私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第16回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、「私の中に世界がある」というお話をしました。そのとき、「私の中には私ではない者がたくさんいる」とお話しましたが、この私ではない存在たちに思考や感情をもてあそばれてしまうと、それはそれは大変なことになります。
しかし、私はその存在たちを有効活用することにしています。その存在たちを有効活用することによって、自分の心の中を整理できたり、自分だけで物事に対する多角的視点を持てるようになったり、思考が柔軟になったりするのです。
今回はその件についてお話していきたいと思います。
自分会議とは?
私は第8回放送時に、ある物事に対して自分が困ったとき「自分会議」というものをやる、とお話しました。
自分会議とは、別名「ひとり会議」とも言います。
自分が何か困ったとき、迷ったりしたとき、その状態でいると自分の中にいろんな思考や感情が渦巻いてきます。通常であれば、それに飲み込まれてしまうのですが、私はいつの頃からか、心の中に渦巻いてくる者たちを捕まえて、一人ひとり整列させ、「はい、会議やるから勝手に喋らないで。私が指示してから自分の意見を言って」という感じで、会議をするようになりました。
つまり、私の中に勝手に出現してくる者たちを心の中で整列させて、強制的に会議に出席させることで、心の中や頭の中を整理するのです。そのようにして、その存在たちを有効活用する方法を見出しました。
いつから始めたのか、さっぱり覚えていません(笑)
私はいつも料理しながらお酒を楽しむキッチンドリンカーなのですが、私はお酒との相性が良く、料理しながらお酒を飲んで自分会議をする、ということを日常的にやっています。お酒の効果に加えて、料理しながら動いているという身軽さもあり、いろんなアイデアが出てくるのです。
自分の中に湧いてくるものたちは、勢いがすごいです。たとえるなら、小さな子どもたちが自分が言いたいことや感じたことを、それぞれが勝手に先生に喋りかけてくる感じです。
ですから、私が先のような位置に立ち、「はいはいはい、勝手に喋らない。そして、まずはちゃんと椅子に座って。いい?みんな。先生が一人ずつ指名していくから、そのとき指名された子は自分の意見を言うんだよ。他のみんなはそのときは静かにしていようね」と、その存在たちに語りかけます。小学校低学年のクラスといったような感じです。
不思議な話に聞こえるかもしれませんが、これはすごく効率よく物事を考えることができるのです。主導権は自分にあるので、私の中に湧いてきた者たちは、勝手にしゃべるということをしなくなります。
自分会議のやり方
早速、自分会議のやり方をご紹介します。
Aさんという存在
まずは三人ほど(Aさん、Bさん、Cさん)を自分の中に立てておきます。
そして、Aさんを指名して、意見を言ってもらいます。
すると、どこからともなくオーディエンスが現れて、Aさんに賛同するんです。
「わー、私も同じ意見だったー」って。会議の場が盛り上がります(笑)
Bさんという存在
次にBさん。BさんはAさんと意見が近いのですが、少し違った視点を持った意見を言います。
ここで、今私は「Bさんは違った意見を言います」とお話しましたけれど、じつは、これは私自身が違った意見を自分で考えて、Bさんに言わせている、ということでもあります。「私が考えた意見」と言っても、その意見自体も私の中で見いだされるものなので、ある意味では、私ではない存在が持っている意見でもあります。
ですから私としては、私の中から別視点の意見を持つものを探しだして、Bさんの位置に置き、Bさんとして意見を言ってもらう、ということをやっています。
先に意見を言ったAさんはBさんの意見を聞いて、「あ、そういう考えもあるね」と賛同させます。
Cさんという存在
最後にCさん。Cさんがとっておきです。
というのも、AさんともBさんともまったく違う、みんなが賛同しないような意見を言わせます。AさんもBさんも「そんな意見あり?おかしくない?」といったように、反対するような意見をCさんは持っています。
でもCさんは、暴力的で非常識なものではなく、しっかりと言葉を用いて、みんなとは反対の意見を持っている理由を述べさせます。
このCさん的存在が、私にとってかなり重要なのです。なぜなら、私の固定した思考を壊してくれるからです。
実際、この自分会議は、はたから見ると、私の一人芝居でもあるんです。でも、その一人芝居の中でどれだけ他者視点を入れられるかが大事であって、そうすることによって私の固定的な思考を自分で壊すことができるからです。ですから、私自身、会議をしながらものすごい思考を働かせているのです。
お酒飲みながらも(笑)だ
からお酒の力が必要とも言える。
会議の決定事項は…?
Aさん、Bさん、Cさんがそれぞれ意見を言い終わりました。さて、その後はどうするのか?
というと、どうもしない(笑)
時と場合によって、対応がそれぞれ異なっているのですが、ただ頭の中がうるさくて、それを黙らせたいがために会議を開いた場合は、「はい、みんな意見を言ったね。それじゃ、解散!」って言って解散させます。
または、何かしら答えを出さなければいけない場合は、とりあえず会議で出てきた意見の中で「一応、この意見を採用しておくか」というものを選び、一旦その意見を寝かせるということもします。
または、自分会議でいろんな意見交換が行われているさなかに、フッと心そのものが答えを決めてしまうときもあります。垂直にストンと方向性が決まってしまうときもあります。
ですから、自分会議をした後は意見を一つにまとめることは必ずしもやりません。自分会議で出てくる意見は、こう言ったら元も子もないのですが、質が低いからです。だから、すぐ採用できないのです。
質が低い理由は、自分の中に湧いてくる思考は、自我意識が外側の世界からこれまで集めてきた、ただの情報だからです。その情報が擬人化して私の中に現れているだけなので、実際その情報が私にとって有益なものかどうかは、その情報を試してみないことには、なんとも言えないからです。だから、その情報を吟味する時間も必要です。
心の答えを待つ
でも、ときどきその情報の渦を飛び越えて、ストンと私の心が方向を定めてしまうときがあります。このときは問答無用に「あーそうだ、それしかない!」と私も腹を決めるのです。この答えは絶対間違っていない。それは過去の経験を通して確実に言えることであり、私はその体感に絶大な信頼を寄せています。
したがった、本当のところは、この心が答えを出すまでの時間を稼ぐため、心が出す答えをストレートに私自身が受け取るために、うるさい思考たちを会議の場にかけて、おとなしくさせるという目的があって、自分会議をしているところがあります。
この心が決めることは、私自身は考えていません。自分会議では私自身がいろんな視点を持つために、自分で考えたりするのですが、心は違います。本当に、垂直にストンとやってくるのです。
たまにその答えに「?」という疑問を一瞬は持ったりしますが、じわじわと「あー、そうだね、そうだね」と納得することもあります。
心が答えを出さない場合は、それはもう仕方ないので、自分会議で出てきた意見の中から、一つだけ答えを選んで吟味し、そして「失敗してもいいから、試しにやってみよう」とチャレンジするようにしています。
心が決める体験は、本当に気持ちがいいです。スッとします。心が決まれば、あとは動じなくなります。もう決めたなら前に進むしかない、そう思えるからです。
静かなる熱い炎が私の中に灯るイメージです(笑)
今回のお話は、うるさい思考に対する対処法ですが、感情に関しては別の方法があるので、それは別の回でお話します。
内なる声からの応援
最後に、この垂直にストンとやってくるものは、何も答えだけでなく、たまに応援メッセージが届く場合もあります。
私がまだヌーソロジーと出会う前、心理学やスピリチュアル、宇宙論についてブログで記事を書いていた頃のことです。私は「こんな記事、誰が読むんだろう…」と、落ち込むこともありました。書いている記事の内容が特殊過ぎたからです。
そのときも振り返ればお酒飲んでましたわ(笑)
「こんな記事、誰が読むんだろう…」と、お酒を片手にじめじめした気持ちでいたら、「こんな記事、あなた以外に誰が書けると思うの?」と、ストンと声が届いたのです。
最初は「ん?私が言ったのかな?」と思ったのですが、じわじわと内側から勇気が湧いてきて、「あーそうだ、私にしかこの記事は書けないんだ。だから私が書くんだ!」と思えるようになったのです。
はじめて内側から上がってきた言葉に勇気をもらいました。これまで自分で自分自身を励ますことは多々あったのですが、でもこのときは違いました。内側からの声をしっかりと他者の言葉として感じ取れた、そんな出来事でした。
まとめ
ですから、こういった経験も含めて思うことは、心が決めることや内側からフッと上がってくるものは、自我意識のものではなく別者であり、それは他者存在です。その声は、自分を正しい方向に導いてくれる声です。
ですから、「自我意識でアレコレ考えても仕方ないよね、だってそれは、これまで得た情報の中でしか出せない答えなのだから」ということを私は実体験を通してはっきりと理解しているので、無意味な思考はなるだけ控えるようにしています。その思考は既存の情報と情報を組み合わせても、それは変わらず自分の中にある情報の組み換えなのだから。
そのため、心の答えを待つために自分会議をする。
でも自分会議は決してそれ自体無駄なことえはなく、自我意識も思考の幅を広げられるようになるためのトレーニングの場として、大いに活用できます。
あとは、心の中を整理するためにも使えます。心の中が整理されてくると、心の中が可視化されてくるので、正しい直感とそうでないものを見分けられること、自分の中には自分ではない存在がいること、自分の中にも世界があることがわかってきます。
よくマインドフルネスのように、「自分の中に湧いてきたものは流すといい」「俯瞰するといい」と言われることがありますが、私はそれが苦手です。
流せない、俯瞰できない、まとわりついてくる!
ですから私は、「ならいっそのこと、その湧いてきた者を捕まえて会議してしまおう。そこで私が主導権を握ればいいんだ」と考えています。実際それによって心の中が可視化されてきたので、この方法も、もしかしたら私の心が教えてくれたことなのかもしれないなあと、今となっては思います。
自我の発想なら絶対思いつかないですもん、これ。
というわけで、私は自分の中にやってきたものは無視せず、真っ向勝負を挑むタイプなので、「私もそういうタイプだな」と思われた方は、参考にできそうなところがありましたら、できる範囲でチャレンジしてみてください。面白い世界が見えてきますよ。
このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!