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【ろじろじラジオ】第60回☆ゆるキャラを深層心理学的に考えてみた

No60:ゆるキャラアイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第60回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

ゆるキャラについて考えてみる

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

今日は、深層心理学的に見た「ゆるキャラ」という存在について、私なりの考察をお話したいと思います。

ゆるキャラとは、「ゆるいマスコットキャラクター」の略で、主に地域のPRを目的としたご当地キャラのことです。今さら説明することもないくらい、現代日本の文化になくてはならないキャラクターたちです。

地域のPR以外では、スポーツなどにおいても、かならずチームのマスコットキャラクターがいます。私の印象としては、地域のゆるキャラは体が大きくて、足が短くて、ドドーンとしてる感じ。スポーツにおけるマスコットキャラクターは、手足もそれなりに長さがあって、動きも俊敏だなと感じています。静と動という違いがある、そんな印象です。

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ゆるキャラは、今現在どれだけの数が生まれているかわからないくらい、全国各地で日々生み出されているのではないかなと思います。そしてたぶん、世界的に見てこんなにゆるキャラを生み出す国は日本以外ないのではないかなとも思うんです。

「これが日本の文化だ」と一言で片付けてしまえばそれまでなんですが、私はやっぱり深層心理学的にこの現象を考えたいんですね。

natan
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「日本人よ、精神レベルで一体何をしているんだ?」と(笑)

私がゆるキャラを目にするときというのは、サッカー観戦をしに会場に行ったときですね。我が家はヴァンフォーレ甲府を応援しているんですが、ホーム戦のときは、山梨県の各市町村や各企業が協賛して試合を盛り上げるんです。

そして試合開始前に、ピッチに各市町村の代表者と一緒にご当地キャラも出てくるんです。ピッチ以外では、スタジアムグルメの屋台が並んでいる通りにある協賛ブースのところで見かけたりもします。

natan
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ゆるキャラは近くで見ると、意外とデカい(笑)

そんなゆるキャラなんですが、私はこの前すごくびっくりするゆるキャラに出会いました。食品ロスをなくそうということで「やまなし食品ロス削減推進運動」なるものがあるそうなんですが、その運動のマスコットキャラクターがサッカーの試合会場に来ていたんです。

そのキャラクターの名前は「かんしょくま」という、「残さず完食しよう」というテーマで誕生したキャラクターでした。ベースはクマなんですが、両耳それぞれがスプーンとフォークになっていて、山梨なので富士山の前掛けをして、舌をペロッと出しているんです。

かんしょくま

私はこれを見たとき笑いました!ゆるキャラは地域の特徴をひとまとめにして象徴化したものだというのはわかるんですが、「かんしょくまって、抽象的概念過ぎる(笑)」と。そういったものでもキャラクター化してしまう日本人の感性に逆に驚きました。

そこで、「ああ、そうか」と気づいたんですね。なぜ日本人はゆるキャラを作り出すのか、この国民の精神活動は一体何なのかということを。

神話は神に託して物事を語ったもの

古事記

私なりの考察として、まず神話というものが何なのか、というところからお話する必要があります。

神話というのは、歴史的事実の記録ではありませんが、でも、まったくの無から創造された虚構の物語でもありません。神話のベースになっているものは、各地方において口伝で伝わってきた昔話などで、それが風土記などにまとめられています。その各地の風土記をさらに統一した形でまとめ、編纂したものが『古事記』や『日本書紀』です。

ですから、神話というのは古代日本人の信仰に裏打ちされた神々による世界創造の物語であり、それは人間と文化の起源を神々に託して語ることで、世界の始まりと現実の社会のあり様を説明しようとしたものなんです。それによって人々の思考と認識を基礎づけたわけです。

神話において大事なことは、神々が本当にいたのかどうか、ということではなく、神々を通して世界を語ることによって、人々の心に共通認識や団結力、倫理観を持たせたり、自分自身を含めたあらゆる存在に意味を与えたりすることなんです。

その神話で語られている神は、一神教で言う「GOD」ではなく、自然「Nature」のことなんですね。でも、自然をどのように語ればいいのか、現代人のような科学的な視点や理解力は古代人たちは持っていなかったので、それを「カミ」に託して擬人化させて語ることで世界を理解していったんです。

神話に登場する神々は、世界そして文化を創造しました。そして人間は神々が創造した世界と文化をありがたく頂戴し、そこから今度は自分たちが住む地域それぞれで固有の文化や風習を生み出していくことになります。そして、その各地域の文化や風習も何か別の存在に託して語り継いでいったのだと思います。ときに、その地域でものすごく力を発揮した者が神格化されるということもあったと思います。

時の権力者の神格化は世界各国で見られることですが、私はそれとは別に、日本独自のある存在に興味を惹かれます。それは妖怪です。妖怪も地域の文化や風習、そして民衆の心理を語る際に託された存在だと思うんです。

妖怪は怖い存在というイメージですが、古代ではそうじゃなかったと思います。妖怪の起源は奈良時代だそうですが、その時代から妖怪が語られていたとするならば、神々とそんなに乖離した存在ではないと思います。本来は精霊という感じなのだと思います。

ですが、神々よりは地域に非常に密着した存在で、民衆の生活や信仰の方に寄り添っているので、神々よりも下の地位にある者として、妖怪という存在が誕生したのだと思います。ということは、妖怪は言い換えると、民衆そのものと言えるかもしれませんね。

このように、神話そして妖怪話は日本人の文化や風習、そして民衆の心理状態を語るときにたいへん重要な役割を果たしてきました。

ゆるキャラが誕生し続けるワケ

田舎の風景

さてここで、今日のテーマであるゆるキャラに話を戻します。

ゆるキャラも、神々や妖怪を作り出してきた古代日本人と同じ精神活動なのでは、というのが私の考えです。ゆるキャラも、ある意味で、地域の精霊ですよね。

そして、日本の神々は八百万と言われるように、その数は無数です。妖怪も同様に、その種類は無数だそうです。ゆるキャラはどうでしょう?

natan
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ゆるキャラも同じように日々増殖中ですね(笑)

神々の数が無数というのは、日本は西洋と違って、一人の絶対的神であるGODではなく、自然そのものを信仰していたからだと思います。動植物だけでなく、土や石、空その他もろもろ、自然そして世界のすべてに命が宿っているから、神々も八百万になるのだと思います。

自然を「カミ」に託して語るという精神活動が今現在も綿々と続いていることの証拠を、ゆるキャラという存在に見つけることができると私は思います。地域の特徴を語るときにマスコットキャラクターにすべてを集約させて語るという手法。神話創作とまったく同じ手法です。素晴らしい感性です。

ですから、ゆるキャラがどのように誕生しているのかを知っていると、神話に出てくる神々も日本人は難なく理解できると思います。

たとえば、ギリシャ神話に出てくるワインの神様であるディオニュソス。豊穣と酒と狂乱の神様として有名で、ブドウ栽培とワイン造りの方法を考え出し、世界に広めたとされています。

神話に出てくる神々は、複数の特徴を持っているので、初めて神話に触れるとき、「なんで神様はあれでもあり、これでもあり、統一されていないんだろう」と不思議に思うかと思いますが、そこでゆるキャラのことを思い出していただけると、「あ、その土地で起こっているすべてのことを神に託して語ったものなのね」ということが理解できると思います。

ただし、神話の方がゆるキャラより人々の精神性に直結しているし、信仰心の強さや芸術性の高さは比べものにならないですけどね。ゆるキャラとは含み持っているものの重さや質が違います。

このように、ゆるキャラベースで神話を捉えてみると、神とは「GOD」のことではなく、本来は「自然(nature)」を指していたのだということがわかってきます。「自然 対 人間」なので、自然を信仰するということは、日本人が自然という神々と折り合いをつけながら生きることと同義だったと思います。それが今でも文化として残っているのだと思います。

というわけで、深層心理学的にゆるキャラを考えてみたら、日本人が綿々と続けてきた神話創作という精神活動だとわかったよというお話でした。

ゆるキャラの3000年後

最後に、神話や妖怪も時代が進むと、当時の解釈からかなりかけ離れた形で伝わっていくようなので、私も「ゆるキャラの3000年後」を考えてみました。それをお話して今日のお話を終えたいと思います。

最近よく目にする光景なんですが、ゆるキャラって体が大きくて、なおかつ短足なので、歩くのがとても大変なようですね。だから、係の人がゆるキャラを代車に乗せて移動させている光景をよく目にします。その姿がとっても可愛くておかしくてたまらないんですが、これ、3000年後の日本人にはどう伝わっていると皆さんは思いますか?

体が大きくて、短足で、移動が大変だから代車に乗っているというだけのことなんですが、人間は印象強かったことをなぜか誇張して記憶に残す傾向があって、なおかつ遠い過去に人間が起こした行動を宗教とか信仰といった形で解釈するようです。

そしてここからのお話は、ゆるキャラももしかしたら3000年後にはこう伝わっているかもしれないという私の妄想のお話です。お話冒頭で触れた「かんしょくま」というゆるキャラをイメージしながらお聞きください。

3000年後の日本人の会話です。

3000年後の日本人
3000年後の日本人

ねえねえ、知ってる?古代の日本人はユルカラ神という神々(ゆるキャラが変化した言い方)を信仰していたらしいんだけど、その神はとてつもなく巨大だったってさ!

話によると、富士山をテーブルにして、これまたドデカイスプーンで山梨をすくって食べたってさ。だから甲府盆地ができたっていう話だぜ!(この富士山をテーブルにしたというのは、かんしょくまが富士山の前掛けをしていることが歪曲して伝わったということ)

3000年後の日本人
3000年後の日本人

そしてさあ、もっと恐ろしいのは、ユルカラ神たちは人間を奴隷のように扱っていたってさ。なんかね、大勢の人間に首輪をつけて、馬車を引くように人間を引いて、車のように使って世界を闊歩していたらしいぜ!(これは代車で運ばれるゆるキャラのこと)

3000年後の日本人
3000年後の日本人

日本の神様って超怖い!!

どうでしょうか、この妄想。私はありえなさそうでありえそうだなと思って、これを思いついたとき一人で笑ってしまったのですが(笑)

神話は国が編纂を命じた、ある意味古代の公的文書のようなものでもあるので、その内容はそのまま後世に伝わっていくと思います。ですが、妖怪のような各地域の文化や風習を象徴する存在は、そのまま後世に伝わっていくというのは難しいと考えます。

精霊である妖怪を怖いと感じてしまうのは、現代人の意識が無意識領域とかつてほど交流を持たなくなっているからだと思います。人間側が変化してしまうと、妖怪に対する認識も変わってしまうのは当然のことだからです。

だからゆるキャラも、もしかしたら妖怪のように、かなり歪曲されて伝わっていく可能性があるなと思ったので、最後に私のしょうもない妄想話にお付き合いいただいたわけです。

この日本人の神話創作という精神活動が、たぶん今後私たちが心の世界を知覚していくときに必須の能力になると私は考えています。ですが、まだその件についてはうまく言語化ができないので、いつの日か、なぜ日本人の神話創作という精神活動が今後重要になるのか、ということをお話できる日が来ればいいなと思っています。

というわけで、今日は深層心理学的に見た「ゆるキャラ」についてのお話でした。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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