本日のトーク内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、スサノヲが殺したオホゲツヒメの遺体から生じた五穀について深堀りをしました。そのとき、それら五穀は発酵する特徴を持っていること。また、オホゲツヒメは穀物を発酵させる真菌類(酵母)を象徴した神でもあり、彼女のシーンは後にヲロチ退治で出てくるお酒の布石にもなっているのではないだろうか、というお話もさせていただきました。
今日は、植物の観点からオホゲツヒメを見ていきたいと思います。
前回のおさらい
前回、オホゲツヒメは真菌類のお母さんで、かつ穀物を発酵させる酵母という性質を持っているのではないだろうかというお話をしましたが、その酵母の姿を見ていたとき私はあることを思いました。「酵母の形って、ヒョウタンに似ているな」と。
「もしかしたら、オホゲツヒメってヒョウタンでもあったりするのかな?いや、まさかな。形が似ているだけで、彼女と一緒にするのは違うな。いや、でもどうかな…」と思って、冗談半分でヒョウタンについて調べていったら、あらら、やっぱりオホゲツヒメはヒョウタンっぽい、ということが見えてきたんですね。
まだこのシーンは抽象性が高いので、ヒョウタンだと断言するには時期尚早かもしれませんが、でもオホゲツヒメをヒョウタンと仮定してみたら、結構いろんなことが読み取れたので、今日はその仮説を積極採用して、そこから読み取れたことをお話してみたいと思います。

オホゲツヒメをヒョウタンだと思った理由
まず、私が彼女をヒョウタンだと思った理由は、酵母とヒョウタンの形が似ているからということ以外に、二つほどあげられます。一つは、ヒョウタンが汚物を出すから。二つ目は、ヒョウタンに関する故事や昔話が、今後の古事記で起こる展開を示唆しているからです。
ヒョウタンとは
そもそもヒョウタンとは何なのかと言うと、ヒョウタンはウリ科ユウガオ属の一年草で、果実は苦みがあって食用に向きません。ですが、その果実を加工すれば、日用品をはじめ、儀礼の道具としても使え、またお守りにするなど、その用途は多岐にわたります。形もいろいろあって、特に「ヒョウタンといえばコレ」というものは、上下が丸く、真ん中がくびれているものが思い浮かびますよね。
このヒョウタンは、日本には縄文時代に伝わったとされ、遺跡からヒョウタンの種が発見されていることから、最古の栽培植物とも言われています。

そんな人類と長く関わってきたヒョウタンは、じつは汚物を出すんですね。オホゲツヒメをヒョウタンと判断した一つ目の理由です。
【理由①】ヒョウタンは汚物を出す
オホゲツヒメは自分の身体から汚物を出して、それをスサノヲに食べさせようとしていました。じつは、ヒョウタンも同じく汚物を出すんです。

と言っても、ヒョウタンが出す汚物は、自主的に出すものではなく、人間がそうさせているということなのですが…。
どういうことかと言うと、ヒョウタンは食用に向きませんが、道具として加工すれば、様々な用途に使えます。ヒョウタンを加工するためには、ヒョウタンの中に詰まっている種とワタを取り出す必要があるのですが、その中身は頑丈に詰まっているため、簡単に取り出すことはできません。
ではどうするかというと、ヒョウタンに穴を開け、水に沈めて、中身を腐らせてから取り出します。十日ほどで取り出せるほどに腐るそうですが、そのときの腐敗臭はものすごいらしいです。その臭いと格闘しながら中身を取り出し、その後乾燥させ、さまざまな用途(たとえば、お酒を入れる容器だったり、食事に使うお皿だったり)に応じて加工していきます。
このように、飲食に用いられるヒョウタンは、加工の過程で汚物を出すということが、オホゲツヒメが汚物の食事を出したということと似ているなと思ったので、一つ目の理由にあげました。

【理由②】ヒョウタンに関する故事や昔話
二つ目の理由は、ヒョウタンに関する故事や昔話が、今後の古事記で起こる展開を示唆しているからです。
海外に伝わる故事
さまざまな地域でヒョウタンに関する故事、神話があり、たとえば中国西南部の山地に住む少数民族ミャオ族やヤオ族、またはインドシナ半島や台湾の山地民族には、似たような故事があります。
その内容を要約してお伝えすると、大昔、大洪水が発生し、地上の人間は溺れ死んでしまった。しかし、大きなヒョウタンの中に入って難を逃れた兄妹(または姉弟)二人だけは生き残ることができた。二人は夫婦になり、やがて男の子が生まれたが、その子は瓜児(手足がなく肉の塊のような姿)だったため、二人は怒って刀で切り刻んで山に放った。すると、それが人間になったというお話です。
この故事が伝えていることは、ヒョウタンから人類の始祖が誕生したということです。

日本に伝わる昔話
日本にも宝瓢物語という昔話があり、こちらも内容をはしょってお話すると、主人公はおじいさんです。観音様の言いつけでヒョウタンから二人の童が出てきて、その童たちがヒョウタンからおじいさんが食べたいご馳走や欲しているものを何でも出して、願いを叶えてくれたというお話です。
この昔話が伝えていることは、ヒョウタンから童(子ども)が出てくることと、欲しいものが出てくることです。

故事や昔話が暗喩的に示唆すること4つ
これらの故事や昔話が、オホゲツヒメのシーン以降に語られる展開を暗喩的に示唆していると私は思いました。その示唆は四つほどあります。
- 大洪水が起こること
- 欲望を断ち切ること
- 結婚すること
- 人類の始祖が誕生すること
【示唆①】大洪水が起こること
一つ目から見ていくと、先ほどご紹介した故事の中で、大洪水が発生し、ヒョウタンの中に入っていた男女だけが助かったという話がありましたが、古事記においてはその大洪水がヤマタヲロチに象徴されていると私は考えました。
まだその場面まで解説が進んでいないので、詳しい内容は後日改めてお話させていただきますが、ヤマタヲロチの凶暴さは川の氾濫の恐ろしさを象徴したものだと言えるからです。オホゲツヒメをヒョウタンとしてみると、そこには洪水発生の危険性が潜んでいて、それが後にヤマタヲロチとして顕現してくる、ということではないかなと考えます。

【示唆②】欲望を断ち切ること
二つ目の示唆、欲望を断ち切ることについては、そもそも「欲望」というキーワードがどこから出てきたかというと、オホゲツヒメは自分の体内から食べ物をポンポン出していて、日本昔話のヒョウタンもおじいさんが食べたいご馳走や欲するものをポンポン出していて、ここにもオホゲツヒメとヒョウタンとの接点を感じ取れるわけですが、それ以外に、オホゲツヒメとヒョウタンから出てくるものは共に欲望でもあると言えるからです。

そう考えてみると、話は少し戻って、スサノヲが自立を決意したが故にオホゲツヒメを殺したというあの出来事の詳細も、やはりオホゲツヒメという乳母的存在がスサノヲをいつまでも甘やかすから、彼はそれが嫌になって彼女を拒絶したのではないかなと思います。
親がいつまでも子どもを一人の人間として見ないというのは、「ずっと私の子どもでいてほしい」という親の欲望だと言えるからです。それを拒絶するというのは、いわゆる反抗期の到来っていうやつですね。親から甘やかされるのが嫌になったり、親に指図されるのが嫌になるあの時期を、スサノヲは体験していたのかもしれません。
オホゲツヒメのシーンでは、その欲望は食べ物に象徴されていましたが、それとは別の欲望が次回以降のシーンに出てきて、それを乗り越えていくことが描かれていくので、その詳細については解説が進み次第お話しますね。

【示唆③④】結婚すること、人類の始祖が誕生すること
さて、ヒョウタン伝説が示唆することの三つ目と四つ目は一気にいきます。結婚することと、人類の始祖が誕生することについて。これらは、スサノヲとクシナダヒメから始まる一連の物語のことだと私は考えています。
次回以降のシーンで、スサノヲは出雲の鳥髪という場所に降り立ち、ヲロチ退治を約束すると同時に、クシナダヒメを嫁にくれとその両親に頼みます。そして、ヲロチを退治したあと二人は結ばれ、たくさんの子どもに恵まれます。つまり、婚姻関係の成立とたくさんの子孫が生まれることが描かれていくんですね。
ヒョウタンは結婚式の祭器としても用いられ、また子宝や安産祈願のお守りとしても信仰されています。しかも面白いことに、世界の風習では安産祈願として水にヒョウタンを浮かべてそれをポンポン叩くというものがあるそうです。
水とヒョウタン。大洪水が起こったとき、ヒョウタンに隠れていた男女だけが生き残って、その二人から人類の始祖が生まれたという話がありましたが、その水に浮かべたヒョウタンが子宝や安産祈願として信仰されているというのは、妙にリンクしていて面白いなと思います。
ちなみに、女性が処女を失うことを「割れたヒョウタン」または「は瓜」と表現しますが、クシナダヒメの結婚や出産のことを考えると、ますますその直前で登場するオホゲツヒメはヒョウタンっぽいなと思います。

結論
というわけで、以上のことから、私は植物という視点からオホゲツヒメを見た場合、それはヒョウタンと言えるのではないかなと考えます。そして、これが一番重要だと思うのですが、オホゲツヒメのヒョウタンという性質に、高天原そして天石屋戸シーンで起こった出来事を絡めて考えてみると、あることわざが導き出されるんですね。
そのことわざとは、「ヒョウタンから駒が出る」です。これは、思いもよらないところから、予想もしていなかったものが出ることを意味し、ありえないことのたとえとして用いられます。

古事記におけるあり得ないこととは、スサノヲの暴挙によってアマテラスが天石屋戸にこもってしまい、それで世界に災いが起こったのにも関わらず、アマテラスの引きこもりは結果的に彼女の成長へと繋がったこと。また、その場面で漆文化や発酵文化、織物文化や祭り文化も生まれ、スサノヲの暴挙はさらに無礼講という日本特有の文化までも生み出したことです。
スサノヲの最大の暴挙は、屋敷の天井から馬を投げ落としたことですが、それはまだら模様の「天のふちこま」だと言われています。アマテラスの天石屋戸への引きこもりは、別の言い方をすれば、スサノヲの馬が彼女を天石屋戸に連れ去ったとも言えます。後にアマテラスは天石屋戸を開いて出てくるわけですが、それもまた馬に乗って高天原に戻ってきたとも言える。そのときの彼女は、これまでの彼女ではなく、一段成長した姿で戻ってきています。
そういった出来事があったから、「ヒョウタンから駒が出る」ということわざが生まれたのではないかなと私は思いました。

ということで、以上がオオゲツヒメとヒョウタンについてのお話でした。
植物と人間の関係性について
ここからは今日最後のお話として、ヒョウタンという植物が人類の始祖を生み出したという話から見えてきた、古代における驚愕の人類史観をご紹介して、今日の解説を終えたいと思います。
私たちはダーウィンの進化論を参考にして、人類は猿から進化したと考えています。しかし、古代人はまったく違った人類史観を持っていたようです。それは、人類は植物から生まれたというもの。
今日お話した人類の始祖もヒョウタンから生まれています。また、かぐや姫や桃太郎、瓜子姫など、私たちが慣れ親しんだ昔話も「人間は植物から生まれた」と語っています。

さらに、古事記では天石屋戸シーンにおいて、日食によって世界に災いが起こったことが描かれているわけですが、古事記解説第45回でお話したように、その日食は別のとある事件も象徴している現象なんですね。
その事件とは、蛾の幼虫(スサノヲ)の大量発生によって農作物の葉が食べ尽くされてしまい、光合成ができなくなってしまったことです。光合成ができないことを日食に絡めて古事記は語っているわけですが、この件に関しても光合成ができないことを災いとする視点がまさに植物視点だなと感じます。

さらにさらに、古事記解説第44回でお話したように、天石屋戸シーンにおいて、アマテラスは比喩的な意味で逆立ちをしながら脚を大股開きして、稲の花の開花を表現すると共に、自分自身の生物学的成長をアメウズメという分身に表現させていたことも思い返してみると、ここにも植物と人間の接点を感じずにはいられません。

哲学者アリストテレスは、「植物は逆立ちした人間である」と言いました。たしかに、天石屋戸ではアマテラスも逆立ちをしていました。また、人間の脳は電気信号でやり取りしているわけですが、植物の場合は根が電気信号でやり取りをし、人間が栄養摂取をする口は上にあるけれど、植物の口は下にある根。人間の生殖器は下にあるけれど、植物の生殖器は花という形で上にあるなどなど、人間と植物はそのすべてが反転しています。
「人間は考える葦である」、これもパスカルが人間の思考力と植物の葦とを絡めて語った言葉ですよね。

おわりに
以上のように、古代人は植物から人間が生まれたと考えているようなんですね。動物が人間になったのではなく、植物が人間になったという考えは、天と地がひっくり返るくらいの驚きを感じてしまいます。
「植物=人間」という視点を用いれば、より正確な古事記解読ができそうなので、今後はこの考えを参考にしながら考察していきたいなと思います。また、植物と動物、動物と人間の関係性はどうなのかも気になるので、いつの日かそれに対する答えも見いだせたらいいなと思っています。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!