私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日はいよいよ最後のお話、ロマン主義についてです!
▼ 参考文献 ▼
ロマンティックラブ
「ロマンティック」という言葉は、もともと「小説のような」という意味です。
17世紀中頃にイギリスでよく読まれていたもので、前回お話した中世宮廷恋愛をモデルにしています。
中世宮廷恋愛をモデルにした、大好きな女王のために命を投げだす冒険ものの話で、ドラゴンクエストシリーズのようなトロールあり、魔女あり、妖精ありの空想的な冒険恋愛物語でした。
それが「ロマンティック」と呼ばれるようになります。
想像力にあふれ、現実離れしている冒険活劇、恋愛物語のことです。
この「ロマンティック」なるものが、19世紀にヨーロッパで大流行します。
ロマン主義は、文学、音楽、絵画の領域を横断しつつ、ヨーロッパの国中を駆けめぐる、複雑でいろいろな方向性をもった芸術運動に発展します。
一言でいうと、
ロマン主義=幻想バンザイの世界
です。
18世紀が理性と権威の時代であるのに対し、19世紀は、理性で割り切れないものもある、権威なんかろくでもない、という考え方が主流になる時代です。
現実よりも幻想、理想バンザイ、理性よりも感情バンザイ、ということでロマン主義が流行ります。
当時の時代背景
なぜロマン主義が影響力をもったかというと、
が背景にあるからです。
ヨーロッパでは18世紀末から封建社会の矛盾が頂点に達し、革命が起こります。
王政が倒され、王の圧政から民衆が解放され、封建的な秩序が崩れ、自由で平等な社会が作りあげられていきます。
すると、個人主義的な価値観、ものの見方が非常に重要になってきます。
それまでは、生まれが貴族であれば一生貴族として、農民であれば農民として生きることが当たり前でした。
しかし、封建社会が崩れると、今度は各人がそれぞれの欲望に従って、自分の人生を作りあげていく世の中になりました。
権威的な秩序を打ち壊して、自由を得たわけです。
理性の名のもとに作られた、がんじがらめの体制から抜けだし、本当の自分を解放する、本当の自分を発見し、それに従って生きる、という社会です。
これが革命以降、次第にヨーロッパ共通の価値観になっていきます。
キリスト教の振り子運動
中世以来、恋愛には宗教性が与えられてきました。
その中で、ヨーロッパ史ではキリスト教は振り子のように、理性に傾いたり、感性に傾いたりをくり返していました。
16世紀にルネッサンスが現れたときには、人間解放ということで、あれだけ厳しかった性に対する教義が少し緩んだりもしました。
しかし17世紀には、その反動で理性主義がやってきて、ルネッサンスで緩んだ手綱を引き締める。
このようにキリスト教は振り子運動をくり返していくのです。
そして、19世紀にはまた理性主義に対する反動から、宗教的なモラルや神秘主義な価値観が強くなることで、ロマン主義的な恋愛ができあがります。
恋愛至上主義の誕生
中世宮廷恋愛では、キリスト教の影響で、恋人は神様の立場に置かれます。
中世ではキリスト教の権威は絶対的で、神の世界と世俗の世界の分離もしっかりしていました。
神に対する愛の方がはるかに重要で、人間どうしの愛はどうでもいい、というところがありました。
そして中世宮廷恋愛と同じく、ロマン主義的恋愛観も「アンチ結婚」です。
しかし、中世の時代は封建社会だったため、神が与えた「王様―貴族―平民」という秩序を壊そうという発想そのものがありませんでした。
ですが、ロマン主義にあたっては、そうした社会秩序自体がひっくり返ります。
すると、恋愛に対する比重、人生における重要性がぐっと上がります。
ロマン主義の出現とともに、恋愛が理性の側から狂気の、情熱恋愛の方にシフトします。
そのような経緯から、恋愛に情熱的で狂気に陥るくらいのすごい価値が付与されて、恋愛至上主義が生まれていきます。
これは、なかなか衝撃的なビジョンでした。
以前は神様がもっていた絶対的権威、キリスト教ががっちり持っていて手放さなかった権威が、少しずつ世俗の恋愛へと滑り込んでいくのです。
ロマン主義的恋愛とは、秩序あった世界がひっくり返って、
恋人が世界の中心になる出来事
です。
いや、もっと言って、「世界が恋人だけになること」です。
こうして狂気に近い、神秘主義的なロマン主義的恋愛ができあがります。
あるいは、
恋愛という宗教がロマン主義とともに完成した
と言ってもいいかもしれません。
ロマンティックイデオロギーの成立
具体的にお話すると、中世宮廷恋愛では、女性はお姫様、男子は騎士というプロトタイプを与えました。
そして、お姫様と騎士の恋愛、永遠に続く愛が、もともとは婚外恋愛だったはずなのに、ロマン主義によっていつの間にか通常の家庭の結婚生活にまで侵入していきました。
結婚し、家庭を作り、決して浮気しない。
お姫様は選ばれし男に尽くされ、金を稼いでもらい、家事をする。
男は女性を守り、永遠に愛し、お姫様のワガママをすべて聞き入れ、金を稼ぐ。
浮気は肉体の罪であり、精神的な恋愛である結婚は肉体の罪を超えて、安定した家庭を作るのに役立つことになります。
このようにして、天上の恋愛、崇高な聖なる宗教的次元にあり、もともと結婚という世俗のシステムの外側で発達していった恋愛制度が、地上の日々の生活、結婚生活の中にまで浸透し、男はこうあるべき、女はこうあるべきというジェンダーを作り上げることになります。
そして、
ロマンティック・イデオロギーが成立します。
このイデオロギーは世界中に広がり、男性と女性のジェンダーをも規定していったのです。
日本も例外なく!!
ロマン主義の恋愛観は現在も生きつづけている
19世紀ヨーロッパを席巻したロマン主義は、世界の恋愛文化に大きな影響を与え、今もなお生きつづけています。
だからこそロマンティックラブは、
感情を束縛する制度としても機能している
と考えられます。
西洋の貴族のような恋愛をして、結婚して、それで一生結ばれる。
家庭を持ち、良き夫、良き妻として子供を育てる。
これは大きな束縛として、自由なはずの恋愛感情に重くのしかかっていくということになります。
古代ギリシャから始まった恋愛制度は、約2,500年の歴史の中で複雑に混交、発展、進化してきました。
そしてこれは最終的にイデオロギー化し、グローバル化の波に乗り、いまだに世界中で猛威をふるっています。
まとめ
ということで、このロマン主義的恋愛を当時の明治政府が日本に輸入してくるわけですが、ちょっと日本のお話をするその前に…。
性だけに焦点を当てて、性に対する規制がどのよう進行していったのか、その歴史も合わせて見ていきたいと思います。
次回はそのお話をしますね♪
次回もお楽しみに♪