本日のトーク内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
今日はヲロチ神話の中から、スサノヲが求婚する場面を取り上げ、解説していきたいと思います。
原文/読み下し文/現代語訳

尒速須佐之男命 詔其老夫 是汝之女者 奉於吾哉 答白恐不覺御名 尒答詔 吾者天照大御神之伊呂勢者也 故今 自天降坐也 尒足名椎手名椎神 白然坐者恐 立奉 尒速須佐之男命 乃於湯津爪櫛取成其童女而 刺御美豆良…
尒して速すさの男命、その老夫に詔りたまひしく、「この汝が女をば吾に奉らむや」とのりたまひしに、「恐けれども御名を覚らず」と答へ白しき。尒して答へ詔りたまひしく、「吾は天照大御神のいろせなり。故今、天より降りましつ」とのりたまひき。尒して足名椎手名椎神、「然まさば恐し。立奉らむ」と白しき。尒して速すさの男命、すなはち湯津爪櫛にその童女を取り成して、御みづらに刺して…

そうして須佐の男命はその老父に「お前の娘を私にくれないか」と言うと、「恐れ多いことです。しかし、まだあなた様のお名前を伺っておりませんので…」と答えたので、「私は天照大御神の弟である。今天より降ってきた」と答えた。すると足名椎と手名椎は「そうでいらっしゃいましたか。かしこまりました。それでは娘を差し上げましょう」と答えた。そうして須佐の男命は、娘の姿を櫛に変えて角髪に挿し…
今日取り上げるシーンはここまでです。早速解説をはじめましょう。
解説
なぜスサノヲは続柄を述べたのか?
スサノヲはヲロチ退治をするにあたり足名椎に、「娘の櫛名田比売を嫁にくれないか」と頼みます。足名椎は「お名前を知りませんので、急にそんなことを言われましても…」と最初は少し躊躇していましたが、スサノヲが「私は天照大御神のいろせだ」と身分を明かしたら、快く娘を差し出すことを承諾しました。
私は、このスサノヲが名乗ったようで名乗っていないところが気になりました。彼は自分の名前ではなく、「私は天照大御神のいろせだ」と続柄の方(弟)を述べているからです。
アマテラスの名を出すことで相手の信頼を得ようとしたのかもしれませんが、私は彼が「いろせ」と言った理由は他にもあると考えています。

謙虚な気持ちから述べた
一つは、謙虚な気持ちからそう述べたということ。スサノヲが高天原から追放されたとき、彼は八百万の神に手足の爪を抜かれていたことを思い出してください。今のスサノヲに爪はなく、そんな彼が自分の名前を言わずにヲロチ退治をすることが何を意味しているかというと、それは「能ある鷹は爪を隠す」です。
「能ある鷹は爪を隠す」は、才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかさず、必要な時にだけ発揮するという意味のことわざで、実力があるからといって調子に乗ったり威張ったりせず、謙虚で控えめな態度を保つことの重要性を表しています。

スサノヲがヲロチ退治をする理由は、足名椎家族を救うためですが、後に草なぎの太刀をアマテラスに献上することを考えると、間接的にアマテラスに対する暴挙の償いにもなっていると考えます。
八百万の神がスサノヲの爪を抜いたことで、彼は謙虚な神に変わった。だから彼は名前を名乗らず、続柄の方を述べたのだと思います。
古事記からのあるメッセージが込められている
また、続柄を述べた理由はもう一つあって、それは古事記からのあるメッセージが込められているというものです。スサノヲが言った「いろせ」という言葉は近親者に対して使う言葉なのですが、これと似た言葉がじつは過去の場面にも出てきているんです。
その場面は二つあって、一つは黄泉国です。イザナキが亡き妻を追って黄泉国に赴いたとき、彼は戸の向こう側にいる妻に向かって「愛しき我がなにも命」と呼び、イザナミは「なせ命」と呼び合っていました。この「なにも」「なせ」が近親者に対して使う言葉です。
もう一つは高天原の場面で、アマテラスがスサノヲのことを「なせ命」(こちらは弟という意味)と呼んでいて、これも近親者に対して使う言葉です。
つまり、今回の場面は黄泉国と高天原の場面と関連性があるので、その二場面を参照すれば解読のヒントが得られるということになります。それを読者に知らせたくて、古事記はスサノヲに続柄の方を述べさせたのだと思います。

黄泉国と高天原から見えてくること
では、黄泉国と高天原を参照することで何が見えてくるかというと、登場人物たちに共通するシチュエーションがあるということです。それは、登場人物たちが何かを挟んで会話をしていることです。
黄泉国では戸を挟んで会話し、高天原(特にうけいの場面)では川を挟んで会話しているんですね。ということは、スサノヲと足名椎も川を挟んで会話していることになるんです。

川を挟んで会話している根拠①七夕伝説
その根拠は次の場面からも見つけることができます。話は少し逸れますが、スサノヲは櫛名田比売を櫛に変身させて自分の角髪に挿しました。この櫛は「湯津爪櫛」と言い、この音に近いものが黄泉国に出てきます。
追ってくる黄泉醜女にイザナキが投げ捨てた櫛が湯津津間櫛です。この櫛からはタケノコが生えました。ということは、今回の場面にもタケノコ(竹)が深く関わっていることが推測できます。そして、その竹と深く関わっているであろうものが、じつはヲロチの目なんですね。

ヲロチの目はホオズキのようだと言われていて、前回お話したように、ホオズキは7月を代表する植物で、「ホオズキは7月」と、「湯津爪櫛は竹」と関係しているとするならば、ここからある伝説が見えてくるんです。それは七夕伝説です。
7月7日の七夕に天の河を挟んで織姫と彦星が再会するという、あの物語。その再会は年に一回だけ許されているわけですが、面白いことに、ヲロチがやってくるのも年に一回です。
また前回お話したように、ヲロチ神話は季節誕生についても語っているので、であれば、ここで誕生する季節は夏で、7月の結婚は七夕伝説的なものだと言えます。このように今回の場面に七夕伝説との接点が多々見られるということは、スサノヲも彦星のごとく川の向こう岸にいると言えます。
ちなみに、スサノヲが彦星なのであれば、織姫は櫛名田比売ということになりますね。

川を挟んで会話している根拠②「其」の多用
でも、ここまで話をしてきて何なんですが、スサノヲが川を挟んだ向こう岸にいることや、彼が足名椎から遠く離れた場所にいることは、わざわざ七夕伝説を持ち出さなくても原文を読むとわかるんです。それは「其」という言葉の多さからわかります。

ヲロチ神話の原文を見てみると、至るところに「其」が使われています。「其」の使用はもちろん文法上それを使ったほうがいいから用いているわけですが、でもこれまでの古事記は説明不足と言えるような書き方をしてきたので、急にここにきてご丁寧に「其」を多用していることが私には妙に引っかかったんです。
「もしかしたら何か特別な理由があって”其”を多用しているのかもしれない」と思い、何度も何度もこのシーンを声を出して読んでみたところ、スサノヲが遠いところから足名椎たちと会話をしていることがわかったんです。
ですから、七夕伝説と「其」の多用から、スサノヲは遠いところから足名椎たちと会話しているというのが今回の結論です。また、なぜそのような状況になっているかというと、両者を川(肥河)が隔てているからです。

櫛について
さて、ここからは今日最後のお話として、先ほど触れた櫛について少しだけ深堀ってみたいと思います。
黄泉国で投げ捨てられたイザナキの「湯津津間櫛」と、今回出てきた「湯津爪櫛」ですが、名前の音が若干変化していることにみなさんはお気づきだったでしょうか?「つま」が「つめ」になっています。なぜ爪になっているかというと、たぶん爪をなくしたスサノヲが関係しているからだと思います。
爪はスサノヲの力の象徴でしたが、彼は八百万の神に爪を抜き取られてしまいました。そんな彼がもう一度力を得るためには、他者の力(爪)を借りなければいけない。だから、櫛名田比売を爪の名を持つ櫛に変えて、力を貸してもらおうと考えたのだと思います。
しかも今回は凶暴な爪(力)ではなく、女性の所有物である櫛の爪(力)を借りるので、ちょっと変わった戦い方になることが予想されます。

また、彼女の力を借りるには、「湯津津間櫛」が「湯津爪櫛」、「つま」が「つめ」になったように、最初に彼女を妻にする必要があった。だからスサノヲは求婚したのだと思います。
これは古事記の言葉遊びのようでいて、じつはヲロチ神話全体を眺めてみると、この話は夫婦で協力し合うことを重要視しているようなんですね。ヲロチ退治をするのはスサノヲと櫛名田比売、お酒造りをするのは足名椎と手名椎夫妻だからです。
このような協力体制もスサノヲが謙虚になったからこそ生まれたと言えます。少しずつ彼の成長が見えてきましたね。

というわけで、以上が櫛についてのお話でした。次回はお酒造りについて解説したいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!
