本日の講座内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。この講座では、古事記の読解力を上げるために、日本の古代信仰について解説しています。今回は十二支についてお話したいと思います。
今回も民俗学者、吉野裕子先生の知恵を拝借しながらお話していきます。先生の詳しい紹介は、講座第6回をご視聴ください。

十二支について
前回は、五行の原素である「木火土金水」が陰陽に分化したとき生じる、十干についてお話しました。この十干それ自体は陽に属し、これと対になる陰があり、それが今日お話する十二支です。
十二支と聞くと「ああ、干支のことね」と思う方が多いと思いますが、この十二支がどのように生まれたのか、その詳細を知っている方はごく少数だと思います。
十二支の出自
十二支の出自はこうです。古代において「木火土金水」は星としても考えられていて、それが木星、火星、土星、金星、水星です。この五つの星の中で最も重視されたのが木星でした。
木星は12年で天を一周します(厳密には11.86年)。古代大陸の人々は、木星の運行に合わせて天を十二分割し、一年ごとに一区画ずつ木星が滞在すると考えました。
しかし、木星は西から東へ(図では左方向に)移動するため、東から西という動きで宇宙を見ていた古代人にとって、真逆に動く木星は扱いづらいものでした。そこで人々は、木星の反映となる仮の星を設けて、想像の中でこれを東から西へ移動させることにしたんです。この想像の星は神、そして木星の神霊として「太歳」あるいは「歳陰」と呼びました。

この想像の星「太歳」は北にいる天帝(神)の顕現とされ、この太歳が今どこにいるのか、その所在につけた名前が十二支です。木星と太歳がその袖を分かつ場所は「寅」のはじめのところで、たとえば太歳が寅にいる寅年のとき木星は丑にいて、太歳が卯にいるとき木星は子にいるという感じです。

この思想が日本に輸入されたとき、太歳と天照大御神は習合し、アマテラスは別名「太歳」や「太一」と呼ばれるようになりました。
入れ子構造の十二支
日本において十二支は、「ねずみ年」や「うし年」といったように年の名前で知られていますが、江戸時代までは月や時間を表す際にも活用されていました。「子・丑・寅・卯~」と読むので、子が1月かと思いきや寅が1月で、旧暦の正月は今の2月初旬辺り、立春の頃です。

時間においては、二時間ごとに「子の刻」「丑の刻」といったように、十二支の名前で読みます。
十二支は植物の成長を十二段階に分けたもの
さて、この十二支は現在、十二種類の動物として理解されていますが、元々は植物の成長を十二段階に分けたものでした。十二支が動物になったのは後漢(西暦1~2世紀)頃で、それ以前は植物の状態を表していました。一つずつ見ていきましょう。
一番目の子は「孳」の下の部分を抜粋したもので、新しい生命が種子の内部から萌しはじめる状態を意味します。この子は混沌を表し、あらゆるものの原点でもあります。また、「了(おわり)」と「一(はじまり)」を合わせた字が子でもあるとされ、結束点や「入れ替わる場所」とも言われています。
二番目の丑は、「紐(からむ)」の右側を抜粋したもので、萌芽が種子の内部に生じてまだ伸び得ぬ状態を意味します。三番目の寅は「螾」の右側を抜粋したもので、草木の発生する状態。四番目の卯は、草茆々の「茆」であり、草木が発生して地面を覆う状態。五番目の辰は「振」からきていて、陽気、動き、雷が光と音を出し、それによって草木が伸長する状態。六番目の巳は「已(やむをえずのやむ)」から来ていて、万物が繁盛の極になった状態。

七番目の午は「忤」からきていて、万物が繁盛の極を過ごして衰微の傾向が起き始めた状態。八番目の未は「味」からきていて、万物が成熟して味を生じた状態。九番目の申は「呻」からきていて、万物が成熟して締め付けられて固まっていく状態。
十番目の酉は「綇」からきていて、万物が成熟の極に達した状態。十一番目の戌は「滅」からきていて、万物が滅んでいく状態。その他、「切る」という意味もあります。最後十二番目の亥は「閡」からきていて、万物がすでに凋落して生命の力が種子の内部に内蔵された状態。ここから最初の子に戻ります。

前回、十干は植物の成長を十段階に分けたものだとお話しましたが、十二支も同じくそのはじまりは植物で、それが後に動物へ変わっていくことになります。
十二支と五原素の関係
さて、十二支は十干同様、五行の木火土金水にそれぞれ属し、木気の春は寅、卯、火気の夏は巳、午、金気の秋は申、酉、水気の冬は亥、子です。そして、季節の変わり目である18日間の土用を含む月が辰、未、戌、丑なので、その四つは土気に属します。

また、五行における最大の陰陽は水と火なので、それを十二支で見てみると、水気に属する子が陰、火気に属する午が陽に該当し、子から午にかけて陽の気の流れが、午から子にかけて陰の気が流れる形となります。この子(北)と午(南)の関係を重要視したのが国家神道でした。

国家神道の考え方
国家神道は、古代大陸哲学を踏襲した形で、北に天帝(神)がいらっしゃるから、国の中心「太極」はそこにあるべきだと考えました。反対に、南の方角は祖廟と言って、祖霊を祀る場所とされました。このような考えがあったため、667年天智天皇の代から始まる遷都(都のお引越し)は常に北(子)の方角を目指して行われました。
『日本書紀』の天智天皇の章では、「是冬。京都之鼠、向近江移(この冬、都のねずみ、近江に向かひて移る。)」と記されていて、この鼠が子、つまり北を指しています。遷都の歴史はこうです。
- 667年 天智天皇 飛鳥岡本宮→大津京 午→子
- 673年 天武天皇 大津京→飛鳥京 子→午
- 694年 持統天皇 飛鳥京→藤原京 午→子
- 710年 元明天皇 藤原京→平城京 午→子
- 784年 桓武天皇 平城京→長岡京 午→子
- 794年 桓武天皇 長岡京→平安京 午→子

過去六回の遷都において、673年の天武天皇以外、都はすべて子の方角に移されています。研究者たちはこれまで、『日本書紀』に記されている鼠を動物のそれと解釈し、「ネズミが遷都を予言する」とか「諸々の影響から逃れるために都を移した」などと考えてきましたが、吉野先生いわく、「遷都の目的は、大陸思想をベースに天皇の代が変わるごとに都を北に移して国の中心(太極)を得るため。それを鼠で言い表しているのだろう」と話します。
天皇が崩御されると、その都は午の方角としての祖廟に変わってしまうことも遷都の目的の一つだったと言えます。
ところで、なぜ天武天皇だけ都を午の方角に移したのかというと、天武天皇は火徳を持つとされたため、都を火(午)の方角に移したのだろうと先生はおっしゃっていました。陰陽五行で古代日本を見ると、謎に包まれていたことがいとも簡単にわかってしまうのが面白いですね。

支合と三合の理
さて、ここからは今日最後のお話として、十二支には五行の法則として「支合」と「三合の理」というものがあるので、それを説明して今日の解説を終えたいと思います。
支合とは
まず支合というのは、十二支がそれぞれ結びつくことで、新しい五気を生じさせる法則のことを言います。子と丑が結びついて土気となり、亥と寅が結びついて木気、戌と卯が結びついて火気、酉と辰が結びついて金気、申と巳が結びついて水気、未と午が結びついてこれまた土気を生成します。

三合の理とは
続いて三合の理は、生(始まる)・旺(盛んになる)・墓(終わる)という森羅万象がたどる三つの段階を意味するグループのことを言います。

左上から、木気の三合は「生が亥、旺が卯、墓が未」、火気の三合は「生が寅、旺が午、墓が戌」、金気の三合は「生が巳、旺が酉、墓が丑」、水気の三合は「生が申、旺が子、墓が辰」、土気の三合は「生が午、旺が戌、墓が寅」となります。
火気と土気は重なり合う形になりますが、生・旺・墓の関係性が異なっているので注意が必要です。
このような説明を受けても「なんのこっちゃ」と思われている方が多いと思うので、わかりやすい例を二つほど挙げてこの法則についてお話してみますね。
三合の理の実例二選
たとえば、日本各地には春を呼ぶお祭りがたくさんあり、その中でよく獅子舞が披露されます。獅子舞は厄払いや無病息災を祈願して行われると言われていますが、なぜ獅子なのかという疑問には誰も答えられません。でも、これを三合の理で見てみると答えがわかるんです。
これには木気の三合が関わっています。獅子は十二支の中で亥(イノシシ)にあたり、亥は木気の三合において生の始まりです。木気は春でもあるため、その春を呼ぶ迎春呪術に生の力を持つイノシシの力を借りているんです。これが獅子舞が生まれた背景です。

もう一つの事例は、これはお祭りではないのですが、水気の三合は「生が申、旺が子、墓が辰」です。この水の終わりの辰は別名「水庫」と呼ばれ、最後に水が集まるところとされています。

辰を月で見てみるとそれは新暦の4月から5月辺りで、その時期は春が終わって暖かさが増してくるときなのに、季節外れの寒波到来や大雨が降る時期でもあります。「季節が狂った?」「温暖化のせい?」と焦ってしまうところですが、なんてことはない、水気の三合の終わりなので、辰月は水庫で水が最後に大暴れする時期というだけのこと。
このように、陰陽五行は現代でも有効に使える古代自然科学なので、覚えておくととても便利です。
最後に
というわけで、今日は十二支についてお話しました。まだまだ語り足りない部分があるので、機会を見つけてもっと掘り下げてお話できればいいなと思います。
さて、今回お話した十二支は十干と合わせて覚えることが大事なので、次回は十干十二支についてお話したいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!


