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古事記☆新解釈【13】カグツチ被殺④~古事記は世界最古の生物学書説~

古事記☆新解釈「カグツチ被殺④」アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

これまで過去三回に渡って、イザナキに斬り殺された火の神カグツチの血に成った神々についてお話をしてきました。今回からは、カグツチの遺体の各部位に生まれた神々についてのお話に移りたいと思います。

まずは、読み下し文、現代語訳を読み上げます。声をもって訓む部分は赤字で表記し、特殊な訓読みは原文の横に訓み方を記載しています。参考文献はチャンネル概要欄に記載しています。それでは始めます。

原文/読み下し文/現代語訳

古事記「カグツチ被殺②-1」(原文/読み下し文/現代語訳)

所殺迦具土神之於頭所成神名 正鹿山津見神
次於胸所成神名 淤縢山津見神
次於腹所成神名 奥山津見神
次於陰所成神名 闇山津見神
次於左手所成神名 志藝山津見神
次於右手所成神名 羽山津見神
次於左足所成神名 原山津見神
次於右足所成神名 戸山津見神
[自正鹿山津見神 至戸山津見神并八神]

故所斬之刀名 謂天之尾羽張 亦名謂伊都之尾羽張

殺さえし迦具土神のかしらに成れる神の名は、まさ鹿山津見神。
次に胸に成れる神の名は、おど山津見神。
次に腹に成れる神の名は、奥山津見神。
次にほとになれる神の名は、くら山津見神。
次に左手に成れる神の名は、しぎ山津見神。
次に右手に成れる神の名は、山津見神。
次に左足に成れる神の名は、原山津見神。
次に右足に成れる神の名は、山津見神。
[正鹿山津見神より戸山津見神まで、あはせてやはしらのかみ

かれ、斬りたまひしたちの名は、あめ尾羽をはばりひ、またの名はいつの尾羽張と謂ふ。

古事記「カグツチ被殺②-2」(原文/読み下し文/現代語訳)

殺された迦具土神の頭に成った神の名は、正鹿山津見神。
次に胸に成った神の名は、淤縢山津見神。
次に腹に成った神の名は、奥山津見神。
次に陰に成った神の名は、闇山津見神。
次に左手に成った神の名は、志藝山津見神。
次に右手に成った神の名は、羽山津見神。
次に左足に成った神の名は、原山津見神。
次に右足に成った神の名は、戸山津見神。
(正鹿山津見神から戸山津見神まで、合わせて八柱の神)。

そして、お斬りになった太刀の名は、天の尾羽張、またの名は伊都の尾羽張と言う。

これが今日取り上げるシーンです。さて、いつものように神々を整理していきましょう。

解説

神々の整理

カグツチの遺体に成った神々

カグツチの遺体の各パーツから、山の神々が生まれているようです。しかし、この山の神々が何を意味しているのか、イマイチよくわかりません。現時点でわかっているのは、カグツチを斬った太刀の名前だけです。この太刀は天の尾羽張(別名:伊都の尾羽張)と言うそうです。ですから、まずはここから考えてみたいと思います。

天の尾羽張とは

カグツチを斬り殺した剣はつかのつるぎでした。前回お話したように、十拳劒は柄が長いということを強調した名前になっているので、その先端についている刃は、柄よりも長さの短いものが取りつけられていると私は考えています。イメージとしては、矛や槍のようなものです。

十拳劒とは

しかし、今回のシーンでは、「カグツチをお斬りになった太刀の名は…」とあるように、太刀と語られています。太刀は、日本刀のように刃が長いものを指すので、私が考える十拳劒の形状とは異なります。ですが、その太刀が天の尾羽張という名前をもっていることを考えてみると、やはり刀ではないもの、たとえば銅矛のようなものではないかなと思うんです。

日本国内において、これまでたくさんの銅矛が出土していますが、その形状を見てみると、鳥の羽のような形をしています。だぶん、そのような刃を天の尾羽張と言っているのではないかなと思うんです。ですから、太刀という表現は、武器そのものの形状を指したものというよりは、天の尾羽張がもつ強さや権威といったものを聞き手に伝えるために用いられた表現、つまり天の尾羽張を修飾する言葉、それが太刀なのかなと私は思いました。

銅矛
画像参照:東京国立博物館

さて、そのように鳥の羽のような名前をもった刃でカグツチが斬り殺されたとするならば、天の尾羽張と遺体の各パーツに成った山の神々との間には、どのような繋がりが見えてくるでしょうか?私は、直前のシーンに描かれている、イザナキがカグツチを斬り殺したことで大噴火が起こった、ということも含めながら、あれやこれや考えてみました。

すると、ふと「あ!今回のシーンはアレに似ているなあ」と思ったんです。そのアレとは、今、小笠原諸島において、急成長している西之島のことです。

西之島との共通点

西之島について

西之島は、小笠原諸島にある無人の火山島で、父島の西北西約130キロメートルに位置しています。有史以来何度も噴火を繰り返していますが、2013年に噴火した際、そこに新しい島が誕生したことは、皆さんの記憶にも新しいと思います。そして、どんどん溶岩が広がっていくことで、以前からあった島も飲み込んで、約10年たった今では、島の面積は10倍ほどに大きくなっているそうです。

島の誕生や大陸の形成というのは、何万年、何十万年もかけて進んでいくものだと思っていたのに、西之島は爆速で成長していることを考えると、これまでの常識がひっくり返ってしまいそうですね。西之島だけではないですね。今、黄島おうとうにも新しい島が生まれているようなので、島のベビーラッシュが起こっているという感じでしょうか。

この西之島のイメージが今回のシーンを考察しているとき、私の中に浮かんできたんです。ですから、西之島を参考にこのシーンを考察することにしました。

生態系の代表は鳥

調べによると、噴火による溶岩の広がりで西之島が大きな島になった後、そこにさまざまな生物がやってきて住み着いたそうです。以前は70種類以上の生物が確認されていたそうですが、最近また大きな噴火活動があって、生物の数は減少しているとのこと。

そのように環境の変化が著しい西之島ではありますが、そこに渡り鳥であるカツオドリが飛来していることを知ったとき、私はピーン!ときました。「あ、カグツチの遺体に成った神々も、もしかしたら、そこに新しい生態系をもたらす神々なのかもしれない」と。

少し古い情報になりますが、急成長した西之島で70種類以上の生物が確認されていた当時、陸上では鳥の他に昆虫や藻類、海中ではクラゲやエビなどが発見されていたそうです。そのように生物が多様化することで、生態系の変化が起こりやすくなる可能性があるとニュースで解説されていました。

山津見神は生態系そのものを象徴している

この情報を元に考えてみると、そもそもまず、山津見神というのは、ただ単に山の神ということではなく、山は一つの生態系を持っているので、生態系そのものを象徴する存在を山津見神と言っているのかもしれないと思いました。

都と津の違い

二種類の「つ」の違い

そして、少し細かい話になりますが、『古事記』では「つ」と訓む漢字が二種類あって、伊都の尾羽張にある「都」と、山津見神などに見られるような「津」があります。これらの漢字からも、生態系誕生に関するエネルギーの動きを見てとることができるなと思ったんです。

この二種類の「つ」の違いは、私が考えるに、「都」は「みやこ」と読めば、人が密集する都市部がイメージできます。それは、エネルギーの方向性で言えば、円の中心点に集まるような動きになるので、凝縮や収縮になると考えます。反対に、「津」は「滲み出る」や「湧き出る」という意味を持つので、エネルギーでいえば、円の中心点から広がる動き、つまり、拡散や膨張になると考えます。

巨大地震が起こったとき発生する津波も、地震が起こった瞬間、海面は山型にボコッと立ち上がり、前後左右に波が広がっていきます。だから津波は「津」なのだと思います。

ですから、この思考法でいくと、イザナキが用いた天の尾羽張は、カグツチの遺体のある決められた領域に生態系をもたらす力を持っている剣もしくは矛で、尾羽張の名前にもあるように、生態系をもたらす力を鳥に象徴させて各部位にもたらしたということなのだと私は考えました。

そして、その生態系を広げ繁栄させる神が山津見神たちなのだと思うんです。二種類の「つ」の違いは、エネルギーを外から捉えるか、内から捉えるかの違いかもしれません。

天の尾羽張と山津見神との関係性

このような考えに至ったとき私は、『古事記』は物語の構造を通して、壮大な生命誕生の化学を語っているということを確信しました。

『古事記』は世界最古の生物学書説

神々の構造的な対応について

どういうことかというと、これまでの『古事記』の内容を振り返ってみると、イザナキとイザナミの一連の神生みによって、水の神々、山や野原の神々、そして火に関する神々や熱水に関する神々が生まれたわけですが、それらが象徴することは、原始の地球がどのように形成されてきたのかということを語ったものでした。

灼熱の岩石砂漠の原始地球に水蒸気が発生し、雲ができて雨が降って海ができた。そして、地熱エネルギーによって、金属などを含む泥や熱水が噴出した。続いて、カグツチが殺されたシーンでは大噴火が起こり、溶岩に関係した神々、そして雷神が誕生し、今回のシーンでは山津見神という生態系をもたらす神々が誕生しました。

神々を構造で整理

この話の流れを構造的に整理してみると、神生み第一弾の神々はカグツチの血に成った溶岩流の神々と対応し、神生み第二弾の神々は雷神と対応していることがわかりました。神生み第二弾で生まれた天鳥船は火おこし器や容器の神様でしたが、その要素がタケミカヅチの金槌(刀剣制作においては火起こしの道具として使われる)と、容器としての柄杓に継承されているようなので、タケミカヅチを金槌と柄杓の神様と解釈するのは正しいようです。神生み第三弾の対応については、後半で触れますね。

さて、『古事記』ではこのように、噴火によって雷が発生し、その後に新しい生態系をもたらす神々が誕生したと語っているわけですが、この話が、現代科学においては、1953年、スタンリー・ミラーが行った実験によって証明された内容と酷似しているんですね。なぜなら、この実験によって、生命の基本物質誕生には、熱と電気の力が関わっているということが判明したからです。

ミラー実験よりも先に『古事記』は知っていた!?

生命誕生の化学

ミラーは、火山性の原始大気のモデルとして、水蒸気、水素ガス、アンモニアとメタンの混合気体をフラスコ内に再現し、そこに原始地球の稲妻のかわりに火花放電を加えることで、さまざまな有機化合物やアミノ酸が生成されることを発見しました。

この実験は「ミラー実験」と呼ばれ、これにより放電が生命の基本物質を創生するということがわかりました。その後さまざまな実験が繰り返されて、放電だけでなく、金属イオンが触媒として働くことで、アミノ酸など生命の基本物質ができるということもわかりました。

この一連のミラー実験で用いられた元素、そして放電によって誕生した生命の基本物質が、『古事記』では神々の誕生として語られていたのだと私は思ったんです。

natan
natan

これ、すごくないですか!?

現代化学でようやくわかってきたことを、『古事記』は千年以上も前から知っていた!

『古事記』は熱水噴出孔のことも語っていた!?

さらに、神々を整理する中で、もう一つ気づいたことがありました。カグツチの血に成った三番目の神々に関することなのですが、この神々はイザナキの指の俣から漏れ出た血によって成った怪物的な神々です。しかしそれだけでなく、構造で整理してみたところ、この神々は神生み第三弾で誕生した熱水とも対応しているだろうということも見えてきたんですね。

なので私は、「熱水」「雷」「火山」というワードをグルグルと頭の中で回転させてみたんです。すると、「あ!この三番目に出現した神々は、熱水噴出孔のことかもしれない」と思ったんです。

どういうことかというと、現在、海洋中で生命の基本物質を生み出したエネルギー源は、海底にある熱水噴出孔だと言われていて、そこはマグマに熱せられた高温の熱水がものすごい水圧に押されながら噴出している場所です。その熱水にも火山性の大気と同じ成分が含まれているんですね。そして、熱水噴出孔付近では微弱ながら発電現象も起こっていることが最近わかったそうで、大地の上で起こった現象が、海底でも同じく起こっているようです。

この熱水噴出孔を象徴しているのが、三番目に登場したくら淤加美おかみのかみくら御津羽みつはのかみだということに気づいたんです。この神々の名前にある「闇」という字は海底の暗さのことであり、闇淤加美神の「お上」、それは上昇する何かを指し示し、次の闇御津羽神がその上昇するものは水(熱水)であるということを伝え、さらに、その周辺に電気を発生させているのがタケミカヅチだということがわかりました。

熱水噴出孔について

私は前回の解説で、タケミカヅチはモノで言えば金槌を象徴した神様で、先端にはものすごい圧力がかかって火花が散るとお話しましたが、熱水噴出孔も高圧の海水が高温の熱水を押して、そこに電気が発生しています。これを神話風に表現してみると、国譲りの交渉の際にタケミカヅチがつかのつるぎの切っ先に足を組んで座ったのと同様に、彼は熱水噴出孔でも足を組んで座っていると表現できるのではないかなと思います。

さて、このように熱水噴出孔にタケミカヅチも関与していることがわかったら、今度は彼と共に出現した甕速日神、樋速日神の新たな姿も見えてきました。熱水噴出孔において、甕速日神のカメの要素は熱水が温められる場所のことであり、樋速日神の樋の要素はチムニーと呼ばれる熱水が出てくる煙突のこととして読めるようです。

そしてこれは、闇淤加美神と闇御津羽神を先頭にして、血に成った神々が象徴することを逆から読むとそのように読めるということもわかりました。神々の誕生を上から読むか、下から読むかで、物語の場面が陸もしくは海に変わるということ。なんともおったまげな『古事記』の超絶手法!最新の科学を、一つの場面で同時に二つも語るなんて、まさに神業ですよね!!!

神々を逆に読むと違うストーリーになる

世界で唯一体系的に記録された神話『古事記』

以上のことから私は、これまで『古事記』は、日本に古くからある言い伝えや、各地方に伝わる神話を集めて国家の神話とするために編纂されたものだと言われてきたわけですが、実際はそうではなく、数々の神話をブリコラージュ、つまり再利用することによって、地球がどのように形成されて日本の大地が誕生したのか、そしてそこにどうやって生命が誕生したのかを神々に託して語った、今で言う生物学書のようなものとしてまとめられたのではないかなと思うんです。

世界を見渡しても、『古事記』のように体系的に神話が保存されているものは無いと言われています。『古事記』が体系的に記されている理由の一つは、生命誕生の歴史を細かく記録した生物学書という側面をもっているから、なのかもしれないですね。

natan
natan

すごいですよね。

『古事記』は世界最古の生物学書かもしれないなんて。

でも、今で言えば生物学書と表現されますが、日本人にとっての神、そしてご先祖様というのは自然そのもののことを言うので、当時の日本人にとっての『古事記』は、神々やご先祖様たちの歴史と記憶を記したものという認識だったと私は思うんですね。だから、神を語ることがイコール自然の成り立ちや生態系の進化として読めるというのは、ごくごく当たり前なことなのかもしれないなとも思いました。

そういえば、昭和天皇や上皇陛下は、生物学を研究されているそうですね。しかも上皇陛下は、日本トップレベルの生物学者だそうです。もしかしたら、そのご研究の根底にあるものは『古事記』なのかもしれないですね。

というわけで、今日の解説は以上になります。

『古事記』は世界最古の生物学書かもしれないということで、この話が真実だとするならば、なぜ『古事記』は現代科学に先んじて生命誕生の秘密を知っているのでしょうか?それこそ、神のみぞ知る、それが神話ということなのかもしれないですね。ロマンですね~♪

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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