
私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第3回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
今回は前回に引き続き、このチャンネルで今後お話していくすべての土台になる、基礎構造や基本情報について解説したいと思います。その基礎になるお話は四つあります。
今日お話する内容は、二つ目の「男性性と女性性」についてです。

男性性と女性性について
前回は「宇宙は双子で成り立っている」とお話しました。この双対構造は、お互いは反転した性質を持っています。
人間の男女を見てみるとわかるように、お互いは同じ人間なのに、その性質はまったく異なります。その理由は、宇宙の双対構造がそのような性質を持っているからです。それは「男性性と女性性」という性質です。

そして男性性と女性性は下図を見るとおわかりのように、お互いが関係しあっている、そして支え合っています。
前回、「宇宙の双子構造は切り離せない」とお話しましたが、その理由は下図のようにお互いがガッチリと繋がっているからです。

そして、お互いが真逆の性質を持つことを、ヌーソロジーでは「反転している」と表現します。姿かたちが鏡のように左右が逆になっていることだけでなく、その中身も裏返るとまったく真逆の性質が現れること、これが反転です。
日本の神話と精神について
日本神話には、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)という男女神が登場します。私たちが住む世界を生み出したのは、イザナギとイザナミという男女神です。

西洋の神話は男性優位のため、「女性は男性から作られた」という表現になります。
日本神話では最初に独神(ひとりがみ)である神様がお生まれになり、この方は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)とおっしゃいます。そして、初代から七代までが独神です。

それ以降は男女神が五組お生まれになり、一番最後にお生まれになったのがイザナギとイザナミという男女神です。このイザナギとイザナミが国産みを行い、日本の国土を作っていきます。
キリスト教やイスラム教などの一神教と呼ばれる宗教では、絶対的な神様は男性で、しかも一人だとする考えを持っているわけですが、これは宇宙の双対構造を無視した考えになります。さらに双対構造を無視しているため、一神教では女性の地位は低いです。
一神教は男性優位だからこそ、争いが絶えません。過去の歴史では宗教戦争があり、今でも宗教間で争いは続いています。

しかし日本では、神話の時点からしっかりと男女神が描かれ、さらにその神話をベースに国づくりや教育が行われてきました。
日本の精神がしっかりと双対構造を理解してるからこそ、神道と仏教が融合したり、異国の宗教が日本に入ってきても共存してしまうなど、諸外国のように激しく争うということがありません。なぜ日本は異色なものを上手く融合させてしまうのでしょうか?
その理由は、物事を考える上で女性性がもつ多様性や感情が存在する心の世界を大切にする精神を持っているからだと思います。
日本の文化には、「わびさび」と言われるように情があります。これは、日本の精神が心の世界を大切にしてきたことの証だと思います。

古代の日本は、神社に仕えて神事を執り行う人(神職)は男女ペアが基本原則でした。
さらに、庶民においてはほとんどの家が農業を生業にしていたことあって、豊作を祈るためにお米の苗を夫婦の寝室に置いたりする風習がありました。なぜ夫婦の寝室かというと、古代の日本では、男女の性的結合が持つ根源的な力が信仰の対象だったため、夫婦の寝室に苗を置くことで、今年一年の豊作を祈ったからです。

そのような信仰があったからこそ、今でも神社には男女の性器をかたどったものが祀られています。それにちなんだお祭りもあるようです。
日本のように男性性と女性性をともに大事にする国は、世界中探してもあまりありません。


ちなみに少し話はそれますが、日本の国歌「君が代」は古今和歌集の筆頭歌として、最初は天皇のために歌われたものだそうです。そのときは「君が代」ではなく「わが君は」と歌われていたそうです。

その歌が一般庶民に広がり、「わが君は」が「君が代」に変わり、結婚式のお祝いの歌としてずっと歌われ続けてきたという歴史があったそうです。ですから、日本の国歌は西洋のような荒々しいものではなく、もともとはおめでたい結婚の歌だったり、相手を思って歌われたりしたものです。
そのように考えると、日本の方がかなり異色な国なのかもしれません。
そんな日本も現代では男性性優位に傾いていますが、それは仕方ないことだと思います。その理由については、後半でお話します。
自我意識と無意識について
このチャンネルでは心の世界を語っていくため、男性性と女性性の性質がどのように心の世界や、人間の意識に現れているのかについてお話します。
まず「外在世界と内在世界」という二つの世界において、外在世界で活動しているのは自我意識、内在世界で活動しているのが無意識です。

自我意識は男性性の性質を持つため、物事をなんでも一つの方向に決めます。また、外在世界は自分の身体の外側にある世界なので、客観視ができます。客観視ができるということは、思考を働かせることができるということなので、自我意識は思考によって世界を捉えます。
そして、無意識は女性性の性質を持つため、物事の多様性を受容します。また、内在世界は主観的な世界のため、そこは感情がうごめく世界でもあります。主観的な世界は、感情に飲み込まれると自分自身が感情そのものになってしまう、一体化してしまうので、客観視するのがとても難しい世界です。
でも私は、その客観視が難しい心の世界を主観で感じつつ、しっかりと客観視できるようになりたいと思い、心の世界を探究しています。その理由は、感情それ自体は大切なもので存在を否定していませんが、その感情に囚われると正しく世界を捉えられなくなるため、囚われることがないように適切に対処したい、また、本当の自分を知って楽しくこの人生を生きたいからです。
しかしそれだけでなく、ヌーソロジーでは「心の方向に本当の外部宇宙がある」ということが言われているからです。この件については、次回詳しくお話します。
愛し合う男性性と女性性
外在世界では時間はどんどん流れていくため、覚えておかなければいけないものはメモ書きしたり、何かの記憶デバイスにデータを保管したりしなければいけません。
それとは逆に、内在世界は自分のこれまでの人生の全記憶を保存しています。そのため、過去に嬉しかったことや楽しかったことだけでなく、過去に失敗したことや嫌なこともすべて記憶しています。その嫌な記憶を何度も再生していくうちに、それが強固なトラウマになって、ガッチリと心の世界に根を張ってしまいます。

自我意識も無意識の性質を知ってか知らずか、自分が体験した嫌なことを無意識領域にポイポイ捨てていきます。「見なかったことにしよう」という感じで。
宇宙における男性性と女性性の双対構造は、お互いを支え合っているし、やはりどこか恋人のように愛し合っています。ですから、男性性である自我意識が捨てたものも、女性性である無意識は一生懸命受けとめようとします。

健気なんです、女性性は。
一所懸命受けとめようとするけれど、次第に女性性側の無意識も苦しくなってきて、「もう無理!!」というような、声なき声をあげます。これが感情です。
感情には純粋なものと、そうでないものの二種類があると私は考えています。この場合は純粋ではないもの、抑圧されたものが限界に達して出てきてしまったもので、嫌な感情がブワーッと上がってきたものです。
この無意識側にはある者が存在しているんですが、それが心理学でよく話題にあがるインナーチャイルドです。インナーチャイルドについて、今日はこれ以上触れませんが、今後お話していく予定なので、楽しみに待っていてください。
お話戻します。
感情が爆発することで、その結果、外在世界で問題を起こしたり、人間関係が上手くいかなかったり、場合によっては心や体が病んでしまったりする、ということもあります。

この話を聞いて、みなさんはどう感じられますか?
「なんか私…いつもこれやってる気がする」と思われる方もいらっしゃるんじゃないかな~。
昔の私もこれやってました。だから、みんなやってるんです。
このように、自分の中の男性性と女性性が上手くいっていないことが、外側の世界にもフラクタルに波及してしまうのです。

自分の中の男性性である自我意識が優位だからこそ、結果的に社会も男性性優位になり、また逆に社会が男性性優位だからこそ、個人の中も男性性優位になってしまうというような、双方向の関係を自我意識と社会はもつと考えます。
その結果、自分の中からも社会からも、女性性は排除されてしまうのです。

調整期と覚醒期について
宇宙的な大きな視点から見ると、ヌーソロジーでは宇宙にも大きく分けて二つの周期があると言います。
一つ目が、紀元前4500年頃に突如出現したシュメール文明の時代から、マヤ暦の終焉で話題になった2012年頃までの期間の約6500年。二つ目が、2013年から約6500年後の期間。合わせて約13000年が一つの周期になっています。

2012年までの期間をヌーソロジー用語で「調整期」と言い、2013年から始まった期間を「覚醒期」と言います。
前半の調整期と呼ばれる時代が、男性性が先手で動く時代です。その結果、女性性は後手に回ります。そして、後半の覚醒期と呼ばれる時代が、女性性が先手で動く時代になります。
したがって、宇宙的な大きな視点から見ると、2012年までは宇宙自身が男性性が先手になる周期だったため、それが宇宙全体にフラクタルに展開することで、これまでの人間の文明が男性性優位になってしまったと言えます。
これがお話の中盤で言った、「男性性に傾いてしまうのは仕方ない」という言葉の意味です。
そして、今社会でも多様性を求める声が上がっていたり、マイノリティー側である社会的少数派と呼ばれる人たちの意見にも、みんなが耳を傾けようという姿勢になっている理由は、宇宙自身が2013年から女性性の周期に入ったからだと思われます。
しかしここで間違ってはいけないのは、2013年から始まった女性性が先手になる時代というのは、人間の女性が優位になるという話ではない、ということです。女性が優位になることは、男性優位と何ら変わらないことなので、その考えはじつのところ男性性的な考え方です。そうではなく、女性性の時代というのは、男性性と女性性のペア、つまり双子の状態のことを意味します。
したがって、これからの自分の心の状態や歩む人生を考える上で、自分の中の男性性と女性性をバランスの良い状態に保つ必要があります。
また外在世界においては、前回もお話しましたが、矛盾する二つのことを共存や同居させられるような意識を育てていかないといけません。

あとは、やはり大切なのは人間関係です。
ヌーソロジーでは「宇宙は自己と他者で成り立っている」というように「自己と他者」という言葉を使いますが、この言葉は正確に言えば、人間における自己と他者ではなく、宇宙の裏表の関係性のことを指しています。しかし、その構造がもっとも象徴的に現れているのが人間における自己と他者であることは間違いありません。
ですから、「人の悩みの9割は人間関係」と言われるほどに難しいその関係性も、良好な関係性をしっかり構築できるような心の柔軟さやスキルを身に着けないといけないのです。そのように双子化に向けて歩んでいかなければ、女性性の周期に入った宇宙に同調することができず、どんどん取り残されてしまいます。

経済界でもスピリチュアルの世界でも、どの世界でも言われている、あの「二極化」という言葉。その言葉の意味は、宇宙の方向性に同調できるか、できないか、ということで分かれる現象だと思います。
そのため、性別問わず、自分の中にある女性性の部分(自分の無意識や感情がある心の世界のこと)を自らの男性性の力によって意識化させて、どうすれば自分の中の男性性と女性性を双子化できるのかを真剣に考えて、そして対処していくことが重要だと考えています。

まとめ
今日の内容をまとめます。
次回は、本当の外部宇宙はどこにあるのか、ということについてお話したいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!