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チベット密教の歴史~秘密集会タントラの誕生~

チベット密教アイキャッチ 宇宙と性愛
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

男女のセクシャリティの神聖さを知っていくために、今日からチベット密教を参考にして、その秘密を探っていきたいと思います!

▼ 参考文献 ▼

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チベット密教の歴史

まずはチベット密教の歴史をお話します。

チベットについて

チベット密教とは、おもにチベット人仏教者たちが受容し伝承してきた密教であり、その中核は、8~12世紀のインド仏教界で成立した、いわゆる後期密教(タントラ仏教)です。

チベット密教02

ここでいう「チベット人」とは、チベット語を母国語とする人々のことで、現在の中華人民共和国のチベット自治区、四川省の西半分、青海省の南部、インドのラダック地方やスピティ地方の一部、ネパールのヒマラヤ山脈側、ブータンなどに居住する人々を指します。

このなかで、チベット密教の伝承に大きな役割を演じてきたのは、一般に中央チベットと呼ばれる地域です。

この地域は、チベット自治区の南部、ヒマラヤ山脈のすぐ北側に広がる高原地帯です。

ここでは「チベット人」としていますが、チベット仏教はモンゴル系の人々の力によって存続でき、宗教活動そのものも彼らがかなりの部分を担ってきたという背景もあります。

秘密集会(ひみつしゅうえ)タントラの誕生

8世紀から12世紀のインド仏教界は、ブッダ成道以来、1700年あまりに及ぶインド仏教の歴史における最終段階に相当します。

この時期、仏教に目覚めたチベット人たちは真理の法を求めて、続々とインド各地の僧院や指導者のもとへ留学しました。

この頃のインド仏教は、ヒンドゥー教によって勢いが衰え、かつまた新たに西方のイスラム教による侵略にさらされ、その勢力は日に日に縮小しつつありました。

結局、インド仏教は13世紀の初頭にイスラム軍の攻撃をうけて滅亡しましたが、事前にインド仏教の行末を見極めたインド人僧侶たちが、それも指導的な立場にあった最も優れた僧侶たちが、チベット高原に新天地を求めて旅立っていきました。

チベット

このような状況にあったインド仏教が、最後の切り札として誕生させたのが、

後期密教

といわれるものでした。

後期密教は、8世紀、

秘密集会(ひみつしゅうえ)タントラ

の登場をもってはじまります。

その最大の特徴は、解脱にいたるための至高の方途として、性的ヨーガ、すなわち、

性行為を導入したヨーガを採用したこと

にあります。

もちろん、性的ヨーガの実践は、僧侶の性行為を一切禁じた戒律に抵触します。

それを承知のうえで、インド仏教は後期密教の世界へと突入したわけですが、この性的ヨーガと戒律の矛盾は、インド仏教が滅亡するまで、多くの仏教者を悩ませつづけました。

顕教と密教からなる仏教

チベット密教は構造的にいえば、チベット仏教に内包されています。

言い換えると、チベット密教はチベット仏教の構成要素の一つです。

では、チベット密教以外の構成要素は何かといえば、それは密教ではない仏教、いわゆる「顕教」です。

つまり、

チベット仏教は顕教と密教から構成されています。

時系列でいえば、顕教が先行し、相当後になってから密教が登場してきました。

というより、インド仏教の歴史の最末期にいたって密教が登場してきたのであり、しかも密教が登場したからといって、顕教がなくなってしまったわけではありません。

時代や地域によってかなり異なりますが、インドの僧院の中では、比重はともかくとして、密教と顕教が併存していたと考えてよいでしょう。

さまざまな教理を駆使する理論研究の面では、顕教の方がはるかに蓄積が多かったのですが、その一方でその理論を実現に導く霊肉を開発するために不可欠な修行法など、実践の面では密教の方がはるかに進んでいたからです。

密教の魅力

時系列とは関係なく、チベットには一挙にといえるほど、ほぼ同時に密教と顕教が伝えられました。

それはチベットへの仏教流伝が、偶然にも密教が成立しつつある時期と合致していたせいでもあります。

そのため、チベット仏教の歴史は、はじめから密教と顕教が絡み合う形で進行します。

しかも、大多数の人々の眼には、相当に理屈っぽい顕教よりも、実践的な密教の方がはるかに魅力的に映ったに違いありません。

とくにチベットに伝えられた密教は、性的ヨーガをともなう後期密教が中心だったので、人々の好奇心を引きやすく、その結果、チベットの仏教界は当初から密教優位に傾きがちでした。

しかし、戒律を軽視するような形態が本当の仏教なのか、という疑問をもつ人々も少なくありませんでした。

チベット仏教の歴史を総括するなら、どうしても密教に傾き、ときには密教の甘美で危険な罠に陥りかねない人々を、顕教の堅固な理論によって、いかに仏教本来の道に引き戻すかという、まさに苦闘の連続だったともいえるのです。

性的ヨーガは隠喩・象徴である

コスモ・ライフォロジーでチベット密教を取り上げようと思ったのは、密教が女性という存在を含めて、性を否定せず、それを逆に取り入れて解脱を図っていたという点に、コスモ・ライフォロジーとの接点を見出したからです。

さらに共通点として、性的ヨーガはインド・チベット密教の研究者の間でもほとんど未開拓のままであり、実践中における心身生理の様態と変容は、まだ何もわかっていないそうです。

しかし、密教の闇ともいうべき部分があり、密教の経典に書かれている内容を隠喩や象徴とみなさずに、そのまま実践にうつしたり、ときには黒魔術的な行法による呪殺なども行われていたという歴史があります。

そう、性的ヨーガとは本来

隠喩・象徴

なのです。

用語解説

隠喩:修辞法の一つで、たとえを引いて説明するのに、表現上では「の如(ごと)し」とか「ようだ」のようなたとえの形式になっていないもの。

象徴:主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。

私もコスモ・ライフォロジー第二部をはじめた当初、みなさんにこうお伝えしています。

「これからは性をテーマに取り上げていきますが、これはセックスを強制するものではありません」

「至高のオーガズム状態を成すセックスからヒントを得て、男女の理想的なコミュニケーションの作法を見つけていきたい」と。

だから「みんなでまぐわっちゃおうぜ!」というものではないということです。

この視点がチベット密教が目指すものと共通していると感じ、チベット密教を取り上げてみようと思ったのです。

なので、チベット密教の性的ヨーガや、コスモ・ライフォロジーがお話する性的な話はそのまま受け取るのではなく、

これはどういう意味をもつ行為なのだろう?

なにを象徴しているのだろう?

と想像力を駆使して考えていただきたいのです。

そうやって思考していくと、身体というものが物質的なものに見えなくなってくる、何かを隠喩・象徴したものであるという面白い見方を持てるようになってきますよ。

というわけで、次回はさらにチベット密教を深堀りしていきたいと思います。

次回もお楽しみに♪

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