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日本の性愛の歴史③~若衆組、娘仲間、明治政府の性弾圧の本当の目的とは~

神社 宇宙と性愛
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日も前回に引きつづき、日本の性愛の歴史についてお話します。

◎前回までのお話はこちら↓

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村落共同体における組の存在

村落共同体は、その開発者と子孫が中心になって運営されていました。

村

村の中では仲間意識が強くあり、年齢ごとに下記のような組が存在したそうです。

  • 子供組:0~14歳
  • 若衆組:14~25歳、もしくは独身男性
  • 娘仲間:13歳くらいで初潮があると入る
  • 他に「中老」「元老」「嫁仲間」「かかあ仲間」「婆仲間」などがある

今日取り上げるのは、若衆組と娘仲間です。

若衆組

村の成人式のほとんどは15歳であり、村の男性は子供組から抜け、若衆入りをはたします。

若衆仲間は村の行事、祭りなどを中心となって活動する現役兵です。

若衆入りをすると、一人前の村人として認められ、土木工事や農作業などに出ても一人前の賃金をもらえます。

また、女性との交際、女遊び、<夜這い>も公認、結婚もできました。

じつは、彼らは若衆入りする前に、13歳のときにふんどし祝いとして、初めて白布またはあかねのふんどしをします。

このとき、オバや年上の娘が性交を教えるそうで、若衆入りする前にもう初体験を終えているのが普通だったそうです。

そして若衆入りをはたしたら、すべての男性が年上の女性や娘から性交を教えてもらうとのこと。

つまり、村では13歳か15歳になると、公式に性交教育を受け、あとは<夜這い>で練磨したそうです。

村の性教育は、性交の技能を教えるものであり、村によって年代によっても異なりますが、だいたい集団教育、個人教育に分けられます。

そして、教育してくれる人は、後家、かかあ、娘、尼僧、酌婦など、いろいろでした。

こういった人たちによって「筆おろし」が行われ、あとは<夜這い>で鍛えます。

ちなみに、若衆仲間が集まる若衆宿は、現在は公民館へと姿を変えています。

公民館

娘仲間

さて、娘の方はというと…

13歳になると初潮が始まるということで、娘が13歳になると親たちは、娘になったというお祝いをします。(初潮がこなかったとしても)

お歯黒祝いをしたり、赤い腰巻きで祝います。(ヨーロッパとは大違い)

初潮があってしばらくすると、母が娘を連れて「水揚げ」の依頼に行きます。

だいたい午後に、村でも水揚げが上手で人柄もよい人とか、他所の村の親類の長老などへ相談の上、訪ねていきます。(若い道楽者はダメ)

娘はその朝に母親と風呂へ入り、よく洗ってもらい、だいたいの様子を教えてもらいます。

桃割れ髪に、新しい赤の腰巻きをして、帯をしてもらい向かいます。

桃割れ髪

訪問先で相手の男性と三人で談話をし、母が途中で席を外します。

だいたい30分~1時間で水揚げは終わり、2~3時間寝ているとまた母が迎えに来ます。

遊郭などに売られる少女は水揚げの際はとても怖い思いをするそうですが、村の娘はそれとは違い、上手に水揚げをしてもらっていたそうです。

ちょっと、この話を書いている私自身も

natan
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水揚げの風習自体、嫌だな…。

という心境です。。。

こうして筆おろしと水揚げを終えた男女は、<夜這い>OKということになります。

まぁ、<夜這い>に関してもそれなりのルールがあるそうですが、詳しくは触れませんので、気になる方は書籍を読んでください。

<夜這い>の結果として、誰の子供かわからない子を身ごもったとしても、その子供は村の子として大切に育てられたそうです。

祭りと性行為

さらに、村には<夜這い>だけでなく、祭りの日の夜や、農作物の収穫を行った日の祝いの宴会後に、神社のいろんな場所や宴会場所で、複数人による性交が行われていました。

この行為は、嫌らしいものという概念は一切ありません。

神社

もともと祭りは神事であり、祭りは政治の意味も持っています。

そして、もう一つの神事・祭りは子供を授かること。

祭りによる性交は神事であり、一説によると、かつて宮中で子供を授からない女性が、祭りで複数の男性を相手にすることで子供を授かることができるため、不妊に悩む女性にとっては救いの場となっていたようです。

子供を授からないと、宮中にはいられないため。

その子供たちが、のちの国や政治を動かすわけですから、「祭り=政治=子作り」という図式はガッテンいきますね。

そういった意味で、祭りと性行為は密接に関わっていたのです。

農作業に必要な性

また、農作業後の宴会での性交は、ハレ(聖なる時間)を過ごすことで、また元気にケ(俗なる時間)に戻るために必要不可欠だったそうです。

昔の農作業は大変な労働力を必要とします。

そんな体力仕事において、性交をするとさらに疲れるのではという考えが浮かびますが、じつのところそれは真逆であり、性交をすることによって活力がチャージされるのです。(この件に関しては、納得される方もいらっしゃるのでは?)

明治政府が性文化を弾圧した本当の目的

こうした村の性文化は、国への非登録、無償を原則として営まれていたため、国家財政に対しては一文も寄与しませんでした。

明治政府は国民道徳との背反を知りながら、この巨大な税収源を放置できず、農村のすみずみまで仲居、酌婦、芸姑を普及させ、料理屋、風俗旅館、酌婦宿などの機構を通じて収奪を強行しました。

これらの営業税、遊興費と酒、その他の飲酒の税収を合わせると巨額の税収となり、国家財政、とくに軍事費に寄与したことは間違いありません。

明治政府が西洋を習って取り入れた、一夫一婦制や純潔教育などは表面の飾りにすぎず、本当のところは、広く深く普及していた農村の性文化、とくに<夜這い>に対して徹底的な弾圧を加えたのは税収のためだったのです。

この性に対する弾圧は次第に人々の内面に入り込み、「性=嫌らしいもの」と受け取られるようになっていきます。

しかし、農漁村などでは昭和初期まで<夜這い>の文化は残っていたそうで、それも次第に消えていきました。

思い出すべきは「社会の外」

以上が日本の本当の性文化です。

<夜這い>という行為が、現代人にとって良いか悪いか判断できませんが、村を存続させるために生まれた風習であり、村意識を有する日本人にとっては当たり前の行為だったのでしょう。

私がここでお話したいことは、「昔の日本のようにおおらかな性文化に戻すべき!」ということではなく、

  • 本来人間は性とともにある
  • 性抜きでは生きられない
  • 性は大切な生きる要素である

ということを昔の日本人が教えてくれている、ということをお話したいのです。

性愛の退却が進んでいる現代、この性の重要性を語ること、認識することが難しくなってきています。

しかし、以前もお話したように、本来人間は社会の外に存在しているのであり、生きるために仕方なく作った社会(ルール)の枠内で頑張るために、本来の人間性を思い出す場として、社会の外にある性が重要視されたのです。

そこは生命エネルギーをチャージできる場所であり、神とつながる場所、人々が心を一つにする場所、そして命を生み出す神聖な場所です。

そこに本来の人間性があるのです。

今の人類は、社会の”外”を忘れ、必死に社会の”中”に適応しようと奮闘しています。

それ、方向性が違うんです。

思い出さないといけないのは、社会の”外”なのです!

なので、これまで長々と恋愛、結婚、そして性に関するお話をしてきましたが、私がお伝えしたいのは、

  • 性を嫌らしいものとして捉えないこと
  • 自分のセクシャリティが神聖なものであることを知ること

これを知ってほしかったのです。

お手本になるのは昔の日本人です。

彼ら彼女らの感覚と、現代に生きる私たちの感覚がどう違うのか。

現代に生きる私たちは、性に対する何かを失っています。

そう、ここでも性に対する半身を失っているのです。

それを思い出すこと、そのために自己と他者の階層性に代表される、男と女、男性性と女性性を紐解いていくことが重要だと考えたのです。

それでは次回は、私が考える女性性の現状についてお話したいと思います。

次回もお楽しみに♪

ちなみに、村の女性の性は、若衆組が管理しており、<夜這い>文化も男性優位社会におけるものであるため、女性にとっては性による支配だったと考察する女性史研究者もいらっしゃいます。

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