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【ろじろじラジオ】第54回放送☆コスモスとユニバースの違い、四位一体の達成で見えてくるものとは?

No54:女性的な宇宙観アイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第54回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前回は、四位一体についてお話をしました。自我意識優勢の現代において、すべては三位一体構造で働いており、その構造が自らを、そして世界をも苦しめている。これを四位一体構造に変えることで、新しい心的機能が生まれるよ、意識が新しい世界へ進出できるよ、だから4を獲得していこう!というお話でした。

今日は、四位一体が達成されたときの全体性を表す1の世界について、想像力を駆使してお話をしてみたいと思います。なぜその世界を「女なるものの世界」と表現するのか、そして、その世界へ進出するためには何が必要か、ということについても触れていきたいと思います。

二つの宇宙

宇宙02

まずは、言葉のお話から始めたいと思います。みなさんは、宇宙を表す言葉が二つあることにお気づきでしょうか?それは「コスモス」と「ユニバース」です。

「なぜどちらも宇宙という意味なんだろう?」と、不思議に思ったことはありませんか?私もずっと不思議でした。その理由について、まずはお話していきますね。

コスモスの意味

ユング派のジェイムズ・ヒルマンによると、「コスモス(cosmos)」はギリシャ語であり、元は美的感覚的な観念や多神教的な観念を有する言葉だったとのこと。コスモスは宇宙の感覚機能であり、手触りや肌理(きめ)、トーン、味わいをもっているそうです。まさにそれは美を象徴するものであり、そこには秩序も存在しています。

そういった観念をもちながら、古代ギリシャ人たちは宇宙を「コスモス」と呼んでいたそうです。

ユニバースの意味

そして、宇宙を表すもう一つの言葉「ユニバース(universe)」。ユニバースは、一つの円環、あるいは、一つに傾いていくという意味をもつ言葉です。

ローマ人たちは、帝国主義を強めるために、宇宙に対するギリシャの特殊な感覚を抹消し、世界を統一しようとしました。ユニバースという言葉は、ギリシャを征服したローマ人たちが用いた言葉だそうです。

コスモスとユニバースの違い

イメージとしては、コスモスは女性的な宇宙観、ユニバースは男性的な宇宙観という感じですね。

コスモスという言葉は、「似合って」「たしなみよく」「時宜にかなうように」「見事に」「立派に」といった美的感覚的な特質を含んでいて、語源を同じくする言葉に、化粧品(cosmetic)があります。コスモスは、とくに女性に対しては、装飾品との関連で用いられるそうです。

ローマ人たちの行為を知ると、ユニバースの言葉の印象がとても悪く感じてしまいますが、言葉自体は悪いものではありません。コスモスとユニバースという二つの宇宙観の違いは、図形でイメージするとわかりやすくなります。

頭の中に一つの丸い円をイメージしてみてください。円の表面、円周がユニバースで、円の中身を満たすものがコスモスです。だから、宇宙の外皮がユニバース、宇宙の中身がコスモスということ。深層心理学的に言うならば、ユニバースはロゴスとしての男性原理、コスモスはエロスとしての女性原理になります。

ユニバースとコスモスの違い

だから、どちらも宇宙それぞれの側面を表している言葉なのですが、ただ、物事の本質を知るための順番というのは、中身を知ってから外を知るということが大切だと思うので、ローマ人たちがギリシャ人たちのコスモスという宇宙観を消し去ってしまったというのは、とても残念なことだなと思います。

中身のない宇宙としてのユニバースは、広大無辺で空無という感じですね。それは現代人の宇宙観そのものなので、私たちはローマ人譲りの男性的な宇宙観を持っているのだと思います。

女性的宇宙観としてのアフロディーテ

古代ギリシャ人たちは、コスモスを通して感じる女性的な宇宙を、愛と美と性を司る女神アフロディーテとしてイメージしていました。これはユングの元型論でいえば、太母神であるグレートマザーに該当します。グレートマザーは、私たち人類の意識を育てる大いなる母です。

アフロディーテ

私は「宇宙はアフロディーテか。この宇宙観を日本人に合った表現に変えたら何になるかな?」と考えていたとき、「あ!」と気づいたんです。古代ギリシャ人が感じていた女性的な宇宙観は、日本人にとってはあの世界観だと。

その世界観とは、美空ひばりの歌の世界。美空ひばりの歌はすべてが素晴らしいのですが、その中でも私が一番好きな曲は『愛燦燦』。曲調、歌詞、衣装の美しさ、表情豊かな顔。人生の光と闇、両方を優しく包み込みながら、美しく歌い上げる美空ひばりの歌唱力の素晴らしさ。

美空ひばりが生み出す、切なく悲しくも愛おしい美しい人生観。この歌声に心震わせて涙する日本人の感受性。これこそが、古代ギリシャ人たちが宇宙に感じていた感受性に近いと感じました。

Youtubeで『愛燦燦』を検索して、ぜひ一度聴いてみてください。動画の中には、白く美しい衣装を身にまとって歌っているものもあります。この姿を見ると「アフロディーテだ!!」と叫びたくなります。きっと、美空ひばりは、日本に降臨したアフロディーテ、女神の元型をもった人だったんだろうなあと思います。

このように、日本人は古代ギリシャ人たちが宇宙に対して持っていた感受性に似た感覚を持っていると私は思っています。

四位一体の1とは

三位一体から四位一体への移行

さてここで、前回お話した四位一体についても触れていきたいと思います。

今現在、私たちの意識は三位一体構造を持っているわけですが、これを四位一体構造に変えていかなければならないというミッションがあります。これは心の世界の話であり、また、4の獲得には大人の経験論的思考と成熟した想像力が必要になると前回お話したので、今回も、自我意識を王子様、無意識をお姫様とおいて、おとぎ話風にお話していきますね。

三位一体構造の世界が不穏な状態となり、王子様は四位一体を達成すべく、4を求めて旅に出ます。この4なるものは新しい世界を拓くゲートでもあり、そこではお姫様がゲートを守っています。

ここで、王子様とお姫様との間でさまざまなやり取りが行われます。王子様が、本当にこのゲートを開くにふさわしい人か、または、そこで苦しんでいるお姫様を救うことができる強さを持っているかなど、さまざまな試練が王子様を待ち受けています。それらの課題すべてを乗り越えたとき、王子様の素晴らしさが認められ、晴れて二人は結婚する運びとなります。ここで四者性が達成されます。

しかし、話はそれで終わりではなく、その後お姫様は王子様との間に子どもを身ごもることになります。この段階にきて、ようやく四位一体構造、全体性である1が達成されると考えます。つまり、これを意識進化として捉えると、4のゲートが開いて、意識がその先にある新しい世界へ進出することができた、ということになると考えます。

4のその先は子宮の世界

妊婦

妊娠とは、当たり前の話ですが、女性の子宮の中で起こる現象です。ということは、このおとぎ話の文脈で言えば、4のその向こう側、全体性を表す1が登場するその領域は、言い換えると、お姫様の子宮の中の世界と表現することもできると考えます。

宗教的な文脈でいえば、それは「彼岸へ渡る」と表現されるかもしれません。死の世界のことですね。

ヌーソロジーのベースになっているOCOT情報では、「死後の世界は女性の子宮の中にある」と言われています。

natan
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たぶん、ヌーソロジーはその領域のことを「元止揚(ゲンシヨウ)空間」と呼んでいるのかなあと…。

自我意識である王子様と、無意識であるお姫様の霊的なセックスによって宿る宇宙的な受精卵。これは身体宇宙論的な話であり、スケールが大きすぎてイメージそのものが難しい世界観かもしれませんが、私の考えでは、自我意識がもつ男性性の力(ヌーソロジーではロゴスと言います)は、霊的な精子を象徴していると思っています。

natan
natan

これは冗談抜きに!です。

そして、無意識としての女性性は受精前の卵子。人間に見られる男女のセックス、そして女性の妊娠、出産という過程は、宇宙のダイナミックな霊的な動きを象徴したものだと考えます。

ですから、そう考えてみると、人間の卵子は排卵日を迎えないと出てこないので、4との出会いも適切なタイミングというものがあるんだろうなと思います。

女性的な宇宙観の復興に向けて

性愛の重要性

恋人

さてここで、女性的な宇宙観、コスモスの話に戻るのですが、宇宙の本質を知っていくためには、その中身から知っていかなければいけないとすると、私たちがこれから知っていかなければいけないことは、女性の身体性、そして女性の心だと考えます。これは学問的に学ぶのではなく、実際の男女関係を通して学んでいかなければいけないことだと考えます。論理的な宇宙論はその後です。

そして、女性さえも自分自身のことを、未だ理解できていない現状があるのもまた事実です。

私が展開しているコスモ・ライフォロジーという思想は、男性性と女性性が築く幸せな世界の創出を目指すものですが、今日の話でいえば、男女が共に向き合うことを通して4の獲得を目指し、そして、性愛を通して四位一体を達成することを目指す思想でもあると言えます。

女性のリスナーさんには、男性性と女性性の結合を通してみる宇宙観は、比較的抵抗なくスーッと理解していただけるのですが、男性は宇宙論をどうしても思考のみで捉えるところがあるので、私はこれまで、男女関係そして性愛がどうして宇宙論に結びつくのかを上手く伝えることができずにいました。

でも、ようやく、しっかりとお伝えできるときがやってきたと感じます。

まず、宇宙を知るためには、宇宙はコスモス経由でユニバースに出ないといけないということ。そして、コスモスは女性原理であり、豊かな感受性を通して女心、そして女性の身体性を知っていくことで宇宙の本質を知ることができ、さらに意識進化と新しい世界への進出が達成されると考えます。だから、男女関係そして性愛を通しての意識の成長が大事になります。

女性原理の世界は聖域である

月

ユング派のアンジェラ・ヴァイプリンガーという方は、コスモスとしての女性原理の世界をこのような美しい言葉で表現していました。

心のもっとも深層の秘密にみちた王国において、心は全面的に女性的であり、陰すなわち豊穣と死の暗い底なし沼が、柔らかな月の光に照らされて銀色に輝いて支配している。この国を理解することができるのは、経験豊かな女性の予感にみちた感情によってのみであり、それもほんの一部でしかない。

4の向こう側にある新しい世界は、三次元世界のように物理的な世界ではありません。また、知性だけで到達できる世界でもありません。なぜなら、ヌーソロジーのベースになっているOCOT情報でも、人類の意識がこれから進出していく領域はシリウス領域であり、精子と卵子が結合することがシリウス領域に入ることを象徴していると言われているからです。そこは女性の子宮の中であり、子宮は女性原理そのものです。

ということは、言い換えると、こう表現することもできます。その世界は女性原理の許可なしに入ってはいけない世界だということ。無理やりその世界に入っていこうとするとき、その世界の支配者であるグレートマザーから厳しく罰せられることでしょう。

ギリシャ神話では、太母神ディアナと王子アクタイオンの物語がそれに該当します。ディアナが沐浴をしていると、アクタイオンが覗き見をし、それをディアナに見つかって、アクタイオンは猟犬に食い殺されてしまったというストーリーがあります。これは、人間の領分を超えて、太母グレートマザーの聖域へ足を踏み入れたため、その代償をアクタイオンが命をもって支払わされたというものです。

ディアナとアクタイオン

女性原理は、男性的な思考や論理を嫌います。リスナーの女性の方ならおわかりいただけるかと思いますが、女性は男性に対して心で向き合うことを望みますよね。子どもも親に対して心で向き合うことを望みます。その際には、第52回でお話した、発達した感情機能が必須になります。

これから男女が交わり、愛をかわそうとするとき、急に男性が論理的な言動をしたらどうなると思いますか?女性の高揚しつつある気分は一気に萎えて、そしてその男性への愛が失われ、さらにはそれが怒りへと変わり、しまいには「この部屋から出ていって!」となるはずです。

論理的思考ではなく、感情機能を用いて心を介したやり取りをしなければいけないということ。その心を介したやり取りの仕方を、実践を通して教えてくれるのが、人間における男女関係、とくに恋人、夫婦関係なんですね。だから恋愛が大事なんです、人を愛するということの難しさを学ぶことが大事なんです。

ドイツの社会心理学者であり精神分析家のエーリッヒ・フロムは、愛についてこう話します。「愛は技術である」と。その愛するという技術習得を通して感情機能が発達し、それをもって意識が新しい世界へ進む準備が整うのだと思います。

この4と向き合うときは、これまで獲得してきた宇宙の論理的な知識を一旦すべて捨てて、心を裸にして向き合わなければいけません。お姫様である無意識が王子様である自我意識に心を開くとき、4のゲートが開きます。

男女における役割の違い

コーヒーと恋人

さてここで、人間における男性と女性のミッションの違いについても触れたいと思います。

男性とは自我意識を象徴するものですが、自我意識は4を獲得し、ゲートを開けるというミッションがあります。それは人間の男性にとってどういう意味をもつかというと、男性自身の中にある女性性を目覚めさせ、その女性性を大切にしていかなければいけないということを意味しています。

そして女性の場合、女性とは無意識を象徴するものですが、無意識は4のゲートを開ける鍵を持っていて、自我意識がゲートを開けるにふさわしい存在か、また、自分のパートナーとして最良の人なのかを見極めるというミッションを持ちます。

先ほどお話したように、新しい世界は女性原理の許可なしでは入れない世界だと聞くと、女性はそもそも女性原理に属するので、「やったあ!女性には主導権があるのね、ただ男性を見極めればいいのね!」というように、楽なミッションと捉えてしまうかもしれませんが、じつは、女性もゲートの門番にふさわしいかどうかを、グレートマザーに試されています。

女性は自身の男性性を抑圧しているために、今現在も男性性が未発達な方が多くいらっしゃいます。そういった方の中には、外側の男性を見極められず、ホイホイと自分の心の中に、どうでもいい男性を侵入させてしまうことが多々あります。かわいい女性でいたい、男性に愛される女性、男性に必要とされる女性でいたい、その一身で、自らの男性性を抑圧し、女性性だけを肥大化させてしまっている傾向があります。

でも、それではだめで、女性は自らの男性性を立てて、外側の男性と相対さなければいけないんです。男性の好む女性としてではなく、一人の人間として男性と向き合わなければいけません。男性はその逆で、自らの女性性を立てて、外側の女性と向き合わなければいけません。

人間における男女関係というのは、じつは、そこにも四位一体構造が布置されています。人間としての男と女、そして、それぞれの心の中に住まう男性性と女性性、それで四位一体。

だから、自身の男性性と女性性の幸せな結婚、心の四位一体を達成するためには、現実世界での男女関係を心の中を映す鏡と捉えながら、現実的に愛するということを学んでいかなければいけないんですね。それを真剣に取り組んでいるかどうかを、グレートマザーは目を光らせて見ているわけです。

女主人と男女の組み合わせは宇宙の構図

女主人グレートマザーは見ている

女性

ユングが本で引用していたのですが、ユングと同じスイス人で詩人のカール・シュピッテラーは、グレートマザーのことを「女主人」と表現していたそうです。

この表現を知ったとき、「あー!まさにこの表現はピッタリだ!」と、私はドカーンと稲妻が落ちたような衝撃を受けました。自我意識と無意識が新しい世界に入っていこうとするとき、それにふさわしいかどうか、本当に人間的に成長しているかどうかをこの女主人が見極めていると。

自我意識と無意識が協力して、さまざまな試練に打ち克ったとき、女主人グレートマザーは、女性性の胎内で次の世代を担う新しい命が宿ることを許可するのだと思います。その様子を人間的に表現すれば、姑による厳しいチェックのようなものです。「あんたはうちの娘の旦那にふさわしいかどうか見てやるよ」もしくは「あんたはうちの息子の嫁にふさわしいかどうか見てやるよ」という感じでしょうか。

natan
natan

どうですか?こんな心理学、そして宇宙論なんて聞いたことないですよね?(笑)

いえいえ、でも、じつは、そんなことはないんです。日本人は、こういった世界観にずっと前から自然と触れてきたはずなんです。

「え、どういうこと?」と思いますよね。私がシュピッテラーの「女主人」という表現を知って、なぜ稲妻が落ちたような衝撃を受けたかというと、この女主人、そして男性性である自我意識と女性性である無意識の協働作業を、わくわくドキドキ、ときに切なく感動的に描いてきたものを、私たちは長年目にし続けてきたからです。

ジブリ映画は深層心理の世界を描いている

それは何かというと、それは、なんと、あの、ジブリ映画なんです。宮崎駿監督作品のジブリ映画。ここには、かならずといっていいほど女主人が出てきて、そして男女の協働作業が描かれます。

『天空の城ラピュタ』でいえば、女主人はドーラ、試される男女はパズーとシータ、『もののけ姫』でいえば、女主人はモロ、もしくはエボシ御前、試される男女はアシタカとサン、『千と千尋の神隠し』でいえば、女主人は湯婆婆と銭婆、試される男女はハクと千。宇宙の真理を表した見事な構成です。

つまり、私たちはずっと何気なくジブリ映画を観てきたわけですが、宮崎駿監督が描く世界は、人間の深層心理の世界を描いたものとして見ることができると気づいたんです。

ジブリ作品を観ながら育っている私の世代やジブリ大好きな日本人は、映画からいろんなことを無意識的に学んでいると思います。だから、ジブリ作品、とくに宮崎駿監督が創作した作品は、日本人にとっては現代版の神話といっても過言ではないと私は思っています。

ジブリ作品には女主人、そしてメインの男女だけでなく、ユング心理学の元型を象徴したようなキャラクターも多数出てきます。宮崎駿監督は、自身の内側をとことん掘り下げて、元型の世界に触れながら、日本人の意識成長には何が必要かを映画で描いているのだと思います。

ユング派の河合隼雄先生は、日本人の自我性は女性的だと話します。その言葉どおり、ジブリ作品では女の子の主人公が多々出てきます。ディズニーのプリンセス物語も、現在は女性の自立を描いているようですが、たぶんディズニープリンセスは、ほとんどが女の子、もしくは大人の女性が好んで視聴しているかと思います。

ですが、ジブリ作品は、男女問わず日本人に愛されていますよね。この背景には、女性的な日本人の自我性に、無意識的に訴えかける何かがあるからだと私は考えています。ただ面白いから、地上波でジブリを流すと視聴率が取れる、という話ではないと思います。ジブリ映画は、私たちの無意識に何かを語りかけているのだと思います。

というわけで、今日は女性的な宇宙観についてお話をしてきました。コスモスの宇宙観を再生させるためには、日本人がもともと持っている身体感覚よりの気質と感受性が鍵になると考えます。そして、女性の心や女性の身体がもつ神秘性への理解も深めていくことも大切だと思います。私はこの宇宙観を、これからどんどん広めていきたいと思っています。

次回は、せっかくジブリ作品について触れたので、『千と千尋の神隠し』の映画解説をしながら、日本人の自我性の自立には何が必要かを、作品を通して学んでみたいと思います。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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