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日本における仏教と儒教の到来~男尊女卑のはじまり~

仏教 宇宙と性愛
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、仏教と儒教が日本にもたらした男尊女卑の歴史についてお話します。

▼ 参考文献 ▼

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仏教の伝来

6世紀に、日本には仏教が入ってきます。

蓮の花

もとより仏教は、人間の「発生」について、男女の両方が等価値にかかわるという思想に立っていました。

釈迦は、男女が愛欲に溺れて、男女関係が乱れることをいさめ、女性の魅力が男性の修行の妨げになることを恐れて、女性にはより厳しい戒律を要求しました。

しかしこれは、女性の不浄視したり、罪悪視することはありませんでした。

仏教経典に見られる女性差別は、その後の弟子たちが導入したヒンドゥー教の要素だとされています。

ヒンドゥー教は、明確な男尊女卑の立場をとります。

古事記で描かれる性

こうした仏教の影響からなのか、日本の建国神話である『古事記』『日本書紀』では、おおよそ男神女神が一組として現れてきて、次の神々を産むという仕組みで記述されています。

古事記

19世紀まで、精子の中に人間の原型があり、それが女性の胎内で成長すると考える男性優位の生殖観が主流だった西洋諸国における創世神話では、ほとんど女性が現れないことと対照的です。

それゆえ神道においては、性を穢れ(けがれ)であるとか、忌むべきこととする発想がそもそもありません。

むしろ、祭礼では性行為を模して、その生産の力にあやかろうとすることが通常でした。

さらに、そうした儀式の後に参加者たちによる乱交が行われることもしばしばでした。

しかし、これは制度化された乱婚なので、当時の社会秩序から見て、何の問題もなかったのです。

この儀式の痕跡をもつ祭りは、日本の全国各地で現在も広く見られます。

西洋においても、キリスト教以前の宗教は、こうした性を取り入れた儀式や祭礼を行っていました。

このような状況だからこそ、男性器や女性器を象った神像や祭器が広く普及し、これを「わいせつ」であるとか、下品であるなどとは考えるはずがなかったのです。

日本に流入した仏教は、最初は渡来人系の豪族の私的な崇拝の対象でしたが、次第に盛んになり、国家的宗教となりました。

このころには、性を不浄なものとしてみるどころか、むしろ性の力を悟りに応用すべしとする密教(タントリズム)が日本に入ってきている状況だったので、性についてむしろ神秘化し、重視する態度が増していました。

コスモ・ライフォロジーでは後々、チベット密教について詳しく解説していきます。

儒教の影響

日本で女性の経血を不浄としてみる見解が現れたのは、9世紀頃といわれています。

男女差別的な「儒教」の影響下にあった律令に、そう定められたのです。

儒教

嵯峨天皇が、弘仁格式(こうにんきゃくしき)の中に、「死」を穢れとする「黒不浄」に並んで、「経血」を穢れとする「赤不浄」を記述し、忌むべきものと定めました。

こうした女性差別的な発想や、性を穢れとするような儒教的観念は、大化の改新によって日本の国制に導入されました。

生まれた子が父親の血統に属すると定めたのも、このときに導入された律令制においてです。

とはいえ、国の制度に定められたからといって、それがただちに一般的な認識に変わるはずもありませんでした。

たとえば母権制が国制に残存したのが、藤原摂関政治です。

摂関制度は、生まれた子が母方の父親の後見を受ける制度だからです。

前回お話した「妻問婚」「通い婚」などもその一例でしょう。

武士の勢力拡大

律令制による男尊女卑の思想が国制に反映したといえるのが、摂関政治をくつがえした院政です。

院政は、父親から一子へと父系による官職(財産)の移転であり、天皇の父あるいは祖父が、天皇を後見する(と称して実権を握る)制度だからです。

平安末期に院政が開始されるころ、武士団の成長も始まり、その力を増していきます。

武士団は、暴力に依存する集団ですから、当然に男尊女卑の考え方を採用することになります。

構成員の人数が多いことは力ですから、構成員を確保する目的もあり、性を忌避する理由はまったくありません。

武士

こうして次第に封建制度が固まってくると、父系相続権を確実にする必要から、身分の高い階層から次第に庶民層について、単婚制度が一般的となっていきます。

日本において、姦通を軽犯罪としてはじめて取り締まったのは、1232年の「関東御成敗式目」です。

ただしこれは、もちろん武家の法であり、庶民層においては、古代からの祭礼に結びついた性の解放である乱交も慣習的に行われ続けていました。

ヨーロッパと同じく、日本の結婚制度や姦通罪も、もともとは上層階級の秩序を保つためのものだったんですね。

それでは次回は、江戸時代についてお話していきたいと思います。

次回もお楽しみに♪

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