字が「挟」とどう関連しあっているかというと、「厶」から構成された「わたくし」という漢字。これは「自分」や「個人」といった意味を持つわけですが、漢字の成り立ちは、穀物を脇に抱えて自分のものにする姿からきているそうです。

つまり、「私」は「挟」という漢字の「脇に挟んで持つ」という意味と共通しているんですね。だから、「私」の意味には「自分のものにする」や「密かに」「こっそりと」というものも含まれているのだと思われます。

高天原総括前編⑧

このように、古事記にはいろんな漢字の成り立ちに関する話が描かれているわけですが、今回の考察でわかったのは、それら漢字はバラバラに誕生しているのではなく、「挟」や「私」のように一見関係なさそうに見える漢字たちがじつは共通の意味から生まれた仲間であり、それをベースに物語が展開しているということ。

古事記は、ある一つの本質から派生したさまざまなパーツを通して物語を多面的に語る特徴を持つわけですが、漢字においてもそれは変わらないということが今回新たにわかりました。

高天原総括前編⑨

「私」と「公」について

また、古事記は物語の中で、右と左、プラスとマイナスといったように、相対するものを同時に出してその対称(照)性を取っていく特徴も持っているのですが、漢字においてもそれは同じだということもわかりました。

たとえば、高天原では八百万神が登場していましたが、じつはこれも「厶」の漢字を持つ「公」として書き表すことができるんですね。

高天原総括前編⑩

そうすると、「公」の反対は「私」となり、「公」が集団である八百万神だとすれば、「私」の方は誰を指しているかというと、それは個としてのアマテラスということになる。なぜなら、「私」を構成している禾偏は穀物のことで、稲の神様はアマテラスだから。こうやって「厶」における漢字の対称(照)性が「私」と「公」によってキレイに整うんですね。

高天原総括前編⑪

ここまでのまとめ

というわけで、ここまでの話をまとめると、以下の通りです。

ここまでのまとめ
  • アマテラスたちの時代は、親世代が切り分けたものをつなげたり挟んだりしながら、そこに新しい関係性を見いだしていく時代
  • 高天原のシーンでは「挟む」という漢字に関連したさまざまな話が描かれている(疑念を抱く、相対する、差し込む、小耳にはさむなど)
  • 「厶」という農具の漢字からもいろんな話が生まれている(やわらげる、加工するなど)
  • 「挟む」と「私」が「脇に挟んで持つ」という共通の意味で繋がっている

というお話でした。

我が強いアマテラス

さて、ここからは今日最後のお話です。

「挟」が「私」と「脇に挟んで持つ」という共通の意味で繋がっていることはご理解いただけたかと思います。しかし、「私」の方は「自分のものにする」や「密かに」「こっそりと」という意味も持つことを考えると、何となくそこには自分勝手な印象が感じられます。

その自分勝手さについての話なんですが、自分勝手なことを別の言い方をすれば、「わがまま」もしくは「我が強い」とも言えます。ここで、嘘のような本当の話なんですが、古事記解説第45回で、高天原に大量発生した蛾の幼虫の話をしましたが、農作物を食い荒らすほどの蛾の大量発生はイコール「蛾(我)が強いよ」という話でもあったようなんです。

natan
natan

これ、冗談じゃなくて本当なんです(笑)

高天原総括前編⑫

誰の我が強いかというと、それはアマテラスです。「私」という漢字がアマテラスを指し、そこに我の強さを意味するものが含まれているからです。また、漢字以外でも、スサノヲが高天原に昇ってきたとき、アマテラスは武装して雄叫びをあげていて、その姿にも彼女の我の強さを感じるからです。

高天原総括前編⑬

さらに、『古語拾遺こごしゅうい』という平安時代の神道資料を見てみると、この妄想がいよいよ真実味を帯びてきます。

『古語拾遺』にはアマテラスの意外な側面が描かれていて、それは、うけいで誕生した長男オシホミミをアマテラスは引き取り、脇に抱えて過保護に育てたというもの。そこから「腋子わきご」という言葉が生まれたそうなんですが、オシホミミは「穂」という漢字を持つ神様です。その神様を脇に抱えて自分のものとしたというのは、これ「私」という漢字の成り立ちそのものではないでしょうか?やっぱり「私」はアマテラスを指す漢字であり、しかも彼女は我が強かった!

高天原総括前編⑭

アマテラスの我が強いだなんて、かなり意外に感じるかもしれません。これまでの彼女はおしとやかな女神というイメージでしたから…。でも、我の強さを持っているからこそ、彼女は天石屋戸にこもったとも言えるんですよね。なぜなら、我の強さは自分の弱さの裏返しでもあるからです。彼女はスサノヲの行動に対して「嫌だ、怖い」と思ったから天石屋戸に引きこもったんです。それは、自分の弱さゆえの行動と言えます。

さて、そんなアマテラスでしたが、アメウズメたちの働きかけによって天石屋戸の外に出てきて、それによって世界は明るく照らされました。

このシーンは、心理学的側面から見ると、アマテラスが精神的にも肉体的にも大きく成長できたことを表したもので、また、天文学的側面から見ると、ごくシンプルに太陽が隠れる現象(日食)が明けたシーンとしても読むことができます。

高天原総括前編⑮

ですが、今回のように漢字を通して再度このシーンを見てみたら、日食とは別の超重要な天文学的現象がそこで誕生していたことも新たにわかりました。というわけで、次回は、その高天原で生じた超重要な天文学的現象とは何なのかについて、今回と同じように漢字を通してお話してみたいと思います。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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