私の宇宙からこんにちは、natanです。
これから、批評家で作家、第三次フェミニズム運動の論者の一人である、ナオミ・ウルフさんの書籍『ヴァギナ』を通して、女性性の秘密に迫っていきたいと思います。
▼ 参考文献 ▼
女性の性的快楽と女性性について
上記書籍の序章は、このようにはじまります。
はじめに
ヴァギナとは何か。
なぜヴァギナについて本を書くのだろう?
わたしはつねづね女性のセクシャリティとその歴史に関心を抱いていた。
ある文化でヴァギナがどう扱われているか――崇拝されているのか見下されているのか、大切にされているのか蔑まれているのか――は、その場所と時代における女性の扱われ方をそのまま表している。
そしてヴァギナに対する見方、すなわち知性史の研究者が「構成概念」と呼ぶものは、これまでに存在した文化と同じ数だけある。
この探究の旅をはじめるとき、わたしはこれらさまざまな歴史的観点からヴァギナを見れば、性的主体としての女性についても、共同体の一員としての女性についても多くのことが学べるはずだと考えた。
この調査はかならずや今日のわたしたち女性の立場を解明してくれるだろう。
著者は女性器を探究することで、下記のような結論に至ります。
女性の性的快楽は、正しく理解されるならば、たんに性や快楽のためだけにあるのではない。
それは女性の自己知と希望、創造性と勇気、集中力と自発性、至福感と超越感を仲介してくれる。
(中略)
ヴァギナを正しく理解することとは、それが女性の脳と並び立つ存在であるだけでなく、本質的には女性の魂の一部であると認識することなのだ。
性器を語るときは、どうしても「ヴァギナ=女性」「ペニス=男性」と言わざるを得ないのですが、コスモ・ライフォロジーはヌーソロジーをベースに語っているので、あくまでもシンプルに「自己と他者」「男性性と女性性」のこととして性器をとらえています。
そして、男性性と女性性は性別関係なく、男女ともに持っているものだと考えています。
それが、性器の種類によってどちらが優位に働くか、というだけのことです。
性的快楽と女性性の関係
上記の著者のコメントをコスモ・ライフォロジー的に言い換えると…
自己知とは無意識を意識化していくこと
であると考えています。
その無意識は女性性の性質を持ちます。
「女性の性的快楽」という表現は、女性が快楽に至っているということであり、それは言い換えると…
女性性が花開いている状態
ということと同意だと考えます。
女性が安心して男性に身を委ねているとき、性的快楽は起こります。
無意識も同じく、自我意識(顕在意識)を信頼して安心できる状態のときに、無意識は自我意識にあらゆることを働きかけてきます。
そこで得られるものが、自己知、希望、創造性、集中力、自発性、至福感、超越感。
それらを自分の人生にもたらすためには、どうすれば無意識領域がアクションを起こしてくれるか、どうすれば女性性を花開かせることができるのかを真剣に考える必要があると思います。
「勇気」は女性性というよりは、男性性の部類に入ると思うので、自我意識が無意識領域から得られるもののすごさを実感したとき、勇気をふりしぼることは怖いことでもなんでもなく、どんどん勇気を出して自己実現をしていきたくなるはずです。←私はこのパターン
わー!!これ以降の記事を書いていたら、超長くなってしまった…(TT)
というわけで、次回も引き続き、今日のお話を続きをアップしたいと思います。
次回もお楽しみに♪