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【ろじろじラジオ】第32回放送★元型:影(シャドー)~ユング心理学~

影アイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第32回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前回は、ユング心理学の元型について、アニマ、アニムスの話をしました。

軽く前回の内容をおさらいします。

元型というのは、人間に生まれ持ってそなわる集合的無意識で働く「人類に共通する心の動き方のパターン」のことを言います。元型は私たちの無意識内に存在する仮想的概念であり、これが自我の中に映し出されるとき、その人物の意識のあり方や文化などの影響を受けて表に出てきます。

そして、今日お話する元型の種類は「影(シャドー)」です。

影(シャドー)とは

影

シャドーとは、自分の性格の劣等な傾向やその他の両立しがたい傾向を人格化したもので、端的に言うと、自分として生きられなかったもう一人の自分、というようなイメージです。このシャドーもアニマ、アニムス同様に、他者に投影されることでたち現れてきます。

「Aさんは出しゃばりで知ったかぶりで嫌い」と悪口を誰かに言った場合、じつはその悪口をいった自分自身がそのような影を持っています。それが自分の半身です。

ユング心理学ではヌーソロジー同様に、自分と他者に投影したシャドーやアニマ、アニムスを統合することで、一つ上の次元である心の全体性としての自己(セルフ)に行き着くことができると言います。私たちは他者への投影を通して、それに気づき、投影の引き戻しを行って、半身であるもう一人の自分を理解し受け入れていかなければいけません。

日本人と西洋人の自我の違い

影の肩代わり

このシャドーという元型には、「影の肩代わり」という現象もあるそうです。たとえば、河合隼雄先生は、ある素晴らしい教育者の子どもが非行少年になったことを例にあげて解説しています。

父親は周囲からホトケのような人と言われるほどで、まったく影をもたない人のように感じられています。ところが、子どもは数々の悪行を重ねていきます。周囲の人は親子でありながらどうしてこんなにも違うのかと、息子の親不孝ぶりをなじったりします。

しかし、この親子に起こっていることは、親の影を子どもが肩代わりさせられているということ。親のあまりにも「影のない」生き方が、子どもに肩代わりを要請するのだそうです。

不良少年

深層心理学を学ぶと、投影に対する考え方も変わってきます。

これまでは自分の固定観念を他者に投影している、だから自分はイライラするのだといったように、主観的な視点で世界を捉えていました。もちろんそれは間違っていませんが、さらにこの投影は他者存在をもそのように行動させてしまう、他者の生き方にまで影響を及ぼしているという点が驚きです。それもこれも、私たちの無意識内に存在する元型と呼ばれる型が作用しているからなんですね。

ドッペルゲンガー

またシャドーに関する話として、江戸時代に「影のわずらい」や「影の病」と呼ばれていたものがあるそうです。これは「離魂病」とも言われ、人間の魂がその身体を離れてさまようという考えによっているそうです。これは影の遊離現象です。

この影の遊離現象はドッペルゲンガーとも言われ、自分自身とまったくそっくりの人物に出会う体験と同様のものだそうです。

natan
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こういった話を聞くと、一般的に言われている幽霊現象などを深層心理の視点から解釈してみることもできそうだなと思ったりもします。

夢からのお知らせ

猫

ユング心理学は心理療法として、夢分析というのをきわめて重視します。この夢には自分の異性像であるアニマ、アニムスだけでなく、シャドーも登場します。

夢は意識と無意識の相互作用によって生じるものであり、夢は意識に対する補償機能を有していることが多いそうです。つまり、夢は自分の半身であるシャドーを登場させ、自分に欠けているものを教えてくれるという、セルフ側からのメッセージとして捉えられるということです。

natan
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この件について私は、夢は何かしらの自分に対するメッセージだと捉えていたので、ユング心理学を学ぶ中で「あ、やっぱりそうだったんだ」と確信しました。

でも夢分析は結構難しく、なんとなく直感でわかるものと、そうでないものがあります。ですから、ここ最近はこのチャンネルで無意識を知っていこう、無意識の感受性を上げよう、ということで話をしていますが、外側に投影している無意識的なものの意識化だけでなく、夢という世界においても、そこでのメッセージを受け取れるかどうか、そしてそれを解釈していけるかどうか、という自らの力で考えていく能力も必要なんだろうなと思います。

まとめ

人は完璧な人間になろうと思って、そのように生きてしまうものですが、そこで生きられなかった半身であるシャドーは、他者を通じて自分の目の前に現れてきます。そのように意識と無意識は補償機能によってバランスを保っているようです。

シャドーが目の前に現れてくると、私たちはものすごく心を乱され苦しむことになります。であるならば、完璧な人間を目指さず、自分の弱い部分を早いうちに受け入れてしまったほうがいいのかもしれません。そして、欠点のある自分はそれでいい、と思えることで他者との争いは生じず、さらには自分自身が心の全体性であるセルフに近づけるようになるのだと思います。

ユング心理学における元型について、他にもいろいろ種類があります。もしご興味がある方は、「ユング 元型」と検索して、ご自身で調べてみてください。

このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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