本日の講義内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。この講座では古事記の読解力を上げるため、古代日本の信仰についてお話しています。今日は、中今の哲学についてお話したいと思います。
今回も民俗学者、吉野裕子先生の知恵を拝借しながらお話していきます。先生の詳しい紹介は、講座第6回をご視聴ください。

これまでのおさらい
まずは、これまでお話してきた内容のおさらいから始めます。
古代日本人は、太陽の運行に合わせた死生観を持っていました。沖縄の古代信仰を参考にすると、「あがり」と呼ばれる東のニライカナイ(神の国)から命の種がやってきて、男性の中に蓄えられ、男女がまぐあうことで女性の中に根づき、人間が誕生します。
また、人は人生を歩むことで徐々に「いり」と呼ばれる西へ進んでいき、寿命が尽きるとき西へ死んでいきます。このような、東から生まれ西へ死んでいくという、太陽の動きに合わせた死生観を持っていました。
その死生観をベースに、あの世とこの世、神の世界と人間の世界の関係性を見てみると、両者の中間には母胎が存在していることになります。その他、古代日本人は蛇を信仰していて、蛇の形状やその生態が象徴する性に先人たちは人間存在の本質を見ていました。

中今とは
死を止めたかった先人たち
このような死生観と蛇信仰を持つ中で、古代日本人は独特な哲学を見出したと吉野先生は話します。それは何かというと、「中今」と呼ばれるものです。
それはどういうものかと言うと、少し遠回りな話から始めますが、人は太陽と同じく東から生まれ、太陽が西へ移動するのに合わせて、人間も死の方向としての西へ進んでいくことになります。これは、逃れられない人間の宿命です。
この死へ向かおうとする生命の動きを抑止する方法はないだろうか。そう人々は考え、あることを思いつきました。それは、西に進む命を中央で迎えとるというものです。その独特な考え方が生まれた背景には、蛇の生態が深く関わっていました。
蛇は脱皮をしてその生命を更新するため、先人たちはこの神秘の力にあやかりたいと考えました。しかし、物理的に人間が蛇のように脱皮することは不可能です。物理的に無理であれば、呪術でそれを達成しよう。蛇の脱皮のように、人間も呪術的に脱皮すれば生命を更新できる(はず)。そう考えた人々は、あるものを脱皮の殻の代わりとして作りました。それが「仮屋」です。

仮屋について
仮屋は、人間の生命を更新するための特別な空間であり、人工的な母胎の役割を持っています。仮屋を脱皮時の殻の代わりに用いれば、蛇と同じように新生できると彼らは考えました。この仮屋の代表例が「産屋」です。
「産屋は落ち着いた空間で出産するために作られるのでは?」と現代人は考えがちなんですが、その産屋はその都度建てられては取り壊されるため、コスパ的に考えればとても非効率です。それでもなぜ産屋が毎回建てられたかというと、それはズバリ、新生児を脱皮させるためです。
新生児は生まれてすぐ亡くなってしまうケースが多く、その脆弱な命を確かなものに変えるためには脱皮が必要と考えられたからです。産屋は蛇の殻の代わりになるものなので、そこでの出産は新生児を再び人工母胎に戻して、脱皮直前の状態を作り出す呪術的行為になります。
また、新生児を人工母胎に戻すためには当然ながら性交も必要になるため、それを模した儀式も同時に行われました。
奄美大島の風習「イヤンハツ」
一つ例を挙げると、奄美大島に残っている風習に「イヤンハツ」と呼ばれるものがあり、これは「忌矢の初を挿す」という言葉からきているそうです。その風習では、妊婦が産屋に入り、無事出産を終えて赤ちゃんの産声が聞こえてくると、家の人が産屋の表戸口のところへ走っていって、「イヤンハツ、吾(わ)ガサチャド(忌矢の初は私が挿したぞ)」と大きな声で叫びながら、先の尖った棒を表戸口の上の幹に挿すそうです。
この奇妙な風習について吉野先生は、「イヤンハツは性交を模した儀式で、産屋の表戸口が女陰、棒が男根を象徴し、その棒を挿すことは新生児を再び胎児にしようとする呪術」だと話します。
この性交を模した儀式を契機に、新生児はスケールを一段大きくした人工母胎(産屋)に胎児として収まりなおします。胎児は子宮という窮屈な空間で手足を広げられない状態で一定期間過ごすので、再度胎児化させられた新生児もボロなどにくるまれて、手足をある意味で拘束されます。ちなみに、ボロは子宮内膜を模したものでもあるようです。
そして、地域によって差はありますが、7~10日間はそのままの状態で過ごし、胎児のこもりを経験します。こもりが明けたら肌着に腕を通し、外へ出て、産屋は取り壊されるのだそう。こもりの期間中も産屋の中では、様々な性交を模した儀式が行われるとのこと。この一連の儀式を経て、晴れて新生児は脱皮を果たし、延命することができるようになります。
でも、なぜせっかく建てた産屋を取り壊すのでしょうか?その理由は、産屋を残しておくと赤ちゃんが神の世界と繋がり続けてしまい、せっかくそこからやってきた子が再びそちらへ帰ってしまう、つまり死んでしまうと考えられていたからです。
以上のように、新生児は産屋によって人生最初の脱皮を経験することになります。母親の子宮が第一次母胎、産屋が第二次母胎で、それが蛇の脱皮の殻を模したものになります。
脱皮の儀式の例
さて、脱皮を模した儀式に関して吉野先生は、「古代日本人は産屋を第一号とする仮屋の呪術を人生の通過儀礼の中に繰り返し、それと同様のことが一年の間にも年中行事として繰り返され、生命を更新する努力が払われた」と話します。
年中行事の一例としてひな祭りを挙げてみると、ひな祭りは女の子の健やかな成長を願った行事ですが、これまで雛人形は少女の穢れを払うための人形だと言われてきました。しかし先生は、人形は脱皮の殻を模したものであり、少女が新生するための呪物だと言います。

雛人形が今のように豪華な姿になったのは江戸時代からで、それ以前は紙や植物で作られた簡素な人形が用いられてきたとのこと。そして、蛇は脱皮するとき湖や川など水がある場所で殻を脱ぎ捨てるため、雛人形においても儀式が終わったらその人形は川に流されたそうです。
その他、年中行事の中で大規模なものは、全国の神社で行われる6月の大祓の儀式や、正月、お盆も新生・脱皮の呪術になるそうです。
中今の哲学
このように、産屋をスタートにして年中行事でも定期的に新生・脱皮の呪術を繰りかえすことで、西へ向かおうとする命を真ん中の「今」という場所に留め、上へ上へその命を更新すること、これが「中今」だと吉野先生は言います。

「過去は東、未来は西であって、時は淀みなく過去から未来へ、言い換えれば西へ流れるものと考えられた。その時の流動は人を『老い』と『死』へ誘うものである。いつまでもこの『今』を今として留めたい。放っておけば時は不断にも東から西へ動き、『今』は刻々と死滅する。『今』を今として本来の流動を止めさせず、しかも東から西への死の方向に向かわせないためには、その『今』を中央に積み上げ、重ねてゆく他はない。中央に『今』を積むこと、それが『中今』。つまり『中今』とは呪術の『時』なのである」。
私たちが何気なく体験している年中行事は、じつは先人たちが考えた中今の哲学が凝縮したものだったんですね。
喪屋について
以上のように、脱皮の儀式は産屋が第一号でしたが、実は人が死んだときも神の世界に死者を新生させるために仮屋が建てられました。それが喪屋です。喪屋も人工母胎であり、一定期間死者をその中にこもらせて、その後遺体は適切な処理が施され、喪屋は取り壊されました。ここでも喪屋を壊さないと、あの世とこの世が繋がり続けてしまうからです。
ですから、新生・脱皮を行うための仮屋の三原則は、①建設、②こもり、③取り壊しであり、古事記でも仮屋についての話が出てくるので、そこには蛇信仰や蛇の脱皮が絡んでいると覚えておくと良いと思います。
禊の本当の意味
ところで先生いわく、蛇の脱皮を模した儀式が本来の意味での禊だと話します。禊の語源は「身を削ぐ」ことであり、それは脱皮によって殻を脱ぎ捨てる行為を指すとのこと。それが後世に入って禊は穢れを払うことに変化したようですが、そういう解釈も間違いではないけれど、ただ穢れを払うイコール禊としてしまうと、それでは説明がつかない日本の風習が多々あるので、私たちは「禊は脱皮」「身を削ぐこと」だという、その本来の意味を抑えておく必要があるのではないかなと思います。
以上が中今に関するお話でした。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

