私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、中世貴族の愛の形についてお話します。
▼ 参考文献 ▼
精神的な恋愛
「恋愛は中世の発明」という、有名なセリフがあります。
19世紀の思想家セニョボスの言葉とされていますが、その言葉の意味は、
近代から現代につながる恋愛の形が中世に作られた
ということです。
12世紀くらいに南フランスで生まれた中世宮廷恋愛は、
です。
ようするに、これはいわゆる身分違いの恋愛で、女性の方が立場が上です。
そして、肉体的な色恋沙汰を離れて、
精神的な恋愛こそが重要だ
ということを歴史上初めて大々的に打ち出しました。
このような恋愛観が、前回お話したキリスト教の愛の概念から影響を受けていることは明らかです。
キリスト教は、あくまで人間と神の間の愛という「無限の愛」がモデルです。
性欲から離れた「アガペー(神の愛)」の話です。
このキリスト教的な愛が、人間どうしの愛の中に入り込んできて、難しいことになります。
当時の時代背景
この新しいタイプの恋愛は、当時の時代状況を色濃く反映しています。
当時は封建社会であり、王の下に大領主たる大貴族がいて、その下には領主がいて、それぞれの領主の下に下級騎士が使えるというピラミッド構造になっています。
国同士、貴族同士で領地を奪い合い、血で血を洗う戦いをくり広げていました。
結婚は政治の中での最重要カードの一つであり、貴族の女性は政治の道具として結婚させられるのが当たり前でした。(政略結婚)
そのため、少女の頃から嫁ぎ先が決まっていたり、領主と妻の間に20歳以上の年齢差があったり、まったく心が通い合っていないこともよくあることでした。
領主や大領主はさまざまな紛争、十字軍の出兵などで、自分の城を留守にします。
城には若い妻が残され、護衛として下級騎士が城を守ります。
そこで許されざる恋が生まれるのは、誰にでも想像がつくことです。
きゃは♡
ローマ時代のところでもお話したように、妻の浮気はけっして許されるものではありませんでした。
領主にそのことが見つかれば、領主に下級騎士が殺されるだけでなく、貴族同士の同盟関係も危うくなり、一族の血を汚した罪で領主の妻さえも殺されてしまいます。
文字通り命がけの恋。
その「禁止」ゆえに、恋愛観の革命が起こります。
精神的な恋愛
というのが出てくるのです。
下級騎士が、領主の妻や身分がより高い女性に憧れても大丈夫。
なぜならそれは、肉体的な愛を超えた「精神的」な愛だからです。
家臣として、身分が高い女性に命の限りを尽くすこと、それが騎士としての成長にもつながります。
そして、領主の妻に命を賭けて仕えることによって、騎士としての忍耐力、忠義心が鍛えられるからです。
絶対的な主従関係に加え、非常に厳しい恋愛禁止のルールの中で生まれた精神的な恋愛は、それこそが「真の愛」だという話になっていきます。
キリスト教のモラルを反映している
「禁止」ゆえに対面上「精神的」な恋愛をしていることにした、と聞こえるかもしれません。
しかし、ここにはキリスト教の影響がしっかりあり、性的な快楽を追い求めるのはダメだというモラルが行き渡っているからです。
キリスト教においては、神様よりも女性を愛してしまうのはNGです。
あくまで女性を隣人愛、アガペーでもって愛するのであり、ローマのように粗暴なやり方で戦利品としてさらっていくのは罪になります。
そもそも女性は誘惑に弱い、罪深い存在とみなされる傾向があったので、それを肉体的な快楽へと誘うというのは基本的にダメなのです。
すると、肉体的ではない、精神的な愛、攻撃的な性欲のはけ口ではなく、柔和で安らかで慈愛に満ちた愛、それこそが大事だということになってきます。
今でいう「プラトニックラブ」に近いですね。
(ん?もう死語?)
精神的な恋愛としての中世宮廷恋愛は、このようにキリスト教のモラルを十分に反映しているのです。
女性の神格化
するとここで、女性の神格化が起こります。
守るべき女性、命よりも大切な女性は神格化され、崇拝の対象になっていきます。
「戦利品」としての女性が、「神様」にすり替わる、あるいは聖母マリアの一に意中の女性が置かれる、といってもいいかもしれません。
中世になると男女の立場が逆転し、女性の方が立場が上になります。
しかしそこはちょっと微妙で、やはり主導権を握るのは男性であり、女性のたしかに崇拝の対象にはなるが、人として崇拝されているというよりは、モノとして崇拝されているだけ、男性中心主義は続いているという見方をする人もいます。
真実はわかりませんが、少なくとも表面上は女性の方が立場が上になるため、立場が上の女性は男性に無茶ぶりをするようになってきます。
当時描かれた恋愛詩や恋愛物語では、意中の女性の愛情を得るためには、騎士は命を賭けて無理難題をこなさないといけませんでした。
レディーファーストの誕生
ちなみに、レディーファーストの伝統も、この中世宮廷恋愛から生まれています。
11世紀末に、南フランスで生まれた宮廷恋愛はイギリスに渡ります。
中世宮廷恋愛からは、女性のワガママを聞いてあげることこそ立派な男、というジェンダー観が立ち上がります。
逆に女性は、命を賭けて自分の欲望を満たしてくれる男、「本当に」私を愛してくれる男を見つけてこそ立派な女である、という価値観が持ち上がります。
こうして生まれたのが、レディーファーストの伝統です。
結婚の否定
もう一つ、中世宮廷恋愛の重要な要素として、
結婚の否定
があります。
中世における結婚とは、政治的、経済的な生き残り戦略です。
中世宮廷恋愛はそうした結婚にNOを叩きつけます。
周囲の状況が私の恋愛を決めるのではない、経済的な理由で人を精神的に好きになるのではない、それは世俗の論理である。
恋愛とは崇高なもの、地上の原理を超え、天上の世界へ吹っ飛んでいくもの、美徳の世界、理性の世界の話だる、というわけです。
そこには肉欲にまみれた恋愛はありません。
肉体を超えた、精神的な価値を追い求めるのが恋愛である、ということになります。
すると、「真の愛=精神的な愛=婚外恋愛」という等式が成り立ちます。
日本語では婚外恋愛のことを通常「浮気」と呼んでいるので、日本語に訳すと、
真の恋愛は浮気である
という命題に翻訳できてしまいます。
それが中世宮廷恋愛なのです。
理性的恋愛の誕生
現代人の多くの人にとっては非難ごうごうの概念ですが、しかし中世宮廷恋愛においては、肉体的な欲望を理性でコントロールする
理性的恋愛
です。
精神の気高さ、余裕、機知、徳の高さ(忠実さ、勇敢さ、奉仕の精神)、これを弁舌、論証によって示すのが大事とされていた時代でもあります。
「口説く」というのは、理性的な論証です。
恋愛においても、自身の肉欲をコントロールし、ときに爆発する恋愛感情を理性的に取り扱い、その手腕を見せるのが口説くという行為でした。
そして、相手がいかに優れた徳を備えていて、自分もいかに知性豊かであり、したがって私の愛は正当なものである、と論証するのが口説くという行為です。
日本人男性は意見が言えない、もてない、口説けないというのがヨーロッパにおける一般のイメージだそうですが、これは中世宮廷恋愛のような伝統が日本にはなかったのも一因としてあるでしょう。
しかし、この宮廷恋愛には裏の顔がありまして…。
それは追々お話するとして。
それでは次回は、日本の恋愛の概念にもなったロマン主義についてお話したいと思います。
次回もお楽しみに♪