私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第37回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、「神話とはなんぞや?」という話から、神話は私たちが意識進化をしていく上での教科書になる、というお話をしました。
そして、現在の私たちが参考にしたい神話は英雄神話です。英雄神話は、自我を確立していく物語です。そして、現代の私たちは、今まさに、自我意識をしっかり育てること、自我意識を確立させることが求められるため、英雄神話は現代人、とくに日本人にぴったりの神話だと考えます。
今日は天地創造神話から英雄神話までをお話したいと思います。その前に、おさらいとして、創世神話が生まれる以前の時代からお話させてください。
意識の胎児期
まず人類の意識発達は、無意識の状態から始まります。その頃、人類の意識を生み育てる力として大いなる母であるグレートマザーが、ウロボロスの蛇に表されるように、強大な生命維持装置としてグルグル活動をしていました。
ウロボロス内では、すべては自給自足であり、人類はグレートマザーのかわいい子どもとして、たっぷりの栄養を与えてもらいながら育ちます。イメージとしては、母親の胎内で育つ胎児のイメージです。
以前もお話しましたが、グレートマザーは人類の意識を育むために生まれた母性原理という力です。その力は「子どもはみな平等」というスローガンのもと、大切に大切に愛情たっぷりに意識の胎児としての人類を育んでいきます。その様子は、人間の胎児がお母さんの絶対的な保護下で、何も心配することなく、スクスクと育っていく様子に見てとることができます。
しかし、そんな優しいグレートマザーにも暗黒面があります。それは、母の膝下から離れようとする子どもを絶対に許さない、という側面です。グレートマザーから離れよう、自立しようとする子どもがいた場合、母はその子どもを縛りつけ、呑み込み、死に至らしめようとします。
人間の子育てで表現するならば、それは母親の過保護によって子どもの自立が阻まれる様子に似ています。
このグレートマザーという原始ウロボロスは、ユング心理学でいう「元型」の大本としての「原元型」にあたるものです。あらゆる元型をひとまとめにして持っている、元型の親玉みたいなものです。
私たちが当たり前のように「お父さん」「お母さん」と呼ぶ存在も、じつは元型の一つです。そして、それは原始ウロボロスの中で未分化な状態で存在しています。だから、ウロボロスは両性具有の意味も持っています。
人間の赤ちゃんをイメージしてもらうとわかりやすいのですが、赤ちゃんが生まれることで、それまで夫婦だった二人は、両親へとそのあり方が変化しますよね。「お父さん」「お母さん」という心的役割も、赤ちゃんが生まれることによって与えられる元型の作用だからです。
「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉にもあるように、人類の意識進化も、まずはグレートマザーという大いなる母の子宮内で育まれるところからスタートします。
それは混沌としたまどろみの世界です。旧約聖書では楽園として描写されています。胎児にとっては無意識の世界であり、胎児の夢の中の世界です。その混沌とした無意識の世界から一筋の光が生まれる、これが意識の誕生です。
創世神話とは、人間が意識によって世界を認識しはじめた起源について語っているものです。
天地創造のはじまり
マオリ族の天地創造神話
ではここから、天地創造のお話に入りたいと思います。
人間の出産は壮絶な陣痛とともに進んでいくわけですが、意識の誕生においても、神話を見てみると、たいへんな苦労や痛みの末に生まれたことが記されています。
ここで一つ、ニュージーランドの先住民であるマオリ族に伝わる天地創造神話をご紹介します。
原初の世界は混沌と無の世界だった。暗闇の中で「ポー」といううめき声に合わせて世界の動きが起こり、そこから光・熱・湿気が生み出され、世界最初の二神である天空神ランギと大地母神パパが出現した。
天空神ランギと大地母神パパは、その他の神々や天地の間にある万物を創造したが、二人があまりにも親密に、そして仲良くしっかりと固く抱き合っていたため、天と地が近づきすぎて光が届かず、世界は暗闇に覆われたままだった。
二人が生み出した子どもの神々であるタネ、タンガロア、ロンゴは、世界に光と昼を取り戻すためには、両親を引き離すか殺すかしかないと考え、二人を無理やりにでも引き離すことにした。
密着して固く抱き合っている天空神ランギと大地母神パパを引き離すことは簡単ではなかったが、森の神タネが頭を母の大地に押しつけて、足で父の天空を激しく蹴り上げることによって何とか二人を引き離した。
父と母は引き離された悲しみを訴えて泣いたが、二人が引き離されたことで、暗闇の世界に光が差して昼の時間が回復された。
母パパの嘆きの溜息は霧となって夫である天空へと上がり、父ランギの涙は大雨になって妻である大地に降り注いだ。
これがマオリ族の天地創造神話の内容です。数多くある神話の中でも、とても美しい内容とされています。
息子の誕生
天地創造の段階は、シンボルで言えば、原始ウロボロスの解体を意味しています。そこで誕生した人類の意識は、「グレートマザーの息子」という立ち位置になります。息子なので、まだ正式に親から自立できていません。とりあえずこの世に生まれたという段階で、「息子」という状態です。
人類の意識がまだ息子の段階のとき、自我の萌芽は母なる広大な無意識の海の中で、ときおり顔を出してはまた沈んでいく、小島のように弱々しい状態です。
小さい子どもをイメージしてもらうとわかりやすいのですが、大抵、幼児はお母さん大好きで、お母さんにベッタリですよね。その様子にも見られるように、意識は生まれたとしても、まだまだお母さんっ子で、お母さんに守ってもらいたい、お母さんに甘えていたい。お母さんが「右」と言えば右を向き、「左」と言えば左を向くといったように、自身の自立した意識はない、そんな段階です。
英雄の登場
息子から英雄へ
意識が生まれたときに原始ウロボロスの解体が行われるわけですが、そこでマオリ族の神話にもあったように、両性具有のウロボロスから父と母が同時に誕生します。そしてこの父と母は、今度は、第二のウロボロスの性質を持ちながら、息子を育てます。
のちに息子は親から自立しようと、親に反抗する時期がやってきます。そこで登場する存在が英雄です。息子から英雄へと子どもである意識は成長していく、そんなイメージです。第二のウロボロスである父と母は、息子を育てる一方、子供の自立を阻む存在として、英雄の目の前に立ちはだかってくることになります。
「竜退治」の真の意味とは
親への反抗は、まずは、母親ウロボロスに対して行われます。英雄神話で描かれる「竜退治」とは、まさに親からの自立を描いた物語です。竜とはウロボロスのことを指しています。
マオリ族の神話でも言われているように、神話では「親を殺す」という表現がたびたび用いられます。以前のラジオでもお話しましたが、人間の意識進化には、自分の内側に存在する内的な親を克服しなければいけないということで、「親殺し」の必要性について話をしました。それは親から精神的に自立することを意味しますが、親からの自立だけでなく、自我意識がより高い意識レベルに向かうために、無意識の惰性に打ち克つ必要があるということも意味しています。
意識が親から自立するとき、そして高い意識レベルに向かおうとするとき、神話ではいつも血なまぐさい戦いとして描写されます。私たちの意識進化において、実際にそういう行為が必要になるということではなく、ここで感じ取っていただきたいのは、自我意識の自立というものはたいへんな困難をともなうものであり、苦しみや痛みが伴うということです。これを乗り越えることで、自我が確立していきます。
英雄は、エジプト神話でいえばオシリス、日本神話でいえばスサノオが該当します。
スサノオがヤマタノオロチを退治するシーンは、母親ウロボロスから自我意識が自立しようと試みること、もしくは自我意識が無意識の惰性に打ち克とうとすることを意味しています。
英雄の失敗談
世界各地に存在する英雄神話は、みながみな自立を成し遂げられたわけではありません。ギリシア神話に描かれるオイディプス王は、自立を成し遂げられなかった悲劇の英雄として描かれています。このように神話は、成功体験だけでなく、失敗体験も描かれ、成功した場合には何が起こるのか、失敗した場合は何が起こるのかも、詳細に描かれています。
母親からの自立、そして無意識の惰性を克服できた場合、ヤマタノオロチ対決で描かれるように、英雄スサノオは草薙の剣という宝を得ます。このように英雄神話では、戦利品として、宝物やお姫様をゲットする流れになっています。この宝が今後、意識を進化、発達させていくために必須のものになっていきます。
英雄の去勢
そして、もし竜退治に破れてしまった場合、英雄はどうなるかというと、オイディプス王では最後に自分の目を潰したりしているように、「去勢」というものが行われます。
去勢はその字のごとく、男性性の性質をもつ自我意識が去勢されることであり、それはせっかくここまで育った自我が、広大な無意識の海へ戻ってしまうこと、母なる無意識の中で溶解してしまうことを指します。
それを現代人に現れる症状でいうならば、自我意識の低下、意識水準の低下によって起こる、うつや統合失調症、さらには性の中性化が起こります。また、母親ウロボロスを克服できなかった自我は、第33回でもお話したように、永遠に大人になれない、子どものような存在として生きていくことになります。日本人はこの段階を克服できない人が多い、というのが河合隼雄先生の見解です。
そして、母親ウロボロスとの対決後に、今度は父親ウロボロスとの対決が待っています。父親ウロボロスは、自分の父親をはじめ、社会や文化、教師や指導者なども含みます。
この段階で父親ウロボロスとの戦いに負けると、ここでも父性的去勢が入ります。症状としては躁状態、そして誇大妄想、個人主義、自我肥大が起こります。
先程、自我は母なる広大な無意識の海に浮いたり沈んだりしているとお話しましたが、自我意識と無意識の間には、心的引力なるものが働いています。その力はとても強いものであり、相当な自我の自立の力がない限り、自我はすぐ母なる無意識に飲み込まれてしまう危険性をつねにはらんでいます。
だから私は以前、「スピリチュアルや精神世界は無意識とつながることを素晴らしいと語り、自我をないがしろにするが、無意識とつながることは必ずしも良いことではない」と話したのは、無意識の扱い方を間違えると、英雄神話に描かれるように、自我が去勢されてしまう危険性があるからです。
日本人はさらに無意識との接続が強いわけですが、その接続は今現在も私たちに自覚されることなく続いています。「自我の確立が必要」と一言で言っても、私たちにとってそれがどれだけ重要なことなのかは、なかなか理解できません。しかし、竜退治に敗れた英雄神話を見てみると、それはかなり悲劇的な内容になっています。
ユングは言います、「自我は壊れやすく、大切な意識の灯火だから、守り育まねばならない」と。
神話は感性の部分にもかなり強烈に訴えかけてくるので、一度、みなさんが興味のある英雄神話を読んでみることをおすすめします。自我の確立の重要性が、よく理解できる内容になっています。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!