ようこそ、コスモ・ライフォロジーへ♪

チベット密教のまとめ

tibet 宇宙と性愛
natan
natan

私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、これまでお話してきたチベット密教の内容から、コスモ・ライフォロジーの観点から重要だなと思った点をまとめながら、コスモ・ライフォロジーではそれらをどうとらえているのかということをお話していきたいと思います。

▼ 参考文献 ▼

◎前回までのお話はこちら↓

スポンサーリンク

チベット仏教は「顕教」と「密教」から成り立つ

チベット仏教はそもそも、「顕教」「密教」から構成されており、

  • 顕教:さまざまな教理を駆使する理論的で学問的な内容
  • 密教:顕教の理論を実現にみちびく霊肉を開発するための実践的な修行法

上記のような違いがあります。

端的にいえば、「顕教=座学」「密教=実技」ととらえるとわかりやすいです。

ちなみに、日本にも密教が伝わってきていますが、密教伝来当時、密教に期待されていた機能が、いわゆる原始神道が担っていた機能と重なっていたという事実があります。

つまり、密教は日本の原始神道の考え方と似ているということですね。

チベット仏教

顕教と密教のそれぞれの重要性は同等のものであり、かつ顕教を十二分に学んだのち、密教へと移行するという規定が厳格に定められています。

その理由は、密教だけでは体験至上主義に陥って、みずからの体験のみを絶対化しがちになる危険性をはらんでいるからです。

コスモ・ライフォロジーでもお話していますが、意識進化を目指すためには、まだまだたくさんの階層を反転によってくぐり抜けていかなければいけません。

無意識の階層性03

「内なる私と繋がった」時点で意識進化は終わりではなく、さらにその先に乗り越えていかなければいけない階層がたくさんあります。

そのため、まずは宇宙論として無意識の階層性の構造を学んだのち、どうやって一つひとつ階層をクリアしていくかということを実践を通して探究し、答えを見つけていきたいと考えています。

ですので、コスモ・ライフォロジーも仏教と同じく、座学と実技をバランス良く学んでいくことを重要視しています。

また、密教修行は顕教を十二分に学んだ者だけが入ることができ、その修業に入るとき、修行者は大体30代後半~40代に達しているとのこと。

これは顕教の学びがとても大変だということを物語っているものではありますが、上記の年齢は神智学を学ぶときに定められたものとほぼ合致します。

神智学会に入門できるのは40代以降。

神智学では、世俗の問題を解決し、しっかりとした生活が成り立っている人だけが入門を許されているため、密教修行に至る年齢から推察すると、精神的な成長という点は密教も同じく重視していたのではないでしょうか。

これはコスモ・ライフォロジーに置き換えると、心の問題解決を図った上で、自己と他者の階層性に進むという順序を大切にしていることと同じです。

密教修行には女性パートナーが必要

密教の母胎である大乗仏教も、理論の面から性エネルギーは解脱のためには不可欠という結論を出しています。

理趣経では、「人間の煩悩はもとより、性行為もその快楽も菩薩の境地にほかならない」と高らかに宣言もされています。

密教では性的ヨーガを通じて、性エネルギーを活性化させて解脱を図ろうとします。

そこにはかならず女性パートナーを必要とします。

これはコスモ・ライフォロジーの観点からもいえることで、パートナーの存在が解脱に必要ということは、

一人の力だけで解脱は不可能である

といえると思います。

宗教は基本、修行者一人が自分の力で解脱を図っていくと思いますが、密教は唯一他者性をもった宗教だと思います。

これは、宇宙全体が双子の命で脈動していること、ヌーソロジーでもいわれている、自己と他者によって宇宙は成り立っているという考え方に素晴らしく一致します。

コスモ・ライフォロジーでは性的ヨーガやセックスに触れていますが、なにもその技法について語りたいわけではなく、内なる私と繋がる第一階層を突破したその次は、互いに絆を構築しあえる他者と出会い、ともに歩んでいくことでより良い人生が展開するよとお話したいのです。

そのためには、絶対に他者存在が必要だということをお伝えしたいのです。

異性愛をベースに語っているため、「男性/女性パートナー」と表現していますが、大切なことは肉体的な性差ではなく、ご自身が愛しているパートナーの存在が大切だというふうにとらえてください。

性的ヨーガの必要性

密教において性的ヨーガを行ずる理由、そして女性パートナーを必要とする理由は下記の二点です。

  1. 女性のもつ生命エネルギーによって、修行者の生命活動を活性化するため
  2. 究極の把握対象である「空性」を体得するため

修行者の生命活動を活性化するため

①は性行為を通して修行者の生命力を活性化させる目的があるようですが、ここで一つ注意したいことは、「女性がもつ生命エネルギー」といわれると、女性はそういった力を持っているんだと思うかもしれません。

この認識が間違った方向にいくと、「女神信仰」のように女性こそが宇宙であり神秘的な力を持っている、みたいに誤解をまねく事態になってしまいます。

そうではなく、宇宙の双子の命(ミックスツイン構造)をベースに語るコスモ・ライフォロジーでは、男性の力も同じく必要だと考えています。

密教解説は男性視点で語られているのでそういった表現になるんだと思いますが、性エネルギーを活性化させるためには、男性性♂と女性性♀の組み合わせが必要なのです。

女を女神に変えるのは、男(男神:おがみ)の力が必要

上記のことを、女性読者さんはよく覚えておいてくださいね。

ヤブユム02

「空性」を体得するため

②に関しては、仏教が最重要視している「空性」の把握、つまり「空」を把握するときは

強烈な快楽、歓喜

が伴うといわれています。

それはセックスにおいてパートナーを必要とするのと同じく、空性把握、ヌーソロジーでいうところの空間の顕在化には他者性を必要とすること。

そして、空性の把握に至ったサインとして、快楽、歓喜が伴うこと。

まさに、人間のセックスにおいて至高のオーガズムに達した状態と似ています。

快楽、歓喜、それこそが性エネルギーのなせる力です。

私の実体験でも、意識変化が起こったとき、快楽ではありませんが、とてつもない歓喜を体験しました。

natan
natan

あ~、こういうことだったんだ!

とわかった瞬間、もう涙が止まらなくて、大号泣。

感謝と幸せでいっぱいになった経験があります。

そして既存の概念が180度反転し、人生そして空間の捉え方が丸っきり変わってしまったのです。(空間は生命そのものだと知りました)

私以外にも、このような意識の反転を体験し、感謝と幸せの気持ちでいっぱいになり大号泣したという方は結構いらっしゃるようです。

なので、「空性」把握によって快楽が得られるように、人間の意識が反転を起こすときも歓喜が得られるという点は、実体験を通してすごく納得できるなと思っています。

パートナーとの年単位での修行

密教修行における性的ヨーガの実践は、特定のパートナーと年単位で修行に励んでいくそうです。

この点がすごくいいなと思ったのは、人生においてもただ仲が良いだけで繋がっている人というのは、実際問題が起こったとき、たやすく自分の元を去っていく可能性があります。

しかし、「この人が好き、この人を理解したい、この人とずっと一緒にいたい」と思える相手(異性、同性関係なく)がいる場合、目の前で問題が起こっても、二人で乗り越えていける強さを持つことができます。

そのための絆を構築するには、やはり年単位で互いが向き合う時間が必要になると思うのです。

ケンカをしても、ちゃんとお互いが向き合って話し合い、解決していくこと。

そしてそういった姿勢は、今後このブログで触れていく、女性性の目覚めという点においてもとても重要なのです。

女性性を目覚めさせること、人を愛すること、そして空間の顕在化には忍耐力が必要なのです。

特定のパートナーと向き合う忍耐力。

その力を育むためにも、パートナーと年単位で真正面から向き合う時間はとても重要だと考えます。

またそのことが、今後触れていく本当の男女間のコミュニケーション法にも重要な視点を与えてくれるのです。

この段階を乗り越えた先には、また新たな空性の把握の境地(無意識の顕在化)が起こってくると考えます。

性的ヨーガでないと女性は解脱できない

解脱という点において、女性は性的ヨーガを通してでないと解脱できないというのは、すごく興味深いです。

そもそも、男性さえも本当に一人の力で解脱したのでしょうか?

チベット密教の偉大な巨人ツォンカパでさえも、霊的ではありますが、女性パートナーを顕現させて性的ヨーガを行じています。

宗教は基本、性を厳しく規制するため、性に関する部分は伏せられていると考えますが、男性の解脱者も実際は性的なエネルギーによって解脱を達成しているのではないでしょうか?

これまでも上述してきたように、解脱には他者性が必要なのでは?

その他者は、紛れもなく女性(女性性)なのでは?

そして、性的ヨーガによって女性の解脱者を出したといわれる密教。

ここが、今後コスモ・ライフォロジーがセックスを取り上げる点と密接に関わってくるのです。

真の女性性を知るための重要なヒントです。

密教修行の最終段階はホトケそのものになること

密教はホトケに至るまでの修行なので、その内容は本家ヌーソロジー、さらにはヌーソロジーをもたらした冥王星のオコツトが見ている世界と似ていると感じています。

密教修行の最終段階は二つあるようで、

  1. 有学の双入(うがくのすんじゅく)
  2. 無学の双入

という段階があります。

有学の双入は、まだホトケから学ぶ余地がある段階であり、無学の双入はホトケの境地そのものです。

これはヌーソロジーに置き換えると…

  1. 有学の双入=ヒト?
  2. 無学の双入=真実の人間?

なのかもしれません。

はるか高次の話なので、妄想レベルでとどめておきましょう。

無学の双入に至ったとき、はれて解脱となります。

この双入に至るときに、快楽中の快楽が伴うといわれています。

まとめ

以上がチベット密教の総括となります。

快楽というと、どうしてもセックスというテーマを用いて話せざるをえないのですが、コスモ・ライフォロジーは何度もいうようにセックスの技法についてお話したいのではありません。

至福のセックスからヒントを探り、自己と他者が出会って絆を構築していく階層まで下って、男女の理想的なコミュニケーション法を見出したいと考えているだけです。

至福のセックスには、誰も知らない女性性の秘密が隠されている、というのが重要なポイントです。

次回は、ようやくコスモ・ライフォロジー的にどうこれらの情報を構造として落とし込んでいるのか、その点についてお話したいと思います。

次回もお楽しみに♪

タイトルとURLをコピーしました