ようこそ、コスモ・ライフォロジーへ♪

【ろじろじラジオ】第33回放送★幼い日本人について/元型:永遠の少年~ユング心理学~

幼い日本人アイキャッチ ユング心理学
natan
natan

私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第33回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

スポンサーリンク

本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

第30回目の放送のときに、日本人の自我についてお話しました。今回は河合隼雄先生が危惧する、日本人の幼さについてのお話です。

永遠の少年とは

ヒーロー

河合先生が心理療法をしていく中で、昨今は心理的な少年が増えてきたと感じたそうです。そこで分析を進めていくと、元型の一つ「永遠の少年」が日本人男性に強く出ていることがわかったそうです。

「永遠の少年」は成人することなく死に、グレートマザーの子宮の中で再生し、少年としてふたたびこの世に現れます。英雄であり、神の子であり、グレートマザーの申し子であり、トリックスター(いたずら者)でもあり、しかもそのいずれにも成りきらない不思議な存在です。

この「永遠の少年」の元型はすべての人の無意識内の深層に存在していて、このような元型と同一化するとき、その人は文字通り「永遠の少年」になります。

永遠の少年に同一化するとどうなるかというと、彼らは社会への適応に何らかの困難を示しています。しかし、彼らは自分の特別な才能を曲げるのが惜しいので、社会に適応する必要はないと自らに言い聞かせたり、自分にぴったりとした場を与えない社会が悪いのだと思ったりしています。自分でとにかくいろいろ考えてみるけれど、いまだその時がこない、いまだ本物が見つからない、と、つねに「いまだ」の状態に置かれたままでいます。

ところが、ある日突然、この少年が急激な上昇を試みるときがあります。偉大な芸術を発表しようとしたり、全世界を救済するために立ち上がります。ときには起業してみたり。そのときのひらめきの鋭さと勢いの強さにはカリスマ性を感じますが、残念ながら持続性を持たないところに特徴があります。

彼らはこのようなとき危険を恐れないので、しばしば勇敢な人と思われますが、真実はその背後に働いているのはグレートマザーへの子宮回帰の願いであり、その願いのままに死を迎えることもあるそうです。仮に死を免れたとしても、突然の人生転落によって無為の生活が続き、また、ふとあるとき、まったく新しい形態をとって上昇に向かいます。

そして永遠の少年の元型を生きている人は、普通に考えればわかるようなことがわかりません。無意識の世界との接続が強いので、自分の身の回りのことに無頓着だったり、日常生活を送ることが上手ではありません。現実世界に無関心という特徴があげられます。

永遠の少年との出会い

私はこの話を知ったとき、ハッと驚いたのですが、私は人生の中で何人かの永遠の少年に出会ってきました。仕事絡みで向こうから声をかけられることがよくありました。

そういう方と一緒に仕事をしてみるとわかるのですが、ものすごい直感力と行動力を持っています。周囲からはカリスマと思われる、そんな存在です。話をするとすごく面白いです。

でも、それは最初だけで、次第にその人の内面性が出てきて、その人自ら場を壊すということをしだすんですね。仕事はできるけど、それは組織の中にいるときだけであって、その人が起業して独立したり、本業とは別のところで何かを始めると、とことんうまくいかないのです。人によっては直感力はあっても計画性がなかったり、全体を見通す力がありません。

その直感力というのは、グレートマザーとの接続が強いから起こってくることであり、その人自身の自我や無意識は、じつはまだまだ未成熟な状態です。母に従属し、母の指示に従っているといったイメージです。直感を活かそうにも本人の自我や意識の構造化が弱いので、その人の人生にそれをうまく適応させることができないようです。

永遠の少年は、「ピーターパン症候群」と呼ばれるものにも該当すると思います。

イニシエーション儀礼について

部族

日本人は母権的意識が強いとお話してきましたが、母権的意識が優位だった古代人たちはどのようにそこから自立してきたかというと、それはイニシエーションと呼ばれる儀式によって達成したようです。

未開社会には今もイニシエーションは存在します。それは少年たちが苦行に耐え、それを乗り越えること、そしてその社会の伝承についての教育を受けることによって、その宗教的・社会的地位を決定的に変更され、成人の世界に入ります。

テレビで昔、イニシエーション儀礼として、歯を抜いたり高いところから飛び降りたりというのを見たことがありました。

内的な親殺し

反抗期

近代はイニシエーション儀礼が消滅してしまっています。しかし、それは今度は私たちの無意識の中に生命をもち続け、ある個人のある成長段階において、その人にとってのイニシエーションが演出されるようです。

その多くが、自我を確立していく中で起こってくる、「内的な親殺し」というものです。この内的な親殺しは、実際の親のことではなく、意識における親のことであり、それは母性原理や父性原理のことです。実際は自分の意識を支配する母性原理や父性原理を外界に投影させ、そこで葛藤しながら自我は自立の方向へ向かっていきます。

ここで間違ってはいけないことは、内的な親殺しは実際の暴力等で行われるものではなく、意識の葛藤を乗り越えることを意味します。これがもっとも顕著に現れる現象が反抗期と呼ばれるものです。

父性原理は一般的には社会、文化、道徳、教師や指導者、そして自身の父親へと投影され、私たちはそこで自我の自立を図っていきます。母性原理は自分の母親をはじめ、故郷や共同体などに投影され、自立が図られます。

しかし、この内的な親殺しは、あくまで家庭内だけに話を限定してみると、昨今は聞き分けのいい大人しい子どもが増える傾向にあり、親との衝突を経験することが減ってきているため、イニシエーションである内的な親殺しをする機会が減っているようです。

さらに親の支配が強いと、投影が歪んだ状態で家庭の外に向けられたりします。最悪の場合、事件が起こったりもします。

日本文化に現れる日本人の幼さ

魔女

永遠の少年性は日本文化に顕著に現れています。例をあげると、漫画やアニメです。キャラクターのビジュアルは年々幼さが増していると感じます。あと、ストーリー展開にも日本人の幼さが出ているようなのですが、私はその件についてはあまり詳しくありません。ヌーソロジーの先輩にこの件について興味深い考察をされている方がいらっしゃるので、後日その方をゲストとしてお招きして、お話を聞いてみたいと思っています。

文化は、その国の人たちの精神性をもっとも顕著に表すものなので、漫画やアニメのキャラクターのビジュアル、そしてストーリー展開は深層心理的に見るととても興味深いものに感じられます。

もちろん、幼いビジュアルを描くから、それを描いた漫画家さんやその漫画を好む人全員が幼いという意味ではないのでご注意ください。この話は日本人の集合的無意識の一つの現われとして、個人ではなく全体に対して語っています。

幼いビジュアルとは別に、女性の胸がありえないほど大きく、お尻も大きいキャラクターもいますよね。すべての女性から総ツッコミされそうなビジュアルですが、これはグレートマザーへの子宮回帰の願望の現れだと感じます。

ユング派心理学者でありユングのお弟子さんであるエーリッヒ・ノイマンも、男性が豊満な体を持つ女性を好むとき、その無意識にはグレートマザーの元型が作用していると話していました。

ですから、女性にとってそのようなアニメや漫画を好む男性は幼い女性、もしくはセクシーな女性が好みなのだろうと考えがちなのですが、じつは違います。

じつのところそれは、男性自身のアニマや子宮回帰の願望をキャラクターに投影している可能性があると考えます。表面上の意識ではそういう女の子が好みなのかもしれませんが、無意識の部分では自分のアニマに恋をしています。これはYoutubeでお馴染みのオタキングこと岡田斗司夫さんも指摘されています。

昔話から見る日本人の精神性

浦島太郎

浦島太郎

日本人の精神性を語るとき、日本の昔話がとても参考になります。

先程お話した永遠の少年は、昔話で言えば「浦島太郎」に該当します。40過ぎの浦島太郎は年老いた母と二人で暮らしています。三日三晩釣りをするが釣れず、出会った亀に連れられて竜宮城に行きます。そこで三年くらい暮らしますが、年老いた母のことが気になって、地上に帰ると言います。そこで乙姫様から玉手箱をもらいます。しかし、「絶対開けてはいけません」と言われていたのに、地上に帰ったときそれを開けてしまう。地上では300年の歳月が流れていて、浦島太郎は一気におじいさんになってしまうというストーリーです。

深層心理の視点で浦島太郎を読むと、この話は永遠の少年の話であり、年老いた母がグレートマザー、浦島太郎が永遠の少年、乙姫様は浦島太郎を自立させようと働く存在として見ることができます。結果的に、浦島太郎は母の元へ帰りますが、母はおらず、玉手箱を開けるなの約束も守れず、おじいさんになってしまう。

実際、永遠の少年として生きている人は、ずっと自分が若いと思い続け、いつか成功することを胸に抱きながら生きていますが、そのいつかはやってこず、気づいたら年老いているという、まさに浦島太郎のような生き方をしています。

かぐや姫

かぐや姫

このように、河合先生はとくに日本人男性に焦点を当てて、昔話を用いて永遠の少年や幼い日本人の精神性について語られるのですが、これは女性にも当てはまることだと考えます。

女性の場合も精神的に幼い人がいて、それを昔話でたとえると、かぐや姫のような存在です。月の存在であるかぐや姫は「この世界は私がいるべき世界ではない」「私には帰る場所がある」「私は特別な存在なのだ」というように、存在の不安感に揺れている女性です。

これは思春期の女の子が心の深層で体験することなのですが、大人になってもこの段階から成長できない女性がいます。私はこういう女性のことを「永遠の少女」と呼ぶことにしました。

ただ「永遠の少女」といっても、女性の場合は男性とは違い、グレートマザーの子宮へ帰るというよりは、次の命を育むための子宮として生まれ変わるという役目があります。娘は子を宿すと母になるので、母と娘は一体です。

したがって、第二のグレートマザーという意味で正しくは「母の娘」と表現した方が適切だと思いますが、現時点の日本人の幼さだけに焦点を当てると、それは「永遠の少女」という表現の方がいろいろ考察しやすいので、そう呼んでみたというわけです。

意識進化の課題

永遠の少年少女の型に同一化せずとも、内的な親殺しによる自立ができないために、少しずつこの型が強く出始めていることはあるように思います。

人間誰しも自我の自立を図る前までは、さまざまな元型が年齢そして環境によって働きはじめ、その元型そのものを体験するのだそうです。そして、自我を確立する際に、それまでに体験してきたさまざまな元型を今度は自分の内側に取り込んで、「個性化」と呼ばれる段階に進みます。

しかし、自我の自立が図れない場合、元型を取り込むことができず、元型そのものに意識を支配されてしまうようです。この詳細については、また後日詳しくお話したいと思います。

こういった現状を踏まえると、ヌーソロジーが目指す無意識の顕在化は、それを目指す以前に、どのように内的な親から自立して自我を確立していくか、無意識と自我意識をどのように育てていくかを真剣に考えていくことが必要だと考えます。第27回でもお話したように、意識の胎児が霊的出産に至れるようにトツキトウカしっかり育てること。

歳を重ねるごとに、内的な親を投影させる相手や現象がなくなっていきます。だから若いうちからいろんな大人や社会に内的な親を投影して、葛藤しつつ少しずつ自立を図っていくことが大切なのかもしれません。

子どもの反抗期や自身の投影という現象は、意識の成長において欠かすことのできないものです。投影先がなくなったり、投影先が二次元のキャラクターにとって変わると、その人の意識は成長することが難しくなります。

人間はお互いを投影しながら、進化を図っていく存在です。生身の人間、それが必要なんです。意識の成長には難しい課題が山積みです。これを真摯に受け止め、危機感を持って自分と向き合っていくことが求められます。

今回は否定的に永遠の少年の元型についてお話しましたが、元型そのものは一人の人間の中にかならず備わっているものです。元型それ自体に良いも悪いもなく、自立を図りながらさまざまな元型をバランスよく働かせることが大切だと思います。

このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

タイトルとURLをコピーしました