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【古事記読み方講座】⑯神道と北斗七星の関係について/神嘗祭は地上に星座を描く神事

古事記読み方講座第16回アイキャッチ 古事記読み方講座
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本日の講義内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

はじめに

皆さんこんにちは、natanです。この講座では、古事記の読解力を上げるために、日本の古代信仰について解説しています。今回は神道を理解する上で欠かせない、北斗七星についてお話します。

今回も民俗学者、吉野裕子先生の知恵を拝借しながらお話していきます。先生の詳しい紹介は、講座第6回をご視聴ください。

吉野裕子先生について

おさらい

さて、講座第6回から9回において、日本の原始信仰は古神道であり、そこでは蛇が崇拝され、また古代人は太陽の動きに合わせて神も人も東から生まれて西へ死んでいくという、東西軸で見る死生観を持っていたことなどをお話しました。

その後、大陸から陰陽五行思想が入ってくると古神道は刷新され、神道が誕生しました。神道は、古神道の東西軸に南北軸を追加した、計八方位の宇宙観を持っています。

陰陽五行では、宇宙のはじまりである「太極」から陰陽が分化し森羅万象が創造されたと言い、この宇宙の中心である太極は、星では北極星が該当します。この北極星は、天帝(神)が顕現したものだと言われています。陰陽五行は天文学と密接に結びついているため、神道も天文学をベースに再構築されました。

太極は北極星

北斗七星について

北斗七星の基本情報

さて、北極星は動かない星のため、古代大陸の人々は神が移動するときは乗り物に乗ると考えました。その乗り物が今日のテーマである北斗七星です。

北斗七星は、北極星を中心に一時間に15度ずつ動き、一昼夜で北極星の周りを一回転します。そして、一日および一年でその剣先は十二方位を指します。神はこの北斗七星に乗り宇宙に出て、四方上下を治めるとされ、北斗七星は絶対に止まらない天の大時計として、陰陽そして夏と冬を分かち、四季の推移と二十四節気の調整を司り、陰陽五行の円滑な輪廻を促すとされました。

北斗七星①

また、古代大陸の哲学書『淮南子』によると、北斗七星には雌雄があり、子の月(旧暦十一月・冬至)午後八時頃にその剣先は北を指し、その後雄は左から、雌は右から回って別行動をとり、半年後の午の月(旧暦五月・夏至)に南で合流し、再び袂を分かって半年後、子の月で再会すると言われています。

この話を聞いて、「あれ?どこかで聞いたことある話だな」と思った方はいらっしゃいますか?そう、実はこれ、イザナキとイザナミが島生み・神生みをしたときの動きと一緒なんです。

北斗七星②

イザナキは「俺は左から回る、お前は右から回れ」と言いましたよね。もちろん、現実に北斗七星に雌雄はないのですが、私が考えるに、古代大陸において北斗七星に雌雄があるとされたのは、ベースとなる神話があったからだと思います。それは古事記のようなものだったのかもしれません。

なので、イザナキとイザナミも実は南北軸で動いていたと言えます。であるならば、古事記は二神の動きを通して、北斗七星を重視する神道の宇宙観で語っていくということを表明していたのかもしれません。

北斗七星は聖なる柄杓

さて、北斗七星は北にいる神を乗せてから動き始めるので、その始発は子の方角ということになります。また、子は陰陽五行でいえば水気に属するため、北斗七星は水を象徴していると言われています。

その他、北斗七星は柄杓型でもあるので、それが理由で古代人は北斗七星を農業と紐づけて考えていました。それは作物に水を与えてくれる神聖な柄杓だからです。

北斗七星③

古代日本においても北斗七星は、農事をする際の目安や航海時の方角の目印とされてきました。北斗七星の和名は「ナナツボシ」や「ナナヨノホシ」で、頭の二つの星を除いた五つの星が舟の形に見えることから「フナボシ」とも呼ばれていました。

北斗七星を象徴しているであろうイザナキとイザナミが誕生したときも古事記では「上かみの件くだりの国の常立神以下よりしも、伊邪那美神以前よりさきを、幷あわせて神世七代と称いふ」と言われているので、神世七代はこの「ナナヨノホシ」を指していそうだなと思います。

北斗七星の和名

北斗七星と神嘗祭

そんな北斗七星は、作物を育てる聖なる柄杓から派生して、穀物神でもあるとされました。その考えが神道に引き継がれたとき、神としての北極星は天照大御神に、穀物神としての北斗七星は豊受大神に習合されました。そのため吉野先生は、「伊勢神宮において天照大御神は内宮、豊受大神は外宮に祀られる形になった」と話します。北極星は中心、その外側に北斗七星が位置するからですね。

また、伊勢神宮の行事の中で神嘗祭かんなめさいと呼ばれるものがありますが、その祭りも穀物神である北斗七星の動きに合わせた神事が執り行われていると先生は言います。神嘗祭は、毎年秋にその年収穫された穀物を天照大御神をはじめとした神々に捧げ、収穫の恵みに感謝するお祭りです。神嘗祭には「宵暁由貴大御饌よいあかつきのゆきおおみけ」と呼ばれるものがあり、旧暦九月十六日亥の刻(午後十時)と翌日の十七日丑の刻(午前二時)の二回に渡って供饌の儀(神様に神饌をお供えする儀式)が行われます。

なぜこんな真夜中に行われているのかというと、先生いわく、「二度の供饌は北斗の剣先が真北を指すタイミングだから」と言います。実際には17日の午前0時に北斗の剣先が真北を指すのですが、その時間を挟むように亥の刻と丑の刻に神事を行っているようです。ですから先生によると、神嘗祭は別名「子の祭り」と言えるとのこと。

北斗七星と神嘗祭①

また、今は行われているかわかりませんが、「大玉串奉立おおたまぐしほうりゅうと奉幣ほうべいの儀」と呼ばれる儀式が、由貴大御饌の十二時間後の午の刻(正午)に斎内親王さいないしんのうによって執り行われていて、そのとき北斗の剣先は真南を指すので、先生はこれを「午の祭り」とおっしゃっていました。

北斗七星と神嘗祭②

全体を俯瞰してみると、真夜中の供饌の儀と日中に行われる大玉串奉立と奉幣の儀は、北斗七星が鏡写しになっていることがわかります。また、それらは国家神道が重視する子の方角にある水と午の方角にある火の儀式であり、南北軸で動いていることからイザナキとイザナミの島生み・神生みの動きを模倣した儀式になっていることもわかります。

北斗七星と神嘗祭③

でも、なぜ神道の行事が北斗七星の動きに合わせて行われているのでしょうか?じつは、古代では天上と地上の動きが一致したとき世界に秩序がもたらされると考えられていたからです。だから、北斗七星の動きに合わせて地上でも同じ動きを取らないといけなかったんです。吉野先生はこう言います。「地上に天上の星座を描くこと、それが伊勢神宮の祭り」と。

この神道の北斗七星の動きに合わせた行事は今日紹介した以外にもあるので、ご興味ある方は『吉野裕子全集第三巻』を読んでみてください。

最後に

というわけで、今日は神道を理解する上で欠かせない北斗七星についてお話しました。これまで神道は出自もわからない、神事にどういう意味があるのかも分からない、謎だらけの信仰と思われてきましたが、実は天文学をベースとした明確な理論を持っていることがおわかりいただけたかと思います。かなり理論的なものなので、直観タイプの私にとっては難しく感じますね。

私としては、神道は国家神道と民間神道の二種類があると思っていて、国家神道はゴリゴリの理論体系になっていますが、民間神道はもっとそれが砕けた形で、また古神道の色合いも強く残されたものになっていると考えています。ですから、私としては民間神道の方を紐解いていきたいなと思いました。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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