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【古事記読み方講座】⑮干支の基礎知識/古事記と日本書紀が編纂された時代を干支で解き明かす!

古事記読み方講座第15回アイキャッチ 古事記読み方講座
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本日の講義内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

はじめに

皆さんこんにちは、natanです。この講座では、古事記の読解力を上げるため、日本の古代信仰について解説しています。今回は干支についてお話します。

今回も民俗学者、吉野裕子先生の知恵を拝借しながらお話していきます。先生の詳しい紹介は、講座第6回をご視聴ください。

吉野裕子先生について

過去二回に渡って十干と十二支について解説してきましたが、この二つはペアで覚えることが大切です。というのも、十干の「干」は木の幹、十二支の「支」は枝で、この二つが合体して一本の樹木(幹枝かんし)を形成するからです。

また、十干は別名「天干」と言い、十二支は別名「地支」と言います。天と地は互いに交感・交合するので、必ずセットで見ることが大切です。

幹枝(干支)

干支について

さて、干支は十干の「十」と十二支の「十二」を組み合わせ、その最小公倍数である六十の周期で日や年を数えます。左上から甲子きのえね、乙丑きのとうしと進み、最後60番目の癸亥みずのといまでいったら一番最初の甲子に戻る仕組みです。

干支一覧表

この干支の組み合わせを「六十花甲子ろくじっかこうし」と呼び、生まれてから六十年を経て生まれ年の干支を迎えるのを還暦とします。六十年の干支の組み合わせを一巡することは一つの人生を行き切ったことを意味するので、還暦は新たに次の人生に誕生するという意味から祝福され、赤ちゃんと同じように赤い頭巾などがお祝いの品として贈られます。

干支の見方

さて、干支はそれぞれに特徴があり、一年の動きを占うとき参考にしたり、この期間はこれをやってはいけないとか、物事が上手くいかないから耐え凌ぐべしといったことも教えてくれます。

たとえば、十方暮じっぽうぐれと言われるものは、21、22、24、25、27、28、29、30の干支はそれぞれの五気(木火土金水)が相剋(つまり敵対)関係にあるものが続くので、物事が上手くいかないときだと言われています。

十方暮

また、49の壬子みずのえねは干支ともに水をたくさん含んでいるため、その年は寒冷凶作になると言われています。さらに、八専と呼ばれる黄色で塗りつぶした干支(49、51、52、54、56、57、58、60)は、干支それぞれの気が同じため、気が偏っていて物事が上手くいかないときだと言われています。

八専

2026年の今年は43番の丙午ひのえうまで、干支ともに強い火気の力を持っているので、今年はいろんなことが炎上すると言われています。どうでしょう?結構その通りになっていますよね。歴史も六十年周期で繰り返すと言われているので、古代の知恵は現代でも大いに活かせると私は思います。

干支で読み解く古事記と日本書紀

ここからは、古事記と日本書紀が編纂された年はどんな年だったのかを干支から読み解いてみたいと思います。たぶん、誰もこのような着眼点を持ったことがないと思うので、さてさて、干支から一体何が読み取れるでしょうか?

古事記の場合

まず、古事記からいきます。古事記は西暦712年に編纂され、旧暦では和銅五年正月二十八日です。太安万侶が古事記のプロローグの最後にそう記しています。編纂と言われていますが、この年に古事記を天皇に献上したという感じだと思われます。ちなみに、旧暦には「1月」という言い方はなく、その月は「正月」と表現されます。

さて、その和銅五年をググってみると、その年は壬子みずのえねと出ます。壬子はさっきも触れた49番目で、そこは干支ともに水をたくさん含んでいるので寒冷凶作になる年です。何という年に古事記を天皇に献上しているのでしょうか。もっとおめでたい年にすればいいものを…。

壬子

ところが、私が吉野先生の本を読んでいたとき、気になる記述を見つけたんです。先生は「西暦712年の干支は壬子で天干地支ともに水であるが、この年、唐の五代の皇帝睿宗えいそうは『太極』と改元している」と話していたんです。これを見た瞬間、「あ!だから古事記も712年に編纂されたんだ!」と私は思ったんです。

どういうことかと言うと、以前もお話したように、「太極」は宇宙の混沌を意味し、それが分化して陰陽が生まれ、その陰陽が森羅万象を創造していくからです。太極はすべての始まりであり、古代大陸思想においてそれは天帝(神)そのものでもありました。日本において太極は天照大御神のことです。

そして、壬子は干支ともに水気に属し、大量の水を保有していて、その水は生命を育む羊水のようなもの。そこから森羅万象が創造されるため、水気は生命の初発としてとても重要な原素になります。

以上のことを踏まえて古事記が編纂された時代背景を考えてみると、大陸では戦が勃発し、日本は663年に白村江の戦いで大敗。国をもう一度建て直さなければいけない中、日本人の信仰とその精神性をまとめた書物として古事記は編纂されました。この編纂は呪術的な意味合いをもって行われたものと思われます。

というのも、古事記は編纂完了の約30年前、40代天武天皇の時代に編纂命令が出て、天皇崩御によって作業は一時中断されたものの、43代元明天皇の時代に再度編纂命令が出て、太安万侶はわずか4か月で仕上げたと言われています。

国を建て直さなければいけない時期、そして30年前に編纂命令が出て、後にたった4か月で仕上げられた古事記。それらを考えると、古事記の編纂は壬子の年に向けて進められたと言えないでしょうか?ちょうど唐も元号を「太極」に改めていますし、その太極が意味するように、日本も唐も共に壬子の持つ生命初発の莫大なエネルギーにあやかろうと、呪術の一環として古事記編纂と元号の改めがあったのではないでしょうか?

日本書紀の場合

その流れで今度は日本書紀を見ていくと、日本書紀は720年に編纂され、その年は57番目の庚申かのえさるの年です。この年は干支ともに強い金気のエネルギーを持っているので、殺気ムンムンの年です。

日本書紀(庚申)

世界が殺気立っているので戦が多くなるという側面はあるのですが、もう一方で金気の時期は軍の兵力を増強したり城を修繕したりと、自国の内部を整えて次の戦に備える時期でもありました。ということは、日本書紀の編纂も強力な金気のエネルギーにあやかるために、庚申の年を目標に編纂作業が進められたのではないでしょうか?

庚申の翌年は庚酉かのととりですが、その年、古代大陸では一大変化が起こる年で「天(神)が命令を改め、王朝を建てる」と言われていました。ですから、やはりそれも視野に入れた上で、日本書紀は庚申の年に向けて編纂されたのではないかなと私は思います。

呪術はタイミングが命

陰陽五行における呪術は、タイミングが命です。古事記の場合、生命初発のエネルギーにあやかるためには、絶対に壬子の年は逃せません。日本書紀の庚申もしかり。

これまで古事記は日本書紀より後に編纂されたとか、後世の人が作った偽書だと言われてきたのですが、今日の解説をもって私はそれは誤りであり、古事記は絶対に712年の和銅5年に編纂されたと断言したいと思います。

なぜなら、繰り返しになりますが、壬子の力にあやかるためには、その年に編纂が完了していることが絶対条件だからです。呪術にごまかしは効きません。日付を誤魔化しているという言説は、呪術の力をそもそも侮っていますし、自虐史観に侵された頭で日本を見ているからそう思うんです。

唐の皇帝も元号を「太極」に改めているということは、世界中で712年(壬子)が注目されていたということです。だから古事記もその年に天皇に献上され、呪術は達成されなければいけなかったと私は思います。

最後に

というわけで、今日は干支についてお話しました。干支を通して古事記や日本書紀を見てみると、古代日本人が何を考え、なぜそのような行動を取ったのかが少しずつ見えてきます。

大陸から輸入された陰陽五行ではありますが、それを正しく理解することは、翻って古代日本人の思考や信念、哲学を理解することに繋がります。日本人が自虐史観を改め、純粋な目で日本の歴史を見られる日が来るといいなと切に願う今日この頃です。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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