私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日も、女性の性的快楽と女性性についてお話を続けます。
◎前回までのお話はこちら↓
性器に着目する理由
みなさんは、「性器」をどういったものとして捉えていますか?
「生殖のため」だったり、「快楽のため」と考えるのが一般的かもしれません。
もちろんそれも間違いではありませんが、コスモ・ライフォロジーは宇宙的に語っていきたいので、今回はもう一つの見方をご紹介します。
胎児の成長過程において、ペニスとクリトリスは元は同じもので、染色体やホルモンの影響によって生物学的に男になるか、女になるかが決まるので、意識の種類で表現すると、外性器と呼ばれるものは自我意識(男性性)を象徴しています。
そして、女性性は多様性を持っているので、もう一つ内性器にあたる膣や子宮などは、無意識を象徴しているとしてとらえることができます。
なので、無意識を象徴している女性器を知ることで、無意識の性質がわかるのではないだろうか!?ということで、女性器に着目するわけです。
自我意識にも大切なお役目がある
さらに、この話は男性にも大いに関係のある話だということを忘れてはいけません。
セックスにおいて、女性器が愛に溢れ、潤い、ほぐれ、熱くなり、いよいよパートナーを受け入れるとき、女性は快楽の道へ進んでいくわけですが、その道を開くのはパートナーである他者存在の役目です。
女性の性的快楽は女性性が花開くことであり、セックスで表現される男女の関係性を意識構造として語ると、
無意識を花開かせるのは自我意識の役目
と言い換えることができます。
ヴェシカパイシス=ヴァギナ
ヌーソロジーでは無意識と顕在意識の関係性を、「円心」という概念を使って説明します。
無意識と自我意識は円心関係にもあるように、すでにまぐわっている状態だと見ることができます。
そこにお互いの「歩み寄り」があることによって、円心の中央、いわゆるヴェシカパイシスが開いてくるとコスモ・ライフォロジーでは考えています。
そのヴェシカパイシスの部分に、キリストが宿るとされているのです。
キリストはまさに、「自己知、希望、創造性、勇気、集中力、自発性、至福感、超越感」を象徴したものです。
そして、
ヴェシカパイシスこそヴァギナ
なのです。
人間のセックスは無意識と自我意識の関係を象徴したもの
チベット密教の回でもお話したように、8世紀後半に『秘密集会(ひみつしゅうえ)タントラ』が、
「ブッダは、あらゆる如来たちにとって身体・言葉・精神の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた(=女性たちと性的ヨーガを行じておられた)」
という、衝撃的な文言を掲げて誕生したとご紹介しましたね。
キリストもブッダも女性器の中にいる。
つまり、人間におけるセックスとは、
無意識と自我意識(顕在意識)の関係性を象徴したもの
であり、ヴェシカパイシス(ヴァギナ)が開くために必要なことは、
無意識と自我意識の歩み寄り
であり、その歩み寄りが愛あるものであった場合、さまざまなものが創造されると考えます。
たしか半田さんも「創造のヴァギナ」と表現していたような気がする…。
なので、産道を通って生まれてくる赤ちゃんという存在は、パパとママの愛の結晶であり、キリストと同じ愛にあふれた存在なのですよ♪
ちなみに、完全なる余談ですが…
ミステリーサークルにも、上記の内容を象徴したようなものがあったみたいですよ↓
宇宙人はすでにこの事実を知っている!!
いやいや、ヌーソロジーでは宇宙人はいないと言ってるけどね(笑)
創造と快楽の関係
人間のセックスは、意識構造の関係性を象徴的に表現したものであり、さらにマクロ視点では、この宇宙を構成している宇宙的男女の関係性をも象徴したものとして考えることができます。
そこには「創造」というものがセットになっています。
人間のセックスには、二つの目的があります。
- 生殖目的
- 快楽目的
生殖目的は、もちろん子供を産むことですよね。
しかし、快楽目的は快楽を生みだすだけなのでしょうか?
いいえ、違います。
生殖活動によって生まれる子供を「見えるもの」とした場合、快楽活動によって生まれるものは「見えないもの」です。
この「見えないもの」は、思考や感覚的なものであり、それは前回もお話したように、「自己知、希望、創造性、集中力、自発性、至福感、超越感」だと私は考えます。
チベット密教のお話をしていたとき、インドに古来よりある認識として、
究極の智恵は、究極の快楽と不可分の関係にある
とご紹介しました。
これはまさに、セックスにおいて女性性が花開くこととは、究極の智恵を得ることだと思うのです。
新しい何かを創造したとき、「よっしゃー!!」と歓喜しますよね。
それはセックスにおいて、至福の快楽と歓喜を得た状態と同じだと思うのです。
究極の智恵を得るためには、女性性の開花が必要であり、それは自己と他者、男と女、無意識と自我意識の幸せな関係性と歩み寄りが何よりも必要だと考えます。
セックスは大人のハイレベルのスポーツ
私はつねづね、セックスの概念を変えたいと思っていました。
そんなとき、書籍『誰も教えてくれない大人の性の作法』(坂爪真吾、藤見里紗著)で、坂爪さんがこうおっしゃっていたのが心に響きました。
恋愛やセックスは、「いかに相手の立場に立った行動ができるか」を競うスポーツ。
▼ 参考文献 ▼
うはぁー!!これだよ、これ!!!
まさにハイレベルなスポーツだよ!!!
でも、私はこのスポーツが大好きなのだよ!!!
あ、別にセックスが大好きと言っているわけではありませんよ(笑)
(そして、嫌いとも言わない(笑))
信頼と安心感
私が考えるに、至福のセックスで求められるものは、
だと思うのです。
これはまさに、コスモ・ライフォロジーが目標としている、幸せな人生の創造に絶対に欠かせないものなのです。
自己と他者の深い親密な関係性を凝縮化して表現したものがセックスです。
セックスをベースに語っていますが、そこで求められる自他相互に信頼できる関係性というのは、
でも生まれます。
なので、どうしてもセックスというと男女をベースに語るしかないのですが、これは親密なコミュニケーションの重要性を語りたいのであって、本当はそこに性別なんて関係ないのです。
必要なのは、自己と他者の関係性と、
その関係性にどれだけ自分が安心感を得られるか
です。
ただし、自己と他者の関係性は何も人間関係だけでなく、自分一人でいるときから無意識と自我意識のレベルで始まっています。
たとえば、安心できる場所としてお風呂をあげてみます。
入浴中は心身ともにリラックスしますよね。
自我意識が主導権を明け渡し、無意識の心地よさに身を任せている瞬間。
ほっとすることで、体や意識が緩みます。
すると、いろんなアイデアがフッと降りてくることはありませんか?
これは今日のお話にそって言えば、「意識のヴァギナ」が少しほぐれた感じに似ていると思います。
それは女性性が少し花開いた状態であるため、そこから創造性が生まれたと考えることもできます。
だから、リラックスすることでアイデアが生まれるのだと思うのです。
これは男女問わないですよね?
ね。性別なんて関係ないでしょ?
絆を構築できる関係性が大事
自分一人だけだとアイデアの創出にも限界がありますが、ここに人間関係を通して他者存在が加わることで、さらに創造性や至福感が増大すると考えます。
でも、ただの人間関係ではなく、お互いが信頼しあえる、
絆を構築できるような関係性が必要
だと思います。
今は人間関係で絆を構築できなくなっていますし、男女の意識の分断も起こっています。
その個人レベルで起こっていることが、結果的に社会全体に反映され、人類全体が新しいものを創出できない、混沌とした世になっていると思うのです。
だから私は、幸せな人生にするために現実と向き合って、他者と関係性を構築していくことの大切さを伝えていくことをコスモ・ライフォロジーの主題にしています。
ただ、女性に対する情報が不足しているため、現状の男女のコミュニケーションはまだまだ不十分だと思ったのです。
女性が幸せになれること、女性性の開花には何が必要か考えたときに、性こそが突破口だと気づいたのです。
今まで抑圧されて開かなかった女性性が開花することによって、人間意識では思いつかない、宇宙的な智恵を得ることができるんじゃないだろうかと胸をワクワクさせているのです!
キリスト降臨!!
世界の大反転が起こる!!!はず(笑)
無意識と自我意識の絆を構築できる人、より良い人間関係を構築できる人だけが、創造のゲームを楽しむことができるんじゃないかなと思ってます。
なんか、スピリチュアル的な言い方をしてしまった(笑)
まとめ
というわけで、性器の新しい見方を少しずつでいいので頭に取り込んでみると、世界がまったく違った姿を見せてくれます。
人間の身体は宇宙の構造を象徴しています。
そういった視点で見たとき、私たちの身体は宇宙を語り始めます。
ですので、次回から女性器を取り上げてお話をしていきますが、それを一つの宇宙論として語っていきたいと思っています。
それでは次回は書籍『ヴァギナ』の内容に入っていきますね♪
次回もお楽しみに♪