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古事記☆新解釈【8】神生み③~地熱の神々の誕生~大地母神の苦しみは人間にとっての恩恵

古事記☆新解釈「神生み③」アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前回は、天鳥船から火の神カグツチ誕生までのお話をしました。今回は、イザナミがほとを焼き、病で臥せる最中に生じた神々についてお話したいと思います。

まずはいつものように、読み下し文、現代語訳を読み上げます。声をもって訓む部分は赤字で表記し、特殊な訓読みは原文の横に訓み方を記載しています。参考文献はチャンネル概要欄に記載しています。それでは始めます。

原文/読み下し文/現代語訳

古事記「神生み05」(原文/読み下し文/現代語訳)

多具理迩生神名 金山毘古神 次金山毘賣神
次於屎成神名 波迩夜須毘古神 次波迩夜須毘賣
次於尿成神名 弥都波能賣神 次和久産巣日神
此神之子 謂豊宇氣毘賣
故伊邪那美神者 因生火神 遂神避坐也
[自天鳥船至豊宇氣比賣神 并八神也]

凡伊邪那岐 伊邪那美二神 共所生嶋壹拾肆嶋 神参拾伍神
[是伊耶那美神 未神避以前所生 唯意能碁呂嶋者 非所生 亦蛭子与淡嶋 不入子之例也]

たぐりにれる神の名は、金山かなやま毘古びこのかみ、次に金山かなやま毘売びめのかみ。次にくそれる神の名は、はにやすびこのかみ、次にはにやすびめのかみ。次に尿ゆまりに成れる神の名は、弥都波能売みつはのめのかみ、次に和久産巣日わくむすひのかみ。この神の子は、とようけびめのかみふ。かれ、伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、ついかむりましき。
あめの鳥船とりふねより豊宇氣毘賣まで、あわせてやはしらのかみ。]

べて伊邪那岐、伊邪那美、二柱の神、共に生める島、一十とをまり島、神、三十みそぢまりいつはしらのかみ
[これ伊耶那美神、いまだかむらざりし以前よりさきに生めり。ただし、意能碁呂おのごろしまは生めるにあらず。また、ひる淡島あはしまは子のたぐひには入れず。]

古事記「神生み06」(原文/読み下し文/現代語訳)

吐瀉物から生まれた神の名は、金山毘古神、次に金山毘売神。
次にうんちに成った神の名は、波迩夜須毘古神、次に波迩夜須毘売神。
次におしっこに成った神の名は、弥都波能売神、次に和久産巣日神。この神の子どもは、豊宇氣毘売神と言う。
そうして伊邪那美神は火の神を生んだことが原因で、ついには亡くなってしまった(天鳥船から豊宇氣毘売神まで合わせて八柱の神)。
ここまで、伊邪那岐、伊邪那美、二柱の神が共に生んだのは、十四の島と三十五柱の神である(これは伊邪那美神がまだ亡くなる前に生んだものである。ただし、おのごろ島は生んだとは言わず、また蛭子と淡島も子の数には入れない)。

これが今日取り上げるシーンです。さて、まずは神々を整理していきましょう。

解説

神々の整理

地熱の神々一覧

吐瀉物から生まれた神は、金山毘古神と金山毘売神。うんちに生じた神は、波迩夜須毘古神と波迩夜須毘売神。おしっこに生じた神は、弥都波能売神と和久産巣日神。そして、その子どもが豊宇氣毘売神。

この神々は、たぶん、前回出現した神々が象徴するモノの形状をそのまま継承していると思われます。前回の解説で私は、天鳥船は容器と火起こし器の神様で、オホゲツヒメは食物神、カグツチは食物を煮炊きする火の神様で、それらを通して土器のようなものが象徴的に描かれているとお話しました。

天鳥船の新しい解釈

今回出現した神々から、土器の素材である「はに(赤土、粘土)」の要素や、豊宇氣毘売神の名前にある「うけ」、つまり容器の要素が感じ取れます。ですから、今回の話は、先代の神々のモノの形状をそのまま継承しつつ、そのカタチをベースに新たなストーリーが展開していく流れかなと思います。

さて、神々を順に詳しく見ていきましょう。

吐瀉物から生まれた金山毘古神と金山毘売神。この神々からは金山の要素が感じ取れますが、注釈には「金を”かな”と訓む」と指示があります。ですから、金(ゴールド)だけというよりは、鉄とかその他鉱物を含んだ岩石のことと捉えると、次に出現する神との関連性が見えてくると思います。

うんちに波迩夜須毘古神と波迩夜須毘売神が生じますが、それは赤土、粘土を意味する神たちで、金山毘古神らを鉱物を含んだ岩石としてみてみると、その岩石が風化することで粘土が生じます。そして、この神々にはすすを表す「須」の字が入っているので、燃えているか、もしくは高い熱を持っていることも感じ取れます。

そして、おしっこに生じた弥都波能売神と和久産巣日神、その子どもの豊宇氣毘売神。弥都波能売神の「みつ」は「水」のことだそうで、それが次の和久産巣日神に繋がります。和久産巣日、わく、つまり水が湧くということ。そして、その子どもの豊宇氣毘売神の「うけ」という部分から、その水を受け止めている、もしくは溜めている様子が読み取れます。

以上のことから、やはり今回のシーンでは、前回出現した神々のモノの形状をそのまま継承しつつ、また別の自然形態の成り立ちを語っていると思われます。

では、今回のシーンはどういった自然の成り立ちを語っているのか、詳しく見ていきたいと思います。

排泄物が生み出す自然形態とは

熱水、または温泉の出現

間欠泉

まず、前回のシーンでイザナミは、火の神様を生んだことが原因で、ほと(女性器)を焼いてしまい、病み臥せってしまいました。病んだ身体だからこそ嘔吐したのであれば、その後にするうんちは正常なものではなく、下痢のようなものだと私は思うんですね。

そこに生じた波迩夜須毘古神らは、粘土ではあるけれど、それは泥化した粘土であり、また、「須」の漢字から熱を持っていると考えられます。

そして、おしっこの尿、これを「ゆまり」と訓むのですが、ゆまりの「ゆ」はお湯のこと、「まり」は「排泄すること」を意味するそうなので、お湯が出ている様子が感じ取れます。おしっこが意思に反して出てくる病気に尿失禁がありますが、イザナミの症状は、残念ながら推測することはできません。とりあえず、おしっこがお湯だとするならば、それは間欠泉や熱水のようなものが湧き出していると考えることができると思います。

その思考法でおしっこに生じた神々を見てみると、弥都波能売神はお湯の神様で、和久産巣日神はお湯が湧くことを神格化した神様だと読めます。そして、おしっこは黄色い色をしているので、その色から考えるに、このお湯は硫黄系のお湯と考えることもできます。

最後に登場する豊宇氣毘売神は、その湧いてきたお湯を受けとめる神様、または、お湯を溜める神様。ということで、これら神々が象徴しているのは、熱水の出現、もしくは温泉の出現だと私は考えます。

泥火山の出現

硫黄系の温泉がボコボコと湧いているとすると、泥化した粘土の神様である波迩夜須毘古神らは、自然現象としてはでい火山として見ることができるかもしれません。

泥火山について

泥火山とは、水分を多量に含む軟らかい粘土が、地下から噴出するガスによって吹き飛ばされるなどして堆積してできた、円錐形の小さな丘のことです。水分を多量に含む軟らかい粘土は、下痢に似ていますね。堆積してできた円錐形の丘は、火山に似た形をしていて、温泉や油田に多く見られるそうです。

秋田県と岩手県の県境にある八幡平はちまんたいに、日本最大級の泥火山を見ることができます。

natan
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私は、八幡平には学校の遠足で行ったことがあるのですが、そのとき泥火山は見なかったかもしれないです。一度は見てみたいですね。

泥火山の活動は、必ずしも火山噴火と関係があるわけではないそうで、溶岩などに比べると、その温度は低いそうです。そのように地下の活動が活発な領域では、必ずと言っていいほど、近くに温泉があったりします。

私は温泉が好きでよく行くのですが、お風呂に入りながら、壁にかかってある、温泉の効能一覧や、このお湯がどこから湧いているのかを説明しているものを読むのが好きです。そこに、「地球の神様(ガイア)が授けてくれた温泉は、地球の体液である」と書かれていました。今回の話でいえば、まさにイザナミの体液のことだと思うんです。

このシーンが温泉誕生の起源、もしくは地熱エネルギー発生の起源について語っているとするならば、地球内部の熱エネルギーは、イザナミがもがき苦しんでいる状態を写したものなのかもしれないなと思いました。

最近のニュースで、温泉の湧く量が減ってきていると言われていたので、人間はイザナミの苦しみも知らずに、温泉を好き放題使ってきてしまったんだなと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになります。

以上のことから、このシーンで生まれた神々を改めて眺めてみると、この神々から、火山地帯の要素を感じ取ることができると考えます。プレート同士がぶつかり合う地帯は地震が多く、さらに陸地が隆起して山や谷が形成されます。それが神生み第一弾において、大山津見神と野椎神が持ち別けて生んだ狭土神、土が挟まることと関係しているのかもしれません。

また、プレート同士の衝突によってできた鉱脈または山には、金が豊富に含まれます。これら自然現象を象徴するかたちで金山毘古神と言っているのかもしれないなと思いました。温泉もそうですよね。火山地帯だからこそ、豊かな温泉が湧く。

natan
natan

どんどん日本の大地っぽくなってきましたね。

産湯に関する神々

さてさて、このシーンで生まれた神々からは、さらに別の要素も感じ取れるので、少しだけそのお話もさせてください。

おしっこに生じた和久産巣日神には、「産」と「巣」の漢字が入っています。そこから考えるに、おしっこに生じた神々は、出産時の破水とも取れますし、また、温泉関連で言えば、生まれたばかりの赤ちゃんが入る産湯に関する神々としても考えることができるなと思います。

その流れでいくと、豊宇氣毘売神は、人間で言えば、生まれたばかりの赤ちゃんを受けとめ、産湯に入れて身体をキレイにしてあげる助産師さん。または、その赤ちゃんにおっぱいをあげる乳母の役割も持つ神なのかもしれないなと思いました。『古事記』解説書によると、豊宇氣毘売神の「うけ」は食物神を意味する言葉だと言われているので、それはおっぱいをあげる乳母としても読めるなと私は思いました。

以上のことから、三回に分けてお話してきた神生み解説ですが、それらをまとめてみると、一番最初に水に関する神々が生まれ、次に火に関する神々が生まれ、最後に地熱エネルギーや熱水、またはお湯に関する神々が生まれたということで、水が火によってお湯へと変わっていく様子が、神々を通して象徴的に語られていると感じました。

水の神と火の神と湯の神の関係性について

なんともシンプルな話でしたね!でも、「そういったシンプルな化学変化の背後には神々の物語があるんだよ」ということを『古事記』は教えてくれているのかもしれないなと思いました。

神々は三位一体構造を持っている

あと、水と火は対立関係にありますが、そこで生まれるお湯や熱水のことを考えると、それらは三位一体を構成しているということも見えてきました。こんな感じ。

この三位一体構造ですが、面白いことに『古事記』はいろんなところで三位一体構造が出てくるんですよね。一番最初に出てきた天の御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の造化三神から始まって、神生み、そして後に登場してくるアマテラス、ツクヨミ、スサノヲも三位一体構造を持っています。

古事記の三位一体構造

だから、『古事記』を三位一体構造で読んでみると、もしかしたらより深く『古事記』を理解できるかもしれないので、今後の考察でも三位一体構造を用いていこうかなと思います。

「比」と「毘」の違い

さて、ここからは今日最後のお話として、その三位一体構造を用いた、ちょっと細かいお話をして今日のお話を終えたいと思います。

natan
natan

そんなに難しい話ではないのでご心配なく(笑)

今回の神生みシーンでは、たくさんの「毘古」「毘売」といったように、「毘」が付く神様が生まれました。これまでもチラホラ「毘」が付く神様は生まれていたのですが、今回はとても多く誕生しています。

毘古と毘売

『古事記』は、神様を「比古」や「比売」と呼ぶだけでなく、「毘古」や「毘売」と呼ぶことで、明確に神様の種類を分けているようです。「比古」と「比売」、「毘古」と「毘売」の違いは何かというと、私の印象としては、「毘」が付く方は情動が激しめです(笑)図にしてみると、こんな感じ。

「比」と「毘」の違いについて

今回、イザナミが苦しむ最中に生じた神々ということがその起源としてあるからなのかもしれませんが、「毘」が付く神、たとえば「毘売」を取り上げてみると、毘売がつくお姫様の方は、結構情動激しめなキャラクターとして登場してきます。そして「比売」の方は「毘売」を恐れるところがあるようです。

「比」と「毘」は共に真逆、反転した性質を持っているようです。そして、両者の板挟みにあうのが忍男。忍耐を求められるポジションだというのが、その言葉からよくわかりますね。

また、「比」と「毘」の違いは、もしかしたら、天つ神と国つ神という違いでもあるのかもしれません。今回生じた神々は、今後人間が住む世界、あしはらのなかつくにを形成するための重要な存在になると思います。だから、「毘」が入る神々には、よい意味で、人間臭さを感じます。

先程、おしっこに生じた神々から出産時の破水と、赤ちゃんが浸かる産湯の要素が感じ取れるとお話しましたが、今回のシーンで何が生まれたかを考えてみると、それは人間が住む葦原中国という赤ちゃんかもしれないなと思いました。それが毘古、毘売の「毘」から読み取れるなと感じました。イザナミが自らの死をもって生んだのが、私たちが住むこの葦原中国なのかもしれませんね。

というわけで、今日はイザナミの排泄物から成った神々についてのお話でした。それにしても、母という存在は本当に偉大ですよね。自分の命と引き換えに子を産むんですから。本当に頭が下がります。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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