私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は性的ヨーガの必要性と、じつはその修業には危険が伴っていたというお話したいと思います。
▼ 参考文献 ▼
◎前回までのお話はこちら↓
これまでお話してきたように、秘密集会聖者流では、原則的に性的ヨーガの実践が必須とされます。
もちろん、世界中で最も禁欲的な宗教集団として名高いゲルク派では、性的ヨーガを文字通り実践することはありませんでした。
ツォンカパが、あくまでエーギャ(想像上の女性パートナー)と、「観想のうえでのみ性的ヨーガを行ぜよ」と規定したからです。
「観想のうえで…」というと、想像力によって女性パートナーを出現させると解釈されがちですが、ここでいわれていることは、単なる想像力のカテゴリーを完全に超越した、霊的としか表現できない力にほかなりません。
しかし、それでは解脱は得られないと主張して、ゲルク派を離脱し、性的ヨーガの実践が許されていた他宗派に改宗し、目的を遂げた僧侶すらいました。
なぜ性的ヨーガが必要なのか
修行において性的ヨーガを行じる理由、別の表現をするならば、女性パートナーを必須とする理由は下記の二点に集約されます。
- 女性のもつ生命エネルギーによって、修行者の生命活動を活性化するため
- 究極の把握対象である「空性」を体得するため
修行者の生命力の活性化
①は、秘密集会聖者流の修行はあまりにも過酷であり、通常の生命力ではとても全うできません。
そのため、修行者の生命力を活性化する必要があり、それには女性との性行為を導入したヨーガが欠かせないからだといいます。
以前の記事で、昔の日本の農村でも、農作業によって疲弊した体を村人同士の性交によって解消させるというお話をしましたが、その状況と似ていますね。
「空性」を体得するため
また②の点に関して付け加えれば、「空性」のビジョンは、本来は人間が死ぬときに現れるという認識が前提になっています。
つまり、男女の性行為をはらむであろう「死の先取り」が、性行為による「空性」のビジョン体験を背後で支えていることになります。
しかも「空性」の把握は、たとえようのない快楽がともなうといい、
「空性」は同時に「歓喜」でもある
とされるので、ここでは当然ながら性行為の快楽がキーワードになってきます。
修行はとても危険なものだった
ただし、秘密集会聖者流の修行法は、わけてもその中核におかれる究竟次第(くきようしだい)の修行は、ゲルク派の関係者によると、きわめて危険なものだそうです。
究竟次第における性的ヨーガの実践は、そこで行われる内容として、極端な呼吸コントロールを駆使して、心停止もしくは心停止に非常に近い身体状況を創出することだといわれ、歴代この負担に耐えきれず、死んでしまう人が相次いだとも伝承されています。
すなわち、秘密集会聖者流における性的ヨーガは、本来「楽」を掲げながら、その実、死に直面することをもくろむ手段だったらしいのです。
男女の性行為が必然的にはらんでいるという死。
その死を、性行為がかもしだす快楽を、極限まで追求することを通して、我がものにしようとすること。
それが、この修行法の本質だったのかもしれません。
女性パートナーについて
一方、修行者のパートナーをつとめる女性は、どのような位置を占めていたのでしょうか?
タントラが説くステレオタイプは16歳の処女です。
また、16歳の処女に加えて、12歳の処女、あるいは24歳の女性と規定するタントラもあります。
性にまつわる表現をもっとも多用するタントラである『ヘーヴァジュラ・タントラ』は、「あらゆる年齢の女性たちをまったく平等に愛せよ」と主張します。
さらにその人数もさまざまな解釈があり、必ずしも一定していません。
『秘密集会タントラ』、『ヘーヴァジュラ・タントラ』、『サンヴァラ・タントラ』は、同時的に複数の女性を愛せよと規定します。
ダーキニー
女性パートナーは「ヨーギニー(瑜伽女:ゆがにょ)」とか「ダーキニー(空行母:くうぎょうも)」などと呼ばれ、少しでも油断すると、男を食い殺すような「猛悪な女」とされていますが、こうした描写はどうやら観念的に作り上げられたようです。
ただし、インドにおいて密教行者のパートナーをつとめた女性の多くが、特別な階級に属していたことはたしかで、一説には母から娘へと特殊な性的技法を継承していた娼婦だったともいいます。
一人の女性と長期的に修行する
チベットにおける性的ヨーガの場合、少なくとも歴史に名を残すような偉大な密教行者に関しては、同時に複数の女性を相手にしたという記録はほとんど見当たりません。
彼らの女性パートナーは、まず間違いなくたった一人にすぎず、彼女との長期にわたる性的ヨーガの実践によって悟りを得たと伝えられます。
それどころか、むしろ女性の方が主導権を握っていた感すらあります。
二つほど例をあげてみましょう。
密教行者ナーローパの場合
チベット密教の代表的な修行法とされる「ナーローの六法」を開発したという、インド人の密教行者ナーローパ(1016~1100年)は16歳のとき、はるか年上であった可能性の高い女性密教行者ニグマの指導のもとで性的ヨーガの実践に励んだといいます。
二人の関係はその後、8年間続きました。
密教行者タムパ・サンゲの場合
また、シチュー派という密教の一派を開いたマチク・ラプドゥンマ(1055~1143年)は、インドから訪れた密教行者タムパ・サンゲ(?~1117年)のパートナーとして性的ヨーガを実践し、彼女自身も悟りを得たと伝えられます。
性的ヨーガのみが女性の解脱者を出した
おそらく仏教はもともと、女性が悟りを得ることを考えていなかったようで、これは周知の事実でしょう。
しかし、性的ヨーガが流行した8~10世紀にかけての時期に悟りを得た、いわゆる「成就者」の伝記である『八十四成就伝』を紐解くと、そこには複数の悟りを得た女性の物語がつづられています。
これも性的ヨーガの実践では、女性パートナーの力が大きく関与していたことの証明であり、他の仏教と性的ヨーガを実践した密教との見解の相違に違いありません。
性的ヨーガの実践のみが、女性の解脱を可能にしたという事実。
ツォンカパ以降、チベットでも女性の解脱者は出現していません。
この事実を前にして、私たちは今いちど、性的ヨーガとは何か、性的ヨーガを通してしか女性の解脱を構想しえなかった仏教とは一体何であったのかを考えてみる必要があると思います。
次回はいよいよチベット密教の総括をしたいと思います!
次回もお楽しみに♪