本日のトーク内容
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ、三貴子の特徴について、金属を例にあげてお話しました。今回は、スサノヲの行動を通して見えてくる、古事記の壮大な生命進化説についてお話してみたいと思います。
まずは、いつものように読み下し文、現代語訳を読み上げます。声をもって訓む部分は赤字で表記し、特殊な訓読みは原文の横に訓み方を記載しています。トーク内容のチャプター一覧、参考文献はチャンネル概要欄に記載しています。
原文/読み下し文/現代語訳
故各随依賜之命 所知看之中 速須佐之男命 不治所命之國而 八拳須至于心前 啼伊佐知伎也
其泣状者 靑山如枯山泣枯 河海者悉泣乾
是以惡神之音 如挾蝿皆滿 萬物之妖悉發
故、各依さしたまひし命の隨に、知らしめす中、速すさの男命、命させし國を治らさずて、八拳須心前に至るまで、啼きいさちきなり。
その泣く状は、青山は枯山の如く泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。
ここをもちて悪しき神の音は、さ蠅の如く皆満ち、萬の物の妖悉に發りき。
そうして各々は命令に従って国を治める中、須佐の男命だけは国を治めず、ひげの長さが胸に至るまで激しく泣きわめいた。その泣く様は、青山が枯山になるような、河と海はことごとく干上がってしまうような泣き方だった。これによって悪しき神の声はうるさい蠅のように満ち、萬物の災いが至るところで起こった。
故伊邪那岐大御神 詔速須佐之男命何由以 汝不治所事依之國而 哭伊佐知流
尒答白 僕者欲罷妣國根之堅州國 故哭
尒伊邪那岐大御神大忿怒詔 然者汝不可住此國 乃神夜良比尒夜良比賜也
故其伊邪那岐大神者 坐淡海之多賀也
故、伊邪那岐大御神、速すさの男命に詔りたまひしく、「何由かも汝は事依させし國を治らさずて、哭きいさちる」とのりたまひき。
尒して答へ白ししく、「僕は妣の國根の堅州國に罷らむと欲ふ。故、哭くなり」とまをしき。
尒して伊邪那岐大御神、大く忿怒りて詔りたまひしく、「然らば汝はこの國に住むべからず」とのりたまひて、すなはち神やらひにやらひたまひき。
故、その伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり。
伊邪那岐大御神は須佐の男命に、「なぜお前は命令した国を治めず、泣いてばかりいるのか」とおたずねになった。すると須佐の男命は、「僕はその役目をおりて、亡くなった母の国、根の堅州国に退きたいと思っています」と答えた。それを聞いた伊邪那岐大御神はたいへんお怒りになって、「ならば、お前はこの国に住んではいけない」と仰って、須佐の男命を追い払った。
そういうわけで、伊邪那岐大神は淡海の多賀に鎮座なさっているのである。
これが今日取り上げるシーンです。このシーンをもってイザナキとイザナミの時代は終わりを告げます。さて、早速解説に入りましょう。
解説
毛深さはスサノヲの代表的特徴の一つ
アマテラスとツクヨミはイザナキに言われた通り自分たちの国を治めていく中で、スサノヲだけは仕事をせず、ヒゲの長さが胸に届くほど、長い間泣き続けたようです。「八拳須」の「八」はたくさんという意味なので、そこから考えるに、ヒゲがボーボーになるまで泣いたということでしょうか?スサノヲの「す」には、ヒゲを意味する漢字「須」が当てられているので、毛深さは彼の代表的特徴の一つなのかもしれません。
スサノヲが泣くと災いが起こる理由
その泣きわめくさまが強烈で、青山は枯山のようになり、河と海はことごとく干上がってしまい、悪しき神の声はうるさい蠅のように満ち、萬物の災いが至るところで起こったと言われています。スサノヲが泣くだけで、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?私は、その理由は二つほど挙げられると考えます。
理由①スサノヲはイザナキの型を色濃く継承しているから
一つは、スサノヲは父であるイザナキの特徴を色濃く継承しているから、というもの。イザナキは最愛の妻イザナミを失ったとき、その悲しさのあまり大暴れをして世界に大噴火をもたらしたことがありました。今回の災いもスサノヲが亡き母を思って大号泣したことがキッカケで起こっているので、彼は父の精神的な幼さを継承しているのだと思われます。
理由②スサノヲは水銀の神様だから
二つ目は、スサノヲを象徴する水銀という金属が関係しているから、というもの。前回の解説で私は、神々を金属で見た場合、スサノヲは水銀の神様として見ることができるとお話しました。その水銀であるスサノヲが泣くということは、猛毒の雨が降って至るところで災いを引き起こしたということだと思われます。たとえば、人間が水銀を大量に摂取してしまうと、皆さんもご存知のように、水俣病のようなとても恐ろしい病気を発症してしまいます。
水銀が多く用いられる場面は、金を採集するときです。金と水銀の合金であるアマルガムを作り熱することで、沸点の低い水銀だけが蒸発し、金だけが採集できます。
蒸発した水銀は大地に降り注ぎ、それを小さな生物が体内に取り込み、食物連鎖によって水銀濃度は徐々に上がっていき、最後それを口にした人間に健康被害をもたらします。また、金の採掘それ自体も自然破壊を引き起こす行為です。水銀のこのような毒性(金の採掘も絡んでいますが)を象徴したものが、山が枯れるとか萬物の災いがいたるところで起こったということではないかなと考えます。
ちなみに、水銀の沸点の低さもスサノヲの泣き虫体質をよく表しているなと感じます。
古事記に描かれた壮大な生命進化説(仮説)
さて、スサノヲが泣くことでたくさんの災いが起こる理由はわかりました。しかし、「ヒゲがボーボーになるまで泣いた」という表現には少し違和感を感じます。かなり長い間泣き続けたことを意味する表現ではありますが、なぜヒゲを強調するのでしょうか?私は、ここには何らかの特別な理由が隠されていると感じました。
ですから私は、もう一度これまでの物語の流れと、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの関係性をあれこれ思考してみることにしました。すると、とても壮大な生命進化の流れを読み取ることができ、そこでヒゲが伸びた理由も何となく掴めました。ここからのお話は、あくまでも私の仮説ですので、「そういう考えもあるのね」程度に気軽な気持ちで聞いてください。
大地創造から生命誕生へ
先に全体像からお話すると、生命進化の視点で古事記を読んだ場合、アマテラスたち三貴子の誕生は、植物界、動物界、菌類界の誕生を予言するものになっていて、そのうち動物界と菌類界が持つある特徴が「ヒゲ」に象徴されて語られていると感じました。
一つずつ説明していくと、これまでの古事記解説で私は、物語の中に大地創造の過程が象徴的に描かれているとお話してきました。イザナミが火の神カグツチを生んだことをきっかけに地球に地熱エネルギーが発生し、大地の活動が始まったこと。カグツチ誕生によってイザナミは死に、それを悲しんだイザナキの涙が大雨となって海を作ったこと。そして、カグツチに対する彼の怒りが大噴火を引き起こし、それは大地だけでなく、海底にも熱水噴出孔を誕生させたと。
ここまでが大地創造の話として読めるわけですが、その後の展開、死んだイザナミに会うために黄泉の国に行ってすったもんだして、やっとのことでイザナキが帰ってきて、禊をして、その結果アマテラスたち三貴子が生まれたという部分は、大地創造にどう絡んでくるかを考えたとき、「そうか、これは生命進化の過程なのか」と思ったんですね。
最近の研究では、最初の生命は熱水噴出孔付近で誕生したのではないだろうかと言われています。その理由は、熱水噴出孔が生命誕生に必須の有機物とエネルギーを噴出しているからだそうです。
生命誕生の過程
現代科学の知見を参考に、生命誕生の過程をザックリお話すると、最初は膜だけの細胞の原型のようなものが誕生し、次に、膜の中にDNAを含む原核生物が誕生しました。原核生物は単細胞生物で、細胞壁の中でむき出しのDNAが細胞質基質の中に浮かんでいます。なおかつ、鞭毛というヒゲのようなものも生えています。原核生物の代表的なものは、大腸菌や乳酸菌などです。
このむき出しのDNAを持つ原核生物が、あることをきっかけに新しい生物へ進化しました。それは、酸素の大量放出です。シアノバクテリアによって大量の酸素が地球上に供給されはじめたのが約27億年前。酸素は太古の生命にとっては猛毒だったので、酸素から身を守るために膜が進化しました。DNAを核膜で包み、DNAを保護した真核生物の誕生です。そのとき同時に、細胞内には細胞小器官というさまざまな機能を営む器官も含まれました。
このミクロレベルの生命進化が、古事記内に象徴的に描かれていると私は思いました。生命進化の視点で古事記を整理してみると、最初の膜の原型らしきものが誕生した時代が、イザナミが最初に声掛けをしてイザナキがヒルコを生んだ場面に該当するのではないかなと。
そして、正しい手順で島生み、神生みを行い、不運なことからイザナミが死んでしまい、なんやかんやあって黄泉の国で生と死が誕生し、その後の禊でもたくさんの神が生まれたところまでが原核生物の時代。この時代に起こった一番重要な出来事は、DNAに生と死がプログラムされたことではないかなと考えます。
鞭毛は運動器官
また、原核生物には鞭毛と呼ばれる毛が生えているのですが、鞭毛は細胞が遊泳するための運動器官で、尻尾みたいなものです。尻尾という視点で古事記の内容を振り返ってみると、イザナキが黄泉の国で雷神たちから逃れる際、十拳劒を後ろに振って逃げたことや、イザナキが禊の前にヤギのように鳴いた様子から、イザナキは尻尾を持った存在なのではないかなと思いました。そして、その尻尾が原核生物の鞭毛と関連しているのではないかなと…。
さらに、鞭毛について調べてみたら、面白いことも発見しました。鞭毛はスクリューのように高速回転をするそうで、「それはまるで車輪のようなものだ」と語られている記事を見つけたんですね。
車輪。そういえば古事記解説第21回で、私がヤギの考察を通して、火のヤギハヤヲ神と関係ありそうな北欧神話のトールという神を見つけたとき、彼が乗っているのが戦車でした。ヤギと戦車、車輪、高速回転、「これはもしかしたら鞭毛のことか?」と私は思いました。正解はわかりませんが、以上のような考察を通して私は、尻尾は動物の運動性を象徴したものではないだろうかという仮説を立ててみました。
シアノバクテリアによる酸素供給の時代
さて、生命誕生の過程に話を戻すと、禊のとき肺を象徴する神々が生まれましたが、その場面がシアノバクテリアによって酸素が供給されはじめた時代を象徴していると考えます。
そして、アマテラスたち三貴子が生まれると、いよいよ真核生物の時代へと突入。むき出しのDNAが核膜で覆われ保護されるわけですが、イザナキは黄泉の国を離れる際、イザナミに「産屋を建てる」と宣言しました。その産屋が、もしかしたら核膜でDNAを保護するということでもあったのかなと考えます。そして、その核こそがアマテラス。
イザナキは、アマテラスに対して玉の首飾りを揺らして高天原を統治するよう命じました。そのときの読み下し文は「御頸珠の玉緒もゆらに取りゆらかして」と「もゆらに」と語っています。この「もゆらに」は、今日の流れでいえば、「藻を揺らすように」と、シアノバクテリアの動きのことを指しているのではないでしょうか?そう思ってシアノバクテリアを見てみると、あらビックリ。玉の首飾りにソックリではないですか。
さらに、首飾りを揺らす行為それ自体は、「シアノバクテリアが放出する酸素からDNAを守るぞ」という意思表示だったのかもしれませんし、または、これは後ほど触れますが、アマテラスは植物界を担う存在でもあると思うので、植物といったら葉緑体。その葉緑体の力を授けたぞ、ということを意味する行動だったのではないかなと私は考えました。
その他、真核生物は細胞内に細胞小器官も取り込んでいるので、この器官を象徴するものがツクヨミ、もしくはスサノヲかもしれません。両者とも名前に「命」がついているので、核のためにいろんな器官として働くという使命を感じ取れるからです。
細胞内共生説について
さて、真核生物への進化は、細胞内共生という仕組みによって達成されたものだそうで、細胞内共生説とは、原核生物が他のバクテリアを呑み込んで、細胞の内部に共生させて、体内の小器官とすることで高度な機能を獲得して進化するという説です。
思い返してみれば、死んだ妻に会うためにイザナキはイザナミの口から体内に侵入したり、黄泉の国ではヨモツシコメがブドウやタケノコを食べたり、禊シーンにおいてはイザナキが川の中流に「お近づきになって」潜ったりしていました。この「食べる」、そして「お近づきになる」行為が、もしかしたら真核生物へ進化するための細胞内共生を象徴していたのかもしれないなと思いました。
細胞内共生説による進化モデルを図に表すとこうなります。
これはアメリカの生物学者リン・マーグリスが提唱したもので、中沢弘基さんの書籍『生命誕生』から拝借し、私なりに手を加えたものです。
左下から横に見ていくと、光合成を行うシアノバクテリア。呼吸を行う好気性バクテリア。好気性とは、酸素を利用した代謝機構を備えた生物ということです。次に、発酵を行う好熱性バクテリア。そして運動機能をもつスピロヘータがいます。これらが細胞内共生をすることで、結果、植物界、動物界、菌類界の細胞が誕生します。
この植物界がアマテラス、動物界はスサノヲ、菌類界はツクヨミが治める国ではないかなと私は考えています。そこに至るまでの原核生物たちが、イザナキとイザナミが生んだ神々だったのではないかなと。
アマテラスは黄金の輝きをもつ稲穂。スサノヲは荒々しくも感情豊かに世界を駆けめぐる動物。ツクヨミは菌で、その力は発酵食品を生み出したり、またカビは薬にもなるので医療に関係してくるだろうと考えています。生命進化で見ると、また違った三貴子の姿が読み取れますね。
スサノヲのヒゲが伸びた理由
以上の考察を通して、ようやく本題への回答。スサノヲのヒゲが意味することですが、スサノヲが長い間泣き続けてヒゲがボーボーに伸びたわけを三つほど考えてみました。
理由①スサノヲの運動性を表現するため
一つ目の理由は、真核生物には繊毛という毛を持つ生物がいて、代表的なのはゾウリムシです。この繊毛も鞭毛と同じく運動器官なので、スサノヲも運動性を持っているよということを表現しているのではないかなと考えます。
理由②大人になったことを表現するため
二つ目は、ヒゲは大人になったら生えてくるものなので、スサノヲのヒゲが意味することは、彼が身体的には大人に成長したということではないかなと考えます。胸の先まで伸びたようなので、仙人レベルのような気もしますが…(笑)でも、身体的には大人だけれど、精神的にはまだまだ幼いのだと思われます。
ユング心理学では、おとぎ話などに出てくる老賢者は、ときに少年の姿で現れると言われています。老賢者は、知恵を持つ哲学者であり、公正で厳格、そして人々を導く指導者でもあります。「スサノヲがそんな特徴を持っているのか?」と驚かれるかもしれませんが、これは次にお話する三つ目の理由に関連していると考えます。
理由③ツクヨミの影響を受けたから
三つ目は、スサノヲがツクヨミの活動の影響を受けているというもの。ツクヨミは今後一切出てこない神様ですが、そのツクヨミを支えるのがスサノヲで、もちろん、アマテラスを支えるのも彼です。彼はアマテラスとツクヨミを間接的に繋ぐ役目を持っていると考えます。
今後の話の展開で、スサノヲはアマテラスに会いに行って、そこでいろんな事件を起こすわけですが、その出来事の種をツクヨミがスサノヲに対して仕込んでいるのではないかなと私は考えています。
ツクヨミは食国を統治する神で、かつ和食といえば発酵食品。発酵は麹菌と呼ばれるものが米や麦、大豆などに繁殖することで起こります。その発酵を象徴したものがスサノヲの長いヒゲで、それが麹菌の発芽した菌糸。麹菌の菌糸は先端に丸いものがついていて、八拳須の「つか」は「拳」を意味しているので、それが麹菌っぽいと感じました。
でも、直接スサノヲが発酵しているというよりは、発酵の力をツクヨミから与えられたという感じかもしれません。そのパワーを授かって、彼はアマテラスに会いに行き、結果素晴らしい出来事が起こるんですね。その素晴らしい出来事の詳細は、また後日お話しますね。
現時点で言えることは、たぶん、スサノヲはツクヨミから何らかの力、もしくは知恵を授かったのではないだろうかということ。ツクヨミからアマテラスにアクセスするためには、リレー形式でスサノヲに何かしらの変化が起こらなければいけないと思うので、その変化がヒゲの長さに表れているのではないかなと私は考えています。
そして、この知恵を授かったスサノヲが、さっきお話した老賢者としてのスサノヲに繋がると考えます。
根の堅州国はどこの国?
というわけで、以上が古事記の壮大な生命進化説についてのお話でした。生命進化の話が長くなってしまったので、後半は駆け足でお話していきたいと思います。
泣きわめくスサノヲに対してイザナキがその理由を聞くと、「僕は役目をおりて、亡くなった母の国、根の堅州国に退きたいです」と答えました。根の堅州国はどこなのかというと、それはイザナミの子宮だと私は考えています。根が固いという部分から、芋や球根のようなものが連想でき、それは翻って女性の子宮のことを指していると思うからです。彼はお母さんの子宮に行きたいと泣いているのだと思われます。
また、彼は水銀の神でもあるということも子宮と関わっていて、水銀は胎児に影響を与えるからです。そういった水銀の特徴もあって、彼は子宮に行きたいと言っているのだと考えます。
イザナキは本当に怒っているのか?
それに激怒したイザナキは、スサノヲをその場から追い払いました。そのときの一文が「神やらいにやらい」と語られていて、ここはオノマトペ的な音だと感じます。私個人の感覚としては、「やらいにやらい」が「ほれほれ」みたいな感じに聞こえるからです。
「ほれほれ」と言うと、さほどイザナキは怒っていないように感じられますが、そう、私はイザナキはそこまで怒っていなくて、内心は喜んでいるのではないかなと思うんです。
なぜそう思うかというと、三貴子が生まれる場面において、古事記内では「いたく喜んだ」とか、「いたく怒った」とか言われていて、イザナキが淡海の多賀に鎮座している、その多賀も場所として読む以外に、漢字を分解してみると、「多くのよろこび」「多くの祝福」と読めるからです。
イザナキとしては、子どもたちにイザナミとの間を繋いでもらいたいはずです。だから、スサノヲの願いはイザナキにとっては嬉しいはずだと思いました。「こいつ、俺に似てかわいいな。ほれほれ行っておいで。しっかりお母ちゃんとの間を繋いでこい。俺はここで見守っているからな」みたいな感じで、スサノヲを多くの祝福をもって見送ったのではないかなと考えます。
あと、スサノヲを「あっちに行け」と指示するイザナキから、やはりギリシャ神話に出てくる農牧の神パーンのような、牛飼い的な特徴も感じ取れるなと思いました。というのも、「神やらいにやらい」の「かむ」の「む」は、牛の古語でもあるからです。
ですから、私個人の感覚としては、この追い払うシーンからスサノヲという牛が首の鈴(カウベル)をコロンコロンと鳴らして、尻尾をフリフリさせながら走り去っていく、可愛らしい姿がイメージできるんですね。黄泉の国でもイザナキが黄泉の軍勢から逃れるとき、「御佩せる十拳劒を抜きて、後手にふきつつ逃げ来るを」と言われていましたが、そのときの動作をスサノヲがもう一度繰り返しているのだと思われます。
となると、イザナキはアマテラスに玉の首飾りを鳴らしながら授けたとのことですが、彼女だけでなく、スサノヲもきっと父から鈴(カウベル)を賜ったのかもしれません。ということは、ツクヨミも…なのかな?しかも、スサノヲは一人ではなく、集団の可能性もあるなと思いました。
淡海はどこの海?
さて、イザナキは今、淡海の多賀に鎮座しているとのことですが、淡海とは一体どこなのでしょうか?皆さんはどこだと思いますか?私は淡島があるところだと考えています。理由はシンプルです。淡海にもし島があったら、その島は淡島と呼ばれると思うからです。
淡島、覚えていますでしょうか?淡島はヒルコの次に誕生した島です。私が考えるに、イザナキが禊をして三貴子を生んだその場所は、淡島だったと思います。なぜなら、禊をするために訪れた竺紫日向の橘小門の阿波岐原には「あわ」という音が入っているからです。
だから、禊と三貴子誕生には、やはり間接的にヒルコが関わっていて、その禊と三貴子誕生もヒルコと関係がある淡島で行われた、はず。イザナキが生んだヒルコと淡島で、彼はすべての物事を最終的に締めくくったのだと思われます。そこから考えるに、淡島は子の数には入れないと古事記で言われていましたが、その理由は、淡島が禊をするための場所だったから。だから子の数に入れられなかったのだと思われます。
道反の大神を反復するイザナキ
そして、イザナキは淡海の多賀に鎮座しているということなので、黄泉比良坂を塞いだ大きな岩「道反の大神」、別名「座っていらっしゃる黄泉戸大神」の型を反復する形で、今度はイザナキが堂々とそこに腰を据えたのだと思われます。ここもパターンの繰り返しですね。
もしかしたらこの淡海は、今日の生物進化の話で言えば、細胞質基質でもあるのかもしれないなと思います。あくまでも仮説ですが、いろんな捉え方ができるのが神話の面白いところだなと感じます。
「大御神」と「大神」の違い
その他、今回のシーンでは「伊邪那岐大御神」という名前から始まったのに対し、後半は「大神」という名前に変わっていることについて。これは書き損じではなく、「大御神」と「大神」の違いは、「大御神」はアマテラスと同じ位置にいて、それは観察者であること。だから「大御神」の名前を持ってイザナキは子どもたちの仕事ぶりを観察していたのだと思います。
反対に、「大神」は観察者の位置から退いたということ。スサノヲが海原の統治ではなく、根の堅州国に退きたいと言ったことと同じく、イザナキも「なら私が代わりに海を治めよう」ということで、淡海に鎮座、つまり退いたのだと思われます。だから最終的に「大神」という名前に落ち着いたのだと思われます。
いや~、本当に古事記の仕事振りは丁寧ですよね。関心してしまいます。
日本人の仕事に対する精神性がよく表れていますね!
淡海は羊水?
ちなみに、淡海って身体宇宙論でいえばどこになるのでしょうね?スサノヲが子宮を意味する根の堅州国に退くことと、イザナキが淡海に退くことがリンクしているとするならば、もしかしたらイザナキが治める淡海とは、身体宇宙論でいえば、妊娠中に胎児を包んでいる羊水のことかもしれないなと思いました。または、羊水は胎児が飲み込むと今度はおしっことして排出されるそうなので、それはイコール膀胱ということでもあるのかもしれません。
どちらにせよ、イザナキもスサノヲも、妊娠、出産、排泄といった機能をもった女性器付近に鎮座する神様なのかもしれないなと思いました。羊水という言葉も漢字で見てみると、ここでも羊が出てきていますね。農牧の神は、羊飼いと羊の群れを監視する神ですからね。何かしら繋がっていそうな気がします。
ということで、以上をもちましてイザナキとイザナミの時代は終わり、今後は三貴子の時代に物語は進んでいきます。次回からは、これまでの話の総括的なことをシリーズでお伝えしていきたいと思います。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!